会わない日

 
 

 

 

「機嫌が悪いな、あれは」

「あぁ。触らぬセリスにたたりなしだ」

 朝の鍛錬を終えて食堂にやってきたスカサハとデルムッドの二人は、妙に重い空気を放つ食堂の中央に座っているセリスの様子を見て、そう頷きあった。
 問題は二人がまだ食事をとっておらず、食事を配給してもらう必要があるということ。
 そして、そのためには食堂のカウンターへ行かなければならず、どうしてもセリスの視界に入らなければならないということだ。
 ティルナノグから共に過ごしてきた二人には、今のセリスに捕まるとどうなるかが当然のごとくわかっている。

「どうする」

「どうするって、食事を抜くという選択肢はないぞ」

 二人とも、未だ成長期のど真ん中だ。
 交戦中などの特別なことがない限り、わざわざ食事を抜きたいとは思わない。

「何が原因だと思う」

「手掛かりがなさすぎる」

 スカサハの言葉に、デルムッドが肩をすくめて答える。
 いつもは同じ時間に食べることが多い他の幹部たちも、何故か今日は食堂に誰一人としていない。

「ラクチェとか、俺達より少し先に上がっただけだぞ」

「オイフェ様は私室に運ばせているとして、他の連中がいないのはどうなってるんだ」

 朝の鍛錬を受け持っているのはスカサハとデルムッドだけではない。ラクチェやオイフェは毎日のように顔を出しているし、騎兵を担当するヨハンも常に参加している。
 単純に今朝の鍛錬に顔を出していたメンバーを思い出してみても、食堂にいるはずの人間が誰もいないのだ。

「今日、午後は自由だったか」

「軍議はなかったと思うけど」

 軍議がなければ、平時の幹部たちは比較的自由な時間が持てる。
 今は占領下の城に駐屯しているのもあって、朝の鍛錬が終われば城下町へ連れだって繰り出そうと相談していた者もいるかもしれない。

「まさか、全員が行くわけないしな」

「当たり前だろ。女性陣が一人もいないっていうのも、どうも引っかかるよな」

「女性陣総出か」

「でも、それぐらいであの不機嫌さは説明できん」

 結局、何の結論も出せずに二人が手をこまねている間に、朝の鍛錬には顔を出さないアーサーが、二人の隙間をするすると抜けていく。
 二人が制止する間もなくカウンターで配食を受けたアーサーは、二人の目の前でセリスに捕まり、問答無用で向かいの席に座らされていた。

「あちゃ……」

「名誉の戦死だな。今の間に急ごう」

 セリスの視線がアーサー一人に注がれると見越して、デルムッドが冷静に歩を早める。
 スカサハは低姿勢でセリスの背後を抜けると、デルムッドの隣に並んだ。
 カウンターに程近い席に座る二人の会話が、配食を待つ二人の耳にも入ってくる。

「アーサー、聞いてくれないか」

「食べながらでよければ」

「もちろん、食べながらでもかまわないよ」

 それまでただ鬱々としていたセリスが、話し相手を得て堰を切ったように話し始める。
 それを聞くアーサーは、普段と何も変わらない様子で相槌を打ちながら、表情を一つも変えずに食べ進めている。

「うわ、尊敬するな」

「まぁ、アーサーって変わり者っていう噂だからな」

「生き別れの妹を探して、シレジア半島を歩いて旅してたんだっけ」

「フィーの話だとそうらしいな。つうか、冬のシレジアを歩いて旅するのって自殺行為だろ」

 セリスの背中側に席を取った二人は、聞き耳を立てずとも漏れ聞こえてくるセリスの愚痴を聞き流して、アーサーの情報を交換し合う。
 解放軍の軍師を務めるレヴィンの実娘という天馬騎士に連れられるようにして参陣したアーサーだが、その正体を証明するものは何もなかった。
 ただフィーの旅仲間という触れ込みだけで参陣し、その高い魔力と三種の魔法を操る能力を買われて、現在は魔道士を率いる立場につけられている。
 魔道士特有の雰囲気はあるものの、文字も書け、難解な計算ですら簡単にこなすアーサーは、特に軍師たちに熱望されていた祐筆としての役割も与えられている。
 通常ならば軍師付きの祐筆には信頼度の高い人間を置く必要があるが、レヴィンの実娘に対する信頼からか、解放軍では何のためらいもなく彼を祐筆に据えた。

「結局、見つかったんだっけ」

「さぁ……よく知らないな」

「アーサーなら、見つかっても普段と変わらなさそうだよなぁ」

「そうだろうな」

 二人がそう言っている間にも、セリスの熱弁がさらに熱を帯び始める。
 アーサーの姿がなければ、誰もいないところで演説の練習をしているようにさえ見える。

「だから、僕は言ったんだよ。何もやましいところはないんだって」

「誤解か」

「そう、誤解だよ。僕はただ、まだ慣れていないだろうからってね」

 背後で聞いているデルムットとスカサハの二人は、淡々とセリスの話を進めさせるアーサーに感心していた。

 熱くなり始めたセリスは、悪い意味で視野が狭くなる。
 その彼を淡々とあしらえる人間は、彼らの中では幼馴染のシスターしかいなかったのだ。

「それに、凄く薄幸そうで気になるじゃないか。
 そりゃね、ラクチェほどの元気さが普通だとは僕も思わないよ」

「あぁ、あの女剣士」

「ラクチェが普通なら、ユリアなんてもっと優しくいたわらなくちゃいけなくなるけどさ」

 妹の名前の出され方に、スカサハが軽く眼頭を押さえる。
 デルムッドはあえてその姿から視線を外して、セリスの言葉尻をとらえていた。

「ユリア様がらみか」

「ユリアって、あの銀髪の娘かな」

「そうだろうな。レヴィン様が連れていた方だ」

「たしかに、あんな女の子と比べたら、ウチのラクチェなんて男扱いされるよな」

 本人がいないからこそ言える発言をした後で、スカサハがさりげなく身構えていることからも視線をそらしつつ、デルムッドは昨晩のことを思い出そうとしていた。

「昨晩、何かあったかな」

「いや。特に軍議もなかった。
 大体、シャナン様が帰ってくるまで次の軍事行動はないはずだし」

「セリス様も普通だったよな」

「夕食の時までは。夕食の後は会ってないから知らない」

 スカサハの言葉を受けて、デルムッドは昨晩の夜勤の担当者の名前を頭の中に思い浮かべ、小首を傾げた。

「昨日の夜勤の担当はアーサーだったよな」

「あぁ。後はイザークの民兵だ」

「そこでも何か起こりそうにはないよなぁ」

「まるっきりプライベートだろうな」

「つくづく面倒くさいな」

 スカサハよりも先に食事を終えたデルムッドは、セリスに対応しているアーサーの様子を見るために、食べ終えた食器を手に席を立った。

「こちらから謝ったんだよ。
 それなのに、ラナは白い目で僕を見ながら信じていますよとか言ってさ。
 今日はフィーと一緒に城下に出かけて行ったんだ」

「あぁ、そうなんですか」

 食器をカウンターに返却したデルムッドは、ひと際声の大きくなったセリスと、どこまでも冷静なアーサーのやり取りに、思わず二人を直視していた。

「アーサー、君だって今日の午後が自由なことは知ってるだろう。
 せっかくだから、フィーとの仲を進展させようとかは考えてなかったわけ」

 セリスのセリフを聞いたデルムッドは、セリスの不機嫌な理由のおおよそがわかり、小さくため息をついた。

「いや、オレは夜警があったし」

「いや、それだったらなおさら、君は朝から自由だろ」

「眠いし、夜警明けは」

「それはそうだろうけど、もう起きているんだろう。今日の午後とかはどうするのさ」

「これから部屋に帰って寝ますよ」

 アーサーの言葉に周囲を見まわしたセリスと、二人を直視していたデルムッドの視線が合ってしまう。
 あわてて視線をそらしながら立ち去ろうとしたデルムッドを、セリスがいつになく素早い動きで腕をとらえて離さない。

「デルムッド、いいところにいたね」

「いやいや、食器を返しに来ただけですから」

「食べ終わったんなら、少しぐらい付き合ってくれてもいいんじゃないかな」

 笑顔で迫るセリスに、デルムッドは観念したようにスカサハを巻きこもうと視線を向けた。
 しかし、スカサハが座っていたはずの席には、食べ終えられた食器だけがポツンと残されているだけだった。

「……そこに座っていた人なら、走っていったよ」

 カウンターへ食器を返しながら、アーサーがデルムッドに伝える。

「あいつめ」

「よし、僕たち三人もこれから城下へ行こう」

「いや、あの、唐突過ぎませんか」

「デルムッドだって、ラクチェが気になるだろう」

「セリス様がラナのことを気にしているんでしょう」

 そう言ったデルムッドをあっさりと無視して、セリスは右手でデルムッドを、左手でアーサーを連れて、意気の上がらない二人とは対照的な表情で食堂を出て行った。

 
     

 

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