騎士勲章(前編)


「―――待ちなさいッ、レヴィン!」

 足音と共に追いかけて来る母の罵声を浴びながら、若きシレジア王子は前を向いて走っていた。

「待てと言われて待つ人なんていないよーだ」

「この……クソ息子!」

「自分の可愛い息子に変な接頭語つけんなッ」

「だったら、そこで止まりなさい!」

「やーだよッ」

 イタズラ盛りのこの王子は、母親直々の為政術の講義を飛び出し、城内を逃げ回っていた。

 レヴィンは、ラーナが自分を捕まえるとき、決して他人の手を借りないことを知っていた。

「へへっ、今日こそはこのまま逃げ切ってやる」

 いつもならば城外へ脱出しようと庭に出た途端、強烈なエルウィンドが彼を襲っていたのだ。

「しかし、今日の僕は一味違うぞ」

 そう宣言したレヴィンが向かった先は、幼児期から一緒に過ごしてきた幼馴染のいるところだった。


 

 その幼馴染はその日の訓練を終え、丁度ペガサスの発着台に帰って来たところだった。

「フュリー!」

 突然自分の名を呼ばれ、弱冠13歳の少女は後ろを振り向いた。

「あ、王子……」

「ちょうどいいとこにいたな。フュリー、悪いけどペガサスに乗せてくれ」

「は、はい……かまいませんが?」

 フュリーがそう答えた時、ラーナの怒声が二人のところまで響いて来た。

「レヴィーーンッ」

「……王子?」

 ラーナの怒声を耳にしたフュリーがやや怯えた表情でレヴィンを見ると、レヴィンは澄ました顔で答えた。

「あぁ、いつものことだよ。さ、行こう」

 そう言って早くもレヴィンはフュリーの愛馬に跨った。ペガサスの方も慣れたもので、レヴィンを背に
乗せたまま、主人が乗り込むのを大人しく待っている。

「レヴィン、お待ちッ」

 徐々に近づいてくるラーナにオロオロしているフュリーを、レヴィンが馬上から急ぐ。

「フュリー、王子の命令だぞ!」

「は、はいッ」

 ”命令”の二文字がフュリーを動かした。元々最年少の騎士見習になるくらいの聡明さである。フュリーの
動きに無駄はなく、ラーナがようやく発着所に辿り着いた時には、二人は既に空の上だった。

 上を見上げているラーナに”アッカンベー”をして、レヴィンはフュリーにつかまった。

「よーし、行け!」

「は、はい」

 フュリーが手綱で自分の意志を伝えると、ペガサスは空高く舞い上がって行った。

 悔しげに上空を睨んだラーナに、若き騎士団長・マーニャが声を掛けた。

「ラーナ様、いかがなされました?」

「マーニャですか。いえ、ドラ息子がペガサスに乗って逃げたのです」

 そう言ったラーナの指すペガサスを見たマーニャは、一目で誰のペガサスなのかを当てた。

「あれは……フュリーのペガサスですね」

「フュリー? 確か、貴方の妹でしたね」

「はい。まだ騎士見習ですが、いい騎士になると思います」

「……マーニャ、本日の訓練は?」

「えぇ、もう終了致しました。それで、全員帰還させたのですが、フュリーはまだのようですね」

「と、言うことは、練習の装備は?」

「はい、まだ積んでいると思いますが……」

 何故そんなことを尋ねるのか不思議そうに目で尋ねたマーニャに、ラーナは意地の悪い笑みを
浮かべてみせた。

「あのドラ息子に、お灸を据えてやらねばなりませんね」

「はい?」

 全く意図がつかめないマーニャに向かって、ラーナはペガサスをひいて来るように告げた。

 


 ラーナの手から逃れたレヴィンは、フュリーの背につかまりながら、風を楽しんでいた。

「んー、いい風」

「王子、どちらまで?」

「テキトー」

「え?」

 本当に適当なレヴィンの言葉に振り向いたフュリーを見て、レヴィンはニッコリと微笑んだ。

「久しぶりだろ、二人きりって。ペガサス任せで、しばらく飛んでくれよ」

「……はい」

 レヴィンの視線に耐えれずに前を向いたフュリーの頬は、赤く染まっていた。

 そんなフュリーを可愛く思いながら、レヴィンは何気なく後ろを振り返った。同時に、物凄い風がレヴィンを
襲う。

「……はい?」

 頬を掠めた風が魔力を帯びていたことに気付いたレヴィンの笑顔に、汗が流れ落ちる。

「ヤバクない?」

 そう呟いたレヴィンに答えるかのように、ラーナの罵声が届く。

「クソ息子ッ、アンタの望み通り空中模擬戦をやってあげるから、感謝なさい!」

「ゲゲッ」

 ラーナの声は当然、フュリーにも届いていた。

「お、王子ッ。あのペガサス、姉様のですッ」

「マーニャの?」

「はい。すぐ追い付かれますッ」

 フュリーの声にも緊張が伝わってくる。

「そ、装備は?」

「はい……手槍のレプリカが五本と、鉄の槍のレプリカが一本です」

「……ヤバイな」

 ピンチになった二人の少年少女が必死で考えた策は、”戦う”だった。

 フュリーがペガサスを反転させる。マーニャのペガサスに乗ったラーナの一撃が、レヴィンを挑発する。

「クソババァ!」

 罵声を飛ばしながら、レヴィンがエルウィンドを構成する。が、ラーナのような収束率はなく、レヴィンの
エルウィンドは、漠然とした暴風となってマーニャを襲った

「この、バカ息子!」

 暴風を固い風の壁で弾き飛ばしたラーナは、マーニャの投げつけたレプリカに風の威力を付け加えた。

 まるで風の砲弾となったレプリカの槍は、フュリーのペガサスがバランスを崩すのに充分だった。

「キャッ」

「マジで殺す気かッ?」

 二人の悲鳴は、連続して繰り出される風の砲弾によってかき消される。反撃しようにも、フュリーが
ペガサスの態勢を立て直す暇さえ与えられないのだ。

「くっ……フュリー、ペガサスを地上に降ろせッ」

「は、はいッ」

 下降してゆく二人に、ラーナが追撃を命じた。

「ラーナ様……もうレプリカはありませんよ?」

「キツイお灸を据えてやります」

 ラーナの頑固さに負けた感じで、マーニャはペガサスに追撃を命じた。

 

「お、追っかけて来たッ」

「王子、頭を下げてッ」

 フュリーが初めてレプリカを投げた。しかし、マーニャは難なくそれをかわす。

「やっぱり、姉様にはかなわない……」

「いーや、もっかい投げろッ」

 レヴィンの言葉で、再度フュリーがレプリカを投じる。今度はレヴィンが、先のラーナを真似た。

 レプリカが風に纏わりつかれ、失速する。

「へ?」

 思わず間抜けな呟きを漏らしたレヴィンに、ラーナの高笑いが追い討ちをかけた。

「ホーッホッホッ、バカ息子には過ぎた芸当のようね。所詮、まだまだ二流のアンタには、無理な話よ」

「クソッ」

「アンタの魔法には収束力が足りないのよ。構成が甘いってことよッ」

 唇を噛みしめたレヴィンに、ラーナが余裕を見せ付ける。

「さて、一撃で落として欲しい?」

「あ、跡取り息子を殺す気?」

「跡取り息子という言葉は、しっかり勉強してから言うことね!」

「う、嘘ォッ?」

 ラーナの一撃が、キレイにペガサスの上の二人を包み込んで飛ばした。