ゴミ袋は目一杯
(前編)
1
オレの勘はよく当たる。
まるで超能力者じゃないかと自分を疑ったぐらい、オレの勘はよく当たるんだ。
エーディン様救出のための挙兵のときにも、前日に何故か閃きから髪を切りに行ったほどだ。まぁ、悪い予感に関しては、まず間違いなく当たる。
ノイッシュはオレの勘のことを洞察力とか読んでるが、それはアイツが鈍臭いだけだ。「そう。オレの勘はよく当たる。だから今日は、城内にいないほうがいいんだ」
わざわざ声を大にして同部屋の同僚に告げたオレに、アーダンが呆れた声を上げた。
「この大雨の中、よく出掛ける気になるもんだ」
外は大雨。
シレジアでは春先になってくると、よく雨が降るようになるらしい。
雨が降り始めると空の温度が暖かくなっている証拠で、代わって雪の日が少なくなるそうだ。「いや、悪い予感がするんでな」
「ここ数日の雪で、いくらシレジア軍でも身動きはできないと思うが」
「アホ。その悪い予感じゃねーよ」
見当違いのことをほざいたノイッシュを軽く小突いて、オレは騎士用の外套を羽織った。
シアルフィでは滅多に騎士の格好で城下へ行かなかったものだが、ここシレジアでは違う。
どうもシレジアでは騎士の姿の方が、街の人々に声を掛けやすいのだ。「ナンパか」
「酔狂だな」
アーダンとノイッシュには反論せずに、オレは部屋の扉に手をかけようとした。
しかし、オレが扉を押す直前に、扉は勢いよく開かれていた。
そしてオレは、手を伸ばしたままの格好で、格好悪く固まる羽目になってしまった。「あら、お出掛けかしら」
どうやら、今回は脱出するのが遅かったようだ。
外の雨の勢いに躊躇したせいかもしれない。「エスリン様、オレは少し用事がありまして。御用でしたら、中に二人ほど暇人がいますので」
無駄な抵抗だろう。
扉の正面に両足を踏ん張るようにして、エスリン様はオレを見上げていらっしゃる。「普通の用なら、後ろの二人でもかまわないんだけどね」
「なら、そうして下さい」
「それがね、これはどう考えても貴方が適任なのよ」
「いやぁ、私めなどができることはタカがしれております。どうぞ、ノイッシュをお使いくださいませ」
「却下、不可……あと、何と言って欲しいかしら」
笑顔で凄んでくるエスリン様に、オレは無言で両手を上にする。
エスリン様がわざわざ確保に来られたということは、シグルド様に関することではない。そして、エスリン様の表情を見る限り、この用事はかなり苦労することになりそうだ。
オレは背後の親友たちを振り返ったが、二人とも敬礼をしてエスリン様にオレを送り出していた。友達がいのない連中だ。
母さん、オレは友達を選び間違えたようだよ。「よろしい。それじゃ、行きましょうか」
「はい」
せめてもの抵抗は、外套をいつものターバンに取り替えたことぐらいだった。
2
エスリン様に手を引かれるようにして通された部屋には、何故か軍のお偉い方々が集まっていた。
奥に見える見事な金髪は、エーディン様に間違いない。
軍事関係でないことは、オイフェがこの場にいないことからもよくわかる。顔を見せている面々を順に見ていくと、レックス公子にティルテュ公女。
シレジア主従は姿を見せていないが、奥で不貞腐れているのはブリキッド様か。そう言えば、エーディン様の側にミデェールがいない。
アゼル公子もキュアン様もいないとなると、お偉方でも多少フランクな方々ばかり。「場違いのようですので、これにて」
そう言って引き返そうとしたオレの正面に現れたのは、見るからに苦笑しているオイフェだった。
「どけ」
「エスリン様の命令ですから」
「先輩のいうことを聞くもんだぜ」
「お仕置きのほうが怖いです」
エスリン様のお仕置きは、正直なところ肉体的に厳しいものではない。
だが、精神的に響くものなのだ。
いつだったか、女性物の下着の買い物に付き合わされた記憶が蘇ってくる。正直なところ、シアルフィで一番恐ろしいのはエスリン公女だったという噂は間違いではない。
「アレク、申し訳ない」
「シグルド様、謝るくらいならオイフェに命じてくださいよ」
「それは……できないよ」
はい、エスリン様が首謀者と確定。
雨の馬鹿野郎。お前さえ降ってなければ、オレは躊躇せずに逃げられたのに。「これは、アレクにとってもいい話なのよ」
「この顔触れを見て、そう感じるのはノイッシュぐらいです」
抑え役が誰一人としていないお偉い方。
キュアン様さえいないことに、エスリン様のやる気が見える。せめてシレジア主従がいれば、この場ですがりつけたものを。
救世主は現れないだろうか。「さて、アレク」
「はい」
「これから話すことは極秘事項ですので、そのつもりで」
「アーダンにも、ですか」
「その通りよ。正式な事が決定するまで、誰にも話すことを禁じます」
「了解です」
指し棒を持たせていたら、今のエスリン様は嬉々として手のひらでお叩きになっているだろう。
その上機嫌な様子を見ながら、オレはただ直立不動で彼女の言葉を待っていた。「シレジア皇太子、レヴィン殿の御婚約が非公式ながら決定しました」
「おめでたいことですね」
「シレジアの慣習にのっとり、婚礼の儀の前に、諸侯へのお披露目の舞踏会が開かれるわ」
「結構なことで」
「その舞踏会が、ここ、セイレーン城で行われます」
「給仕係が足りないというのでしたら、喜んで勤めさせていただきます」
エスリン様には、オレの手料理を振舞ったこともある。
シレジア料理にはまだまだ疎いが、今から練習すればそれなりの形にはなるだろう。さぁ、そういうことで帰ろうかな。
そう思って踵を上げたオレに、エスリン様の笑顔が突っ込んでくる。
下から突き上げられた笑顔に、浮かせていたオレの踵が着地する。「料理は、シレジア城から応援が来るから大丈夫よ」
「で、ですが、面倒をおかけしている立場上、シアルフィの料理でも……」
「作らなくて結構よ」
オレの踵が着地したのを見て、エスリン様が顔を引いた。
ここでもう一度踵を浮かせようものなら、次は剣が飛んでくると考えていいだろう。「では、オレは何をすればよろしいので」
オレの質問に、それまで黙って成り行きを見守っていたエーディン様が立ち上がった。
さすがに大陸一の美女と呼ばれるだけのことはある、気品ある仕草。なるほど。依頼人はエーディン様だったわけか。
それにしては、ミデェールがいないというのが気になるが。「シレジアの慣習として、身分ある婦女は、異性に手を引かれて、会場入りせねばなりません」
ひょっとして、レックス公子とティルテュ公女は野次馬ではないのか。
「幸い、私やエスリンには相手がおります。ですが、懸案せねばならぬことが一つ……」
あぁ、神様。
それはもしかして、ブリギッド様のことでしょうか。「私の姉、ブリギッドには、不幸にもその相手がおりません」
はい、来た。
そのお相手を務めろとか、絶対に嫌ですよ。「そこでアレク、貴方にお願いしたいのです」
「謹んで辞退申し上げます」
「無効、棄却、排斥……それから、何があるかしら」
「不可で十分です」
「あら、そう」
何で残念そうなんですか、エスリン様。
それにオイフェ、これ以上同義語を挙げる必要はないぞ。
うずうずしながら待つんじゃない。「シアルフィの一騎士よりも、レックス公子が適任かと思われます」
野次馬に参加させてあげようという、このオレの目論見は、あっけなく崩れ去ることになった。
「無理。アイラがいるからな」
ここでシグルド様を指名するほど、オレは恩知らずではない。
あれほど仲睦まじかったディアドラ様の失踪の傷を、これ以上えぐることはできない。そう思いながら視線だけはシグルド様へ向けたオレに、シグルド様は申し分けなさそうに首を振った。
残る公子は、あと二人。
アゼル公子は……この場にティルテュ公女がいる時点で無理と考えたほうがいい。
そうかと言って、ここでクロード公子に頼むのはお門違いだ。
神父様にエスコートされる貴婦人は、それだけで神への冒涜になる。「ノイッシュなら金髪で、ブリギッド様に釣り合うと思いますが」
「情熱的に追いかけてくれている娘を無視するなんて、あのノイッシュには無理よ」
「アーダンはいかがですか。何なら、将来有望なオイフェでも」
何とかして回避しようと名前を列挙したオレに、遂にエスリン様が剣に手をかけた。
「アレク」
「わかりました。謹んでお受けいたします」
オレの返事に、ティルテュ公女とレックス公子が、窓の外を向いた。
どうせ笑いをこらえているのだろう。肩が震えすぎですよ、お二人とも。「と、いうわけですのでお姉様。残りの時間、ユングウィ公女としての修行に励んでいただきます」
「わかったよ。最低限、必要なことだけにしてくれよ」
「もちろんです。日付もそれほどありませんし、アレク程度の技術を身に付けるだけで結構です」
「なら、いい」
あの……オレ程度って言いますけど、一応近衛騎士団長なんです。
それなりの舞踏会にも公子の護衛として出席してますし、一朝一夕で身につく技術ではないですよ。そう言おうとしたオレは、ブリギッド様の心底ホッとしている表情に負けた。
少し良心が痛んだが、この場でそのことを言うには気が引けたのだ。
3
「はい、そこでターン。お姉様、もっと足幅を小さく」
「こ、こうかい」
「はい、それでは最初から。いち、にぃ、さん、いち、にぃ」
「わわっ」
本日四度目の尻餅。
エーディン様、ブリギッド様にターンを教える前に、ダンスの歩幅を教えたほうがよろしいかと。「なぁ、エーディン。もう、やめようぜ」
「いけません。是非とも、お姉様には人前で踊れるようになっていただきます」
「いや、ほら、アレクにだって迷惑だろうし」
「大丈夫ですよ、オレは」
裏切り者。
目の前のブリギッド様からの、心の声が聞こえた気がした。
そんなに睨み付けられても、オレにはどうしようもありません。「はい、ターンしてぇ」
「わちゃ」
「あ、ゴメンゴメン」
し、白々しいです、ブリギッド様。
今のは絶対に狙って、オレの足を踏んだでしょうが。今度はオレが彼女を睨んでも、彼女は知らん顔だ。
そのつもりなら、オレにだって考えがありますよ。「はい、もう一度。いち、にぃ、さん、いち、にぃ」
ここでこうすれば……
「あわっ」
はい、仰向けに転がった。
柔道の支えつり込み足のように、オレは彼女の足を軽く払っただけ。
まぁ、さすがに受身をとるのは上手いですね。「アレク、アンタっ。今、足掛けたろッ」
「ブリギッド様が、オレのステップの場所に来るからですよ。真っ直ぐ横だと言ったでしょう」
「あぁッ、もうヤメだッ」
「お、お姉様っ」
鼻息荒く部屋を飛びだして行ったブリギッド様を見送って、オレたち二人は溜息をついた。
残された時間は半月足らず。
無理を通せばやり通せない時間でもないが、当の本人があの調子ではどうなるかわからない。既に三日も同じことを繰り返されていたエーディン様は、既に立ち上がる気力もないようだった。
ましてや、追いかけることなどできそうにない。「……無謀なのかしら」
「少なくとも、オレなら無理だと思いますがね」
「私もそう思うわ。でも、この機会を逃しては、ユングウィにブリギッドありと示すことができないのよ」
グランベル本国では、多少なりとも利害関係が絡んでくる。
その点で考えれば、シレジアの舞踏会での顔見世は何のしがらみもない。「エーディン様がリードされたほうが、上手くいきそうな気がしますよ」
「お姉様を男役にして、かしら」
「そうなりますかね」
「気持ち悪いわね。同じ顔が並んで踊るなんて」
「……ま、それは確かに」
二人してどうしたものかと考えていると、部屋の扉が開いて、銀髪の公女が姿を現した。
今日は赤髪の公子が隣にいるところを見ると、からかいに来たわけではなさそうだ。「ブリギッドは……逃亡したのね」
部屋を見まわしたティルテュ公女が、そう言って苦笑する。
「エーディン、大分疲れているみたいだけど」
「お手上げですわ。アレクにも、随分と付き合ってもらっているのですけど」
心底疲れきった様子のエーディン様の前に立ったアゼル公子が、オレを振り返った。
「アレク、楽しんでるみたいだね」
「まぁ、机仕事よりはよっぽど健全ですからね」
「エスリン様がブリギッドを連れてくるから、戻ってきたら僕たちも手伝うよ」
「それはありがたいですが……半端じゃありませんよ」
大人しそうなアゼル公子に、あのお転婆が教えられるとは思いませんけど。
そう思っていたオレにアゼル公子が言ってきたのは、今までのオレの考えを覆す答えだった。「だから、僕が教えるのはアレク、君だよ」
「いや、オレは……」
「で、あたしが彼女を教えるから」
そう言って、ティルテュ公女が胸を張られた。
「ティルテュ……申し出は嬉しいわ。ただ、パートのステップはできているのよ」
「見落としてるのよ。悪いけど、エーディンのダンスって、初心者には向いてないし」
「そうかもしれないけど……ティルテュ、フリージのダンスだって、初心者には難しいのではなくて」
「ステップの細かくて早いのはね。でも、一番簡単なのは一桁の子でも踊れるわ」
「あ……」
ティルテュ公女の言葉に何かを思い出したのか、エーディン様の表情が変わる。
「そうね。その動きがあったわ」
「普通のステップと違うから、アレクの方が練習しないとね」
「なら、今からでもいけますよ」
よくはわかりませんが、こうして時を過ごすよりは有意義でしょう。
それに、アゼル公子のレッスンというのにも興味がありますからね。こうして、今までとは逆の、オレへのレッスンが始まった。