ゴミ袋は目一杯

(後編)


 あっという間に、半月は過ぎていった。

 最後の三日間はセイレーン城内での準備に追われて、まともに練習もしていない。
 オレはそれでも問題はないだろうが、ブリギッド様はそうもいかないだろう。

「はい、焼き上がり」

「相変わらず器用なもんだな」

 オーブンから出したばかりの焼き菓子を覗きこんで、アーダンが鼻で大きく息を吸った。

「食ってもいいぜ。これは今日のおやつ用だからな」

「なら、遠慮なく」

 焼き上がりの鉄板は熱いものだが、コイツは器用に焼き菓子をつまむと、一口で放り込んだ。
 面の皮の厚さと手の皮の厚さ、それから口の中の皮の厚さも分厚いらしい。

「どうだ」

「まずまずだな。バターの味がまばらな気もするがな」

「やっぱりか。上手く溶けないんだよな」

「何か入れて、ごまかしたらどうだ」

「それしかないか。わざと素焼きにしてみたんだが……ま、これでいいか」

「砂糖漬けか。お決まりだな」

「最初からそのつもりだったんでな。ところで、広間のほうはどうなってる」

 試作用に残しておいた生地に砂糖漬けを混ぜ込み、手早く作業を再開する。
 作業台の向かいに立つアーダンが急いでいないところをみると、それほど急ぐ必要はなさそうだな。
 案の定、アーダンは手頃な椅子に腰を下ろすと、文句をつけたばかりの焼き菓子をつまみ始めた。

「あらかた終わってるよ。ノイッシュが陣頭に立ってる」

「隣にはいつもの御方か」

「エスリン様もいらっしゃる。正直、あまり入りたくはないな」

「なら、それにお茶をつけて行ってこいよ」

「そうするか」

 アーダンが立ち上がり、そばで働いている女中に紅茶を入れるように頼んでいる。

 オレは生地を練り終わると、適度な厚さに伸ばし始めた。
 本当はカップケーキでもいいんだが、立食パーティーのお供にはそぐわないだろう。
 シレジアの宮廷料理士が派遣されてくるということだから、オレは端役に徹するに限る。

 生地を切り分け終えたオレがオーブンの準備をしていると、女中の焦った声が聞こえてくる。
 厨房の入り口を振り返ると、明日の主役が困った表情で女中に諫められていた。

「フュリー様が準備をなさるなど……私たちにお任せくださいませ」

「いえ、私が何もしないというわけにも」

「ですから、フュリー様は明日のために衣装等の準備を」

「それは全ての準備が整ってからでも間に合います。それに、少し落ち着かなくて」

 いるんだよな。こういう、部下泣かせの上司って。
 あまりでしゃばる立場でもないが、少しは手助けしてやるか。

 そう思ったオレは、作業を中断すると、フュリーへと声をかけた。
 オレが中にいるとは思っていなかったのだろう。彼女は驚いた表情で、目を瞬かせていた。

「アレクさん」

「ここはオレが受け持つからよ。アンタは広間のほうを頼むぜ。自分好みに仕上げてきなよ」

「は、はい……では、よろしくお願いします」

 フュリーが頭を下げて、ゆっくりと広間のほうへ歩いていく。
 女中は彼女を十分に見送った後で、オレに頭を下げに来た。

「ありがとうございました」

「気にすんな。独身者には、あの微笑みが辛くてね」

「まぁ……それで厨房に篭っていらっしゃるのですか」

 本気でそう言ってきたら、皮肉の一発でも言ってやるところだが。
 目の前の女中は、明らかに笑っていた。

「そうなの。ここなら女の子が多いだろう」

「おだてても、何も出ませんよ」

「それは残念だな。将来有望よ、オレは」

「ユングウィのお姫様と張り合う無謀者など、ここにはおりませんわ」

「あ……もう噂になってんのかよ」

「はい。人の噂もなんとやら。あと一年は我慢してくださいな」

「残念だな。今夜にでもと思っていたんだが」

「明日、ドレスも着ない者に対しては、重いお言葉ですわ」

 どうやら、シレジア人と言うのは微笑みで人を窮地へ追い込むのが上手いらしい。
 最初から期待してたわけじゃないが、ここまで言われると追い討ちはかけられない。

 どちらにせよ、明日はブリギッド様のお供が決定している俺には、恋なんて見当たらないようだ。
 せっかくの機会をフイにしなくちゃいけないようだ。

「それじゃ、さっさと仕度を済ませるか」

「そう致しましょう。何か必要なら、取りに行かせますが」

「小麦粉の追加を頼む。素焼きでは難しくてね。生地を作り変えたいんだ」

「湯せんの温度が一定しないのですか」

「その通り。ごまかすよ」

「私がやりましょうか」

「んー……そうだな。お願いするよ」

「では、用意いたします」

 これで、納得のいく焼き菓子が作れそうだ。
 そう思ったオレは、本日のおやつ用の焼き菓子を新しくオーブンに入れた。

 

 

 舞踏会当日。

 予めブリギッド様のお部屋へ伺ったオレは、出迎えてくれた人物の姿に絶句した。
 これなら、エーディン様の双子だと言われても、誰も間違えはしないだろう。
 エーディン様のように幅の広いスカートではないが、いつもと雰囲気の違う服装に目を奪われる。

「見違えましたね」

「スースーして、気持ち悪いったらありゃしないよ」

「そういうものですよ。いつまでも男装の麗人ではいられないでしょう」

 オレがそう言うと、奥に控えていたらしいエーディン様が文句を口にした。

「お姉様の肩の傷さえなければ、私と同じ物を用意いたしましたのに」

「よしとくれ。そんなヒラヒラ、考えただけで鳥肌が立つ」

 心底嫌そうな表情をするブリギッド様に、オレとエーディン様は声を出して笑った。
 一頻り笑った後で、エーディン様が席を立つ。

「それではアレク、お姉様をお願いしますね。私は、ミデェールと共に参りますので」

「お任せください」

「では、お姉様、広間でお会いいたしましょう」

 自室へ戻るのだろう。
 少し弾んだ表情で廊下を歩き去ったエーディン様を見送ると、後は二人きり。

「さて……参りましょうか」

「仕方ないね。一曲だけだよ、踊るのは」

「最初の一曲だけがオレたちに用意されたものですから、一番最初に入りませんとね」

「やれやれ。行くかい」

「参りましょう」

 オレの差し出した右手を無視して、ブリギッド様は先に歩きだされた。
 わざとらしく硬直し続けたオレを、彼女は遠くのほうから呼んだ。

「何やってんだい。早くしなよ」

「……はいはい、お嬢様」

 歩幅を広げて彼女に追いつくと、彼女の表情が固いことに気付く。
 どうやら、不安は拭いきれていないようだ。

「大丈夫ですよ。ティルテュ公女とアゼル公子が、オレたちのサポートに入りますから」

「べ、別に心配なんてしてないさ」

「声がどもってますよ」

 口紅をつけている上から唇を舌でなぞったブリギッド様が、顔をしかめて唇を弾く。
 日頃よりも厚く塗られた唇が、上手く合っていないのだろうか。

 眉を寄せたその表情は、さすがに絶世の美女だろう。
 それも、偶像などではない。生命力のある美女だ。

「口紅、一曲踊った後はおろしにいきましょうか」

「いいのかい」

「ブリギッド様の発色なら、いつもの薄いもので十分ですよ。食いにくいでしょう」

「なら、責任はアンタが持つんだね」

 おやおや。
 随分と知恵がまわるようになられましたね。

「いいでしょう。俺の唇に奪われたとでも言っておいてくださいね」

「なっ」

 あらあら。
 ここまでの駆け引きは無理のようですね。

 では、楽しませてもらうことに致しましょう。
 どうせ、序盤はミデェールにエーディン様と来るなと言ってあることだし。

「大丈夫ですよ。オレがフォローしますから」

「そうかい。任せていいんだろうね」

「オレも騎士団にいる男です。主君筋に恥はかかせませんよ」

 オレの言葉で安心されたのか、ブリギッド様の表情から険が取れた。
 かわりに、いつもの勝気な表情が顔をのぞかせる。

「そう言えば、ミデェールが文句を言ってたみたいだが、何を言われたんだい」

「エーディン様の会場入りを遅らせろと言っておいたのですよ」

「また、どうして」

「噂で聞いたほうが、実際より美化されるものでしょう。多少のミスは伝わりませんから」

「なるほど。でも、あのミデェールに、あのエーディンが止められるか」

「あの手のお姫様には、一番効く薬があるんですよ」

「聞いてもいいかい」

「ミデェールから押し倒させるんですよ。一戦だけやってから、来ることになるでしょうね」

 オレの解答を聞いて、彼女は声を出して笑った。
 涙まで浮かべて笑いきった彼女は、上機嫌で広間の前の入り口に立っていた。

「さぁ、邪魔者はいない。練習の成果を見せてやるよ」

「お供致しましょう」

 オレの目がどうかしたのだろうか。
 受付でオレたちを出迎えてくれたフュリーよりも、隣にいる麗人がやけに綺麗に見えていた。

 

 

 一曲目のオレたちのための曲は、見事にミス一つなく踊りきった。
 隣でサポートしてくれたお二人も驚くぐらい、オレたちは完璧に近かった。

 勢いに乗って比較的優しい曲である一曲をも踊りきり、頬を赤く上気させた彼女と共に舞台を下りる。

「ふぅ……楽しかったよ」

「オレも、ですよ。上手くなられましたね」

「そりゃ、あれだけ努力させられればね」

 そのまま三曲目も踊り続けているお二人に視線をやって、オレたちはまた同時に溜息をついた。
 それがおかしくて、オレと彼女はお互いに微笑みあう。

「公子や公女ってのも、ひ弱ではやっていけないみたいだね」

「そうでしょう。精神的にも肉体的にもタフであらねばならないと、ウチの大将は言ってますよ」

「あながち、悪い世界でもなさそうだ。これなら、またやってもいいな」

 随分な進歩だろう。
 彼女にとって、今回は大きな転機となるかもしれない。
 そのお相手に選ばれていたのだから、これは幸運なことなのだろう。

 そうこうしているうちに、ノイッシュやエーディン様といった面々が揃いだす。
 シレジアの諸侯たちも、次第に数が揃ってきているようだ。

「さて、食べるか」

「その前に乾杯をしましょう」

 近くにいた給仕にアルコールを取りにやらせ、オレたちは舞踏会での成功を祝いあった。
 グラスが鳴り、透明なリキュールが唇をぬらす。

「アンタのおかげだよ。ティルテュに聞いたけど、特別な曲なんだろう」

「たまには、フリージの楽曲も楽しいですよ。普段は踊りたいとも思いませんが」

「よく付き合ってくれたよ。ありがとう」

「どういたしまして」

 エーディン様のドレスが、先程見たものとは違う。
 肩口をしっかりと覆っているところをみると、ミデェールの悪戯も成功したようだ。

 四曲目が終わり、アゼル公子がティルテュ公女を伴って、こちらへとやってくる。
 ブリギッドが親指を立てて笑い、公女も同じようにして親指を立てる。
 どちらも、公女としてはフランクすぎやしないだろうか。

「お疲れ、アレク」

「公子のおかげですよ。無事、役目を果たせました」

「今日一日、ブリギッドのことを頼むよ」

「お引き受けいたしましょう」

 オレとアゼル公子が話していると、アゼル公子の背中から二本の腕が生えた。
 もちろん、公女が飛びついただけなのだが。

「次の次、フェア・レディだからね」

「え……ちょっと休ませてよ」

「ダメ。無理言って入れてもらったんだもん」

「しばらく踊ってないから無理だよ、フェア・レディなんて。フリージの最難楽曲じゃないか」

「やるの」

 ズルズルと引きずられていく公子を見送りながら、ブリギッドは小さく笑っていた。

「前言撤回だ。もういい」

「そうですか」

 ノイッシュやエスリン様がやってくるのを適当にあしらいながら、オレたちは壁の華となっていた。
 アルコールを適度に交わしながら、気になった料理を食べに行く。

 そうしているうちに、フリージ宮廷楽曲のフェア・レディがかかる。
 既に知らされていたのか、舞台の上は半分ほどの人数になっていた。

 この最難楽曲の難しいところは、テンポの違いのようだ。
 楽曲の最中に何度か変わるテンポの意図的なズレを、どう乗り切るか。
 それがこの楽曲の難しさであり、見せどころのようだ。

 やはりと言っては怒られるだろうが、エスリン様は上手く対応できていない。
 キュアン様が強引にチークに持ち込んで、傍目にはわからないようにしているだけだ。

 その点、レヴィン王子とエーディン様はパートナーを柱にして、観客に魅せながら単独で乗り切られる。
 楽曲の持ち主のお二人は、二人が離れてそれぞれにリズムを刻む。

 三者三様の乗り切り方は、やはり舞踏会が公爵家同士の戦いであることを教えてくれる。

「……とてもじゃないけど、見るだけで十分だ」

「ウチのお姫様でも乗りきれない曲ですからね。特別な方々ですよ、あの方たちは」

「それでも、あの中に入る勇気はないよ」

「オレもごめんです」

 それでも、食い入るようにして舞台を見つめている彼女に、自作の焼き菓子を彼女の口に当てた。
 無意識に口を開いた彼女が可愛くて、オレはそっと焼き菓子を押す。

 サクリと音を立てた口許に、彼女が視線をオレへと向ける。
 その視線に笑顔を返して、手に残った半分を自分で食べる。

「オレと一緒なら、この焼き菓子ぐらいしかあげられませんが」

「あたしには、それの方がお似合いかい」

 そう言って口許を緩ませた彼女に、俺も口端を上げる。

「オレは相手を、オレの土俵に持ち込む主義でしてね」

「不真面目な騎士が、ユングウィの公女を相手にしようって言うのかい」

「オレの目の前にいるのはブリギッドという女性だけ。たまたま、ユングウィの姫君だっただけですよ」

「なるほど。なら、お返しだ」

 手近にあった料理をフォークで刺し、オレの口許へ。
 やられたらやり返すというつもりの彼女の行動は、やはり面白い。

 一口で食べ切ったオレに、彼女が冷ややかな視線をくれた。
 どうやら、面白くなかったらしい。

「アンタって、嫌な奴だね」

「誰にも負けたくはないので」

 近くを通りかかったボーイへ、彼女はフォークを二本の指でつまみながら渡す。

「そこのバイキンが付いちまった。取り替えてきてくれないかい」

「はい」

「あ、そこの緑髪の男の菌だから、洗剤に二日ぐらいつけてやってくれ」

「は、はい」

 近くで聞こえていたらしい女中が、クスクスとオレを見て笑う。
 それをみて、彼女はニヤリと笑ってきた。

 なるほど。
 なかなかに悪戯に知恵のまわる女だな。

 久々に楽しい奴が見つかった。
 そう思いながら、オレは新たな悪戯を仕掛けるために微笑んでいた。

 

<了>