小さな火傷

(後編)


6

「……そうだったんですか」

 ティルテュとアゼルの話を聞いたアンジェが、包帯を巻き終えてから吐息をついた。

 彼女にとっては、仕える公子が婦女子に怪我を負わせたことになるのだから、吐息も仕方がないところだ。

「申し訳ありませんでした、ティルテュ様」

「もう、平気よ。それに、アゼルもあたしを守ってくれたし」

「……ごめん、ティルテュ」

 先程見せた恐ろしいまでの殺気は消え失せ、アゼルはうなだれながら謝った。

「気にしないで。アゼルがいなきゃ、死んでたかもしれないし」

「……うん」

 まだ謝り足りないようなアゼルの背中を優しく叩き、アンジェは二人に向けて微笑んだ。

 ティルテュも、アゼルも、恐怖に囚われたりしていないところは、両家の教育のせいだろうか。

「どちらにせよ、その怪我のことは報告しなければなりませんね」

「……そのことなんだけど、黙ってるとか……無理?」

 上目遣いに尋ねてくるティルテュに、アンジェは困ったような表情を浮かべた。

 アンジェの戸惑いは既に予想していたのか、ティルテュは畳み掛けるように口を開いた。

「ほら、何か別のことで誤魔化すとか」

「どうでしょう。手を火傷するようなこと、あまりありませんわ」

「ね、お願い。何か考えて?」

 必死に嘆願するティルテュの仕草を見て、アゼルがアンジェの服の袖を引いた。

「ティルテュの母上、ものすごく厳しいんだって。こんなことが公になったら、ティルテュ、家から出られないよ」

「そうは言われましても、火傷を誤魔化すのは無理だと思いますよ。包帯も巻いてますし」

「じゃあ、何か上手い言い訳を」

「上手い言い訳ですか? それじゃ、三人で考えてみましょうか」

 普段はあまり我を通すことのないアゼルの強引さにも心を動かされ、アンジェはそう言った。

 

 

7

 アルヴィスが刺客の後始末を終えてから数時間後、レプトール自らがアルヴィスの屋敷に出向いていた。

「ティルテュ様は、今、中庭の方でお待ちです」

 玄関へ出迎えに来たメイドの後に続き、レプトールは足を進めた。

 その最中に、メイドが歩きながらレプトールに頭を下げた。

「今日は、ティルテュ様よりアゼル公が結構なものを戴きまして」

「ほぅ。あの娘が贈り物を」

「はい。何でも、手作りのクッキーだそうで。美味しく、戴きました」

「いや、美味かったのならそれでいい」

 宮廷にいる時の厳しい表情だったレプトールの顔が、父親の顔に変わる。

「はい。ただ、少々ご無理をなされたようで……」

「具合が悪くなったのか」

「いえ、体調の方は大丈夫かと。ただ、火傷をされたようなんです」

「我が娘ながら、不器用なものだ。決して、お気になさらぬよう。私から注意しておきましょう」

 レプトールの言葉に、少し間を空けてからメイドが思い出したかのように言葉を繋いだ。

「そう言えば、今度は別のものに挑戦なさるとか。楽しみなことです」

 そう言ったメイドが足を止める。

 二人の視線の先に、中庭のテーブルで仲良く紅茶を飲みながら談笑している二人がいた。

 

 

8

 アルヴィスの屋敷を辞したティルテュとレプトールは、馬車の中で向かい合っていた。

「クッキーを焼いて、火傷をしたそうだな」

「……はい」

 そう答えて、体を硬くしたティルテュを見て、レプトールは威厳のある声で罰を告げた。

「謹慎一週間だ。理由は聞かなくてもいいな?」

「はい。火傷したりして、すみませんでした、父様」

 ティルテュの耳に、レプトールの吐息が聞こえた。

「……そのことではない。火傷などかまわん」

「え? でも」

「お前の手料理を期待しているのは、アゼルとか言う小倅だけではないのだ」

「へ?」

 意外な言葉に顔を上げたティルテュの目に映ったのは、いつも同様、不機嫌そうな父親の顔だった。

「お前の焼いたクッキーを、私は食べていない」

「その……ごめんなさい」

「何故謝る?」

「あのね、それ、買ったの。失敗しちゃって、火傷しちゃって、それで、町で買ったのを……」

「手作りだと偽ったのか」

「……はい」

 泣きそうな声を出し、再び顔を下げた娘に、レプトールが罰を追加する。

「嘘をついた罰だ。謹慎期間中に、クッキーの焼き方をお前の姉に教わっておけ」

「はい」

「焼けたものは、執務室へ運べ。よいな?」

「はいッ」

 今にも泣きそうだったティルテュの顔が笑顔に戻る。

 父親の欲望を遂げたレプトールが、馬車の窓のカーテンを開く。

「アゼルか……その名、覚えておいてやろう」

 レプトールの呟きは窓の外の景色のように流れて行った。

 

 

<了>