馬鹿と呼べる男
5
月明かりに照らし出されたテラスで、マチュアは目的の人物を見つけた。
「ここにいたんだ」
「あぁ。後方にいたんだ。先に祝杯をあげても、文句は出ないだろう」
そう言ってグラスを傾けたのは、既に戦闘用のマントすら外しているブライトンだった。
「初めてだわ、後方に残ったのは」
「……飲むかい?」
「そうね、一杯だけ」
「あ、でも、グラスを用意していなかった」
「それでいいわ」
有無を言わさず、ブライトンの手からグラスを奪い取り、マチュアはブライトンの口跡の上からワインを飲んだ。
「……おいしい」
「屋敷の倉庫からくすねてきたんだ。なかなかの人物だったらしい」
反対側に腰を下ろしたマチュアに、ブライトンはそう言った。
マチュアが立て続けにワインを飲むのを見て、彼は少し微笑みを漏らした。
「ワイン、初めてかい?」
「そうね……飲む機会、なかったから」
目許を赤くしたマチュアの手からグラスを取り戻して、ブライトンは首を軽く振った。
「だったら、もう止めておこう。ここで倒れられると、厄介だ」
そう告げたブライトンの言葉に従い、マチュアは吐息をついた。
しばらくの沈黙の後、話を始めたのはマチュアの方だった。
「……戦いが終わったら、どうなるのかしら」
「マギ団は解散するだろうな。セティ殿も国を持つ身。指導者を失い、マギ団は解散する」
「解散したら、貴方はどうするの? 貴族に戻る?」
「戻れるだろうな」
どこか他人事のような彼の言葉に、マチュアは興味をもった。
「戻らないの?」
素直な彼女の聞き方に、ブライトンはグラスを置いて、彼女を見つめた。
「戻れないし、戻るつもりもない。所詮、私は反逆者なのだから」
「でも、リーフ様の下でなら……」
「私は別に、リーフ殿の為に戦っているわけではない。ただ、この世の不条理に剣を抜いた。ただ、それだけだ」
「勝てば、剣を納めるのね」
「納めるつもりはない」
ブライトンの話に矛盾を感じて、マチュアはその身を乗り出すようにして尋ねた。
彼は怯むことなく、彼女の額に指を当てて押し戻すと、言い聞かせるように話を続けた。
「世の不条理が消えることはない。たとえどのような立派な治世であっても、不条理はつきものだ。
私は戦い続けるよ、誰が相手であろうとも」
「一人じゃ、何もできないって言ったのは、貴方よ」
「目の前の人くらいは救えるだろう。私にはそれで充分だ」
「セティ様が相手でも?」
マギ団のリーダーの名前にも、彼が怯むことはなかった。
「当然だ」
あまりにもハッキリとした言い草に、マチュアはたまらずに立ち上がった。
立ち上がって背を向けて歩き出した彼女の腕ごと、ブライトンは突然抱きしめた。
声を上げる間もなくもがくマチュアを、彼はじっと抱きしめ続けた。
「は、離して!」
マチュアの声に、生易しい意志はない。あるのはただ、真の拒絶のみ。
にもかかわらず、ブライトンは決して腕の力を弛めようとはしなかった。
「離してッ」
マチュアの声量は更に大きくなった。
それに呼応するように、腕から逃れようとする力は強くなり、ブライトンは更に強く引き寄せた。
「……私は闘い続ける。相手が誰であろうと。ましてやセティ殿に、負けるわけにはいかない」
「離してよッ」
「マチュア……私は君のことを……」
そこまで言って、ブライトンは故意に力を緩めた。
瞬時にブライトンから離れたマチュアは、振り返ることなく自室に向かって走り出した。
彼女のキズは、もはや全快に等しい。
マチュアの去ったテラスに残り、ブライトンは自分の足元を見た。
「脈は有りそうだな……足、蹴られなかったし」
騎士の名の為に、騎士を捨てた男。
彼が求めるものは何か。
名誉か、賞賛か。はたまた、たった一人の女の心なのか。
その答えは……
<了>