僕が変わらない理由
「……なるほどねぇ」
大立ち回りを演じた翌日、僕とメルヴィルは昼過ぎになってオヤジさんの店に顔を出した。
僕たちの寝不足を前面に押し出した顔を見たオヤジさんは、温かいスープを作ってくれた。「人の恨みってのは、恐ろしいもんだねぇ」
「まったくだ。人の恨みほど、恐ろしいものはない」
スープに口をつけながら、昨日の一件を話し終えたメルヴィルが感慨深げにそう言った。
僕は無言で頷くと、彼女が説明のために机の上に置いたタロットカードを手に取った。「嫉妬を表すカードか」
「羨望と言ったほうがよかったかも知れんな」
「どっちでもいいよ。それにしても、女の人に振られたのが原因だったとはね」
メルヴィルが言うには、植物学者が恋破れ、呪詛の力を得たということだった。
木の根を操れたのも、彼が本来得ていた知識が原因だったようだ。「闇を好んだのは、恋人に顔の不細工を理由に振られたからだそうだ」
「そうだって……」
伝聞調の台詞に僕が聞き返すと、メルヴィルは小さく首を振った。
「午前中に、その恋人とやらに話を聞いてきた。今は、幸せだそうだ」
「よく調べていたな」
「どこかの親切な人が、調べておいてくれたのだ」
「そ、そう」
師匠だろう、多分。
下調べが大切というのは、師匠の口癖だった。「その恋人は、無関係な人間を何人も犠牲にしながら、それに気付かずにいた」
「仕方ないと言えば、仕方ない気もするね」
言葉を失った僕の手から、彼女はカードを抜き取っていった。
「まぁ、人間などそんなものなのだろうな。己の幸福と他人の犠牲には鈍感なものだ」
「でも、悲しい話だねぇ」
僕たちよりも人生経験が豊富なオヤジさんはそう言うと、立とうとした僕を制した。
そして、空になったメルヴィルの食器を手に、厨房の奥へと戻っていった。「やりきれないな」
「魔術というものは、人の負の力が元になっている。
人が魔術に憧れるということは、人は本質的に負を求めるものなのかも知れんな」そうかもしれない。
人は常に自分にないものを求め、既に持っている者に羨望の眼差しを送る。「リッツ兄、私があの者のようになった時、私を止めてくれるか」
突然、何を言い出すかと思えば。
そう言って笑おうとした僕は、思いのほか真剣な彼女の表情に笑うことができなかった。「私は魔力で人の未来を占う。いつ、魔に取り込まれるかもわからない」
「心配なのか」
「あぁ」
いつになく真剣な表情に、僕は食器を持っていくふりをして立ち上がった。
そして、すれ違いざまに彼女の頭に手を置いた。「僕は、メルヴィルの味方だからな」
そう言って立ち去ろうとすると、メルヴィルは小さく吹きだしていた。
「何を真面目になっているんだ」
「からかったのか」
思わず口をへの字に曲げて、彼女に背を向ける。
追いかけてきたのは、メルヴィル自身だった。「まぁ、そう言うな。信じている、リッツ兄」
「ありがとう。さっさと仕事に戻ったらどうだ」
「ふむ。では、今日一日、ここの店員ではどうだ」
「勝手に決めるな」
僕の手から食器を取り上げたメルヴィルが、僕を無視してオヤジさんに了承を得る。
「あぁ、かまわないぞ。看板娘のほうが、客の入りもよさそうだしなぁ」
「ちょっと、オヤジさん」
抗議の声を上げても、二人にはまったく届く気配はなかった。
僕は小さくため息をつくと、テーブルを片付けるために布巾を手に食堂へと戻る。「そこ、置いといてくれていいぞぉ」
「そうしよう。では、私は表でも掃いてこようか」
楽しげな二人の声を背にしながら、僕は誰もいない食堂のテーブルを整えていく。
「リッツ兄、箒はどこにあるのだ」
「カウンターの内側にある」
「ほぅ……お、あった」
箒を手に、彼女は楽しげそうに外へ出て行った。
僕は、ついつい窓の外に見える彼女を目で追いかけていた。
一目で慣れていないとわかるその動きを見ながら、僕は心が温かくなるのを感じていた。「無理に拒否する理由はないよな」
本当は、孤独なのかもしれない。
僕よりもまだ若いくせに、人の暗部を見せ付けられてしまうような占い師を続けているメルヴィル。
その心の中では、いつ闇に引き込まれてしまうか不安なのかもしれない。「師匠でさえ、そうだったんだ」
あの師匠でさえ、孤独だと言っていた。
だとしたら、僕はその孤独を少しでも和らげる存在でいたいと思う。
それが多分、僕にできる一番のこと。「さて、店内の準備をするか」
夜になれば、また店は賑わうだろう。
そうなる前に、準備はきっちりしておかないと。「リッツ、それが終わったら仕込みを手伝えよぉ」
「はーい」
厨房から飛んできたオヤジさんの声に大きな声で答えて、僕は準備を始めていた。
<了>
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