66941番リクエスト  for コウ様

使い捨て


「……デルムッド、本当によいのか」

 シアルフィの軍師服を身にまとい、オイフェが目の前で畏まっている金髪の少年の意思を確認する。

 騎士の祝福を受ければ、下級職から下級職への転職はできないのが規則である。

 そのために、オイフェは今一度、少年の意志を確かめたのだった。

「ソシアルナイトではなく、フリーナイトへの受勲を望むのかね」

「はい」

 畏まったまま、デルムッドはそう答えた。

 その真っ直ぐな視線を受けても、オイフェはなおも問いただす。

「デルムッド、お前ならソシアルナイト以前に、プリンスに就くこともできるのだぞ」

「俺の受けてきた教育は、プリンスになるためのものではありませんから」

「だが、フリーナイトにつくと言うことは、その先にある、マスターナイトの称号を捨てることになるぞ」

「かまいませんよ。そんなもの、俺の器でも何でもない」

 そう言い切ると、デルムッドは自ら教会の扉に手をかけた。

 教会に入ってしまえば、その意思を覆すことは神への冒涜となる。

 それを知った上で、デルムッドはオイフェを促すために扉を開いたのだった。

「デルムッド……もう後戻りはできんぞ」

「言ったはずです。俺はノディオン王女の息子ではなく、自由騎士ベオウルフの子だと」

 そう言うと、デルムッドは教会の中へ足を踏み入れた。

 神を祭る祭壇のそばに、わずかながら人影が見えた。

 扉の空いた音に反応したその数名の見届け人が、入ってきたばかりの彼へと視線を送る。

 まるで軍師服のオイフェを従えるようにして中央をゆっくりと歩く彼を、全員が見守る。

 逆光の髪を輝かせた彼の姿は、プリンスの称号を受けることも許されるほどの勇壮さに満ちていた。

「オイフェ、司祭殿がお待ちかねだ」

 祭壇の前に控えていたシャナンが、そう言ってオイフェを呼んだ。

 やや小走りに足を速めたオイフェが、デルムッドの脇を抜けて、先に祭壇へと上がる。

 オイフェと司祭が儀式の最終チェックを行っているのを待ちながら、デルムッドは最前列に腰を下ろした。

 すぐ隣に座っていたレスターが、いち早く受勲を決めた幼馴染みを笑顔で出迎えた。

「いよいよだな」

 ティルナノグ組でデルムッドと同じく騎兵を目指すレスターの祝福に、デルムッドも表情を緩めた。

「あぁ」

「まさか、お前が最初に受勲するなんてなぁ」

 ティルナノグ組での最年長は、言うまでもなくセリスである。

 そのセリスは早々にロードの称号を得てはいたが、他のメンバーは未だに称号を得られずにいた。

 圧倒的な剣技を誇るラクチェとスカサハでさえ、まだその資格には達していなかった。

「フリーナイトだからな。一番甘い騎士クラスだよ」

「それでも、年下のお前に先にいかれると、ちょっと焦るってものだぜ」

「よく言う……次はレスターだって噂だぞ」

「噂は噂さ。こっちはまだ、父上の弓すら使いこなせてない」

 レスターが苦笑をもらしたとき、祭壇の上で準備の確認を終えたオイフェが、デルムッドの名前を呼んだ。

「行くわ」

 そう言って立ち上がったデルムッドに、レスターが小さく手を振って応える。

 既にシャナンは空いていた席へと戻り、壇上にはオイフェと司祭だけが彼を待っている。

 祭壇の中央へ進み出たデルムッドは、その場で膝を折り、神前での黙祷を始めた。

 充分に時間を経たところで、司祭が手にしていた錫状を鳴らす。

 金鳴りの音が教会内に響き、オイフェがこれから受勲するデルムッドの素性と業績を述べ挙げる。

「右なる者、ノディオン王家王女ラケシスが長男にして、自由騎士ベオウルフの子、デルムッド。
 類稀なる騎乗能力をもって、その剣は雷の如し。今、齢十四にして、フリーナイトの称号を与えんものなり」

 オイフェの口上が終わると、司祭の持つ錫状が、デルムッドの頭上へと掲げられる。

 一度だけ金鳴り音をさせると、司祭がデルムッドへ立つように指示をする。

 黙祷の姿勢を解いて立ち上がった彼を、ステンドグラスから降り注ぐ色付きの光が包み込んだ。

「ベオウルフが子、デルムッド。ここにシアルフィ公の代理者、オイフェ公爵の推薦により、受勲を認める」

「ありがたき幸せ」

「騎馬を操りて雷のごとき剣を振るい、その瞳には何を映さんとするや」

 そこで、デルムッドは口許を引き締めた。

 突然の沈黙に、オイフェが視線を上げてデルムッドの顔を見つめる。

 受け答えの言葉は、既に練習を重ねていたはずだった。

 極度の緊張を漲らせているわけでもなく、デルムッドがセリフを喪失したとは考えられなかった。

「……デル」

 最前列に座っているレスターが、口の中でデルムッドの呼び名を呟く。

 その呟きが聞こえたわけではないが、デルムッドは再び口を開いた。

「この世に続く戦いと戦いに踊る人間を」

 デルムッドの言葉に、オイフェが軽く目を見張る。

 事前に確認しておいたセリフではなかった。

 まして、指南役だったオイフェやシャナンが口にしている言葉でもない。

 しかし、オイフェには聞き覚えがある言葉だった。

「この腕には、移ろいゆく正義と不動の義理を」

「デルムッド……」

 宣誓を終えたデルムッドに、司祭の錫状が鳴らされた。

 一同が見守る中で、デルムッドの身体が魔法陣から発せられた光に包まれていく。

 思わず視界を腕で遮りながら、オイフェはデルムッドを預けに来た男のことを思い出していた。

 

 


 ティルナノグに落ち着いて五年。

 最初は乳飲み子だった聖戦の遺児たちも、すくすくと成長し、賑やかな毎日を過ごすようになっていた。

 ラクチェが叫び、セリスが調子に乗り、レスターがそれを傍観する。

 ラナがエーディンに絶え間なく話しかけ、スカサハが疲れきった表情で寝床にもぐりこむ。

 単調でもなく、何かしらの事件が起こる毎日。

 デルムッドがティルナノグに加わったことも、日常の事件の一つに過ぎなかった。

 

「オイフェさま、お客さんです」

 スカサハに呼ばれて玄関口に出たオイフェは、扉の前に立っている親子らしい二人に、目を丸くしていた。

 スカサハと同い年か、少しだけ年上そうに見える少年は、脅えることなく馬上に座っている。

 父親らしい男に降りろと言われると、これも慣れた仕草で、少年は馬の背から降り立った。

「久しぶりだな、オイフェ」

「ベオウルフ殿……よくぞ御無事で」

 オイフェが実際に目にしていた聖戦の生き残りは、ともに暮らすエーディンだけである。

 そのエーディンにしても、他の戦士たちの動向はまったくと言っていいほど知らなかった。

 そこへ、シグルド軍の自由騎士が姿を見せたのである。

 オイフェは早速二人を家の中へ招き入れ、スカサハとレスターをエーディンへのつなぎに走らせた。

 セリスとラクチェには、買出しに出ているシャナンへ帰宅するように告げさせた。

「何とか元気にやってるみてぇだな」

 家の中の調度品を見回して、ベオウルフがそう言った。

 とっておきの紅茶を出しながら、オイフェは恥ずかしげに頬をかいた。

「エーディン様のおかげですよ。教会からの頂き物も、少なくありません」

「でもま、安心したぜ。一人くらい、増えても大丈夫そうだな」

 そう言って、ベオウルフが腰に下げていた皮袋を机の上に置いた。

 重そうな音を立てて形を整えた皮袋の中からのぞいたのは、十数枚の金貨だった。

「ベオウルフ殿……」

「ま、馬代だ。見たところ、馬が一頭もいねぇな」

「え、えぇ。こちらへ逃げ込んだときには、馬など連れてきていませんでしたので」

「それで、どうやって再起を図るつもりだ。言っちゃ悪いが、ゆったり構えてる暇はねぇぜ」

「それは、どういう……」

 オイフェがそう聞き返したとき、急に玄関のほうが騒がしくなる。

 聞こえてきた特徴的な声は、レスターの声である。

 しばらくして三人のいる食堂に姿を現したエーディンは、ベオウルフの姿を認めると、極上の笑みを見せた。

「ベオウルフ、生きていたのですね」

「自由騎士ってのは、そう簡単にはくたばらんのよ」

 そう言って笑うベオウルフと再会の抱擁を交わし、エーディンが頬をぬらす。

 感極まっている大人組に対し、レスターは早速、新顔の少年に右手を差し出していた。

「レスター=ウィル。君の名前は」

「デルムッド。よろしく、レスター」

「スカサハだよ。この子はレスターの妹で、ラナって言うんだ」

「よろしく、スカサハにラナ」

 子供組が挨拶を交わしている間に、大人組の情報交換は次々に行われていた。

 レンスターにラケシスと共に隠れ住んでいたベオウルフのもたらす情報は、一つ一つが貴重な判断材料となる。

「この三年で、完全に帝国の支配が南部には行き届きだした。レンスターのフィンとの連絡も途絶えがちでな」

「トラキア半島までもが……このイザークでも、次々と帝国の軍勢が入ってきています」

「シレジアのほうはまったくわからん。だが、そう変わらんだろう」

「やはり、バーハラ以外の王家は断絶してしまったのかしら」

「どうだろうな。少なくとも、ノディオンの胤は未だ健在だぜ」

 そう言ったベオウルフは、意味ありげにデルムッドのほうを見た。

 視線を追った二人が、驚きの表情に変わる。

「ベオウルフ殿、もしかしてそちらの少年は……」

「あぁ、ラケシスの息子だ。エルトの息子も、今は傭兵をやっている」

「なんと……エルトシャン王の血筋は未だ断絶していないと」

 心底驚いた表情で、オイフェが眼を瞬かせる。

 ベオウルフは口許にだけ笑みをたたえ、出されていた紅茶を飲み干した。

「アグストリアってのは、しぶといのが血筋らしい」

 お代わりを注ごうとしたオイフェを遮り、ベオウルフは懐から巻物を取り出した。

 興味深げに見守るエーディンとオイフェに、彼は巻物の紐を解いた。

「ラケシスからの書状だ。お前たちがデルムッドを預かってくれるなら、これも渡してこいとさ」

「ラケシス様からの……お預かりしてもかまいませんが、どのような内容なのですか」

 少し開かれた巻物の文面は、見る限り何の変哲もない言葉だった。

 ”早寝早起き”に始まり、”父と母を大事にすること”など、標語のようなものも書いてある。

 ちらりと読んだだけでは、オイフェに真意を測ることは難しかった。

「一見すると、意味がわかりませんが」

「さぁな。オレも詳しくは知らねぇな。ラケシスの日記みたいなもんだと思うがな」

「そのような物を、何故……」

 ますます困惑するオイフェから巻物を借り上げ、エーディンはバサリと巻物を全面に広げた。

 一行文もあれば、数行に渡って書かれた文もある。

 その中に、エーディンはある一文を見つけた。

”目の前の人間を護るくらいなら、逃げ出せばいいさ”

 その続きに書かれていたのは、少し小さめの文字で、”逃げることも大事なのかもしれない”

”俺は腹を痛めちゃいないからな。そいつはお前の子供だろう”

 そしてまた、小さな文字で書かれているのは、”確かに痛かった。ナンナが私に懐くのは当然だ”

 よく見て見れば、一行文の後には、必ず小さな文字で感想めいた気持ちが書かれている。

 それを読んだ瞬間に、エーディンはラケシスが渡そうとしている巻物の意味を悟った。

「なるほどね……ラケシス王女らしい贈り物だわ」

 未だに理解できないオイフェに微笑みながら巻物を巻き戻し、エーディンはベオウルフにも微笑みを見せた。

「ラケシス王女には、この巻物、確かに御子息へお渡しするとお伝えくださいませ」

「ま、気が向けばな」

 そう答えて、ベオウルフが肩をすくめる。

「さて、と……用件も済んだことだし、そろそろ行かせてもらうぜ」

 そう言って立ち上がったベオウルフに、エーディンとオイフェがあわててその後を追う。

 玄関先で追いついた二人は、早くも馬の鞍を確認しているベオウルフへ、どこへ行くのかを尋ねた。

「ベオウルフ殿、どちらへ向かわれるのですか」

「アグストリアだ。今のところ、まだ戦乱が続いてるみたいだからな」

「アグストリアですか。まさか、反帝国の軍に身を寄せられるのでは」

 オイフェがそう尋ねると、ベオウルフはそれには答えずに、デルムッドを呼んだ。

 すでに言い含められていたのか、玄関先に出てきたデルムッドが馬に寄る様子はなかった。

「デルムッド、お前はこれからオイフェの元で暮らせ」

「父上、もう行かれるのですか」

「あぁ。ここでお別れだな」

 そう言うと、ベオウルフは我が子の頭に手を置いた。

 逆立っている金髪が、彼の手を押し上げる。

 気丈にも涙一つ見せないデルムッドへ、彼は腰の剣を鞘ごと抜いた。

「こいつはお前にやる。オレからの餞別だと思え」

「父上、これは父上の剣ではありませんか」

「あぁ。だからこそ、お前にやるんだよ。お前なら、使いこなせる」

 父親から剣を受け取り、デルムッドが顔を上げる。

 馬上から彼を見下ろす父親に、デルムッドは深く頭を下げた。

「ベオウルフ、ラケシス王女はどうなさっているの」

 それまでは黙っていたエーディンが、ベオウルフが去ろうとする気配を見せる前にと尋ねた。

 その背後には、見送りに出てきた子供たちが心配そうにエーディンの顔を見上げていた。

「さぁて、レンスターに身を寄せろとは言っておいたが、あのジャジャ馬が言うことを聞くかな」

「アグストリアで反旗を翻すのではないのですね」

「別に、オレはシグルドの旦那に義理立てするつもりはねぇよ。オレは自由騎士だぜ」

「ベオウルフ、早まってはいけませんよ」

 心配そうなエーディンの言葉に、ベオウルフはニヤリと笑った。

「戦いがある限り、そこでオレは飯を食う。自由騎士ってのは、心に自由なのさ」

「父上、ご武運をっ」

 エーディンたちの言葉を遮るように、デルムッドが声を上げた。

 その声に応じて、ベオウルフは手綱を引いた。

 馬がいななき、主の意思を汲み取る。

「達者で暮らせよ、デッド」

「父上もっ」

 馬が鞍上に誰も載せていないかのような速さで、街道を遠ざかっていく。

 整備されていない道を走り抜けるその姿は、まったく衰えを見せていない。

 その背中を見えなくなるまで見送っていたデルムッドは、ゆっくりとオイフェたちの方へ振り向いた。

「デルムッドです。これから、よろしくお願いいたします」

 

 

 指導を始めたオイフェが一番に目を引かれたのは、デルムッドの騎乗能力だった。

 ラケシスとベオウルフの二人に仕込まれていた彼は、すでに一流の技術を持っていた。

 馬術に詳しくないシャナンはおろか、オイフェにさえも匹敵する乗りこなしをして見せたのだ。

「凄いな、デルムッド」

「父上の教えです。馬に乗るのではなく、馬の上に立つのだと」

「なるほど」

 その言葉通り、デルムッドは鞍上で安定した立ち姿勢を保っていた。

 いつでも剣を抜けるように片手で手綱を握り、バランスを崩したままでも馬からは落ちない。

 そして、馬の扱い方も特別だった。

「馬は使い捨て。その分、最後まで使い切れ」

 馬の世話はセリスたちも同様に手伝っていたが、デルムッドは必要以上の世話をすることがなかった。

 馬が病気になったときも、彼だけは冷静に病状を確かめ、売り飛ばしたこともあった。

 感受性豊かなセリスたちには非難されることもあったが、オイフェの目には頼もしく映っていた。

 その考え方は、ベオウルフの教えを忠実に護っていたのである。

「さすがはベオウルフ殿の御子息。考え方がしっかりしている」

 オイフェにすらそう言わしめるデルムッドの加入は、セリスたちにも多大な影響を与えた。

 彼らにとって一番大きかったのは、デルムッドの扱う真剣である。

 それまでも戦闘訓練をつんでいたのだが、真剣を使えるデルムッドに刺激を受けたのである。

 素質の高いラクチェとスカサハが真剣を扱うにいたり、続くようにしてセリスが鋼の剣を握った。

「これが真剣なんだ……重いなぁ」

「そのうちに慣れるわよ。グリップは、こっちのほうがいい感じよ」

 真剣を扱い、さらに戦闘能力を増していくセリスたちに、オイフェは戦術訓練を課す。

 そこでも、デルムッドの用兵術は一風変わっていた。

 押すべきところは押し、退くところは退く。

 特に引き際の潔さは特筆ものだった。

 各人の良さを引き出すセリスの采配と、大敗を喫さないデルムッドの采配。

 局面打開力に長けたスカサハに、戦況を的確に見抜くレスター。

 意外にも護衛役として腕を上げたラクチェが、シャナンの脇を固める。

 ライブの杖を使いこなし、魔力の成長が著しいラナ。

 それぞれがそれぞれに刺激しあい、ティルナノグ組の基礎が固まった。

 そんな時、デルムッドは自由騎士の称号を得たのである。

 

 


 自由騎士に昇格して数日、デルムッドはオイフェと共に訓練を重ねていた。

 オイフェが手槍を使い、馬上での打ち合いである。

「はぁッ」

「むっ」

 駆け抜けざまに走ってくる剣を、オイフェが軽くさばく。

 剣をはじかれたデルムッドは、すぐさま馬の腹を蹴り、槍の射程を離脱する。

 馬の頭を回頭させている間に飛んできたレプリカの手槍を、上半身のバネだけでかわす。

「参りますッ」

 正面から剣を構え、デルムッドは手綱を放った。

 疾走する馬を迎え撃つのではなく、オイフェが馬を走らせる。

 追うデルムッドに、逃げるオイフェ。

 二人の距離は徐々に狭まっていく。

 そのことに気付いたオイフェが馬の足を止め、反転する。

「せぃッ」

「ぬっ」

 薙ぎ払いにきた剣を、槍の柄で防ぐ。

 オイフェが体勢を崩すことはなかったが、デルムッドは再び遠く離れていた。

「さすがだなぁ」

 二人の訓練の様子を遠くから見学していたレスターが、感想を口にした。

 その隣では、同じく訓練を見学しているセリスが感心していた。

「あのオイフェと互角に戦うなんて、デルは凄いね」

「やっぱり、速さだろうなぁ」

 単純に言えば、馬上で槍を扱うオイフェの方が数段有利である。

 それを互角の戦いへ引き込んでいるのは、間違いなくデルムッドの速さである。

「身軽だからだね。デルは、いつも剣を一本しか持っていかないもの」

「微妙な重さでも、馬にかかる負担は違うからなぁ」

 レスター自身は、一回の戦闘には十分の矢を馬に担がせている。

 それは、馬にしてみれば相当な負担になる。

「オイフェは常に剣と槍の両方を馬に持たせてるしね」

「それでか。追いつかれるのは」

 

 数度の打ち合いを経て、デルムッドの剣が宙を舞った。

 オイフェの持つ槍が、デルムッドの手元を弾いたのである。

 剣を飛ばされた時点で、デルムッドは両手を挙げて降参の意を示した。

「やはり、まだかないません」

「いや、いい剣筋だった。代わりの剣があれば、まだ続けられるのだろう」

「それはそうですけどね。俺は、一本しか持つ気はないですよ」

 馬から下りて剣を拾ったデルムッドは、そう言って首を振った。

 今までにも、オイフェに槍を薦められるたび、彼は断ってきたのだった。

「俺にはこの剣一つで十分ですよ」

「しかし、それでは今のような時にどうするんだ」

「逃げます」

 あっさりと言い切るデルムッドに、オイフェはため息をついた。

 戦場で主君を置いて逃げるという考え方は、オイフェにはない。

 主君を逃がすために戦うことはあっても、自らが逃げ出すことはない。

「お前な、騎士がそのような考え方では……」

「俺は自由騎士ですよ。主君に仕えるソシアルナイトじゃありません」

「だが、何故槍を使わぬと決めたんだ」

「槍を持てば、その分、馬に負担をかけます。消耗が激しくなる」

 そう言って、デルムッドは愛馬の首を撫でた。

「……しかし、槍を持つだけで、戦術は広がりを見せるのだぞ」

「俺は生きるために戦う力が欲しいだけです。好きな人と、自由に生きるために」

 デルムッドの言葉に、オイフェは口を閉ざした。

 自由という言葉に惑わされているのではない。

 自由という意味を真に捉え、その上でなお自由にあろうとする心。

「もういい。お前の考えは何度も聞いた。槍を使わぬのも、承知したことだ」

「すいません」

 再び馬上に上がったデルムッドは、馬の首を軽く叩くと、空へ視線を向けた。

「先に戻るぞ、デルムッド」

「えぇ」

 オイフェが彼のそばを離れ、セリスたちの方へ戻っていく。

 草原に残ったデルムッドは、青く澄んだ空をその瞳に映し、大きく息を吸った。

 その彼に、レスターが近寄る。

「お疲れさん」

「レスターか」

「相変わらず、頑固だな」

「まぁな」

 二人で馬を並べて、ゆっくりと帰路につく。

 セリスを連れたオイフェは、すでに姿が見えなくなっていた。

「格好よかったぜ、受勲式」

「悪いな、先に昇格して」

「気にするな。こっちだって、じきにアローナイトさ」

「そうか……そうだな」

 そのまましばらく馬を歩かせ、レスターは小さく笑い出した。

 デルムッドが少し引きながらと尋ねると、レスターは笑顔のまま答えた。

「何だよ、突然」

「いや、オイフェ様、まだ残念なんだなってな」

「はぁ」

「槍だよ、槍。今日はオイフェ様、槍しか使わなかっただろ」

「それがどうかしたのか」

 道の向こうに、赤茶けた教会が見えてきた。

 今日はラナとエーディンの二人が教会に出ているため、二人の目的地は教会である。

「お前に槍を使わせたかったんだろ。なにせ、唯一の騎馬兵だからな」

「そのことか」

 ややうんざりしながら、デルムッドがため息をついた。

「攻撃手段なんてのは、敵を殺せるものが一つあればいい。後はそれを使える状況にするだけだ」

「まぁ、そう言うな。あらゆる状況下で対応できるのが騎士たるものだろう」

「主君を護るだけが騎士じゃない。自分すら護れないなんて、意味がないんだ」

「ま、お前ならそう言うと思ったよ」

 教会の屋根が見えなくなり、扉の前で花壇をいじっているラナの姿がはっきりと映るようになった。

 蹄の音が聞こえたのか、ラナが立ち上がり、二人に向かって大きく手を振っていた。

 妹に手を振り返し、レスターは手綱を緩めた。

「他人を護る技も身につけろよ。お前に足りないのって、それくらいだろ」

「……そうだな」

 わざわざ教会の敷地の外まで出迎えに出てきたラナが、二人のほうへ歩いてくる。

 緩めていた手綱を引き、馬から下りてラナを待つレスターを見ながら、デルムッドも馬から下りた。

 レスターの胸に飛び込んだラナは、嬉しそうに馬の手綱を引いた。

 兄妹仲良く一頭の馬をひく二人に続きながら、彼は別れて暮らしている妹のことを思った。

「ナンナ、元気にしてるかな」

 三人を包む青空の下で、正午を報せる教会の鐘が鳴り響いた。

 教会の窓から漂ってくるカレーの香りが、彼らの足を速めさせていた。

 

<了>

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