伊賀忍法伝

忍の章


 

 この伊賀と根来の決戦は、現在で言う月ヶ瀬村の山奥で行なわれたのであろう。
 その月ヶ瀬村に、土砂降りの雨がやってきた。
  滝の様に天空から大量の雨が降り注ぎ、大地を叩き、木々を一気に濡らしていく。
 この豪雨は、地上の獣道ですら小川と化し、一時、忍者達はこの場から離れ、伊賀忍者達は、蛍火の椋鳥の鳴き声で合図を送り、近くの洞穴に合流した。
 そして根来忍法僧達は、水魔坊が、雨の水溜りを粘土に変え、大きな傘を作り、その中に五人が待機した。
 元々この傘は水なので、豪雨の音はせず、万が一敵の手裏剣や飛び道具の攻撃があっても、水がその威力を封じ込め、ニカワの如く粘りのある水を通り抜ける事は不可能だ。
 「まさか、我々の、『毀れ甕』を知っていたとは、火炎坊。無念であっただろう」
 修羅坊の言葉に、弾力のある肥満の男、針鼠坊が、
 「若いが中々やる。これは作戦を考えなくてはな」
 すると両腕の無い、痩身長身の大蛇坊がニヤリと笑い、
 「待て、奴等は確かに凄いが、若い。その若さこそ弱点だ」
 「どういう意味だ、大蛇坊?」
 「俺は、敵の一人を倒したが、集中力が無いように見えた。いや、確かに伊賀の忍者だ。普通の忍者よりは強い。だが、実戦不足と俺は見た」
 すると、雷神坊が逞しい腕を開き、掌を近づけ、二つの掌の間で、青白い光が閃った。
 体内の電流が放電されたようだ。
 「まてよ、確かに若手ばかりだ。するとあの薬師寺天膳は」
 「うむ、若手の教育をしていたのかもしれぬ!」
 水魔坊の意見に、修羅坊が答えた。
 「よし、倒し方を考えよう。我々は経験という強い武器がある」
 「そして驚愕の根来忍法も」
 修羅坊の言葉に他の四人が、答えたとき、この水のドームの外から声がした。
 「おおい、貴様達や、儂じゃ、覇王坊じゃ」
 その言葉に、水魔坊が、傘の一部を水に戻し、玄関として、そこから小柄な老人が入ってきた。
 すぐさま五人は平伏し、自分達の上官を恭しく迎えた。
 「…火炎坊がやられたか。……意外とやるな」
 「スイマセン、この修羅坊の責任です」
 修羅坊が言うと、覇王坊は笑った。
 「まあ、良いわえ。こちらも、天膳を斃した。奴だけでも伊賀の忍者二〇人分に匹敵する」
 五人は再び平伏した。
 「まあ、儂の忍法は、お前達が近くにいると使えぬが、暫くは『空牙坊』に戻ろう」
 「はっ」
 「まあ、敵の生き残りを詳しく教えてくれや」

 

 

 伊賀の若い忍者六人は、暫く洞窟の中で、泥の様に眠っていた。
 豪雨の外では、二匹の毒蛇が番犬ならぬ番蛇として待機しており、気配を絶って六人は眠っていた。
 だが、敵の気配や、雨が小降りになれば同時に目覚めるであろう。
 ただ、二人は起きていた。
 その二人は、お互いの手を握り、洞窟の傍の大木の下で雨宿りし、お互い身を寄せ合い、無言で微笑しあっていた。
 夜叉丸と蛍火であった。
 青春美の結晶とも言うべき美少年と、日本人形の様な髪型をした可憐で小柄な美少女が、大木に背中を預け、手を握り合い、豪雨の暗黒の空を見上げていた。
 「…鷹はどうした?」
 「はい、鍔隠れの里へ戻しました。油紙に敵の事を詳しく書いて」
 二人は薄暗い天空から大地に大量に降り注がれる豪雨を見ながら、
 「手強いな」
 「はい、でも夜叉丸どのは、一度針鼠坊を斃しています。また斃せるでしょう」
 「ああ」
  蛍火が、微笑し、布で髪の毛を覆った。
 「どうしたのだ?」
 「ええ、雨に髪の毛を晒したくないのです。髪は女の命ですから」
 「そうか、じゃあ、俺の布も貸してやるよ。蛍火の髪の毛は長いから全部隠せるだろう?」
 お互い、幼い頃から、伊賀の忍者として生まれ、想像を絶する修行に耐えて、そして個人の独特の忍法を身に付けた精鋭忍者であり、実際に中忍になった。
 死の宿命、死の運命、死の使命。
 この三つの命に従い、その覚悟で生きてきた。
 そして夜叉丸も蛍火も、死ぬ覚悟は何時でもある。
 この戦いで死んでも、普通の人間よりは簡単に死を受け入れるであろう。
 だが、二人にはそれを上まわる思いがあった。
 それはお互いの存在だ。
 二人は忍びとしての修行に耐えながらも、お互いを想い、お互いの存在が、お互いの心の中の神殿に入り込み、その気持ちは抑えきれずに生きてきた。
 下忍では結ばれぬ。だが、中忍になれば、『伊賀の優秀な忍者』の繁栄の為に、中忍以上なら、その同士なら、恋は許され、婚約も許される。
 二人は、その事実を知り、死ぬ覚悟で、いや、お互いと結ばれぬなら死んだほうがマシだとまで思いつめて、この修行に生き残ったのだ。
 そうだ、俺は蛍火の為に生き残った。そして彼女が欲しい!
 だからこそ、根来忍法僧達には負けない。奴等を必ず倒し、蛍火を守る。
 夜叉丸は心の中でそう誓い、蛍火の前に立ち、彼女を抱きしめた。
 蛍火もまた、夜叉丸なら必ず中忍になれるだろうと思い、そして自分もならねばならないと思い、伊賀の為ではなく、自分自身の心の奥の想いの為に修行に励み、そして彼女の祖母から、爬虫類、蟲類を自由に操る過酷な忍法の修行に励む。
 何度毒蛇に咬まれたかは覚えていない。
 何度蟲や爬虫類の暴走によって生死の狭間を彷徨ったかは、両指の数だけでは足りないであろう。
 だからこそ、今手に入れた、求めていた幸せを手放す気はない。
 夜叉丸の抱擁に身を任せ、頬を紅色に染めながらも、必ず夜叉丸を守ると誓った。
 そう、私はただの女ではない。
 深窓の令嬢でもなければ、怯える娘でもない。
 毒蟲や、毒蛇を操り、その気になれば、バッタやイナゴを大量に集め、敵地の穀倉地帯に大打撃も与えられる蛍火なのだ。
 愛する夜叉丸の足手まといには絶対にならない。
 むしろ夜叉丸を助けられる女なのだと。

 

 

 二人の若い忍者が、自分の命より大事な存在を抱きしめあっていた頃、瞳を覚ました紅雪が、外の気配を感じる。
 「獣蔵え?」
  彼女が呼ぶと、逞しい野獣の肉体をした獣蔵が鼻をクンクン鳴らし、
 「気配は無いが。…雨雲すぐに去る」
 その言葉に、目を瞑っていた、双之助と小四郎も目を覚まし、軽く身体を動かしだした。
 「獣蔵、臭いで敵の 位置は分かるか?」
 「……一人増えた。竹林にいる」
 「一人?」
 「ああ、小四郎の覚えている名前でまだ会っていない覇王坊だろう」 
 小四郎が、その荒武者の風格漂わす顔を不敵に笑わせ、
 「姫様を汚そうとする愚僧共め!俺が全員地獄に送ってやる!」
 大鎌を腰から抜き、構える姿に紅雪が、苦笑し、
 「お手柔らかにね、姉さまの言うとおり、血気盛んね彼方は」 
 上品な笑みを浮かべ、彼女はすくっと、細身のしなやかだが、力強い動きを見せ、立ち上がった
 「姉さま?……ああ、朱絹どのか」
 小四郎が言うと、双之助が、太刀を整え、
 「綺麗な女性だな、我々にも優しい、姉の様な存在だよ」
 「姉さまは、面倒見が良いからね。だから朧様の世話係をしているのよ」
 姫様の名前に、全員が気を引き締める。
 朧は、忍法も、体術も、剣術も物にならなかった忍者の姫君とは思えぬほど、脆弱な存在だ。
 だが、それでも彼等の姫君であり、守るべき存在だ。
 獣蔵にとってもそうだ。
 醜い野獣の様な俺を、あるとき優しく看病してくれた姫様。
 明るく、天真爛漫な、太陽の様な姫君を守るのが、自分の最大の使命だと思っている。
 それは小四郎も同じだ。小四郎は完全な使命感からである。
 美しき伊賀の姫君は、誰も汚す事を許されない、聖なる姫だ。
 それを殺し汚すなど、やつらは許してはおけない!生かしては置けないのだ!
 「雨があがったぜ」
 外から夜叉丸の声がした。
 「川の水も増水しているわ。もしかしたら、この山の『ぬしさま』が出てくるかもね」
 今度は蛍火だ。
 その言葉に、夜叉丸が苦笑し、
 「『ぬしさま』が出てきたら、俺は逃げるぜ」
 紅雪も、
 「私も嫌ですからね。蛍火。頼むわよ、『ぬしさま』が出てきたら」
 六人は苦笑してから、獣蔵の超感覚を頼りに、敵に急いだ。
 東の雨雲は徐々に東に流れ、西から太陽の光が雲の隙間から大地に降り注ぎ、天候の回復を示した。
 「天膳様が戻ってくるまでに、敵を全滅させるぞ」
 小四郎の叫びに、全員が頷いた。

 彼等は天膳が覇王坊と戦っていた事は、小四郎の話から知っている。
 だが、敵の覇王坊らしき人物が戻ってきたとなると、天膳は斃されたと考えるのが普通であり、彼等はいくら若くても、そんな基本的な推理力はある。
 だが、彼等は天膳は戻ってくると信じているのだ。
 いや、信じているというより確信だ。常識なのだ。
 太陽が東から必ず昇るように、天膳も戻ってくるのだ。
 もし、彼等が、薬師寺天膳が覇王坊の、致死率の高い疫病を吐き出す驚愕の忍法の前に殺されたと知ったらどうであろうか?
 六人が、獣蔵を先頭に、残る五人は隠れて獣蔵の後をついていく。
 「ところで天膳様は?」
 双之助が小四郎に尋ねると、
 「敵が一人戻ってきたという事は、天膳様は殺されたのかも知れぬ」
 すると、夜叉丸はにやりと笑い、
 「そうであれば、俺達には最終手段が出来たわけだ」
 「うむ、ならば、天膳様の手を焼かせる事もない、我々で斃すぞ」
 双之助が言うが、小四郎が、
 「いや、そうであれば、天膳様が戻ってくるまで待つのも手だ。天膳様が殺されるほどの覇王坊の忍法と言うものを知る必要がある」
 「そうだな。だが、敵は鍔隠れの里へ向かっている。今度の新参の中忍達は、役に立たぬと言われるのも癪だ。必見必殺!」
 双之助の言葉に全員が頷いた。
 伊賀の精鋭に相応しく、闘志を漲らせ、彼等は戦いに挑む。

 ……だが、おかしいではないか。
 彼等は薬師寺天膳が死んだと仮定しても、天膳様は戻ってくると決め付けていた。
 だが、確かに薬師寺天膳は、覇王坊の前に致死のの病に敗れ去り、死んだ。
 それを知らないから言えるのであろうか?

 

 

 先陣を走る獣蔵は、山猫の様にバネを利かせて疾走し、両手ですら動物の前足の様に動かし走っていく。
 身軽さや跳躍力においては、夜叉丸や小四郎に劣るが、その脚力と素早さは、二人を凌駕する。
 そしてある程度の興奮状態に入ると、獣蔵は獣人化が始まり、姿は人間のままだが、腕や胸の筋肉が膨らみ、両手両足の爪が野獣の爪の様に伸び、武器となり、口からも牙が生え出す。
 西洋で言うところの狼男の部類であろうが、獣蔵はこれを自分でコントロール出来る。
 興奮状態に入っても、自分の意思は残っており、仲間とのコンビネーションも可能だ。
 その獣蔵が、臭いを嗅ぎ、聴覚を発揮し、周囲を警戒する。
 その耳に、悪意の満ちた五人分の動きを感じる。
 「五人?……一人は?」
 北から敵が来るのを確認し、仲間達に、山犬の遠吠えの声色で、仲間に伝えた。
 すると背後からの仲間達は一気に北へと走る。
 獣蔵も、豹や虎を思わせる疾走をみせ、木々の間のすりぬけ、坂道を登り、草木をすり抜けていく。
 その彼の目の前に突然と人間の顔をした大蛇が現れた!
 唾液を飛ばし、彼に攻撃を仕掛けてくる異形の大蛇に、獣蔵は驚きながらも、野生の防衛本能で躱し、立ち止まった。
 その大蛇は、長さが三メートルを超えるが、それは細長くなった人間の肉体だ。
 両腕がなく、人間の間接では考えられないほど曲線を描き、幹に絡みつき、こちらを睨んでいる。
 そう、大蛇坊だ。
 こいつか、気配を絶っていたのは!
 獣蔵の本能が燃え上がり、腕が膨らみ、胸が大きくなる。
 野生の筋肉の目覚め、獣人化だ。
 両手の指から鉤爪が伸び、口からは牙が唾液にまみれて伸びだした。
 これには大蛇坊も驚きの声を漏らした。
 「……化け物め」
 「お互い様だ、蛇野郎!」
 「今一人だ!」
 誰に叫んだのか、大蛇坊が叫ぶと、大木の幹に絡みつきながら螺旋回転しながら昇っていく。
 獣蔵は、それを四肢の強烈な鉤爪で大木に捕まり、一気に追いかける。
 大蛇坊は、伊賀の地中に潜む蛇を斃したが、今度の敵は野獣だ。
 全身を蛇の様にくねらせて、枝に絡みながら移動して、猛毒の唾液を飛ばしてくるが、それを獣蔵は身を大木に隠して躱し、一気に跳躍し、枝に絡みついている大蛇坊の前に着地した。
 まさしく、王虎獣蔵。
 名は体を現す。
 虎の王者であり、獣の動きだ。
 獣蔵の獣の拳が直線に動き、大蛇坊の顔面に襲い掛かる。
 大蛇坊は、上半身を枝から開放し、下半身だけで枝にぶら下がりながら躱した。
 その大蛇坊の頭のあった場所に獣蔵の鉤爪が襲い、枝を粉砕する。
 下半身を枝に絡ませ、残る上半身をSの字に曲げながら、片眉を吊り上げ、その破壊力に驚きながらも、下半身をも枝から話、自由落下していく。
 そして落下しながら、身体が縮み、曲線を描いていた身体が徐々に人間の身体に戻りながら、草地にゆっくりと着地した。
 その瞬間、獣蔵が目の前に力強く着地し、野獣の咆哮をあげ、休む間も無く攻撃に転じた!
 「ち!」
 大蛇坊は、その一撃を躱し、再び身体が細く伸び、『蛇身化』し、うっそうとした草むらに飛び込んだ。
 草むらを書き分け、水滴の付いた草を揺らしながら移動していく。
 獣蔵も大蛇坊の臭いを覚え、その臭いを嗅ぎながら大蛇坊の位置を正確に把握し、一気に間合いを詰めるように疾走した。
 隠密度なら大蛇坊の方が上だが、速度は獣蔵がはるかに上だ。
 何度も猛毒の唾液を飛ばしてくる。
 土蛇を斃した猛毒の唾液だが、これは大蛇坊が、蛇の如く隠れ、不意打ちを成功させてこそ生きて来る忍法だ。
 だが、その不意打ちですら躱した獣蔵に、無効な技だ。
 獣蔵は難なく躱していき、一気に一撃必殺の鉤爪による一撃を与えようとした瞬間、彼の野獣の勘が危険を教え、彼は身を引いた。
 その瞬間に、獣蔵のいた場所に、鉄の六尺棒が突き刺さった。
 すると木の上に針鼠坊が立っており、彼が投げつけたのだ。
 「何!」
 今度は後方から危険を察知した。
 獣蔵がそれをも躱すと、雷神坊が両手に放電させて近付いていたのだ。
 「何時の間に!」
 いや、他にも覇王坊、修羅坊、水魔坊もいて、何時の間にか獣蔵を囲んでいる。
 そうなのだ、あの時、最初に大蛇坊が「一人いたぞ」と言ったのは、小さな法螺貝に、『海鳴り』を使って仲間に知らせたのだ。
 獣蔵は仲間に北に敵が居ると伝えたが、味方は今近くにいないと言う事だ。
 「こいつはとんだ野獣狩りだ」
 修羅坊が叫ぶ。
 「確かにな。人間と思うな。熊や猪を倒すようにな!」
 覇王坊が叫ぶと同時に円盤状の刃の付いた手裏剣を獣蔵に投げつけた。
 獣蔵はその軌道を見切り、左に身体を飛ばし、躱した……が、突然円盤は急旋回し、獣蔵の背中に深く刺さった!
 獣蔵の口から野獣の咆哮が響き渡った。
 彼が咆哮をあげながらも動き、近くの水溜りに足を突っ込んだ瞬間、突然身体が動かなくなった。
 「うっ!」
 まるで水溜りの水が、ニカワの様に獣蔵の足に絡みつき、自由を奪ったのだ。
 そう、この水溜りは既に水魔坊が、『水粘土』で粘着力を持たせていたのだ。
 獣蔵が、罠にかかったと悟った瞬間、野獣の様に叫び、吼えた。
 その瞬間、修羅坊が、掌に砂利を載せて、彼に向けて一気に足を踏み込み、砂利を音速を超えた速度で飛ばした。
 「根来忍法、『雷竜弾』!」
 砂利が音速を超えて飛び散り、動けぬ獣蔵の肉体を次々と貫通していく。
 修羅坊の『雷竜弾』。
 小石ならライフルとなり、砂利ならショットガンとなる驚愕の掌!
 その砂利のショットガンは、完全に獣蔵の肉体を粉砕し、全身から血肉が飛び散り、内臓も砕けて飛び散った。
 他の根来忍法僧が笑う中、修羅坊も不敵に笑い、斃した王虎獣蔵の驚いた死に顔に唾を吐きかけ、
 「見たか、根来忍法を」
 覇王坊は静かに笑いながら、
 「先ほどのコヤツの咆哮は、仲間に対する合図だろう。さあ、散るぞ」
 全員が頷き、命令に従う時、
 「いいな、この様に集団で敵を一人づつ斃していく。若さゆえにすぐに自棄になるから斃しやすいわ」

 

 

 「獣蔵!」
 ニカワの水溜りに倒れ、身体が粉砕され、顔だけが綺麗に残っている獣蔵の死体を見て、小四郎は思わず叫び、蛍火は思わず目を逸らし、夜叉丸は呆然とし、紅雪は祈りの言葉を囁いた。
 双之助も思わずその死体に念仏を唱え、
 「むごいな」
 そういうと、同じく力柔らかい声の弟が、
 「これは、修羅坊の」
 「そして水溜りをみると、水魔坊も絡んでいる」
 一度水魔坊を斃した紅雪が言うと、夜叉丸が、近くの草花が枯れているのに気付き、
 「あれは、大蛇坊の毒の唾液だな」
 「背中に手裏剣の後。これは覇王坊」
 小四郎が叫ぶと、同時に、大鎌を地面に力強く叩きつけた。
 「集団で来たか!」
 「おそらく、な。……針鼠坊も雷神坊もいただろう」
 双之助がそう言うと、舌打ちをした。
 「しまった、我々の『眼』と『耳』を斃された」
 「双之助。こうなったらこちらも集団で行くか」
 小四郎が言うと、首を横に振りながら、
 「いや、奴等はそうなると我々を襲わず、鍔隠れの里に向かう。それを阻止せねばなるまい」
 そこまで言うと、蛍火が突然、
 「双之助どの。このまま敵が鍔隠れの里に向かうと、月ヶ瀬の奈落谷へ向かいます」
 奈落谷。
 その名前を聞くと、残る五人は、蛍火を見つめた。
 「…そうか、奈落谷か」
 「あそこは、『ぬしさま』の縄張りだな」
 小四郎、夜叉丸に続いて、双之助が、
 「そうか、蛍火が居る以上、『ぬしさま』はこちらに危害を加えぬか」
 「そこで迎え撃ちますかえ?」
 紅雪の言葉に皆が頷いた。
 小四郎は、木の幹に、鎌で暗号文字を刻み、天膳が戻ってきたときの為に、目的地を刻み込んでいく。
 伊賀者には分かるが、他の人間には理解出来ない暗号だ。
 「天膳様の為に何箇所か掘っておこう」
 双之助が、
 「よし、私が単独で奈落谷へ向かう。その左から紅雪と小四郎が距離をおいて付いてきてくれ。右側は夜叉丸と蛍火だ。くれぐれも私が単独行動しているように見せかけるのだぞ」
 「なるほど、それで敵をおびき寄せ、今度は俺達が集団で叩く!」
 夜叉丸が、右拳で左掌を叩き、不敵に笑った。
 「そうだ、数ではおそらく五対六。我々が不利だが、奇襲に徹する」
 鬼頭双之助がそう言うと、同じ口から鬼頭双次郎が、
 「いや、兄さん。僕がいるから六対六だ」
 すると、またもや双之助の口が、
 「そうだ、まだ六対六だ」
 それに対して全員が頷いた。

 

 

 鬼頭双之助が、山岳の木々の間をすり抜け、若い狼の如く、草むらをかき分け、俊敏な動きで疾走する。
 忍び装束だが、その精悍な顔立ちや、見事な太刀を腰に差している辺りは、忍者と言うよりは、武士の印象を与える。
 だが、その脚力と瞬発力は忍者だ。
 山岳の坂道を疾走し、奈落谷へと向かう。
 豪雨の後の水溜りを彼は慎重に避けた。
 敵に水を粘着力の高いニカワのようにする水魔坊がいるのである。
 それで獣蔵が殺されたのだ。
 その彼の疾走を背後から気付かれぬように付いてくる者がいた。
 雷神坊だ。
 雷神坊は『海鳴り』を使い、敵が一人いる事を知らせ、気付かれぬように付いていく。
 だが、双之助は気付いていた。
 坂道を下る足を力強く大地に踏みつけ、急旋回し、慣性の法則を無視した回転と瞬発力を見せて、雷神坊に近付いていく。
 雷神坊は驚きながらも、両手に錫状を持ち、手首で回転させて、跳躍して双之助に飛び掛った。
 「双之助!決着つけてやる!」
 双之助は懐から手裏剣を取り出し、動きが突然変わり、恐るべき跳躍を見せて、大木に飛び移り、手裏剣を投げつけた。
 「む!」
 今は双次郎に変わり、兄の武士的な動きから、忍者の動きに変わり、雷神坊も驚きながら、錫状で手裏剣を払い落とした。
 木の上から今度は二本の短剣を抜き、双次郎は投げつける。
 鉄の刃が空を切り裂き、雷神坊に襲い掛かかるが、それをも錫状で払い落とした。
 …だが、その短剣には紐が彼の手と繋がっており、払いのけた短剣が彼の右腕に絡まり、残る一本は双次郎の腕に戻ったではないか。
 中国の武器で双飛短剣と呼ばれる武器がある。
 普通の短剣だが、手首に紐を巻きつけて、敵に投げて切り裂いたり絡める武器だ。
 双次郎は、その双飛短剣の使い手であったのだ。
 「貴様!」
 雷神坊が叫ぶと、双次郎が不敵に笑い、
 「接近戦主体のあんただ、兄さんじゃなく俺が相手になってやるよ」
 その瞬間、周囲から数体の影が飛び出した。
 雷神坊は仲間が来たと確信し笑った。
 そうだ、これで奴はうろたえる。そうしたら俺の忍法、『迅雷掌』でこいつを斃すまで。
 不敵に笑いながら周囲を見た瞬間、その笑みが凍りついた。
 違う!仲間ではなく伊賀忍者達だ!
 「伊賀忍法、『三日月剣』!」
 叫んだのは紅雪だ!
 紅雪の右手手刀が振り下ろされ、銀色の衝撃波が三日月の形を取りながら、雷神坊に襲い掛かった。
 「うわわわあああ!」
 雷神坊は雄たけびをあげながら身をくねらせて、その三日月剣を躱した……が、肉体は躱せたが、左腕は間に合わず、二の腕から先が見事に吹き飛ばされ、その切断された腕から大量の血が噴出した。
 小四郎が大鎌を構えてせまってきた。
 夜叉丸が腰の鉈を抜いて構える。
 蛍火が、両手で印を結び、大量の蝶を呼び出した。
 「貴様等!」
 雷神坊が叫び、残る右手で紐を掴み、その紐を通して電流を流し、双次郎を道連れにしようと電流を流そうとした瞬間、双次郎、いや双之助が既に間合いに入り、その太刀を振り下ろした。
 これには驚く間も無く、雷神坊は右肩から左腰まで一気に袈裟斬りにされて、衣服と肌が斬り裂かれ、腕以上に大量の血を噴出し、そのまま絶命した。
 その瞬間に、根来の残る五人が周囲から現れた。
 敵を囲んで斃す先方を逆手に取られ、雷神坊が殺されたと知る前に、伊賀者達が動きだした。
 「しまった!」
 叫んだのは、覇王坊だ。
 覇王坊は両腕から円盤を飛ばし、全員に叱咤する。
 その瞬間にして、根来忍法僧達は、正気を取り戻し、一瞬にして反撃に転じた。
 だが、その瞬間に伊賀忍者達は蛍火の飛ばした無数の蝶が空間を覆い、彼等の視界を奪い、その隙に、この場から撤退していく。
 「舐めるな!」
 針鼠坊が、短髪の髪を針金に変化させ、針を飛ばしまくる。
 蝶を次々と打ち落としていくが、焼け石に水だ。
 水魔坊も近くの水溜りの水を粘着力の高い液体に変え、それを宙に飛ばして次々と蝶を絡ませて減らしていく。
 修羅坊も、砂利を手にして『雷竜弾』で落としていく。
 大蛇坊は、近くの岩の隙間に入り込み、隠れていた。
 ようやく、蝶の群が退散した後、周囲に伊賀はいなく、無残に殺された雷神坊の肢体が残されているだけであった。
 「くっそう!伊賀者め!」
 覇王坊が叫ぶ。
 だが、その背後で針鼠坊が、
 「覇王坊様。私の『針地獄』、手ごたえがありました」
 「手ごたえ?」
 「はい、敵の一人に命中したと思います」
 「ふむ、……だが、逃げれる力はあったようだ」

 

 

 紅雪は、その処女雪の様な背中の肌を晒して、苦しそうに呻いていた。
 その背後で、蛍火が軟膏薬を塗り、背中に刺さっている針を丁寧に抜いていく。
 「紅雪、大丈夫?」
 心配そうに尋ねる蛍火に、紅雪は、脂汗を額に滲ませながら、力なく笑った。
 「不覚だったわ。あんな出任せの攻撃を受けてしまうなんて」
 「でも、あまり無茶はしないで」
 蛍火は針をすべて抜き、この洞窟内で、しっかり手当てをしてやる。
 洞窟の外では、双之助、小四郎、夜叉丸の三人がいた。
 若さ故に、紅雪の白い裸を見てみたいと言う願望は、三人ともあった。
 だが、双之助は理性が、その欲望を押さえ、平然としていた。
 小四郎は、顔を真っ赤にして羞恥心が押さえ、そわそわしている。
 そして夜叉丸は、蛍火がいる事で押さえ、恋人の裸を想像して笑ってみた。
 「驚いたな、あのデブが」
 夜叉丸が悔しそうに叫び、
 「あの時、微塵斬りにしとけば、紅雪もこんな目に合わずに、ちっ!」
 悔しそうに舌打ちをした後、洞窟から蛍火が出てきた。
 「蛍火!」
 小四郎が声をかけると、深刻な顔をして、
 「血管を傷つけているから、激しい動きは出来ないわ」
 「安静か…」
 双之助の言葉に全員が首を横に振った。
 「実質俺達四人になったと見ていいな」
 「ああ、敵は、覇王坊、修羅坊、大蛇坊、水魔坊、針鼠坊の五人」
 おそらく、針鼠坊の攻撃は、無駄な攻撃ではなく、長年の歴戦の僧兵の直感であったのだろう。
 その直感が、紅雪の居場所を特定し、攻撃を成功させたのだ。
 「我々はまだ若いが、敵は熟練の忍者だという事か」
 双之助の言葉に、小四郎も頷いた。
 「だが、奴等は姫様を狙っている。それだけは防ぐ」
 小四郎の形相に、融点の低い怒りが走った。
 そのとき、洞窟から紅雪が、ゆっくりと出てきて、全員が彼女を見る。
 「紅雪、貴女の身体は奥まで傷が入っているの。『三日月剣』を使おうものなら、その負担で大量出血するわ」
 同じ女性の蛍火が、彼女をいたわると、悔しそうに、
 「…油断した私が悪かったの。…これでは姉さまに合わせる顔が無いです」
 戦えない無念に、彼女は口を歪めると、双之助が優しく、
 「だが、君は一度、水魔坊を倒し、雷神坊を斃すきっかけを作ってくれた。今は休んでくれ。君は充分戦った」
 端整で、精悍な顔を微笑させ、双之助が言うと、無言のまま黙り込み、彼女は崩れ落ち、すすり泣いた。
 伊賀忍者として、敵と戦えない事への不甲斐なさが、彼女を泣かせたのだ。
 「君の姉さん、朱絹殿も、紅雪が生き残る事を望んでいる。君はこのままじゃ戦えないし、死ぬ可能性が高い。休んでいてくれ」
 小四郎の言葉に、彼女は崩れたまま頷いた。
 彼女の姉、朱絹は、彼らにとっても姉の様な存在だ。
 三日月の様に美しく、優しい存在であり、瓜実顔の美貌は、人々に安心感を与える。
 面倒見もよく、姫様の傍で常にいるのも、彼女のその性格を信頼して、お幻様が、その姫様の侍女的な役目を与えているのだ。
 そしてもちろん、護衛の役目もである。
 美しい朱絹だが、その忍法は、摩訶不思議、超常現象を起こす驚愕の忍法であり、誰もが驚かずにはいられない。
 双之助も、小四郎も、夜叉丸も、蛍火も彼女の忍法を初めて知った時、驚愕のあまり、身体が硬直してしまったほどだ。
 その朱絹に似た妹は、黙って頷きながらも、啜り泣きを続けていた。

 

 

 雷神坊の死体を丁重に埋葬してやり、残った五人の根来忍法僧は、憤怒の顔を隠さなかった。
 「おのれ、彼奴等、我等の動きを読んでいたわ!」
 修羅坊が悔しげに怒鳴ると、大蛇坊も舌打ちをして、
 「意外と侮れぬ。我々も本気で行かねばな」
 彼等は撤退する気は全く無い。
 朧を、伊賀の姫君を汚し、奴等を殲滅させる。
 その意気込みだけは誰も変える気はないのだ。
 「だが、やはり詰めが甘かったの」
 覇王坊の言葉に残る四人は、膝まつき、頭を下げる。
 「個人個人の戦闘能力は高いが、長期戦になれば我等の方が有利と見た。徐々に追い詰めていくかえ、のうお前達?」
 「御坊の仰せのままに」
 四人が六本の手を地面に当てて平伏した。
 「儂が単独で攻めれば、『黒死疫』で、敵を殲滅出来るのだが、……これこれ、そんな不満そうな顔をするな。お前達も戦いたいのはよく分かる。火炎坊と雷神坊の仇を討ちたいのじゃろ?わかっておる。こうなったら、儂も、この…」
 円盤状の手裏剣を投げ、天空まで飛び出し、歪曲しながら何度も曲がりながら再び覇王坊の手に戻ってきた。
 「……これだけでも充分じゃろうて。儂はな」
 覇王坊は笑いながら全員に立ち上がるように命じ、
 「行くぞ、奴等を皆殺しにする」
 全員が野太い声で答え、動き出した。

 

 

 月ヶ瀬村の奥にある奈落谷。
 そこに向かって、双之助、小四郎、夜叉丸、蛍火が疾走する。
 紅雪は先ほどの洞窟で安静してもらい、我々の勝利の報告を待ってもらうことにした。
 奈落谷は、名前の様に深くはないが、かなりの奥地であり、鬱蒼とした木々と草むらの支配する魔境であり、大きな奈落淵と呼ばれる滝もある。
 とても中世の日本とは思えぬ場所であり、我々現在人の感覚で言うところの、『失われた世界(ロスト・ワールド)』と呼ぶに相応しい場所だ。
 伊賀者でも滅多に足を踏み入れない。
 ただ、蛍火だけは何度か足を踏み入れているらしく、彼女を先頭に、残る三人の男が付いていく。
 「蛍火、『ぬしさま』は、そこにいるのか?」
 夜叉丸が尋ねると、彼女は頷き、
 「『ぬしさま』は、縄張りが限られていますが、そこに住んでいます」
 「ほう、俺はその『ぬしさま』を一度見てみたかったのだが、楽しみだ」
 小四郎が呟き、双之助も笑う。
 「だが、蛍火がいないと危険だ。蛍火から離れるなよ」
 双之助が言い、四人は鬱蒼とした昼間でも暗い密林の中を走り、そして視界が広がった場所に出てきた。
 そこからは山の峰になっており、いわば盆地になった場所だ。
 スリコギ状の楕円形の盆地で、密林の北側に滝の音が聞こえ、そこが『ぬしさま』の縄張りらしい。
 彼等は南側に立ち、その半径四百メートル程の盆地を見下ろす。
 「大きいな。俺は初めて来たぜ」
 荒武者の印象を与える小四郎が呟くと、蛍火が、
 「ここは普通の人間は来ません。でも私達一族のこの『蟲使い』の忍法を習得するには、『ぬしさま』の一部が必要だったのです」
 そういうと、彼女は忍び装束の胸元に手をやり、そこにおさめているそれを押さえる。
 楕円形の北側にその一条の滝が見え、そこから密林の中を流れて、地下水脈に流れていき、近くの川に地下水脈で繋がっているらしい。
 「鳥獣、昆虫の楽園です。その楽園の最強の生物が、『ぬしさま』なのです」
 彼女の説明に、他の三人の男も頷いた。
 「行くぞ、ここが最終決戦場だ」
 双之助が言うと、夜叉丸が、吐き捨てるように笑い、
 「針鼠坊!次は微塵切りにしてやる!」
 拳同士を叩き、女の黒髪を紡ぎ、獣脂を染み込ませた黒紐を手甲に巻きながら、用意を整える。
 「紀州の獣達は?」
 双之助の問いに、小四郎がニヤリと笑い、
 「ああ、追跡してきている。もうすぐ来るだろう」
 その言葉と同時に四人は反転し、双之助は双次郎の意識に変え、手裏剣を手にした。
 小四郎も大鎌を抜き、夜叉丸も、両腕の黒紐を飛ばして周囲で回転させる。
 蛍火も印を結び、奈落谷から、周囲から蝶の大群が集まってきた。
 その瞬間、四人の前の森林から、山伏姿の五人が疾風の如く現れた。
 「針鼠坊!」
 叫んだのは夜叉丸だ。
 「修羅坊!」
 そう叫んだのは双次郎だが、声は双之助だ。
 周囲に蝶の大群の群が周囲の視界を奪い、燐粉が周囲に飛びかった。
 その中、覇王坊の円盤が蝶を切り裂きながら小四郎に襲い掛かった。
 小四郎は慌てることなく、口先を尖らせ、口笛の音を響かせた。
 その瞬間、彼を狙ってきた円盤は砕け散り、それと同時に小四郎は跳躍した。
 その横で、針鼠坊が短髪を針金に変え、夜叉丸に飛ばす。
 蝶の群が視界を邪魔し、数十の蝶を刺し落としたが、伊賀の若者の中でも、敏捷性と運動神経では上位の夜叉丸だ。
 それに恋人の蛍火の操る蝶がその動きで針鼠坊や他の根来忍法僧達の位置を教えてくれる。
 彼は跳躍と同時に枝に飛び移り、そこで回転してから再び急降下して、地面に蜘蛛のように腹ばいになって着地し、地面すれすれに黒紐を薙ぎ払った。
 それが針鼠坊だけでなく、大蛇坊にも届き、針鼠坊は軽く跳躍して躱し、大蛇坊は後方に飛んだ。
 「そこか!」
 大蛇坊が叫び、口に溜めた毒の唾液を夜叉丸のいる蝶の群に向かって飛ばした。
 その猛毒の唾液は蝶を次々と打ち落とし、夜叉丸に迫る。
 夜叉丸はそれを黒紐を目の前で回転させて弾き返した……が、それはとんだ誤算であった。
 なんと唾液は、その黒紐を溶かして、根元から失ったのだ!
 「何!」
 「俺の毒は、生物組織を溶かす毒だ!」
 大蛇坊が叫び、夜叉丸にに接近し、その小さい顔の鋭い眼光を向け、再び毒の唾液を飛ばしてきた。
 夜叉丸は今度は横に飛び、紐を失った左手で腰の鉈を抜き、大蛇坊に投げつける。
 大蛇坊は、突如として首から下の身体が細長く伸び、『蛇身化』を起こし、身体を歪曲させて躱し、気配と音を殺しながら岩場に潜む。
 「くっ!」
 その彼等の傍で、小四郎が水魔坊と戦っていた。
 水魔坊の左腕には、粘土と化した水が盾となり、小四郎の大鎌を受け止め、水の柔軟性と粘土の柔らかさがその打撃を和らげて無効にしていく。
 激しい動きを見せる小四郎に対し、水魔坊は落ち着いた無駄のない動きで回避して、時に右腕に持った槍で突きを入れてくる。
 小四郎は巧みに躱し、夜叉丸に負けずとも劣らぬ運動神経を見せて相手の背後を取った!
 だが、その瞬間、今度は自分の背後に覇王坊がやってきて、錫状で攻撃してくるのだ。
 小四郎は巧みに跳躍して躱し、驚異的な跳躍力が、そのジャンプが頂点に達した時、口先を尖らせ大きく息を吸い込み、『息吸の旋風』を二人の間に放った。
 水魔坊は、覇王坊は横に飛び、二人のいた場所の地面が小四郎の忍法で、カマイタチ現象が起きて、炸裂して土が飛び散った。
 「こやつの忍法!凄まじい!」
 さすがの覇王坊も口惜しいと思いながらもそう呟き、予備の円盤を取り出し、小四郎に投げず、小四郎の横に向かって投げつけた。
 だが、円盤はそのまま大きく弧を描きながら、木々を巧みに避けて小四郎の背後に襲い掛かる。
 小四郎はそれを察知し、大鎌でそれを弾き返した。
 弾き返された円盤は失速したが、それでも弱々しくも高度を上げて、覇王坊の手に戻った。
 その死闘の中、蛍火はひたすら印を結び、蝶を操りながら次に雀蜂を呼び出そうとした時に、近くの岩の間から人間の顔が出てきたのに驚きながらも、後方に飛んだ。
 彼女のいた場所に、その顔から放たれた猛毒の唾液が地面の草にかかり、草を見る見る枯らせていく。
 その大蛇坊に向かって蛍火は両手を前に出し、その裾から二匹の毒蛇が飛び出し、大蛇坊に襲い掛かった。
 大蛇坊はそれに対して猛毒の唾液を拡散させて口から放ち、二匹の毒蛇に命中させて、その猛毒を喰らった毒蛇が地面に墜落し、激しく身をくねらせて断末魔の踊りを見せた。
 その瞬間に、蛍火は姿勢を変えずに跳躍し、近くの木に飛び移り、そこから印を結び、蟻を操ろうとしたとき、彼女の背後に針鼠坊が襲い掛かり、六尺棒を彼女の背中に突き刺そうとした。
 「!」
 蛍火は驚き、回避出来ないと悟った。
 回避出来ないと悟ったが、それ以上に必ず助かるという確信があった。
 その確信が現れた。
 夜叉丸だ。
 夜叉丸が二人の間に入り、鉈で六尺棒を弾き返し、針鼠坊に一蹴を入れた。
 それを針鼠坊は受け流し、至近距離から短髪を針金に変えて飛ばす『針地獄』を夜叉丸に放った。
 …だが、放った瞬間に彼の肉体は急激に地面に叩きつけられた。
 それは、夜叉丸の体当たりであり、美丈夫な少年と、肥満力の壮年が地面に叩き落された後、再びすぐに体勢を立て直し、六尺棒を、鉈を構えた。
 その瞬間であった。蛍火の悲鳴がこの森に響いた。
 小四郎も双之助もその声に反応したが、一番反応したのは夜叉丸だ。
 彼は思わず声をした方向へ振り向くと、『蛇身化』した大蛇坊の細長い足のくねりの尻尾が、彼女の身体に鞭の様に叩きつけられ、奈落谷へ転がるように落ちていくではないか。
 「蛍火!!」
 夜叉丸は叫び、疾風迅雷の動きで、蛍火に向かって飛んだ!
 「待て!」
 針鼠坊が、夜叉丸を追いかけるが、疾さは夜叉丸だ。 
 夜叉丸は奈落谷に向かって飛び、残る一本の黒紐で無残に転がっていく蛍火の肢体に絡め、自分のほうに引き寄せながら坂道に着地し、その勢いで下っていく。
 恋人を絡めた黒紐は、埃まみれの彼女を夜叉丸の腕に引き寄せ、彼女を片腕で抱きしめてから再び黒紐を木の枝に絡めて振り子運動を利用して、一気に飛ぼうとした瞬間、黒紐が、大蛇坊の放った毒液で再び命中し、途中から切れたのだ!
 「しまった!」
 恋人を両腕で抱きしめ、彼女を守るようにして奈落谷の奥へと落ちていく夜叉丸。
 「よし、奴の武器は奪ったぞ!追え!大蛇坊、水魔坊!」
 覇王坊の叫びに、大蛇坊が坂を『蛇身化』したまま転がり落ちていくが、それはまさに蛇の動きだ。
 巧みに大木や岩を躱し、二人を追う。
 水魔坊も、『水粘土』で固めた水の板に乗り、その坂道を全身でバランスを取りながら降りていく。
 その姿は現在社会で言う、スノーボードの様だ。
 「夜叉丸!蛍火!」
 双之助が叫ぶと同時に、小四郎が怪鳥の如く飛び、奈落谷に向かって急降下していく。
 それを見て双之助も双次郎に意識を変え、小四郎に続いて飛んだ。
 「何!」
 躊躇無く仲間の後を追う二人に覇王坊は驚き、針鼠坊、修羅坊も驚く。
 「覇王坊様!」
 修羅坊が叫ぶなり、彼も木々に捕まりながら次々と奈落谷へ降りて行き、それを見て針鼠坊は覇王坊と目を合わせ、同時に頷いた。
 「根来忍法、『風車返し』!」
 針鼠坊が力士の様な肥満力の肉体の四肢を広げ、背中を上空に向け水平に飛ぶと、彼の身体は風車の様に回転し、奈落谷に向かって紙飛行機の様にゆっくりと風に乗って飛びだした。
 そして覇王坊は、その背中の上に飛び乗り、風車のように回る上に乗りながら、奈落谷へと向かった。

 

 

 黒縄の紐を失った夜叉丸は、坂道を疾走しながら蛍火を抱きしめて、舌打ちをした。
 「くっそう!俺は後は身体能力で勝負か!」
 自信はあるが、敵は奇怪なる根来忍法僧だ。
 気を失った恋人を抱きしめ、彼は一気に崖を駆け下りていく。
 武器を失った夜叉丸のショックは相当なものであったが、今は蛍火を守る事が優先だ。
 「心配するな、忍法が使えなくても、俺は……必ずお前を守る!」

 

( 続く )