伊賀忍法伝

賀の章


 

 この伊賀と柳生の国境の天気が崩れ始めた。
 青天の空が徐々に曇りだし、雨雲が西の空から徐々に覆いつくしていく。
 この深い森、渓谷、山に太陽の光が閉ざされていき、四人の根来忍法僧達は足を止め、渓谷の岩場で休止した。
 近くの渓流は、意外と深く流れも早いが、その傍でその四人が周囲を見渡す。
 修羅坊、水魔坊、針鼠坊、雷神坊の四人は、竹筒の水筒で水を飲み、水を補給していく。
 その四人の法螺貝が、彼等の体を通じて大蛇坊からの連絡が入った。

 『大蛇坊、敵を一人討ち取ったり』

 四人は哄笑し、頷きあう。
 次に覇王坊から連絡が入る。

 『覇王坊、薬師寺天膳を討ち取ったが、敵の地下道に迷い込む。脱出するのに時間はかかるが、貴様達は復讐を遂行せよ』

 その言葉に、小柄な肥満力の針鼠坊が呟いた。
 「薬師寺天膳。噂ほどの奴ではなかったようだな」
 「たわけ、覇王坊様が偉大なだけだ」
 四人の中では一番地味な印象だが、どうやら覇王坊が居ない間は、指揮を取っている、副官のような修羅坊が呟く。
 「だが、薬師寺天膳がこの近くにいたと言うことは、まだ伊賀者が潜んでいる可能性があるな」
 逞しい巌の様な身体をした雷神坊が呟くと、修羅坊は頷き、
 「うむ、伊賀の重鎮がこのような場所。しかも、覇王坊様が『敵の地下道』と言った様に、此処は伊賀の訓練所の近くの可能性が高いと見ていいだろう」
 すると四肢が長いというより、異様に長い水魔坊も、
 「修羅坊、此処は火炎坊と大蛇坊が合流するまで待機するか?」
 「確かに、ここは慎重に行くべきだな、『海鳴り』で二人に待ち合わせの場所を決めておくとしよう」

 

 

 筑摩小四郎は、怪鳥の様に空を疾走し、風の様に森をすり抜けていく。
 伊賀の若い忍者達の中でも、敏捷性においては、夜叉丸と並ぶ程の身軽な彼だ。
 彼は現在、修羅坊達の場所より北の方向を仲間のほうへ向かって走っていた。
 そこで彼は口に指を当て、小鳥の鳴き声を出した。
 それは甲高く響き渡る雲雀の鳴き声だ。
 巧みな上手さに、修羅坊達は、雲雀がいるのかと口に出さずに四人がそれぞれ思っただけであったし、大蛇坊と火炎坊も仲間の下へ走りながら、雲雀の鳴き声に聞いていたが、山に入ってからさまざまな鳥獣の泣き声を聞いているので、何の不審も感じず、自然に聞き流していたのだ。
 ……だが、この泣き声は伊賀者が聞けば分かる。
 集合場所の位置を知らせる合図なのだ。そして警戒せよとの合図でもある。

 

 

 根来忍法僧達が合流した時、六人は軽い食事に入ったのだが、小四郎は仲間達の下に合流し、彼等から(今の換算法でいう八キロメートル)二里離れた、深い森の中に建てられた小屋で六人が集結した。
 小四郎が入った時には、まずは双之助が入っていた。
 小四郎とほぼ同時に紅雪がやってきて、王虎獣蔵が続き、それからしばらくして、夜叉丸と蛍火が入ってきた。
 狭い五坪ほどの小屋だが、囲炉裏や水瓶は用意され、休む事は出来る。
 だが、六人が入るとさすがに狭い。
 荒武者の様な若者は、小さいが迫力のある声で、
 「土蛇が殺された」
 そう呟くと、仲間達は、少しの驚きの顔を見せるが直ぐに冷静な表情に戻った。
 親を殺されても感情は殺さなくてはならない忍者だ。だが、今まで同じ訓練を生き残った仲間に対する想いは、やはり特別なものがあったのだろう。
 その感情を察し、
 「すまない。天膳様や俺がいながら」
 「小四郎。忍者は倒された奴が悪い。…土蛇が悪いのだ」
 一人武士の様な風格を漂わせる双之助が、唇をかみ締めながら呟くと、
 「……敵は七人。根来忍法僧だ」
 小四郎が呟くと、獣蔵と夜叉丸は、口元を緩ませて笑う。
 「敵に不足はないな」
 「ああ、……だが、土蛇を倒した奴等。……油断は出来ぬ」
 最初にあっさりと言ったのが夜叉丸で、次に獣蔵が答えた。
 小四郎は表皮に刻まれた彼等の名前を口にした。
 「覇王坊、修羅坊、大蛇坊、水魔坊、火炎坊、雷神坊、針鼠坊。敵の名前だ。よく覚えておいてくれ」
 全員が頷く中、紅雪が、
 「小四郎さま、天膳さまは?」
 その言葉に、全員が苦笑しながら、小四郎が代弁する。
 「紅雪。天膳様が危険だとでも?」
 「い、いえ、天膳さまがおられないから、気になりまして」
 「大丈夫だ。天膳様は名前に刻まれていなかったが、空牙坊と呼ばれる老人と戦っていた。天膳様なら倒している」
 希望ではなく、そう信じている小四郎であった。
 「まて、小四郎。空牙坊とは、その七人の内の誰かではないか?」
 突然鬼頭双之助がそういうと、彼は続けて、
 「敵がそんな宣戦布告をしたところを見ると、本当に七人だと思う。それに根来の者達は、名前が変わったりするそうだ」
 「…なるほど、敵は七人の可能性があると?」
 「ああ、だが、念の為に八人と仮定して対策を練ろうか」
 双之助が、冷静に判断しながら言うが、外を見ていた蛍火が、突然呟いた。
 「蝶の群れが動きました。……敵の位置が分かりました。渓谷を通ってきます」
 それを聞くと、小四郎は頷き、奇襲をかけようと呟いた。
 するとだ。双之助の声が柔らかい声にまたもや変わったではないか。
 「なるほど、川を通れば、およその道は分かるからね」
 「そうだ、で、何か良い考えでも、双次郎?」
 双次郎と呼ばれると、その優しい声が、
 「渓谷の下は夜には良いが、昼間は通るものじゃない」
 夜叉丸と小四郎が、同時に自分の胸の前で手を叩き、気合を入れ始める。
 王虎獣蔵も、口から唸り声を小さく出して、動き出す。
 紅雪も、小刀を腰に差し、蛍火も両手を床に差し出すと、二匹の毒蛇が彼女のそれぞれの腕に巻きつきながら彼女を護衛するように巻きつく。
 それを見て、鬼頭双之助が、頼もしい笑みを浮かべる。
 「よし、迎え撃つぞ。我々は今のところ六人で、経験不足だが、それでも地の利は我々にある。それに、攻撃力は高い!行くぞ!」
 その言葉と同時に六人は小屋から飛び出し、一斉に動き出した。

 

 

 六人の根来忍法僧達は、渓谷の砂地の道を走り、伊賀へと走っている。
 六人は息が乱れず、頭の位置も動かずに、疾走し、鍔隠れの里へ向かう。
 川沿いの道を進み、川の両側は崖となり、川は深い渓谷を流れている。
 この道を選んだ理由は、たとえ忍者といえども、隠れ里や住む場所は川の近くにあるものだ。
 川沿いを進み、伊賀の隠れ里へ向かう計画なのだ。
 それに水魔坊もいる。彼が活躍するには、水の近くのほうが有利なのだ。
 その六人が人知を超えた疾走を見せるのだが、その渓谷の上で、小四郎がいた。
 小四郎は彼等を確認すると、口先を尖らせ、息を吸い込み、カマイタチを発生させる。
 そのカマイタチを発生させた場所は、向かいの崖の岩場である。
 岩が砕け、崖崩れを起こし、六人の根来僧達に襲い掛かる。
 さすがのこれには六人も驚き、一斉に飛び散った。
 小四郎の傍に、蛍火がいた。
 無表情のまま可憐な顔を飛び散った彼らに向け、両手で印を結ぶ。
 すると、暫くしてから空から篭った音が響き渡り、この空間に、恐るべき昆虫の群が集結してきた。
 渓谷の下では、全員がこの崖崩れの非常事態を回避し、立ち止まった。
 「修羅坊! あの上に二人誰かいるぞ!」
 肥満力の肉体をした針鼠坊が叫んだ瞬間、六人の耳に不気味な羽音が数千、数万と、こもって聞こえてきた。
 「何だ?」
 周囲を見渡し、両腕の太い雷神坊が叫ぶと、その正体は周囲を覆い尽くして集結して来た大軍、…雀蜂であった!
 あの猛毒を持つ雀蜂が、数千、数万の大群となって現れ六人を囲んでいるではないか!
 この周辺の雀蜂が押し寄せてきたのだが、何故集まってきたのか?
 蛍火だ!
 あの小柄で可憐な美少女は、蟲や爬虫類を、印を結ぶ事によって操るのだ!
 土蛇に仕掛けた蟻の大群で襲わせるのも、この様に雀蜂の大群を呼び寄せるのも、彼女にはたやすい事なのだ。
 その気になれば、秋に敵の陣地に忍び込み、敵の穀倉地帯にイナゴやバッタの大群を呼び寄せて、穀物の収穫に大打撃を与える事も可能なのだ!
 これはもはや忍法と言うよりは、魔性の技に近い。
 その魔性の技が、敵に襲い掛かった!
 「舐めるな!」
 火炎坊であった。
 腰に差してあった松明を抜き、火打石で一気に油を染み込ませた布地に火を付け、仲間を自分の周囲に集結させて叫んだ。
 「根来忍法、『火炎卍』!」
 瞬間、松明の炎が激しく螺旋回転し、根来僧達の周囲を囲み、炎の壁を作り上げていく。
 その瞬間近付いてきた雀蜂達は一気に焼き尽くされていく。
 「ふ、やるな。そうでなくては、面白くない」
 何時の間にか鬼頭双之助が、蛍火の横で呟いた。
 蛍火も印を解き、双之助を見る。
 「蛍火よ、援護を頼む!残りは一気に仕掛けるぞ!」
 その瞬間、蛍火を除く若い五人の伊賀忍者達が、渓谷に飛び降りた。
 この瞬間、数種類の忍法が炸裂し、周囲を大混乱に落としいれ、局地的な天変地異を起こしたのだが、その中から、二つの影が飛び出した。
 夜叉丸と針鼠坊だ!
 二つの影は渓谷から崖の上まで一気に飛び、森の中へと入っていく。
 肥満だが、弾力のある力強い肉体の針鼠坊は、ゴムマリの様に跳躍させ、素早く移動していく。
 その後を、青春美の結晶とも言うべき美少年が、獲物を追う狼の如く、不敵な笑みを浮べ、追いかけていく。
 突然、針鼠坊が急旋回し、夜叉丸に向かい鉄の六尺棒を振りかざした。
 夜叉丸はそれを躱し、腰に差していた山刀を抜き、彼に投げつける。
 それを六尺棒で弾き返し、頭を彼に向けた。
 「喰らえ、この針鼠坊の根来忍法、『針地獄』!」
 その瞬間、彼の短い髪の毛が、一気に飛び散り、夜叉丸に襲い掛かった!
 「何!」
 夜叉丸はそれを木陰に隠れて躱したが、髪の毛はその隠れた木に突き刺さり、木をぼろぼろに砕いて破壊したではないか!

 現在の社会に『短針銃(ニードル・ガン)』なる武器が存在する。
 拳銃だが、発射すると、数千の極小の針が飛び出し、標的を砕く恐るべき武器である。

 針鼠坊は、短い髪が抜けると針金の様に硬くなり、数千の針となり敵を襲うのだ。
 それはまさに生きた短針銃! 自らの髪の毛を武器とした恐るべき忍者だ!
 「ち、髪の毛が武器なのはお前だけじゃない!」
 夜叉丸の右手の細い黒縄が上空に飛び、枝に絡まり、夜叉丸はそのまま飛んだ!
 元々跳躍力の優れた少年だ。それとこの黒縄を使って忍者の目からしても驚異的な跳躍を見せ、一気に二〇mは、上空に飛んだのだ。
 「何!」
 今度は左腕の甲に巻き付けた黒縄が違う木に巻きつき、今度はそちらへ跳躍し、反転し、地面に着地し、両手を振るった。
 すると二本の細い黒縄は地面の埃を巻き上げ、針鼠坊に襲い掛かった!
 「くっ!」
 針鼠坊は、飛んで回避したが、その黒縄は彼の背後にあった岩に絡みつき、その岩を見事に切断して、夜叉丸の手に戻ったではないか!
 「どうだ、俺の『黒縄の紐』は?」
 凶暴な笑みを浮べ、その細い縄を操る。
 夜叉丸の忍法がこの縄だ。
 縄と呼ぶには細すぎる。紐と呼ぶほどのものだが、その軽さにかかわらず、素早く動き、相手を絡めたり、薙ぎ倒したり、切断もする!
 それだけではない。移動や跳躍の手助けもする、まさしく夜叉丸の為の忍法だ。
 女の髪を独自に結い、繋ぎ、獣油を染み込ませた紐であり、見た目の細さや弱さとは反比例して、丈夫で、切れない。敵を切断し、岩をも切り裂くのだ。
 二人は間合いを取り再び平行に疾走した。
 針鼠坊の『針地獄』が再び、夜叉丸に襲い掛かるが、夜叉丸は身を低めて躱し、黒紐を低空で飛ばして、近くの大木に絡めて、地面近くを飛びながら回転し、針鼠坊の背後に回る。
 針鼠坊もそれに反応し、ゴム鞠のような弾力のある肉体を弾ませ、この森の中を器用に疾走していく。
 巧みに木々の間を抜け、枝を躱し、跳躍し、木の枝に捕まり反転して向きを変え、黒紐を使い振り子運動を繰り返しせまって来る夜叉丸を見上げ、再び髪の毛を針金に変え、飛ばした。
 夜叉丸はそれを予測しており、黒紐を枝からはずし、地面に急降下し、大地を蹴って再び跳躍し、針鼠坊に接近する。
 「小僧!」
 針鼠坊が鉄の六尺棒を構えて、夜叉丸に向かって跳躍し、二人は空中で六尺棒と、黒紐を重ねた。
 二人が地面に着地したと同時に、夜叉丸は彼に振り向き、両手の黒紐を振り回し、二つの高速回転している黒紐を巧みに操り、近付いていく。
 その高速回転の紐が、鋭い刃となり、草を!木を!樹を切り落としていき、針鼠坊にせまる!
針鼠坊はそれを六尺棒で弾き返した。
 ……弾き返したのだが、信じられぬ事に、鉄で出来た六尺棒がまるで大根の様に切断されたではないか!
 「何!」
 その驚いた瞬間、その黒紐が針鼠坊の胴体に絡みついた。
 「くっ!」
 針鼠坊は慌てて針金の髪を飛ばすが、残る片方の黒紐が夜叉丸の前で高速回転し、飛んできた全ての針金の髪を叩き落した。
 そして夜叉丸は勝利を確信し、端正な口元の両端を釣り上げて笑った。
 「針鼠坊とか言ったな。我が黒縄の地獄に落ちよ!」
 夜叉丸の右手が動いた瞬間、針鼠坊の胴体に絡みついた黒紐が針鼠坊の、肉を、内臓を、そして骨を断ち切り、上半身と下半身が切断され、その切断された胴体から大量の血と、内臓が飛び散り、針鼠坊は悲鳴を出す暇も無く、絶命した!
 夜叉丸は両手を前に伸ばすと、螺旋回転をしながら、黒紐は夜叉丸の両手甲に巻きついて戻る。
 「まずは、針鼠坊を倒したぞ!」
 美少年は、笑みを止め、恋人の蛍火を想った。
 「無事でいてくれよ、蛍火!」
 夜叉丸は、疾風の如き脚力を見せ、仲間の下へと急いで走った。

 

 

 無残な死体を晒した針鼠坊。
 大量の血が流れ、臓器も飛び散っているのだが、その無残な骸の元に、小柄な山伏がやってきた。
 口が耳元まで裂けた忍者、火炎坊であった。
 火炎坊は、その切断された骸を見て安堵の息を漏らした。
 「大丈夫だ。これなら」
 火炎坊のただでさえ裂けた口が更に裂けて笑った。

 

 

 紅雪は川の流れに沿って、跳躍を繰り返し、岩の上を飛びながら疾走する。
 その彼女の背後からなんと水の上をすべるようにして全身でバランスを取りながら、彼女にせまりくる山伏がいた。
 水魔坊だ。
 総髪の髪、四肢の異様に長い山伏は、不敵に笑いながら、川の上を滑っていく。
 まるで現在社会で言えば、サーフィンに乗っているような姿だ。
 しなやかな肢体を、忍び装束で包んだくノ一は、その姿に驚きながらも、跳躍と同時に肢体を反転させ、手裏剣を投げつける。
 「根来忍法、『水粘土』!」
 水魔坊は叫ぶと同時に腕を川につけると同時にその掌を手裏剣にかざした。
 するとどうだ! その手に水が張り付き、楕円形の盾となり、手裏剣を受け止めたではないか!
 手裏剣はその水にあたると同時に威力が水に吸収され、動きが止まった。
 「どうだ、俺の脂汗は、水に触れると、その水を粘土のようにする! これが俺の忍法だ!」
 水魔坊は冷笑し、水の上を更に滑りながら一気に間合いを詰めてくる。
 すると紅雪は、川から離れ、砂地の岸に着地し、再び手裏剣を投げ飛ばす。
 「笑止!」
 水魔坊は両手で大きな水の粘土で大盾を作り全てを受け止めた。
 「くらえ!」
 その水粘土を爆発させ、大粒の塊が彼女に襲い掛かる。
 「うっ!」
 紅雪が、全てを躱そうと体術を駆使して動いたが、ひとつの塊が彼女の左腕に命中し、その勢いで左腕が近くの岩に叩きつけられ、そこで水粘土は粘着力の高いノリの如く、彼女の左腕を押さえつけた。
 紅雪は驚き、岩に張り付いた腕を外そうとするが、中々外れない。
 「見たか、この俺の忍法を!」
 水魔坊は勝利を確信し、腰に下げてあった短槍を抜き、構えた。
 その瞬間、紅雪は残る右手で手裏剣を持ち、天高くかざし、一気に振り下ろした。
 「往生際が悪いぜ!」
 水魔坊は笑いながら水粘土で目の前に大きな盾を作った。
 ……だが、手裏剣は騙しであり、その右手を振り下ろす事が彼女の目的だった。
 「忍法、『三日月剣』!」
 その手刀の形から一気に振り下ろされると、その振り下ろした孤月の形の銀色の衝撃波となり、水魔坊に襲い掛かった。
 その銀色の三日月の衝撃波は、水魔坊の身体をすり抜けて通り過ぎた瞬間、彼の水粘土が縦に真っ二つに切り裂かれ、そして彼の肉体も、頭から股間まで真っ二つに切り裂かれて左右対称に倒れていった。
 これが、紅雪の忍法であった。
 彼女は常に手裏剣を投げつけ、敵を欺き、手裏剣を投げると思わして、この忍法を放つのだ!
 手刀を素早く振り、衝撃波を起こし、敵を切り裂く!
 伊賀忍法でも、特にくノ一が好んで使う、特殊忍法であった。
 紅雪は、安堵の溜息を吐き、張り付いた左手を何とか引き抜き、布で洗いながら、切り裂いた敵を見ながら、この場を離れていく。
 「たぶん、この男は水魔坊ね。まずは一人」
 彼女は、そのまま仲間を探しに行く。

 

 

 その無残な死体の元に、山伏姿の男が現れた。
 力士の様な肥満だが、弾力と怪力そうな肉体をした男。
 これを見たら、夜叉丸は驚きを隠せないであろう。
 そう、その男は針鼠坊!
 斬られた胴体は、普通に繋がっており、仲間の肢体を見つけ、『海鳴り』を使って仲間を呼ぶ。
 すると、火炎坊がすぐにやってきて、右手から白い針を取り出し、懐から、縮れた糸を取り出したではないか。
 「伊賀者、やりおるわ」
 「…うむ、火炎坊。お前が居てくれて助かる」
 死んだはずの針鼠坊が呟くと、火炎坊は笑い、水魔坊の切断された身体に臓器や脳味噌を戻し、身体を重ね合わせた。

 

 

 暫くすると、水魔坊は、五体満足のまま動きだし、行動を開始した。
 恐るべき事に、死んだ二人が生き返ったのだ!
 火炎坊が、何かをしたのだろう?
 だとすると火炎坊は、生き返らせる事が出来る忍法の持ち主なのだろうか?

 

 

 修羅坊と鬼頭双之助は、この渓谷をつなぐ吊橋の上で戦っていた。
 安定性の悪い吊橋が、二人の激しい動きにゆれているが、二人は全く気にせず、忍者刀と太刀を交わしあった。
 忍者は機能性と動きやすさを考えて、武士の使う刀より、短めの忍者刀を使うのが普通だが、鬼頭双之助は、普通の太刀を好むようだ。
 忍び装束を着込んでいても、その逞しい肉体と、端正な顔は、忍者と言うよりは、若い武士と言う印象を与える。
 修羅坊は、地味な顔立ちだが、笑みや時たま光る鋭い眼光が只者ではない印象を与える男だ。
 その二人は、吊橋の上で、剣戟を交え、間合いを取りながら、一度距離を置き、双之助は八双の構えを取り、修羅坊は下段で突きの構えを取る。
 「どうした、伊賀の小僧? 忍法は使わないのか?」
 修羅坊の挑発に、双之助は、静かに口元を笑わせて、
 「必要とあらば使うが、今は必要ない。紀州の老いぼれ猿め、お前こそ使ったらどうだ? 根来の猿芝居程度の忍法を?」
 双之助も負けずに挑発する。
 揺れる吊橋の上で間合いを詰めながら、突きの体勢のまま修羅坊は笑った。
 「小僧、たいした剣術だ。おそらく武士に生まれていれば、新免武蔵や、柳生宗矩、塚原卜伝と同じように、名の知られた剣客になっていたであろう」
 「褒めるな。頬が赤くなる」
 双之助が八双の構えから上段に構え、一気に斬りかかる体勢を整えた。
 「だが、忍者に生まれたのが運の付き!」
 刹那! 修羅坊の姿が消えた。
 だが、双之助は慌てずに笑ったではないか。
 その瞬間に再び吊橋の裏側で激しい金属音が響く。
 「やはり、吊橋の裏に回ったか」
 そう、確かに修羅坊は、吊橋の裏に回り、そこから彼の背後に立とうとしたのだ。
 だが、その吊橋の裏には、屈強な肉体の若者がいた。
 太い腕と足で、吊橋にぶら下がりながら、王虎獣蔵が待機しており、熊の様な一撃を誇る腕で、彼に殴りかかり、彼の手甲と修羅坊の剣がぶつかったのだ。
 二人はそのまま吊橋から飛び降り、下の川原に着地した。
 二人が向き合い、獣蔵が身を低くし、猫が獲物を襲うときの様な低姿勢からの跳躍体勢を見せると、その動きはまさしく猫の様に素早く来るであろうと、修羅坊は見抜き、突きの構えを取った。
 その時に、彼の背後に双之助が降り立ち、剣を構えた。
 「背後をとったぞ」
 微笑する双之助に、獣の様に歯をむき出しにして威嚇する獣蔵。
 「二人…か」
 「卑怯とは言わせないぞ。忍者には卑怯は褒め言葉だ」
 獣蔵が呟き、身を丸くして、バネの様に跳躍する姿勢を整えた。
 そのとき、空から襲撃者が現れた。
 入道頭の逞しい腕をした山伏姿の男、雷神坊だ。
 「修羅坊!」
 「雷神坊か!」
 修羅坊は飛び上がり、二人が空中でお互いの両足を重ね、そこから一気に蹴り、お互いをジャンプ台にして、雷神坊は獣蔵に、修羅坊は双之助に襲い掛かった。
 いきなりの変幻自在の動きに二人は度肝を抜かれたが、獣蔵は、両手の指から獣の様な鉤爪を出し、反撃を開始した。
 その強烈な野獣の鉤爪に、雷神坊は驚きながらも掌打を宛がう。
 「伊賀忍法、『獣爪』」
 「根来忍法、『迅雷掌』!」
 二人がぶつかり合った。激しい閃光が獣蔵を包み、彼は野獣の様な咆哮をあげて、地面にもんどりをうって倒れていった。
 だが、雷神坊も、胸を熊の腕でやられたように肉がえぐられ、血を噴出し、倒れるのをこらえた。
 一撃を交し合い、間合いを取った修羅坊と双之助が同時に味方を気にする。
 「雷神坊!」
 「獣蔵!」
 獣蔵の肉体から焦げ臭い匂いが漂っている。
 焼けたような匂いだ。
 雷神坊は立ち上がり、激痛に堪えながら、苦笑する。
 「見たか、これぞ、『迅雷掌』。俺は身体から雷を放てるのだ」

 世の中には強力な電流を体内から放つ動物が存在する。
 デンキウナギだ。
 人間の体内にも微弱だが電流を放っている。だが、上記した魚は、その細胞をつなぎ合わせ、強力な電流を蓄積し、放つのだ。
 デンキウナギは、そうやって近付く獲物を感電死させて獲物を捕まえる。
 つまり、雷神坊は、独自の修行方法で、デンキウナギの様に、微弱な電流をつなぎ合わせて強力な電撃を放てるようになったのか?
 それは彼だけしか知らない事だ。

 「これはいかん!」
 修羅坊は叫び、同時に煙幕を投げつけた。
 双之助は横に飛び、煙幕を躱し、敵の気配が消えていくのを感じる。
 「仲間を助けるのを優先したな」
 双之助はそう思いながら、煙幕が晴れるまで、岩場にかくれ、煙幕が切れた後、周囲を確認し、敵が居なくなったのを確信してから、焦げ付いた匂いのする獣蔵に近付いた。
 「獣蔵!」
 彼は、獣蔵の身を起こし、頬を叩くと、獣蔵は咳き込み、口から煙を吐き出し、不敵に笑った。
 「…俺じゃなければ、死んでいた」
 双之助は微笑し、味方の生存に安堵した。
 「恐ろしい忍法だな」
 「ああ、……『迅雷掌』と言う名前から……掌からじゃないと……威力は無いみたいだ……」
 獣蔵の一言に、双之助の口から、柔らかい声が漏れた。
 「兄さん。あいつが来たら僕なら倒せる。兄さんじゃ無理だ」
 すると、再び同じ口から、低いが聞き取れる静かな声で、
 「ああ、そうだな、双次郎。そのときは頼む」
 その後、獣蔵が、狼の様な遠吠えを放った。
 これは仲間を集める合図だ。
 その場所や時間を、彼等は近くの滝の裏側の洞窟に選び、その合図を送った。
 だが、敵もどうやら、『海鳴り』で、どこかの場所に集結する連絡を取り合っていた。

 

 

 雷神坊の抉られた胸に、白い針と、黒い縮れた糸で紡ぎ、彼の肉体は恐るべき勢いで治癒していき、完治する。
 その針を操るは、火炎坊であった。
 この白い針は、女の恥骨を削ったもので、その縮れた糸も、女の股間の毛である。
 この二つを使い、切断された肉体をつなげ、元に戻したりする事を可能にする忍法が、根来に存在する。
 風魔にもあるようだが、確実性は根来のようだ。
 忍法『毀れ甕』。
 火炎坊は、この忍法も使える忍法僧であった。
 彼は、抉られた雷神坊の胸だけではなく、切断され、死んだはずの針鼠坊と水魔坊もこれで復活させたのだ。
 だが、時間指定があり、ある時間を過ぎると、元に戻せなくなり、復活も出来なくなる。
 これは、時間との勝負の忍法であった。
 「意外と奴等はやるな」
 近くの竹薮の中で、六人の根来忍法僧は集まり、作戦を立て直していた。
 「覇王坊様も、まだ洞窟から出られない模様だ。どうする、修羅坊?」
 修羅坊は、火炎坊に尋ねられ少し考えながら、
 「敵はまだ火炎坊の『毀れ甕』の存在を知らないゆえ、奴等は水魔坊も針鼠坊も死んでいて、雷神坊も大怪我を追ったと見ている。そこに我々の反撃の好機がある」
 大蛇坊が、草鞋を片足でたくみにはずし、右足を裸足にして、足の指で巧みに耳掻きを掴み、柔らかい股関節と膝の関節で巧みに耳掃除を始めている。
 「ううむ、俺の倒した奴は、小物であったか」
 修羅坊が、全員に、
 「我々のわかったところでは、夜叉丸と名乗った若者は、両手から恐ろしい紐を使う忍法を。紅雪と言う女は、手を振りかざす事によって見えない刀を飛ばす忍法を。小四郎と言う若者は、何をしているのか分からぬが、距離を選ばずに、物体を砕く忍法。獣蔵は死んだが、野獣化した身体をしていた。…まあ、死んだからどうでも良い…。ただ俺と戦った双之助と言う奴だけは、まだ分からぬ。剣術は恐るべきものがあり、剣だけなら我々は誰も勝てないであろう」
 忍者は徹底した現実主義だ。自分の実力に過信は無く、相手の力も侮らない。
 ゆえに、双之助の剣術は恐るべしと判断し、自分達の忍法の全力で葬る事にした。
 修羅坊はそこで、
 「よし、俺と大蛇坊と火炎坊が先陣を走る。水魔坊、雷神坊、針鼠坊、敵に悟られぬ様に近付いて来い」
 他の五人が頷き、雷神坊が、自分の胸をさわり、
 「完治した」
 そう呟くと、彼等は動き出した。

 

 

 水飛沫を周囲に飛ばし、虹を浮かべる滝の裏側の小さな洞窟で、伊賀忍者達は集結していた。
 双之助を中心にして、獣蔵が野生的な回復力を見せ、徐々に元気を取り戻している。
 全員の話をまとめて、双之助は、
 「どうやら敵のうち、夜叉丸と紅雪が、針鼠坊と水魔坊を討ったようだし、獣蔵も雷神坊に重傷を負わせている。実質敵の残りは三人だな」
 「へ、口ほどにもねえ奴等だ」
 小四郎が苦笑して言うが、そこで獣蔵が気になる事を言った。
 「双之助、小四郎」
 「なんだ?」
 「俺、…雷神坊と修羅坊が去る時に、妙な事を言ったのを聞いた」
 その言葉に、夜叉丸、蛍火、紅雪も、獣蔵に目を向ける。
 「何て言ったのだ?」
 双之助が、物静かな声で聞くと、
 「ああ、修羅坊が、『心配するな。我々には火炎坊の毀れ甕がある』……そう言った」
 「毀れ甕だと!」
 叫んだのは、筑摩小四郎であった。
 「知っているのか、小四郎?」
 双之助の質問に頷き、
 「ああ、切断された肉体を元に戻す忍法だ。天膳様から聞いた事がある」
 その言葉に敵を倒した夜叉丸と紅雪が、反応した。
 「なんだと? じゃあ、俺の倒した奴は復活しているのか?」
 「可能性はある! 何でも……」
 小四郎はそこで、女の恥ずかしい部分を二つ使っている事を思い出し、赤面してから、首を横に激しく振りながら、
 「な、なんでも、理屈は知らないが、回復させたりつないだりするのは簡単で、時間内なら、死んだ人間も生き返らせるらしい」
 天膳の言葉なら信じるしかない。
 六人は、敵はまだ全員生きていると思った。
 「……と、なると、我々は先にその火炎坊と言う破戒僧を倒さねばならない」
 双之助の台詞に全員が頷いた。
 その時、獣蔵が、不敵に笑い、両肩をまわした。
 「よし、完全回復したぞ」
 その言葉が、反撃への合図であった。

 

 

 薄暗い……
 薄暗い場所で……
 薄暗い場所で、異様な事が……
 薄暗い場所で、異様な事が起きていた。
 『男』が立ち上がり、冷静と言うよりは冷酷な笑みを浮べ、
 理知的と言うよりは、狡猾な表情で、笑っていた。
 『男』は、あくびをひとつして、動き出した。

 

 

 修羅坊を先頭に、後方から大蛇坊と火炎坊が肩を並べて疾走する。
 川沿いの道から今度は、林道を進む。
 林道と言うよりは獣道であり、その道を走りながら、三人は周囲を警戒している。
 「敵はおそらく残る五人」
 修羅坊が呟き、大蛇坊と火炎坊も頷く。
 「後の三人は?」
 「はい、気配を絶って付いてきています」
 「うむ、行くぞ」
 その三人の頭上を鷹が一匹飛んでいる。
 お幻様の鷹であり、この鷹が伊賀の若者達に、数と敵の位置を教えているのだ。
 眼光の鋭い獣蔵がそれを確認し、
 「やはり六人いる。……双之助。前方に三人、後方に離れて三人」
 それを聞いて双之助は微笑し、周囲にいる仲間に、
 「やはり、奴等に『毀れ甕』の使い手が居たようだな」
 双之助が呟くと、獣蔵に、
 「獣蔵、頼むぞ。この中ではお前しか出来ない」
 獣蔵は頷き、大型の猫科の野獣が疾走するように全身をバネの様に動かし、山の中を疾走していく。
 恐るべき速さでありながら、気配は全く感じさせない。
 まさしく獣だ。
 「敵は獣蔵が死んだと思っている、そして敵も、我々が三人死んでいると思っている。そこが狙い目だ」
 小四郎、夜叉丸、紅雪、蛍火が頷きあう。
 「よし、三手に別れる。小四郎と紅雪は左から、夜叉丸と蛍火は右から」
 四人は頷くと、双之助は、静かに笑い、
 「俺は当然、双次郎と真正面から行く」

 

 

 疾走する根来三人の前に、一人の若者が堂々と立っていた。
 剣を抜き、全く無駄の無い動きで抜刀し、斬りかかってくる。
 「貴様!」
 修羅坊が叫び、手にしていた細長い根来特有の手裏剣を投げつける。
 それを剣で斬り払い、双之助は一気に間合いを詰める。
 その前に大蛇坊が立ちふさがり、両腕の無い忍者は、『蛇身化』し、胴体と足が細長く伸び始め、全身が曲線を描き、大地に這い、蛇の様に素早く曲線を動いて接近してくる。
 「こいつ!」
 さすがの双之助も、この異様な肉体に驚いた瞬間、火炎坊が火をつけた松明を構え、気合一閃、片腕を双之助に振りかざした。
 「根来忍法、『火炎卍』!」
 松明の炎が直線を描いて、双之助に襲う。
 だが、双之助はその炎の矢ですら、刀で斬り払った。
 その瞬間、大蛇坊が大地から飛び、その蛇の様な肉体で襲い掛かった。
 双之助は、巧みな歩法で、見事な足さばきで、その大蛇坊の動きを躱し、修羅坊に近付く。
 「来い、小僧!」
 修羅坊も忍者刀を抜いた。
 その瞬間、周囲に蝶の大群がやってきた。
 蝶の軍団が周囲を覆い隠し、根来忍法僧達にまとわり付く。
 「何!」
 火炎坊が驚き、『火炎卍』で焼き払おうと動き出した時、突然、松明が砕け散った。
 「これは!」
 そう、筑摩小四郎だ!
 小四郎が火炎坊の横から大鎌を持って一気に間合いを詰めてきた。
 蝶が根来僧達の視界を奪い、蝶の燐紛が、彼らに不快な気分を与える。
 もちろん蝶は蛍火が操っているのだ。
 その中で、上空から夜叉丸が現れた!
 蝶の隙間をかいくぐり、山刀を抜き、大蛇坊に襲い掛かった。
 大蛇坊は木々の隙間に入り込み、夜叉丸の攻撃を躱す。
 そして今度は紅雪だ。
 紅雪は手裏剣を火炎坊に向かって投げ続ける。
 火炎坊は、二人の攻撃を、跳躍で躱し、高い木々の上に逃げていく。
 その中、双之助と修羅坊の剣が金属音を立ててぶつかり、迅速無比の剣戟が修羅坊に襲い掛かる。
 「貴様!」
 「伊賀を舐めるな!」
 その時であった。
 この場に三人の根来が再びやってきた!
 その三人の顔を見て、夜叉丸と紅雪が驚く!
 「お前は!」「貴様は!」
 そう、二人が倒したはずの敵、針鼠坊と水魔坊であった!
 そして、もうひとりは胸をえぐられたはずの雷神坊だ。
 針鼠坊が、『針地獄』で再び夜叉丸を襲い、水魔坊も近くの水溜りから水を粘土に変化させ、蜘蛛の糸の様に伸ばして、全員に襲い掛かった!
 根来忍法僧達は、不意をつき、一気に逆転した事を確信した! …が、この不意をついた攻撃を伊賀者達はなんなく躱し、それぞれがそれぞれの敵を選び、一気に攻撃に出た。
 「何!?」
 簡単に状況を把握し、死んだはずの人間が生き返ったのにも驚かない彼等に驚きながらも、これは罠なのかと修羅坊は思った。
 その時であった。一つの断末魔の悲鳴が起こったのは!
 それは火炎坊であった!
 火炎坊は、筑摩小四郎と激しい大鎌と、火炎坊の錫状がぶつかり、彼は竹林を背にして反撃体勢を整えた瞬間、背中に激痛が走ったのだ。
 竹林になんと獣蔵が潜んでいたのだ。
 獣蔵の熊や虎を思わせる大きな手に鋭い鉤爪の付いた手が、火炎坊の背中を抉り潰し、火炎坊の耳まで裂けた口が大量の血と断末魔を吐き散らして、絶命したのだ。
 「火炎坊!」
 修羅坊が驚く中、双之助は笑う。
 「これで、『毀れ甕』を使える奴を失ったな」 
 「…」
 修羅坊は、口元を引きつらせ、防御の要を失った事に激怒した。
 しかも、死んだはずの敵が…こいつらもまさか?
 「獣蔵は、野獣の肉体を持つ忍者でね。回復力は早いのだ。確かに雷神坊の忍法は俺や他の者なら絶命しただろうが、…獣の肉体の獣蔵にしたのは間違いだったな」
 「貴様ら!」
 修羅坊が突然、地面の小石を拾い、右手に持ち、その腕を彼に伸ばしてもち、構える。
 「喰らえ! 根来忍法、『雷竜弾』!」
 その瞬間、修羅坊の足が地面に穴をあけるほど踏み込み、砂塵を巻き上げ、一気に腕に力を解放させると、なんと石が、轟音を立て尋常ならぬ速さで双之助を襲ったではないか!
 これは双之助では躱せなかっただろう。
 だが、躱したのは『双次郎』であった。
 双之助の肉体が地面に伏せ、その雷竜弾を躱し、転がりながら起き上がる。
 「何!」
 その動きに修羅坊は驚きの声を上げた。
 躱された雷竜弾の石は背後の大木の動を貫通し、次の木にあたってようやく止まった。
 中国拳法に、寸勁(すんけい)と言う技が存在する。
 敵と接近した状態で、密着した状態で、相手の身体に拳を密着した状態で、強力な一撃を放つ技である。
 間接の連動を正確に行い、足の親指から、手首までの間接を連続して動かす事によって密着した状態からでも、強力なパンチを放てる技。
 それを寸勁という。
 修羅坊はそれを応用し、掌に乗せた小石を瞬時に打ち出し、まるでライフル弾の様に打ち出したのだ。
 轟音をたてて発射されたという事は、音速を超えている。
 その破壊力はまさしく、ライフル並みだ!
 「許さんぞ!伊賀の若造共!」
 修羅坊は激怒しながら、剣を収め、両腕をかざして構えだす。
 「この動き、唐手(からて)か?」
 小四郎が叫ぶが、獣蔵が、
 「違う、これは少林拳! ヤバイ!」
 獣蔵が叫んだ瞬間、修羅坊は一瞬に間合いを詰め、双之助に拳を叩きいれる!
 だが、双之助は何とか躱し、木々に飛び移り、手裏剣を投げつけるが、これを素手で修羅坊は払い落とした。
 (何……動きが変わった?)
 その動きを見て修羅坊は、冷静に判断した。
 「貴様、多重人格か?」
 「あ、分かったかい」
 柔らかい双之助の声がもれた。
 「そうだよ、本来僕、双次郎と、双之助兄さんは、双子として生まれるはずだった。でも、どういうわけか、兄さんの身体に、僕と兄さんの精神が宿ってしまった」
 「双子、だと」
 「そう、僕の意思の時には、僕は手裏剣と体術の鍛錬を行い」
 すると、低音だが聞き取れる声で、双之助が、
 「私の時は剣術と歩法を学んだ。一つの肉体に、接近戦の達人と」
 再び柔らかい声が支配する。
 「距離を置いた戦いの達人の僕が存在する」
 そして二つの声が同調して、
 「『つまり、種類の違う達人の肉体を二つ持った忍者。それが鬼頭双之助だ」』
 その事実に、修羅坊は、驚きながらも、不敵に笑う。
 「……さすがは伊賀者よ。珍しい奴がいる」
 空に暗雲が立ち込める。

 

 

 その頃、土蛇の遺体の転がる場所の近くの小さな穴から、小柄な老人が出てきた。
 錫状を手に、山伏姿の覇王坊である。
 体中の服に付いた土を払い落とし、周囲を見渡し、
 「やっと出られたか」
 無邪気だが、老獪な笑みを浮べ、覇王坊はゆっくりと歩き出す。
 水辺で水を飲み、しばらく身体を落ち着かせてから、歩き出した。
 「ふむ、伊賀者め。たとえ他の六人がやられても、儂の『黒死疫』の前では、敵は居ない」
 彼がそう呟いて、歩いていった後、土蛇の肢体だけが残された。
 ……そう、その静かな空間の中で、誰も居ないはずの空間で、『そいつ』がいた。
 『そいつ』は、口の両端を上げて笑い、土蛇の遺体に、軽く両手を合わせて拝み、そこから動き出した。

 

 

 鬼頭双之助の時には、剣客であり、無駄のない動きを見せ、接近戦では驚異的な戦闘能力を見せた。
 敵が離れると、鬼頭双次郎に変化し、猿や怪鳥の様な動きを見せ、あらゆる状況から手裏剣を投げつけ、敵を苦しめた。
 ひとつの肉体に、二つの人格が、二つの個性が住む鬼頭双之助。
 状況に応じて、人格がすぐさま入れ替わり、何の違和感もなく、戦闘能力を発揮した。
 修羅坊は、接近戦に応じ、十手を手にした。
 十手は、剣を絡めて折る武器であり、そのまま殴っても威力はある。
 修羅坊は、両手に持ちながら、流れるように動き、双之助に攻撃を開始した。
 双之助は、その両手の攻撃を巧みに一本の剣で払いのけ、それに応じて反撃にも出た。
 修羅坊は、少林拳の巧みで、素早く流れる動きで反撃に転じ、両手の十手、一蹴を加え、攻撃に転じるが、伊賀の若き天才剣士は、それを見事に躱し反撃に転じた。
 攻防一体、瞬きもすることの許されぬ闘いが続く。
 修羅坊は正直驚いた。
 こんな若造に、これほどの剣術の腕があるとは。
 鬼頭双之助も、驚いていた。
 噂の少林拳。これほどの者で、これほどの使い手がいたとは!

 王虎獣蔵は、雷神坊と、再び戦い。
 夜叉丸と蛍火は、水魔坊と大蛇坊と戦い。
 筑摩小四郎と紅雪は、針鼠坊と戦っていた。

 

 

 この激しい戦いに呼ばれるように、巨大な雨雲が近付きつつあった。

 

( 続く )