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  塔の中の魔法使い 03  

バイエルが初めて塔の中に姿を現したとき,ハノンは喜びのあまりダンスを踊りそうになった.
初恋の女性は,想像以上に美しくなっていた.
緩やかな波のある長い髪も澄んだ緑の瞳も,すべてが輝いて見えた.
バイエルは素直な性格は変わらずに,まっすぐに育っていた.
けれどハノンが何もできないでいるうちに,バイエルは塔を登らなくなってしまった.
塔のてっぺんの部屋で,ハノンはふさぎこむ.
三日と開けずに来てくれたバイエルが,もう十日も来ない.
ハノンは自分のぼさぼさの髪を引っぱり,ひたすらうじうじとした.
空はどんよりとくもっている.
そのときコンコンコンと,下の方で銅鐘が鳴った.
バイエルが来た! と窓から下をのぞくが,いたのは城の兵士である.
兵士は王の書簡を置いて立ち去った.
「ソナタ,取りに行って.」
ソファーの上で,毛繕いをしている猫に命じる.
「私は姫のためでなければ動かない.」
「使い魔でしょ,取りに行ってよ.」
「私の主は,今でもソナチネ様だ.」
ソナタはぺろぺろと,しっぽをなめる.
「いつ姫が来てもいいように,身奇麗にしておかねばならぬ.」
お主のように,よれよれの服では恥ずかしいと言い募る.
仕方がないので,ハノンは一人で階段を降りた.
おそらく,塔から出ろといういつもの命令だろう.
ハノンは,大陸一とうたわれた魔法使いソナチネの技を受けついでいる.
しかしハノンは,薬作りの仕事しかしていない.
本当は塔から出て,もっと色々な仕事をしなくてはならないのに.
ハノンは塔から一歩だけ出て,さっと書簡を取り上げて,すぐさま塔へ戻る.
書面に目を通した瞬間,血の気がひいた.
――塔から出てこない魔法使いに,姫はやれない.
「うそ.」
ソナタも階段を降りてくる.
ハノンが落とした書類をのぞきこんで,つぶやいた.
「ついにツェルニー陛下がしびれを切らしたか.」
「まさかバイエルが塔へ来ないのは…….」
ハノンの中に最悪の想像が駆けめぐった.
塔へ行かないように,足止めされているだけならいい.
だがすでにハノン以外の,王にとって都合のいい男性があてがわれていたら.
ハノンはぞっとした.
バイエルはずっと前から,ハノンのための花なのに.
奪われてたまるものか!
ハノンは塔から飛び出した.
とたんに,空模様が荒れてくる.
ごろごろと雷が鳴り,暗い色のくもが厚さを増す.
ハノンはおじけづいたが,落ちつけ,落ちつけとつぶやいて瞳を閉じた.
ゆっくりと深呼吸をする.
――この子の力は大きい.子供のうちは制御できないだろう.
師匠のソナチネは,いつもハノンのことを心配してくれた.
――今は私が抑えているが,私が死んだ後はどうすればいいのか.
だから王は,ハノンのために魔力を抑える塔を作った.
ソナチネの死後ハノンは塔にこもり,魔法の修行に明け暮れた.
いつか塔の外へ出て,王国を守る魔法使いになるために.
ハノンは,魔法の呪文を唱える.
徐々にあたりは明るく,暖かくなった.
呪文を終えて目を開くと,空はすっかり晴れている.
「大丈夫だ.」
ハノンはつぶやいた.
「大丈夫,大丈夫だ.僕はもう十八歳だ,子供じゃない!」
自分を勇気づけるために,大きな声で言う.
「ソナタ,バイエルのところまで飛ぼう.」
ソナタはぴょんと,ハノンの腕に飛び乗った.
ハノンの力は,師匠のソナチネよりも大きい.
塔の中にこもっていたときでさえ,バイエルの言動ひとつで晴れたりくもったりした.
その大きな力に振り回されるのではなく,使いこなすのだ.
誰よりも大切なバイエルのために.
風をまとい,ハノンはソナタとともに宙を飛んだ.
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