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  塔の中の魔法使い 01  

昔,王国に一人の魔法使いがいた.
彼はとても大きな力を持っていて,大陸一の魔法使いと言われていた.
誰もが彼を頼りにして,頭を垂れた.
その結果,王はないがしろにされた.
さらに魔法使いには弟子がいて,その男の子は王の子供たちの誰よりも明るく笑っていた.
だから王は彼らをねたんでいるだろうと,皆がうわさした.
そして老いた魔法使いが死んだとき,王は残された弟子を塔の中に閉じこめたのだった.

塔のてっぺんの部屋で,ハノンはのんびりと魔法の薬を作っていた.
こん棒で薬草をたたきつぶして,蒸留水に浸す.
これは,せき止めの薬になるのだ.
ふと作業の手を止めて,窓から空を眺める.
「あぁ,いい天気だなぁ.」
日差しが,さんさんと降り注ぐ.
窓のそばでは,猫が丸まって眠っていた.
そのとき,コンコンコンと下の方で銅鐘の音がする.
猫があくびをして,ハノンは窓から下をのぞいた.
一人の娘が扉につけられた鐘を鳴らして,塔の中に入ってくる.
あの明るい茶色の髪は,
「バイエル…….」
王の末娘バイエル,ハノンの幼馴染でもある姫君だ.
猫が立ち上がって,うーんと伸びをする.
「姫ならば,私が迎えに行こう.」
猫,――使い魔のソナタがしゃべった.
「うん.よろしく.」
ソナタは,機嫌よく階段を降りていく.
ハノンは散らかったテーブルの上を片づけて,ふきんでざっとふいた.
お湯をわかして,棚から菓子を引っぱり出す.
ちょうどお茶の準備が整ったところで,ソナタに先導されたバイエルが階段を登ってきた.
「こんにちは,ハノン!」
快活な笑顔に,ハノンは目をそらして「うん.」と返事する.
窓から差しこむ日差しが強くなり,部屋は心持ち明るくなった.
ハノンはカップにお茶を注ぎ,バイエルのために椅子を引く.
バイエルは着席すると,「ありがとう.」とほほ笑んだ.
「いや,別に.」
ハノンは,ごにょごにょとつぶやく.
ソナタがただの猫のふりをして,バイエルににゃーんと甘えた.
バイエルは,ソナタをひざの上に乗せてなでてやる.
のどをごろごろとさせる使い魔に,ハノンは多少嫉妬心を覚えた.
――この猫かぶりめ!
もくもくと,空には暗雲が広がり始めた.
バイエルはお茶を一口飲むと,緑の瞳をまたたかせる.
「葉を変えた?」
顔をのぞきこまれて,ハノンの心臓は飛び跳ねた.
「う,うん.その……,」
しかし言葉が続かない.
わざわざバイエルのために取り寄せた茶葉だというのに.
バイエルは大人びた表情で,にこりとほほ笑んだ.
ハノンのせりふが途切れるのは,いつものことである.
そしてそれを,バイエルは許してくれる.
ハノンは人との会話に,そもそも人付き合い自体に慣れていなかった.
師匠のソナチネが死んでから,ずっと塔の中に閉じこもっているから.
「とても甘くて,おいしいわ.」
「うん.」
うんぐらいしか言えないハノンに,バイエルは惜しみなく笑顔を見せてくれる.
ハノンは,とろけるような至福感に包まれた.
バイエルはわざわざ塔を登って,逢いに来てくれる.
ハノンには,うれしくてたまらないことだ.
けれど,そろそろ限界が来るだろう.
本来ならば,この塔には誰も近寄ってはならない.
バイエルが初めて来た日から,すでに二か月がたっていた.

ハノンは城の中で,王の子供たちとともに育った.
歳が近いせいもあって,バイエルとは特に仲がよかった.
バイエルは,ハノンの初恋だった.
ハノンが十歳のとき,師匠のソナチネがなくなり,塔にこもることになった.
塔はソナチネがなくなる前から,城の敷地内に建てられていた.
バイエルとは逢えなくなったが,ハノンは幼いころの約束を信じていた.
だから,いつかは再会できるはずと思っていた.
ハノンは十八歳になり,バイエルは十六歳になった.
すると王が,バイエルにとんでもない命令を下したのだ.
生涯の伴侶を,自分で選ぶようにと.
ハノンは仰天した.
王の命令は異例のものだった.
だが,それよりもハノンを驚かせたことに,バイエルが塔を登ってきたのだ.
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