そうは問屋がおろしません　　

ある朝，目覚めたら，あたしは知らない場所にいた．
ぺらぺらの布団で寝ていたはずが，ふかふかのベッドにいる．
ベッドから降りると，部屋がすっごく広い！
何これ！？　日本とは思えない！
朝日でまばゆい，大きな掃き出し窓．
フリルのカーテンがついて，ベランダも立派．
窓のそばには，ひなたぼっこできるようにソファーが置かれている．
部屋の隅には，いいにおいのするハーブ．
そしてしゃれた，アンティーク風の間接照明．
部屋の内装はほぼピンクで統一されて，まさにお金持ちのお嬢さまの部屋だった．
あたしがとまどっていると，部屋の扉が開いた．
トレイを持ったエプロン姿のおばさんが入ってくる．
あたしを見るなり，笑顔で「姫」と呼びかけた．
「今日から，ここがあなたのお部屋よ」
ええーーーーっ！？
どういうこと？　おばさんは誰？　ここはどこ？
あたしはただの，どこにでもいるような日本の女子高生よ．
なのになんで，こんな豪華な部屋で姫だなんて呼ばれるのー！？
おばさんはあたしのために，食事を用意してくれた．
「これは姫のために，特別に外国から取り寄せたのよ」
でもパニックになったあたしは食事を無視して，おろおろしてしまう．
おばさんは気を悪くした風を見せず，「落ち着いたら食べてね」と言って，部屋から出て行った．
あたしは悩んだ末に，とりあえず食事を取ろうと決める．
食べているとき，部屋に立ち見鏡があるのに気づいた．
近づいてみる．
けれど，見慣れたあたしの姿は映らない．
代わりに映ったのは，今まで見たことのない絶世の美女だった．
サファイアブルーの瞳，エキゾチックな褐色の肢体．
手足がすらりと長く，まさにモデル体型？
でも不健康にやせているのではなくて，適度に筋肉がついている．
さらに女性らしい丸みもあって，なんとも色っぽい．
どこからどう見ても，文句のつけようのない完璧なボディ．
確かに，この体はお姫さまだ．
中身はあたしで，姿勢は猫背になっているけれど．
つまりあたしは異世界にトリップして，お姫さまの体に乗り移ったのだ．

その日から，あたしのお姫さま暮らしが始まった．
食事はもちろん，掃除だって召使いたちがやってくれる．
お風呂にも入れられて，体中を磨かれる．
より美しくなるようにブラッシングされて，写真館にも連れられた．
銀のペンダントを身につけて，ドレスはすべてオーダーメイド．
召使いのおばさんは洋裁が得意で，自分の子どもたちの服も作っているみたい．
あたしは遊んで暮らすだけ．
ときおり，部屋のベランダに男たちがやって来る．
「かわいいね」「きれいだよ」「僕と結婚してほしい」と，みんながみんな，あたしを口説く．
「どっか行ってよ！」「バカ，だいっ嫌い！」なんて悪態をついても，実はちょっぴりうれしい．
だって，男性に言い寄られるなんて，生まれて十七年間なかったことだもの．
あぁ，この世界に来て，この体になって，本当によかった．
学校で勉強をする必要も，あくせく働く必要もない．
のんびり昼寝をして，シェイプアップのために適度な運動をするだけ．
そうそう，召使いのおばさんとおじさんも，この邸は気に入っているみたい．
「不便な郊外だけど，庭付き一戸建ては悪くないな」
「引っ越しは大変だったけどね．特に姫が，この家にとまどっちゃったし」
「すぐに慣れたじゃないか．子どもたちも学校で，新しい友だちができたのだろう？」
「そうね．あとは住宅ローンの返済をがんばるだけ」
「はは，任せておけよ．不景気だけど，俺の会社の業績は上がっているのだから」
ふたりは満足げに笑いあった．
今日もあたしは，鏡の前で，せっせと身繕いをする．
とんがった耳，くりくりっとした瞳．
ぴんと伸びたヒゲ，ちっちゃなお鼻．
われながら，なんてかわいいのかしら．
ふとベランダを見ると，あー！　また男が入りこんでいる！
あいつは，ここらの野良たちのリーダーだわ．
でもいばりくさって，あたしは好きじゃない！
あたしは，ツンとそっぽむいた．
男はあたしの気をひきたいのか，かしかしと窓をひっかく．
そのとき，下からおばさんの声が聞こえてきた．
「姫ー！　おやつよーっ！」
あたしはダッシュで，部屋から飛び出す．
あ，伝え忘れたけれど，あたしの部屋の扉には，あたし専用の出入り口がついているの．
人間には通れないサイズの，頭で押すとぱかっと開くアレね．
あたしは階段を駆けおりて，キッチンへ入る．
おばさんの足もとにすりより，とっておきの声で，にゃーと鳴いたのだった．