水底呼声 -suitei kosei-

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  砂漠の歌姫11  

チーキーは美しい女性で,メイシーと同じ十八才だった.
目じりがわずかに上がっていて,気の強い印象を受ける.
「離婚はしません.申し訳ありませんが,自治区へお帰りください.」
向かいのソファーに座っている彼女に対して,メイシーは口を切った.
チーキーは,ふっとほほ笑む.
「ライクシード様に,そう言うように頼まれたのですか?」
「いいえ,私の意思です.」
ライクシードは,自分がチーキーと対面し結婚を断ると主張した.
だがメイシーは反対した.
そして今,チーキーとふたりで話しているのだ.
彼女は少しの間メイシーを見つめてから,肩を落とす.
「私は,あきらめた方がよさそうですね.」
悲しげな笑みを浮かべた.
「せっかくですから,大陸一豊かな都とうたわれている首都の街を見学してから,自治区へ帰ります.」
テーブルの上のティーカップに手をつけかけて,やめる.
「どのみち,あと四日は滞在する予定ですから.」
ゆっくりと両手を握り,ひざの上に置いた.
「はい.案内の者を用意しましょう.」
メイシーは答えた.
マリエに頼めば,誰か紹介してくれるだろう.
チーキーは再び,メイシーを眺める.
しばらくしてから,
「もしかして,あなたは昨日,大広間でウィッヂを演奏する予定でしたか?」
メイシーはうなずいた.
「あぁ,だからバウス国王は,セイキおじさまの申し出を最初は断られたのですね.」
昨日セイキはバウスに,チーキーに歌わせましょうと言った.
ところがバウスは,困ったそぶりで断った.
しかしセイキが強く勧めたので,仕方なく承諾したのだ.
チーキーには,なぜバウスが拒絶したのか分からなかった.
さらに歌の最中,ライクシードはしぶい表情をしていた.
おのれの歌が周囲から歓迎されていないことを,チーキーは感じ取った.
「あなたが歌う予定だったならば,彼らの反応はあれで当然でしょう.」
ごめんなさいと謝るのも気が引けて,メイシーは黙る.
「大きな手ですね.指も長くて…….もう何年も毎日,弾いているのではありませんか?」
「はい.」
メイシーは,両方の手のひらを見せた.
弦を押さえるために,指さきは固くなっている.
「機会があれば,私にもあなたの歌を聴かせてください.」
「もちろんです.」
メイシーはほほ笑む.
チーキーもかすかに笑った.
たがいに別れを告げて,メイシーは席を立つ.
部屋を出て扉を閉めると,チーキーの泣く声が聞こえた.
彼女の手はずっと,カップが持てないほどに震えていた.
セイキの命令に従っただけとはいえ,わざわざ神聖公国の城までやってきたのだ.
ライクシードに対する想いは深いだろう.
そして昨日の演奏は,見事なものだった.
自分の気持ちをこめて,心から歌ったのだ.
なのにチーキーは,メイシーを責めずにほほ笑んだ.
自分が演奏していたとき,ライクシードはしぶい表情をしていたと教えたのは,メイシーのため.
「ありがとうございました.」
メイシーは扉に向かって,頭を下げた.
自室へ戻ると,ライクシードが心配そうな様子で待っている.
幸いにして,ほおのはれはだいぶ引いていた.
「大丈夫だったか? 何か嫌なことを言われたりしなかったか?」
「私は大丈夫です.それにチーキーは,人を責める女性ではありません.」
メイシーはほほ笑む.
「ただ少し切ないだけです.」
メイシーはライクシードの愛を手に入れた.
その結果,チーキーは涙を流している.
いや,彼女のみならず,ほおをぬらしている女性はほかにもいるかもしれない.
「それでは次は,セイキ族長に会いに行きます.」
メイシーは気持ちをさっと切り替えた.
セイキにとって,ライクシードの妻はチーキーの方が利点が多い.
メイシーはセイキに,自分がライクシードの妻だと認めさせなくてはならない.
「何をしゃべるか,すでに決めていますから.」
私の父は,私が暴力を振るわれていたのに助けてくれませんでした.
けれどロウシーお姉さまは,気にかけてくれました.
私は,父よりお姉さまに恩を感じています.
神聖公国と自治区の交易は,セイキ族長にお任せします.
父が何を言ってきても,私は相手にしません.
メイシーの言葉に,きっとセイキは満足するだろう.
そしてロウシーには手紙を書き,セイキに届けてもらうつもりだ.
自分は幸せに暮らしているので,心配しないようにと.
ちなみにメイシーは,ライクシードとの関係が変わったことを,セイキに打ち明けるつもりはなかった.
離婚できないと話すよりも,父より姉を重視すると話す方がセイキの心証はいいだろう.
それに,やはりセイキはくせ者でもある.
彼は,メイシーが大広間にウィッヂを持ってきたのを見ているし,有名な奏者に師事していることも聞いている.
従って,メイシーが大広間で演奏することを察した.
察した上で,メイシーを城から追い出すために,チーキーにウィッヂを弾かせた.
メイシーはセイキに,自分の甘さを見せるわけにはいかない.
彼は,花嫁の交換という酷薄なことも実行できる人物だ.
メイシーの心もライクシードの心も,自分のめいであるチーキーの心でさえ,目的のためならば踏みにじれる.
メイシーが部屋から出発しようとすると,なぜか夫がついてきた.
「セイキ族長は油断ならない.私も同席する.」
「いいえ,結構です.」
ライクシードがそばにいて手助けすれば,セイキはメイシーを半人前と認識するだろう.
「分かった.なら,また部屋で待っている.」
メイシーは悩んだ.
それはありがたいというよりは,少し迷惑だ.
「私ひとりで平気ですから,あなたは自分の仕事をやってください.」
ちょっと前までは,もっと部屋にいてくれたらいいのにと思っていた.
だが今は,長居しすぎだ.
部屋に置いてある菓子にはあまり手をつけないが,メイシーにはべたべたと触ってくる.
「私は君の夫だ.君はもっと私を活用すべきだ.いずれにせよ私は君のことが気にかかって,何も手につかない.」
彼は大まじめに訴える.
過保護な夫に,メイシーはほほ笑んだ.
「困ったことがあれば,すぐにあなたに相談します.あなたに助けを求めます.」
いとしい人のほおに唇を寄せる.
「私にとって,あなた以上に頼りになる人はいません.よって安心して,部屋から出ていってください.」
にっこり笑って,部屋の扉を指さした.
ライクシードは驚いて,目をぱちくりさせる.
「君にいいように,あしらわれている.」
メイシーはぎくっとした.
彼は苦笑すると,メイシーをぎゅっと抱きしめる.
「君を信頼して,部屋から出ていく.だから今夜,ベッドで待っていてくれ.今夜も次の夜も,その次の夜も.」
情熱的な言葉に,メイシーの顔が熱を持つ.
「はい.もう,あなたのほおをぶったりしません.」
彼は楽しげに笑った.
「大事なことを伝え忘れていた.」
メイシーの髪に手を入れて頭をなでる.
「昨日の前庭での,君の歌はすばらしかった.何十人もの男が君にほれたのではないかと,私は気が気でない.けれど,君のもっともぬれた声が聞けるのは私だけだ.」
長い長い口づけをして,やっとライクシードは部屋から立ち去った.
が,メイシーは腰がくだけて床に座りこんだ.
「なんてやっかいな人なの…….」

約一年後,メイシーはひとりの女の子を産んだ.
メイシーが出産するつい半月ぐらい前には,王妃のマリエが世継ぎの王子を産んだ.
なので城では,ふたりの元気な赤ん坊の泣き声が響いている.
加えて数か月後には,セシリアの結婚式が行われる.
結婚相手は,カリヴァニア王国国王ドナートの養子であるスミ王子だ.
神聖公国とカリヴァニア王国の関係を深めるための政略結婚だ.
メイシーは産後の体の回復が順調ならば,彼らの結婚式で歌とウィッヂを披露する.
自治区と神聖公国の曲を中心に演奏する予定だ.
神聖公国の歌は,ちゃんと正しいものを習った.
嫁いだ当初は分からなかったが,ライクシードは相当な音痴で歌は苦手らしい.
メイシーはさらに,スミから教わったカリヴァニア王国の曲や,みゆから教わった異世界の曲も奏でる.
メイシーはみゆの声を耳にしたとたん,世界中に羽を降らせたのは彼女だと気づいた.
しかしみゆは何も語らず,わが子と楽しそうに遊んでいる.
そして夫のウィルとたいそう仲がいい.
こうして,喜びの歌は続いていく.
バウスが宣言したように,平和の歌はたえることがない.
メイシーはいろいろな国の旋律で,愛していると想いをつむぎ続ける.
後世の人々は言うだろう.
砂漠の歌姫は生涯,ウィッヂと歌を手放さなかったと.
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