水底呼声 -suitei kosei-

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  砂漠の歌姫10  

「しかしなぜ,血縁者とは言え,どんな人物か分からない君をライクに嫁がせたのか?」
バウスは首をひねる.
「それは私を,乱暴な婚約者から救い出すためです.」
メイシーは答えた.
「いや,理解できない.君を助ける方法は,ほかにもあったはずだ.もし結婚しか手段がなくても,ライク以外の男でよかっただろう.」
すると夫が,ばつの悪い様子で口を開いた.
「実は,私が勝手に決めた結婚だったのです.」
数年前,ライクシードは女性に関する問題を起こして,城から追放された.
ところが結界が崩壊したときに,なりゆきで帰ってきた.
なのでライクシードの帰還にまゆをひそめる者たちが,少なからずいる.
また,二度と騒ぎを起こさぬように結婚を勧める人たちもいた.
さらにライクシード自身も,予期せぬ帰郷に悩んでいた.
だからバウスと相談して,馬を一頭だけ連れて城から出ていった.
単に諸国放浪するために,城を出たのではない.
主な目的は,スンダン王国と交渉し冷戦を終わらせることだった.
「ライクはカリヴァニア王国に,二年ほど滞在したことがある.よって,わが国で一番外国に慣れている.」
話の途中で,バウスが口をはさむ.
「俺はライクが,外交官としてもっとも信頼できると判断した.さらに戦争が終われば,それはライクの手柄になる.ライクが城に戻ることに,誰も文句が言えないし,ライク自身も納得できる.」
兄の言葉に,ライクシードはうなずいた.
「私は,国王になったばかりの兄さんの命令を受けて,スンダン王国におもむき,穏健派や戦争反対派などとよしみを通じた.」
だが,一度始まった戦争を終わらせることは,容易ではない.
ライクシードは自治区にも足を運び,停戦に協力してくれる人を探した.
まずダカン族長に会ったが,そっけなく断られた.
次にセイキ族長に面会し,やはり断られたが,彼の妻であるロウシーが取り引きを持ちかけてきた.
「あなたが私の妹のメイシーを助けてくれたら,私は夫に和平に協力するように言います.」
「承知しました.私が秘密裏に,メイシー殿をあなたのもとへ連れてきましょう.」
そしてロウシーがメイシーを保護して,新しい夫を探して嫁がせる.
そういう手はずだった.
ライクシードはさっそく,メイシーの住むヘキ族長の邸まで馬を走らせる.
邸の使用人にメイシーの部屋まで案内してもらっていると,聞き覚えのある歌声が流れてきた.
ライクシードは嫌な予感がして,音のする部屋まで走り扉を開けた.
その部屋にいたのは,――メイシーは,ライクシードが街で見かけた旅芸人の娘だったのだ.
「私が自治区に来たばかりのとき,君は街で楽しそうに歌っていた.君の周囲には大勢の人がいて,君の歌を聴いていた.」
ライクシードはしゃべり続ける.
「私は君に声をかけたかった.けれど私には,戦争を止めるという使命があった.」
国境では,たがいの国の兵士たちが極度の緊張と戦いながら,にらみ合いを続けているのだ.
ライクシードに,女性を追いかけている時間などない.
ライクシードは“メイシーより神聖公国を守ることを選び”,その場から立ち去った.
「君には二度と会えないと思っていた.あんな形で再会するとは考えていなかった.」
メイシーは,ライクシードと初めて会ったときのことを,――実際には二度目らしいが,思い出した.
突然,メイシーの自室に現れた彼は,とても悲しい顔をしていた.
「なぜ,あのように悲しい顔をしていたのですか?」
メイシーはたずねる.
こちらの境遇に同情していたからと推察していたが,今はちがうように感じられた.
「街で歌っていた君に,――まだ誰とも婚約していなかった君に,私は声をかけるべきだった.そばにいれば君を守れただろうに,私は君から離れた.」
そのとおりだったのかもしれない.
ゆえにライクシードは,顔にあざのついたメイシーを目のあたりにして後悔したのだ.
「君の父親をあざむいて君を邸から連れ出すつもりだったが,君を見た瞬間,気が変わった.」
結婚すればいい.
ロウシーのもとへ連れていくよりも,結婚の方がずっとたやすい.
ライクシードと婚姻すればメイシーは救われて,ロウシーとの約束は果たされる.
ましてやライクシードは,ロウシーの義弟になる.
彼女は必ず,セイキを説得してくれるだろう.
「私は君が婚約者の暴力に苦しんでいることにつけこんで,君に求婚した.そして君は承諾した.私は,君と和平と手柄,すべてを手に入れた.」
問題を起こさないように結婚をせき立てた者たちも,もう何も言えない.
ライクシードにとって,これ以上にうまい話はなかった.
ライクシードはメイシーの父に会い,すぐに結婚の約束を取りつける.
メイシーの婚約者にも会いに行き,話をつけた.
最後に,セイキとロウシーのもとへ戻った.
メイシーと結婚することにしたと告げると,ふたりは顔を青くする.
「メイシーがずうずうしくも,あなたに愛を請うたのですか?」
ロウシーの問いに,ライクシードはいいえと返事する.
すると彼女のまなざしは,ライクシードを焼きつくすように苛烈になった.
こんな風に妹を奪われるとは予想していなかったのだろう.
静かに怒るロウシーの隣で,セイキが苦笑する.
「うまく考えたね.これでは私も,スンダン王国へ向かわざるをえない.」
「お願いします.」
ライクシードは頭を下げた.
「あなたには,私の一族の女をめとってほしかった.もし神聖公国が重婚を許す国なら,花を二本つんで帰らないか?」
「もったいない言葉です.ですが私の国では,重婚は許されません.たとえ許可されていても,私がほしい花は彼女だけです.」
ライクシードはセイキに言った後で,ロウシーに対してできるだけ誠実に話す.
「けっして枯らさぬように大切にします.だから彼女を私の花嫁として,神聖公国へ送ってください.」
ライクシードとメイシーの縁組みは,セイキとロウシーにとって予想外のことだった.
さらにヘキが,神聖公国との貿易に横やりを入れてきた.
加えてライクシードとメイシーは,実際には結婚をしていない状態だ.
「セイキ族長はこれ幸いと,結婚相手の交換を提案したのでしょう.つまりメイシーを取り戻そうとしたのです.」
ライクシードの告白に,バウスとマリエはぽかんとしている.
「セイキ族長が結婚を促したと思いこんでいたぞ.」
「それは誤解です.彼は,婚約者から暴行を受け傷ついたメイシーを,政略結婚のため外国へ行かせる意志はありませんでした.」
しかも神聖公国は,つい数か月前まで結界に閉ざされていた未知の国だ.
「だからセイキ族長がこの城に来たのは,メイシーの身を案じたという面もあるのでしょう.」
もしメイシーが自治区に帰りたいと訴えれば,連れ帰るつもりだったのだろう.
ライクシードが反対しても,神聖公国との関係が悪くなっても.
次から次へと出てくる新しい事実に,メイシーは頭が飽和しそうだった.
初めて会ったとき,セイキは,君が元気で安心したとほほ笑んだ.
あの暖かなまなざしに,いつわりはなかったのだ.
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