水底呼声 -suitei kosei-

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  13−4  

大神殿の書庫にいたユージーンは,そこで結界の消失を聞いた.
一緒に仕事をしていた男性が神の一族だったらしく,教えてくれたのだ.
「神聖公国は,おしまいだ.」
彼は完全にろうばいしていた.
ユージーンはなりゆきで,広間で神の一族たちと祈ることになった.
実はユージーンは,ほんのちょっぴり聖女の血を引いている.
だが,自分の祈りに効果があるとは思えない.
広間を辞去しようと考えていると,神官長と名乗る老人がやってきた.
「内密に相談したいことがある.」
とささやいて,ユージーンを隣室に連れていく.
扉を閉めると,彼は立ったままで話し始めた.
「君は,バウス殿下の婚約者であるマリエ様の弟だと聞いたが?」
「はい.マリエは私の姉です.」
「ただちに城に行って,彼女と会ってほしい.実は,」
結界を壊したのは百合だ,と告白する.
「本当ですか!?」
ユージーンは耳を疑った.
「これは,くれぐれも秘密にしてくれ.ただし,バウス殿下の耳には入っている.」
どうやら百合が結界を攻撃した現場に,セシリアがいたらしい.
少女は必ず,信頼する兄に情報を伝える.
「セシリア様は,ミユたちと禁足の森に向かわれたのではないですか?」
ユージーンが口をはさむと,神官長はうなずいた.
「森の洞くつで何かがあったようだ.ミユは汚れた姿で,大神殿に帰ってきた.彼女から話を聞きたいが,」
体をきれいにして,医者に診察してもらうのがさきだ,としゃべる.
「今はまだ,くわしいことは分からない.だが,ラート・ユリが結界を害されたのは間違いないそうだ.」
聖女とはいえ,結界の破壊は許されない暴挙だ.
「バウス殿下は彼女を,裏切り者の聖女として処刑なさるだろう.」
もしも王子が許すと判断しても,国民が納得するか.
百合が結界をつぶしたと知れば,極刑を望むにちがいない.
「けれどラート・サイザーは,ラート・ユリを大神殿で保護するとおっしゃっている.」
神官長の顔には,苦悩が浮かんでいた.
「もともとバウス殿下と仲の悪いお方だ.しかし今の神聖公国には,神殿と城でもめている余裕はない.」
従って,ユージーンとマリエに間を取り持ってもらいたいのだ.
「承知しました.姉に相談してみます.」
それからさらに話し合いをして,ユージーンは馬を借りて大神殿を出ていった.

汚れた体を洗い,服を着替える.
そして医者に赤ん坊は心配ないと言われ,みゆはやっと安心した.
結界が全壊したのに,みゆの周囲は奇妙に平常どおりだった.
まさか結界の崩壊に気づいていないわけではあるまい.
医者が部屋から去った後で,みゆはマージに質問した.
「一時は,恐慌状態だったらしいです.ですが,徐々に落ちついたと聞きました.」
実は,大神殿には結界がはってあるという.
さらに,老齢とはいえ聖女サイザーがいる.
また大神殿は,国境地帯から離れている.
「だから,ここは安全です.」
とは言うものの,マージは不安そうだった.
ソファーに座っているみゆも,心細くなって腹をなでる.
そんなとき,ウィルとキースが部屋にやってきた.
ウィルは体についた汚れを落として,新しい服を着ている.
白い上着と,クリーム色のズボンだ.
こんな明るい色のウィルは,初めて見る.
彼はたいてい黒一色だ.
変装のために女装をしていたときは,黒一色ではなかったが,やはり地味で暗い色をしていた.
ところが今のウィルは,さわやかで涼しげだ.
みゆがにこにこしていると,恋人はにっこりとほほ笑んだ.
「昨日,神の塔に入ろうとしたと,キースさんから聞いたよ.」
みゆは,ぎくっとする.
「強大な力を持つ神と対決しないで,神の塔に入らないでと,僕は言ったよね?」
ウィルはみゆを心配して,怒っていた.
「ごめんなさい.」
みゆが謝罪すると,彼は微笑して隣に腰かけた.
「さきに妊娠させておいてよかった.まさか本当に,神をなぐりに行くなんて.」
ほっとした様子で,みゆの洗いたての髪をなでる.
「ウィル.」
みゆは彼の顔をにらみつける.
みゆは文句を言わなくてはならないのだ.
ウィルはみゆの了承を得ずに妊娠させて,さらにそれを黙っていた.
「今のせりふは何? わざと子どもを作ったみたいに聞こえたけれど.」
彼は,やはりにっこりと笑う.
「だってミユちゃんは僕のもの.誰にもとられたくない,」
ばっちんと,みゆは彼のほおをぶった.
「痛いよ.」
ウィルはふしぎそうに,まばたきをする.
そして,
「手を傷めなかった?」
と,みゆの右手を取る.
「ばか!」
みゆはどなりつけた.
「ウィルがいないのに身ごもって,私がどれだけ不安だったと思うのよ?」
自業自得とは言え,神の塔の前の廊下では,未婚なのに妊婦かと白い目で見られたし.
「不安にさせて,ごめんね.」
ウィルが素直に謝るので,みゆの怒りは,ぷしゅんとしぼむ.
「別に不安だったわけじゃないけれど.」
むしろ妊娠が判明する前の方が,情緒不安定だった.
判明した後は,体調不良の原因が分かってすっきりして,元気になった.
「でも!」
みゆは挑むように,声を張り上げる.
「スミ君に,私を神聖公国から出さないでとお願いしたよね? あれがものすごく悲しかった.」
「ごめんね.」
ウィルはほほ笑んでいた.
「君だけは守りたかったから.」
わが身を犠牲にしてでも,と聞こえた.
「私だってウィルを守りたいのに.」
みゆはどんと彼の胸をたたく.
「あなたのためなら,どんなことでもできるのに.一緒に湖の底に沈んでも構わないのに.」
こぶしが震えた.
「二度と私を離さないで.」
彼の体に,ぎゅっと抱きつく.
「あなたのいない世界でも生きていけるけれど,それでも.」
今のみゆには,居場所がいっぱいある.
ウィル以外に,大切な人や頼れる人がたくさんいる.
それに,彼の子どもがおなかにいる.
彼がいなければ生きていけない,とは思わない.
ウィルも,そうだ.
神聖公国へ旅立つみゆを見送ったときの,彼の態度を思い返せば分かる.
みゆがいなくてもウィルは壊れないし,みゆを励ますだけの強さを持っている.
けれど,
「私はウィルのそばにいたい.私が幸せになるためには,あなたが必要なの.」
「僕も同じだよ.」
暖かい手が,みゆの背中に回った.
「キスしていい?」
「うん.」
顔を上げたとき,みゆは視界の端に困った表情のマージとキースを発見した.
「やっぱり待って!」
しかし,もう遅い.
口づけを受けて,みゆは離してほしいとウィルの胸を押した.
が,ぜんぜん離れない.
しばらくたってから,
「どうしたの?」
ウィルはみゆを解放して,首をかしげた.
「前言撤回.マージさんとキースさんが見ている.」
しかもサイザーまで,いつの間にか部屋にいる.
みずから穴を掘って,入りたい心地だ.
サイザーは仏頂面で,口を開く.
「私は気にしません.」
マージとキースも,気にしないと言って笑う.
するとこらえきれないといった風情で,サイザーはくすくすと笑い出した.
みゆの前で,彼女がこんな風に楽しげに笑うのは初めてだ.
彼女は笑いを収めてから,
「洞くつの中での出来事を,聞いていいかしら?」
みゆとウィルにたずねた.
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