水底呼声 -suitei kosei-

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  11−10  

みゆは扉をノックして,部屋にいるであろうルアンに呼びかけた.
すぐに足音が近づいて,内側から扉が開く.
「ウィル!」
彼は満面の笑みを浮かべて,そのまま表情を固まらせた.
成長した息子に,
「むさ苦しくなったね.」
と,コメントする.
「ルアンさん.」
正直すぎる彼に,みゆはあきれた.
確かに今のウィルは男くさいし,僕というかわいらしい一人称が外見にそぐわないが.
「お父さんは変わらないね.」
ウィルはくすくすと笑った.
みゆとウィルはルアンに促されて,廊下から部屋へ入る.
ルアンが泊まっている宿の部屋は広く,バルコニーもついていた.
ベッドのほかに丸テーブルと二脚のいす,壁際にはソファーとタンスもある.
「ミユちゃんを,神聖公国から連れてきてくれてありがとう.」
ウィルが礼を述べると,ルアンは振り返った.
「カーツ村までだったけどね.」
息子の肩に手を伸ばす.
「こんなにも大きくなって,」
ウィルの身長は,ルアンと同じくらいになっている.
二年前は,ルアンよりも低かったはずだ.
「産まれたときは,あんなにも小さかったのに.」
ルアンの両目に涙が浮かび,ぽたりぽたりと落ちる.
「産声だって小さくて……,僕は君までいってしまうのかと…….」
しかしウィルは,あっさりと話題を変えた.
「お父さんに頼みがあるんだ.」
「頼み?」
きらーんと,黒の瞳が輝く.
息子に頼られるのが,うれしくてたまらない顔だ.
彼はみゆたちにいすに座るように勧め,自身はソファーに身を沈めた.
「お父さんの力で,ユリを異世界に返してほしい.」
腰かけたウィルが,テーブルの上でほおづえをつく.
ルアンは複雑な表情になった.
「彼女はチキュウへ,帰るつもりがなくなったよ.」
「どうしてですか?」
みゆはたずねた.
わが子を捨ててまで,カリヴァニア王国に来たのに.
「ライクシード王子のそばにいたいらしい.」
ルアンは苦笑する.
「彼には迷惑なことだけど.」
王城の廊下で会った百合の様子を,みゆは思い出した.
彼女は心細そうに,ライクシードを見つめていた.
やせた小さな体で,何も持たずに.
「白井さんがここまで来たのは,ライクシードさんのためだったのでしょうか?」
地球へ帰りたいというのは口実で.
百合とライクシードは,神聖公国の城で知りあっているはずだ.
「いや.王子に親切にされて,すがりつきたくなったのさ.」
みゆは何も言えなくなる.
「彼女は先のことを,何も考えていないよ.」
突き放すような,それでいて心配している口調だった.
「ユリのことよりも,――ウィル.」
ルアンは悲しげな雰囲気をまとったままで,息子に向き直る.
「ドナート国王から,カイルのことを聞いた.」
かすかに,ウィルの顔がこわばる.
みゆはできるだけ触れないようにしていたので,真っ向から切り出したルアンに驚いた.
「彼は,暗号の本に書かれていた神の意志に従っただけだ.」
ルアンは,寂しげにほほ笑む.
「君は悪くない.カイルを守れなかったことで,責任を感じることはないんだ.」
部屋に,沈黙が降りた.
やがてウィルは,ほおづえをついていた手を降ろす.
「師匠は,僕の目の前で首を切った.」
抑揚のない声で告げる.
「僕を道連れにした方がいいって,」
「ちがう!」
ルアンは立ち上がった.
みゆも叫びたかったが,彼の方が激しかった.
「カイルはまちがっている! そんな言葉に従うことはない.」
ウィルの肩をつかみ,揺さぶる.
「君は生きるべきだ.リアンの分まで生きて,幸福になってほしいんだ.」
ウィルは迷った顔で,目をそらした.
床を苦しげに見つめ,ゆっくりと口を開く.
「カイル師匠は死に場所を探していたのじゃないかって,ドナート陛下がしゃべっていた.」
「そうかもしれない.」
ルアンはまぶたを伏せた.
「ならば君は巻きこまれただけだ.」
「でも師匠は,」
頼りない声で,だがウィルはしっかと反論する.
「僕の知っているカイル師匠は,ずっとつらそうだった.」
みゆは,胸をつかれた.
ウィルはきっと,カイルの不幸に寄りそっていたいのだ.
みゆの想像以上に,カイルはウィルにとって大切な人だったのだ.
ルアンは,ウィルの体から手を離す.
腰を降ろして,いすに座っているウィルと目を合わせた.
「ウィル.今度こそ,僕の言葉を信じてほしい.」
一心に,息子に視線を注ぐ.
「僕は君を愛している.君の父親は僕だ.」
ルアンは微笑した.
「カイルが何を話したとしても,僕が否定する.君は,僕とリアンが愛し合った証だ.望まれて産まれた子どもだ.」
ウィルは黒の瞳を,ただ見開いていた.
「生きていてくれて,ありがとう.本当は君に再会したときに,あの大神殿で伝えるべきだった.」
みゆは,二人の親子を見守る.
「僕は,君を取り囲むすべてのものに感謝している.今まで君を生かしてくれたのだから.」
ウィルがいきなり,片腕で顔を覆う.
体が震えている.
ルアンは,そっと抱きしめた.
「僕は呪われていない.」
しぼり出すような,ウィルの声がした.
「当たり前だ.」
ルアンが力強く肯定する.
「生きる許しを得ているし,幸せになってもいい.」
「それが,僕とリアンの望みだよ.」
押し殺した泣き声が聞こえる.
「カイル師匠は,なぜ自殺したのだろう.」
先ほどのせりふに反して,ルアンは分からないと答えた.
「彼は孤独な人だった.けれど僕は彼を,一生忘れない.」
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