水底呼声 -suitei kosei-

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  11−7  

みゆはウィルと帰宅したとたん,ヘイテたちにしかられた.
いきなり家からいなくなったみゆを,彼女たちはとても心配したらしい.
シャーリーに誘拐されたと考えたようだ.
みゆはひたすら頭を下げてから,自室に戻って着替えを含め身支度をする.
部屋から出ると,廊下ではヘイテが待っていた.
「ずっとウィルは元気がなかったの.」
彼女は苦笑している.
「笑顔なんてほとんどなかったわ.このことを黙っていてごめんなさい.」
みゆは胸をつかれた.
ヘイテたちと再会したとき,ウィルは元気か? と質問した.
けれど,元気でいるはずがないのだ.
うぬぼれのようで恥ずかしいが,ウィルが自分と離れて楽しく暮らしているわけがないのに.
ヘイテとともに居間に戻ると,くだんの人物の笑い声が響いた.
「だって,手紙に『はやく来なさい.』と書いていたもの.」
テーブルについて,のんびりとお茶を飲んでいる.
「だから一番いい馬を買って,急いで来たよ.」
ウィルは体を洗って着替えたらしく,こざっぱりとしている.
ひげも消えていた.
「それにしても限度があるだろう.」
向かいの席では,村長が頭を抱える.
彼はみゆたちに気づくと,助けを求めるように声をかけた.
「ウィルはヒュドーから七日間で来たらしい.」
「ええ!?」
ヘイテは目を丸くした.
が,みゆには分からない.
ウィルの隣に座っているユーナが,優しくほほ笑んだ.
「普通は十五日以上かかるのよ.ヒュドーは王国南方の都市だから.」
そしてカーツ村は,北の端にある.
みゆはびっくりして,恋人を見返した.
「なんて無茶を! 食事は取ったのかい?」
ヘイテが今度はウィルをしかり出す.
「ある程度は.」
ウィルはにこにこと答えた.
彼女はため息を吐く.
「すぐに用意するわ.ミユもおなかがすいているでしょう?」
台所へさっと移動した.
よっこらしょ,と立ち上がって,ユーナもそちらへ行く.
みゆはやることがなく,ウィルに視線を移した.
ところが甘いほほ笑みに,目をそらしてしまう.
何を照れているのだ? と思うが,顔がいちいち赤くなる.
こんなにも男らしくなったなんて.
ヘイテが,テーブルの上に皿を並べ出した.
「ミユも座りなさい.」
「はい.」
遠慮がちにウィルの隣に腰かける.
意識しすぎて,恋人が見れなかった.
ヘイテからスプーンとフォークを受け取ったが,皿の上のキノコ料理に手をつけられない.
横から,熱い視線を感じる.
彼の隣にいて,平然と食事などできない.
緊張して体を固まらせていると,
「食べないの?」
ウィルに肩に触れられて,びくんと震えた.
顔を上げると,村長たちの姿が消えている.
「ヘイテさんは手を振って,出て行ったよ.」
ウィルはにっこりと笑う.
彼らは気をつかって,二人きりにしてくれたのだ.
しかしまったく気づかなかった自分に,みゆはショックを受ける.
視野がせまいにも,ほどがある.
ウィルが笑みをたたえたまま,手を伸ばす.
みゆの髪をなでて,しみじみと見つめた.
彼にとっては,二年ぶりの再会.
もう十八才なのだ.
「あ.」
みゆは驚いて,声を漏らす.
ウィルは首をかしげた.
のど仏ができている.
いや,できている,というのは正しくない.
二年前は目立たなかったのど仏が,目立つようになっていた.
これだけ声が低くなったのだから,当然かもしれない.
「いつから声が低くなったの?」
すると彼の表情がかげった.
「いっとき,声が出なくなって,……その後また,しゃべられるようになったのだけど,」
しばらくはガラガラ声で,さらに声が低くなったらしい.
「ごめんなさい.」
声を失ったきっかけに思い至って,みゆは謝罪した.
「なぜ謝るの?」
「つらいことを思い出させたから.」
カイルの死を.
「ミユちゃん.あのとき僕のそばにいたよね?」
みゆはうなずく.
「声が聞こえた.もし君がいなかったら,僕は壊れていた.」
死体の前で泣く姿が脳裏によみがえり,ぞっとした.
「ミユちゃんのほかに,長い黒髪の少女に出会った.僕に似た容姿の,」
「まさかリアンさん!?」
ウィルは静かに肯定する.
「私も,ウィルのお母さんに会ったの.」
最初に伝えなくてはならないことは,これだった.
「ウィルの名前を,」
「知っているよ.」
みゆは目をまたたいた.
「リアンさんが話したの?」
「うん.」
ならば伝える必要はない.
少しがっかりとしていると,ウィルがみゆを抱き寄せた.
「言って.」
耳もとでささやく.
「なんで?」
「君の声で聞きたい.君に呼ばれたい.」
熱っぽく口説かれて,頭の芯がしびれる.
ただ名前を呼ぶだけなのに,ひどく特別なことに思える.
みゆはできるだけ気持ちを落ちつかせてから,口を開いた.
「エリューゼ.」
リアンが大事に抱えこんでいた名前.
みゆに翼を与え,ウィルのもとへ連れて行った名前.
彼が反応を返さないので,不安になって,
「聞こえた?」
とたずねた.
「聞こえた.」
声は震えていた.
「たとえ世界が水没しようとも,君の声は届く.」
抱きしめ返して,大きな体に違和感を覚える.
だがそれは,太陽の光に溶ける雪のように消えた.
「初めて会ったときから聞こえていた.」
きっと名前と同じで,初めから決まっていた.
二人こうして,抱き合うことが.
「ずっと君を探していた,この命が始まる前から.」
深い海の底,暖かな潮の流れに身を任せ,みゆは瞳を閉じた.
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