水底呼声 -suitei kosei-

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  7−9  

再び,みゆは城に滞在することになった.
今度はライクシードではなくバウスの客人であり,ウィルとスミが一緒である.
隠れ家は,一階の窓はすべて割られて,食料品などが盗まれていた.
周囲には人だかりができて,引きそうにない.
さらに城からやって来た兵士たちも加わって,大騒ぎだった.
元の静かな生活を取り戻すことは,もはや不可能である.
家の惨状にぼう然としていると,バウスが絶妙なタイミングで,
「一晩だけでも城に泊まって,休まないか?」
と,いたわるように誘ってきたのだ.
みゆたちが城へ行くと決めると,ルアンは王子に息子たちをよろしくと言って,大神殿へ帰った.
翔は,手や足にもけがをしていたらしく,兵士たちに担がれていく.
ライクシードの姿は,いつからか消えていた.
カリヴァニア王国の本は,バウスたちには隠したかったが,簡単に発見された.
「城の書庫や国立図書館などの本ではない.盗難されたという話は聞いていないからな.」
王子は,にやりと笑う.
「どこかの神殿から,やったな.」
みゆは嫌な汗を流した.
だが彼は,本はみゆの所有物であるとして,兵士たちに“こっそり”城まで運ぶように指示を出した.
城に着くと,前回宿泊したときと異なる客室に通される.
ダイニングテーブルの上に,メイドたちが遅い昼食を用意してくれた.
何人かのメイドには見覚えがある.
しかし彼女たちは気まずそうに目をそらして,そそくさと部屋から立ち去った.
みゆの立場は,ライクシードの恋人から始まり,ころころと変わっていったのだろう.
朝食を取っていなかったスミは,ものすごい勢いで食べた.
おいしいですねとほめちぎっているが,味わっているとは思えないスピードだ.
情けないことに,口のまわりにソースがついている.
逆にウィルは落ちついて,黙々と食べている.
むしろ,少しだけ不機嫌だった.
まさか僕が作るものの方がおいしいと,すねているのだろうか.
みゆが一人で悩んでいると,扉がノックされて,翔が部屋に入ってきた.
顔のけがには,べったりと薬が塗られている.
右手と右腕には包帯が巻かれて,ゆったりとしたワンピースを着ていた.
彼が身につけていた日本の服は,貧民街の男たちに暴行を受けて,ひどく汚れたのだ.
はれ上がった顔で,ぎこちなくほほ笑む.
「改めてひさしぶり,古藤さん.」
みゆは扉のところまで行き,彼を迎えた.
「助けてくれてありがとう,柏原君.」
けがまでさせて,ごめんなさいと謝罪した.
「あれで助けなかったら,俺は人でなしだよ.」
翔は苦笑する.
「けがは大したことはないさ.俺は男だし.――ところで今,携帯を持っているか?」
唐突に,話題を変えた.
みゆがついていけないでいると,左手でこぶしを作って,電話のジェスチャーをする.
あぁ,それなら,とみゆはしゃべった.
「カリヴァニア王国の,世界の果ての森に捨てたの.」
「捨てた?」
彼は驚いたが,質問を続ける.
「どこの会社のものだっけ?」
みゆは所持していた携帯電話の,会社の名前を教えた.
翔は,そうか,と深く息を吐く.
「やっぱり古藤さんなんだな.えらく雰囲気が変わったから,別人かもしれないと疑ったけれど.」
彼はみゆを試したらしい.
携帯電話はこの世界には存在しない,地球の人間にしか分からないものだ.
翔は服のポケットから,折りたたみ式の携帯電話を取り出す.
「まだバッテリーが残っているの?」
みゆがたずねると,いいやと答える.
そして手慣れた様子で,ぱかっと開いた.
「古藤さんは日本へ,……帰るつもりはないんだな.」
「うん.」
静かに,肯定する.
携帯電話を,どれだけ久しぶりに見たのか.
しかし翔は,毎日のように眺めていたのかもしれない.
バッテリーの切れた携帯電話を.
みゆは彼に,神聖公国で手に入れた暗号本を持って,王国へ帰ることを告げた.
本を持って帰れば,おそらくカイルが翔を地球へ帰すだろう.
これで外交の使者としての,彼の役目は果たされるのだから.
「そうか.」
みゆの話に翔は喜ぶと思ったが,沈んだ調子でうなずいた.
「帰れるんだな,俺は.」
安心して,気が抜けたように見える.
「巻きこんで,ごめんなさい.」
翔と百合が召喚されたのは,みゆのクラスメイトだからだ.
「あぁ.」
彼は力なく応じる.
疲れきって,ぼうっとしていた.
「ミユちゃん,」
沈黙の中を縫って,黒の少年が声をかける.
「食事はいいの? 冷めちゃうよ.」
テーブルについたままで,みゆを呼んだ.
「じゃ,また.」
翔は部屋から出て行こうとする.
扉のノブに手をかけようとしたとき,扉が外側から開いた.
「うわっ!?」
「きゃ!」
部屋に飛びこんできた銀の髪の少女と,彼はぶつかりかける.
「ごめんなさい,ショウ.」
「ラート・セシリア?」
意外な訪問客に,みゆは驚いた.
だが少女の視線はみゆを素通りして,部屋の奥へ向かう.
「スミ!」
テーブルへ駆け寄った.
「よかった,心配したのよ.」
大喜びで,いすに座っている少年に抱きつく.
スミの顔が,見る見るうちに赤くなった.
「き,気安く抱きつくな!」
少女の体をべりっと引きはがす.
すばやくナフキンで,口のまわりをふいた.
みゆは,あっけに取られた.
二人は知り合いなのか?
いや,ルアンとバウスが知り合いだったのだ.
ならばスミとセシリアが知り合いでも,おかしくないような気がする.
ウィルは,黒の瞳をぱちぱちさせている.
本気で驚いている表情だ.
けれど少年は,にっこりと笑みを作り,
「どういうことなの,スミ?」
表面だけは優しく問いかける.
スミの顔が,今度は青くなった.
「そ,それは,」
すると先に,セシリアが口を開く.
「こんにちは.初めまして,ウィル.」
少女は遠慮がちにあいさつをしたが,ウィルはスミから目を離さない.
「スミ.」
返事を促した.
スミは観念して,話し始める.
「最初にセシリアと会ったのは,本当に偶然だったのですよ.」
そしてみゆたちは初めて,二人が街で会っていたことを知った.
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