水底呼声 -suitei kosei-

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  5−3  

みゆはルアンに連れられて,大神殿の奥へ歩いていった.
兵士たちは誰も追ってこない,すれちがう人もいない.
ルアンがある扉を開くと,下へ続く階段が現れる.
地下へ降りると,そこは薄暗くほこりっぽかった.
ところどころに,古い木箱が乱雑に積まれている.
さらに窓がないために,窮屈で息苦しく感じた.
せまい廊下を進んでいくと,廊下は大きく“コ”の字に曲がる.
「ここには神の塔があるからね,通路はう回しているんだ.」
「え? 建物の中なのに?」
大神殿の中に神の塔があるのか? といぶかしく思う.
「大神殿は,神の塔を囲うようにして建てられている.」
ルアンはくすりと笑う.
「大切な塔だから,風雨にさらさずに守っているのだよ.」
彼の口ぶりからは,大切にしているようには感じられなかった.
またしばらく歩いて,通路の途中にある扉の前で,ルアンは立ち止まる.
「ついたよ.ここにウィルがいる.」
みゆは,先に立つ彼を押しのけて,扉を開けようとした.
「待って.この部屋には僕の結界が張ってある.」
「結界?」
扉の取っ手をつかんでから,聞き返す.
「そう.僕の許可なしには,誰も部屋に入れない.」
ぎくりとした.
みゆの動揺を読み取って,彼はにっこりとほほ笑む.
「大丈夫だよ.さっきから僕たちの後をつけている男の子も,ちゃんと招待するから.」
ルアンは振り返り,廊下の暗がりに向かって話しかけた.
「出ておいで.君がいるのは分かっている.ミユちゃんが兵士たちに捕まらないように,影で動いていたのも君だろう?」
みゆが大騒ぎをして兵士たちの注意を集め,スミが内部を探る.
兵士たちはみゆを害せないし,もしもみゆが捕まっても,ウィルさえいれば簡単に救出できる.
むしろみゆがいったん“保護”された方が,スミは行動しやすい.
それが,みゆとスミの立てた作戦だった.
ルアンの視線の先,大きな木箱の影から,若草色の髪の少年が姿を現す.
口を固く引き結んで,彼をにらみつけていた.
「君もカリヴァニア王国から来たのかい?」
少年は険しい顔のままで,何も答えない.
「息子と同じだ.」
ルアンは,悲しそうに首を振る.
「何も教えてくれない.」
そして,みゆのために扉を開く.
部屋の中,ソファーの上に黒の少年が横たわっていた.

「彼は何者なのですか?」
みゆたちが消えた後で,ライクシードは神官長を問い詰める.
「息子とは,――まさか首都神殿からミユをさらった少年が,彼の息子なのですか?」
いったい何がどうなっているのだ.
ライクシードの頭の中は大混乱である.
しかも“私の恋人”だの“息子の大切な人”だの,悪い夢を見ているようだ.
ウィルの年齢から,そのような可能性はないと勝手に思いこんでいた.
彼女に恋人がいるとは,まったく考えていなかった.
「兄さま! 私,あの人と会ったことがあるわ.」
セシリアが,服のすそを引っぱって言う.
「首都神殿で,結界を直すために一緒に祈った人よ.とても強い力を持つ人だったわ.」
もしかしたらサイザー様よりも,と少女の声は低くなる.
神官長は,そばにいる兵士に命令を与えた.
「ラート・サイザーに,今のことを伝えてくれ.大神殿へ帰ってきてもらおう.」
「はい.」
命を受けた兵士は,すぐに走り出す.
ふと心づいて,ライクシードは神官長に頼んだ.
「城へも使いをやってくれませんか?」
みゆが見つかったと,兄や父に伝えなくてはならない.
しかし彼は,いんぎん無礼な態度で断った.
「ラート・ルアンのこともミユのことも,城の方には関わりのないことです.」
「何を,」
反論しようとするところを,セシリアが腕をつかんで止める.
「ミユを城へ連れて行って,兄さまはどうするの!?」
「それは……,」
呪われた王国からやって来た,彼女の真意を聞き出すのだ.
口を割らないのならば,乱暴な手を使ってでも白状させる.
結界を壊した罪を問い,極刑に処さなければならない.
けれど,ライクシードにはできない.
できないどころか,みゆを守ってしまう.
ほんの少し考えるだけで,自分の行動が予想できた.
彼女を好いてしまっている.
何も教えてくれなかった彼女を.
セシリアの言うとおりだ.
みゆを城へ連れて行って,自分はどうするのだ?
ライクシードにとっては,不都合なだけではないか.
「ミユのことは,城には黙っておく.」
「ありがとう,兄さま.」
少女は,ほっとしたように表情を緩ませた.
神官長は驚いて,瞳をまばたかす.
「よろしいのですか?」
「えぇ.その代わりに教えていただけませんか?」
聖女にしか許されないはずの,ラートという尊称を持つ男.
「彼は何者なのですか?」
神官長は,少女の方にちらりと目をやって,
「もはや隠し切れないですね.」
疲れたように,ため息を吐く.
「ただし,他言無用に願います.」

「ウィル!」
みゆは部屋の中に飛びこみ,ソファーの少年にすがりついた.
「ウィル,起きて!」
体を揺さぶっても,少年は目を覚まさない.
麻酔をかけられた患者のように,深く眠っている.
「ウィルに何をしたのよ?」
続いてやって来たルアンを,みゆはにらみつけた.
彼は,母親にしかられた子どものように口をすぼめる.
「だって僕が父親だと信じてくれないし,話を聞いてくれないし,それどころか逃げようとするのだもの.」
僕は全然悪くないと,言い訳をしているようだ.
「だから眠ってもらった.寝顔はかわいいだろう?」
無邪気に笑う.
「何を勝手なことを言うのよ.ウィルを閉じこめているだけじゃない!」
スミはそばには寄らずに,ルアンの背中を監視している.
すきあらば襲いかかるつもりなのかもしれない.
「いいのだよ,僕はこの子の父親なのだから.」
「父親だからって,」
みゆはふと,あることに思い至った.
「あなたが父親だという証拠はあるの?」
姿がそっくりなので,素直に彼がウィルの父親だと信じていたが.
「それに母親は? あなたが産んだわけではないでしょう.」
ルアンの顔が,悲しみに覆われた.
「この子は難産だった.」
声は重く,影を引きずる.
「母親は……,でもウィルを残してくれた.」
「ごめんなさい.」
みゆは謝る.
つらいことを思い出させてしまったのだ.
「僕にはもう,この子しかいない.」
彼は力なくほほ笑む.
「僕はこの子の父親だ.この体に流れる血が証拠だ.」
すっと首筋に手をやる.
「聖女,神の娘,ラートの末えい.古くは神の器とも呼ばれる.」
そこに,少年と同じ血が流れていると主張するように.
「僕たちはこの世界でただ二人だけの,ラートと呼ばれる男だ.」
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