水底呼声 -suitei kosei-

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  5−2  

大きな門の前まで,一人で歩いていく.
案の定,門を守る三人の兵士が,いぶかしげに眺めてきた.
何も言わないみゆに,一番年長の兵士が声をかける.
「お前,誰だ?」
しかし男装に気づいて,「失礼,お嬢さん.」と言い直した.
「大神殿に何の用だい? 君の望みをかなえられると,うれしいのだけど.」
レディファーストなのか,にこやかに応対してくれる.
「私は古藤みゆです.」
胸を張って名乗った.
「カリヴァニア王国の黒猫ウィルを,迎えに来ました!」
「はぁ?」
間抜けな返事をする兵士を無視して,閉ざされた門へ突き進む.
「こら! 待ちなさい.」
腹回りの立派な兵士が,みゆの肩をつかんで止める.
「あー!」
唐突に,一番若い兵士が声を上げた.
「聖女のミユだ.お手柄だぁ!」
大喜びで,みゆを抱き上げる.
「金貨三百枚は俺のものだ!」
まるでみこしのように,わっしょいわっしょいと肩に担いだ.
みゆは「降ろしてよ!」と叫ぼうとして,舌をかみそうになる.
年配の兵士と太った兵士が,みゆの顔を興味深げに観察した.
「この娘が新しい聖女様か.」
「もっとていねいに扱った方がよくないか?」
珍獣でも見る目つきである.
「離して!」
みゆは,じたばたと手足を動かした.
「門を開けてください.逃げられちゃうじゃないですか.」
みゆを担ぐ兵士が頼むと,ほかの二人の兵士は「へいへい.」と言って門を開ける.
「触らないでよ,いやらしい手で!」
門が開いたのを確認すると,みゆは男の肩の上で,さらに大騒ぎした.
「あんたなんか首にしてやる!」
「え?」
どうやらそのせりふには効果があったらしく,男の手に力がなくなる.
「痴漢,変態,女にもてないわよ!」
思いつくかぎりの悪口を言って,みゆは門の中へ突撃した.
前庭を駆け抜け,開いていた大きな扉をくぐって,建物の中に入る.
そこは広い吹き抜けのホールで,三階まで見渡せる.
視界に映るすべての人が,目を丸くしてみゆを見つめていた.
「ウィルを返して! ここにいるのは分かっているわ!」
踏ん張って,腹の底から声を出す.
「ちなみに私は聖女だからね.けがをさせたら怒るわよ!」
「待て!」
「聖女様!」
門を守っていた兵士たちが,後を追ってきた.
みゆは全力で走り出す.
目についた廊下に飛びこんで,
「どきなさい!」
道をふさぐ,山積みの本を持った男をどなりつける.
彼はおろおろと立ちすくみ,
「どけって言っているの,邪魔よ!」
「はい!」
迫力に押されて,道を譲った.
そしてみゆが通り抜けた後で,本をすべて落とす.
「なんで本が?」
腰をかがめて拾おうとするが,結果として兵士たちの進路を妨害してしまう.
「ばか野郎!」と怒声が飛んで,彼は「本を踏まないでください!」と言い返した.
「それどころじゃない! あの女はコトー・ミユだ.捕まえろ!」
彼らが言い争う間に,みゆは大神殿の奥へ進撃する.
廊下の角を曲がり,驚いて悲鳴を上げる巫女を避けて,
「ウィル,どこにいるの!?」
階段を駆け上り,踊り場で両手を口に当てて,
「ウィルーーー!」
心から,少年の名を呼んだ.

「くそ,なんて女だ!」
「とんでもない,じゃじゃ馬だな.」
二階の廊下を走るみゆに,幾人もの兵士たちがついていく.
聖女になる大切な女性だから,剣を向けることも弓で射ることもできない.
重いよろいを着ているのに,ただ追いかけて捕まえるだけだ.
しかも彼女を傷つけたら,こちらが罰せられる!
突然,先頭の兵士が何かにつまづいてこけた.
「うわぁ!?」
後続の兵士たちも巻きこまれて倒れる.
その間に,彼女はどんどん逃げる.

「ウィル,返事をして.私はここよ!」
階段を途中まで降りて,みゆは叫ぶ.
息が上がる,もうへとへとだ.
「待て!」
「おとなしくしろ!」
上の階から,兵士たちが押し寄せてくる.
けれど一人がこけて,全員が団子状態になって階段から転がり落ちた.
彼らは皆,立派なよろいを着ているので,見るも無残な惨状だ.
うめくばかりで,誰も起き上がれない.
彼らが落ちた理由を知っているみゆは,とりあえずごめんなさいと謝罪してから,階段を登った.
だが間抜けなことに,足を踏み外す.
「ぎゃ!」
手すりをつかもうと,伸ばした手が空を切る.
顔面から落ちる瞬間,みゆの体はぽーんと宙に跳んだ.
「ひゃあ!?」
わけが分からずに,とにかく両手で頭をかばう.
すると体が一回転して,柔らかく受け止められた.
「危ないところだったね,ミユちゃん.」
懐かしい声に,顔を上げる.
「ウィル,」
ところが期待した顔は,そこにない.
みゆは階段の下で,少年によく似た顔の男に抱かれていた.
「あ,ああああ!」
叫んで,男のえり首をつかむ.
「あなた,夢の中の?」
記憶が一瞬でよみがえった.
――僕はルアン,大神殿に住む黒猫だよ.
――君のおかげで,僕の息子が生きていることが分かった.
「そうだよ.大神殿へようこそ.」
みゆを降ろして,彼はにっこりとほほ笑む.
「来るとは思っていたけれど,こんなににぎやかな登場だとは思わなかった.」
「あなたがウィルを盗ったのね!」
なぜ少年が大神殿へ行く前に,思い出せなかったのだろう.
今さら,後悔してもしきれない.
「ちがうよ,取り戻しただけさ.あの子は僕の息子だから.」
「いいえ,私の恋人よ.返してちょうだい!」
兵士たちはルアンには手出しができないらしく,外巻きに眺めている.
「ラート・ルアン!」
その輪の中から,一人の年老いた男が出てくる.
白い服を着ていることから神官だろう.
「何をしているのですか? 何を言っているのですか?」
彼はこっけいなほどに,うろたえていた.
逆に冷静になったみゆは,自分の視界がぼやけていることに気づく.
眼鏡をどこかで落としたらしい.
きょろきょろと探していると,
「ミユ!」
老神官の後ろから,銀髪の青年と少女が姿を現す.
「髪が,それにその姿は…….」
驚いたことに,ライクシードとセシリアだ.
王子が前に出ようとするのを,「お待ちください!」と老神官が止める.
「神官長,ひさしぶりに会うね.ちょうどいいから,先に宣言しておくよ.」
すべての人の注目を集めて,ルアンは口を開いた.
「僕はもう十五歳の子どもじゃない.二度とあなた方に息子を渡さない.」
声は低く,黒の瞳には怒りが,――いや怒りよりも深い何かが映る.
「それからこの娘も.息子の大切な人のようだからね.」
神官長は苦しげに,目をそらした.
そして早口で,「ラート・サイザーに連絡します.」と告げる.
「好きにすればいい.」
対するルアンはゆったりとして,余裕が感じられた.
「でもきっと後悔するよ.この国を壊してでも,僕は息子を離さない.」
バウス殿下には悪いけどね,と笑う.
彼の情念に,みゆはぞくりとした.
しかし負けじと,私の方がウィルを好きだものと対抗意識を燃やす.
「さぁ,行こう.」
ルアンは,みゆの手を引いて歩き出した.
兵士たちは,とまどい顔で道を譲る.
ちらりと振り返ると,神官長の隣でライクシードが責めるような目をしていた.
何も答えられずに,みゆは首を戻す.
ルアンに導かれるままに,その場を後にした.
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