水底呼声 -suitei kosei-

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  4−4  

セシリアが大広間の扉を開けたとたん,ライクシードの隣に立っていたみゆが倒れた.
「ミユ!?」
ライクシードはあわてて,彼女の体を抱きかかえる.
眼鏡の奥の瞳は閉ざされて,手足はくたりとしていた.
「どうしたの?」
セシリアが目を丸くして,振り返る.
「ミユが突然,倒れたんだ.」
彼女の顔から血の気が失せていく.
「セシリア.すまないが,信頼のできる医師を呼んでくれ.」
「分かったわ.」と少女がうなずいたとき,大広間から一人の老女が出て来た.
「医師は必要ありませんよ,殿下.」
まゆを寄せて,険しい顔をしている.
「彼女は,私たちの祈りの気にあてられただけです.」
聖女サイザーの登場に,ライクシードは少なからず驚いた.
「体を置き去りにして,心をどこかへ飛ばしてしまったのでしょう.」
いつの間にか祈りはやみ,大広間の神官や巫女たちはこちらに注目している.
「セシリア,彼女がミユなのね?」
サイザーの質問に,少女は緊張した面持ちで「はい.」と答える.
彼女はセシリアの祖母だが,少女に向けるまなざしはいつも冷たかった.
「こんなにも大きな力を持つなんて.人間に許される限度を超えている.」
老聖女の声に恐怖がにじみ出る.
しかしライクシードには,みゆの力は感じられない.
普通の娘にしか思えないのに.
「まさか.」
独白のような言葉を漏らして,サイザーがぶるりと体を震わせた.
唐突に,みゆの全身が水にぬれる.
「え?」
妙なにおいがする水で,ライクシードはさらにとまどった.
サイザーが「なんてことを…….」とうめく.
セシリアは,ざっと顔を青ざめさせる.
遠巻きにして眺めている,神官や巫女たちの表情もこわばっていた.
ライクシードは,とてつもなく不安になったが,
「誰か,城へ早馬を出しなさい.」
サイザーが落ちついた声で,沈黙をやぶる.
「カリヴァニア王国との間の結界が切れたと,秘密裏に国王陛下に報告するのよ.」
しかし,とんでもない内容に仰天する.
「今,何と,」
口をはさもうとするが,それより先にサイザーは,別の神官に大神殿へ行くように要請した.
「黒猫をここに連れてきてちょうだい.結界を修復するためには,あの子の力が必要だわ.」
大広間で祈りが再開される.
巫女たちが寄り集まって,祈りの言葉をつむいだ.
神官たちは,
「馬の準備を.」
「禁足の森にも連絡しなければ.」
と言い合って,あちらこちらへと散る.
まさか本当に,結界が壊れたのか.
事実を受け入れたとたん,ライクシードはぞくりと震え上がった.
神に呪われた魔物たちが,洞くつからあふれ出てくる.
伝説の中でしか聞いたことのない,みにくくけがれた化けものたちが,
「この国は,おしまいよ!」
いきなり一人の巫女がわめきだした.
「その女のせいで.」
指差されて,ライクシードはぎょっとする.
「今すぐに殺して.でないと,結界がもっと壊されるわ!」
「取り乱すのではありません!」
サイザーが一喝する.
「私たちには浮き足立つ余裕はないのよ.心を落ちつけて,祈りを続けなさい.」
彼女は「できません.」と泣いて,へなへなと床に座りこんだ.
するとセシリアが,かすかに震える声で祈り始める.
一度乱れた水面が収まっていくのが,ライクシードにも感じ取れた.
少女は聖女としては足りないのかもしれないが,神の一族としては十分な力を持つ.
サイザーはライクシードに向き直った.
「ミユが結界を切ったのです.おそらく何かに混乱して,力を暴走させたのでしょう.」
老聖女の顔は真剣で,反論を許さない.
セシリアの顔も,ほかの神官や巫女たちの顔も同様だった.
「彼女は神殿で保護します.これ以上の暴走を許してはなりません.」
そしてサイザーは,一人の神官にみゆを連れて行くように命じる.
「外側からかぎのかかる部屋に閉じこめて.逃がしては駄目よ.」
「ミユは私が保護します.」
考えるよりも先に,ライクシードの口から言葉が出た.
彼女を守らなければならない.
これから先,どのような目にあうのか.
故意ではないとはいえ,みゆは結界を壊したのだ.
「何をおっしゃるのですか?」
サイザーがまゆを上げる.
ライクシードは,みゆを抱いたままで後ずさった.
そのとき,
「殿下?」
腕の中で,彼女が目を覚ます.

肉体に戻ったみゆは,自分の置かれている状況がさっぱり分からなかった.
えらく注目を集めているが,おびえられているようでもある.
潮の香りとぬれた体だけが,黒の少年と再会したことの証拠だった.
ライクシードの腕から降りると,彼が強く抱き寄せてくる.
「逃げよう.」
「え?」
彼は,みゆの手を引いて走りだした!
「殿下,お留まりください.」
ライクシードの前に,幾人かの男性が立ちふさがる.
色白で体の細い神官たちだ.
「どいてくれ!」
王子は彼らに体当たりして,強引に突き進む.
「ライクシード殿下!」
「ライク兄さま!?」
女性たちの声が追いすがった.
混乱する神殿の中を,みゆは王子に連れられて走る.
「何があったのですか?」
声を張り上げてたずねた.
「君は,神聖公国を守る結界を壊したんだ.」
振り返ると,兵士たちが追いかけてくる.
彼らはよろいを着こみ,剣を携えている.
廊下を駆け抜けて階段を下り,みゆたちは出口にたどり着く.
ライクシードが,木製の扉に手をかけた.
だが,開くはずの扉が開かない.
「なぜ!?」
王子は扉をどんどんとたたき,次に体当たりをした.
そうこうするうちに,兵士たちに囲まれる.
「扉は開きませんよ,殿下.この神殿には私の結界が張ってあるのです.」
兵士たちの間から,丈の長い白いローブを着た老女が現れる.
長い髪も,かすかに青みがかっているが白かった.
「さぁ,彼女を返してください.」
ライクシードは,みゆを背中でかばう.
「渡せません.ラート・サイザー,あなたのご命令でも.」
ラート・サイザーと呼ばれた女性の後ろには,セシリアが控えていた.
少女は,はらはらとした様子で,ライクシードを心配そうに見つめている.
彼は今,みゆのために相当な無茶をしているのだ.
兵士たちが包囲の輪を,じりじりと小さくする.
王子の手が腰の剣に伸びる.
みゆは彼の手を押さえつけて叫んだ!
「いけません,殿下!」
剣を抜いてはいけない.
兵士たちに切りかかれば,ライクシードは反逆者になってしまう.
ただでさえバウスに逆らい,城から抜け出したのに.
「しかし,」
とまどう王子に向かって,みゆは強い視線を送った.
「かばっていただいて,ありがとうございました.」
早口で話す.
「ですが,これ以上はやめてください.」
いくら彼が親切な性格とはいえ,ここまでしてもらうわけにはいかない.
ましてやみゆは,ライクシードに対してまったく誠実ではない.
カリヴァニア王国から来たのだと,真実を告げていない.
「それに私は,自分の行動には自分で責任を負います.」
意識的にやったわけではないが,みゆは確かに結界を壊した.
心の奥底で,ずっとそうしたいと思っていた.
ウィルに神聖公国に来てほしかったのだ.
ライクシードの顔をにらみつけたまま,みゆは慎重に彼の手を離す.
そして,自分を捕らえようとするサイザーの顔を見据えた.
彼女は厳しい目をして,みゆが来るのを待っている.
一歩を踏み出した瞬間,後ろから抱きすくめられた.
「行くな,」
強い抱擁から,彼の想いが伝わってくる.
なぜ,と疑うことができないほど,まっすぐに.
「君は私が守る.」
たくましい腕がみゆを包んだ.
誰からも何からも,きっとこの腕は守ってくれる.
けれどみゆは,ライクシードをけっして頼らないと決意した.
「ごめんなさい.」
みゆが想っているのは,彼ではない一人の少年だから.
腕の中から抜け出し,兵士たちのもとへ歩く.
振り返ることはしなかった.
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