水底呼声 -suitei kosei-

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  4−2  

首都神殿の中は,静まり返っていた.
それどころか,人一人見当たらない.
「皆,二階の大広間に集まっているのだろう.」
ライクシードはそう言って,奥へ進む.
みゆは彼についていった.
――カリヴァニア王国側から,結界に衝撃が加えられているのです.
ウィルが結界をやぶろうとしているのだろうか.
しかし,それは考えられない.
もしも結界をやぶることが可能ならば,少年は必ずみゆについて来てくれたからだ.
となると今,世界の果ての森では何が起こっているのか.
――追っ手は俺だけじゃありません.カイル師匠が精鋭部隊を引き連れてやってきます.
スミの言葉を思い出す.
みゆをこの世界に召喚した,黒衣の魔術師カイル.
彼が来たのか?
その結果が,洞くつから吐き出される黒煙と結界に与えられる衝撃なのか?
とてつもない大きな力でぶつかり合うカイルとウィルの姿が想像されて,みゆはぞっとした.
ウィルとスミの安否が知りたい,世界の果ての森へ戻りたい.
今,すぐに……!
はやる気持ちを抑えて,みゆはライクシードとともに小走りで廊下の角を曲がる.
すると,
「きゃっ!」
銀色の影とぶつかりかけた.
「セシリア!?」
王子が驚いた声を上げる.
「どうしたんだ? ミユを連れてきたぞ.」
「さっき結界が揺れたわ,相当強い負荷がかかったらしくて.」
少女は早口でしゃべる.
「こんなことは初めてよ.信じられない.」
青の瞳はふらふらと定まらず,少女の不安な気持ちを伝えた.
「今も揺れているのか?」
ライクシードの声も動揺している.
「いいえ.大神殿から来られた聖女サイザー様のお力で,揺れは収まったわ.」
「そうか,よかった.」
彼が安堵すると,少女は叫んだ.
「よくない! 私が祈っても,何もならなかった.」
「セシリア,」
「私が収めなくちゃいけなかったのに.サイザー様に頼らずに,私が!」
聖女としての期待に,少女はこたえられなかったのだろう.
そして,おそらく大広間から逃げてきた.
「やっぱり私には無理よ,聖女なんて.」
頭を抱えて,少女は弱音をこぼす.
「どれだけがんばっても,しょせんにせものなのよ.」
背負いきれないものを背負わされて,小さな子どもが震えている.
セシリアが哀れだった.
自分の責任ではないことで,少女は責められている.
廊下の奥から,巫女たちがやって来た.
「ラート,お戻りください.」
どうやらセシリアを追ってきたらしい.
「ミユ,お願いよ.」
彼女たちを無視して,少女はみゆにすがった.
「聖女になって.あなたなら,本当の聖女になれるわ.」
この重荷から私を解放してと.
「ラート・セシリア,」
聖女になり,神聖公国を守る.
そうすれば,カリヴァニア王国を守る方法も分かるだろうか.
「セシリア,今はその話はやめるんだ.まだ洞くつから煙が出ているのだから.」
ライクシードがなだめる.
「でも!」
何か言おうとするセシリアを,巫女たちが囲いこんだ.
「ラート,どうか大広間へお戻りください.」
「皆と一緒に祈ってください.」
少女は泣き出しそうな顔になったが,こらえて「分かったわ.」とつぶやく.
「聖女のふりでいいなら,いくらでもしてあげる.」
細い肩をいからせて,早足で歩き出した.
ライクシードの目に一瞬だけ,少女を取り戻したいという意志が光る.
けれどすぐに瞳の奥に隠して,「私たちも行こう.」とみゆにささやいた.

階段を登り,しばらく廊下を歩く.
ある扉のまわりに,五,六人の男の神官たちが座っていた.
「彼らの嘆きは神には伝わらぬ,彼らの怒りは神には伝わらぬ.」
瞳を閉じて,祈りをささげている.
「惑い,恐れ,人のあかし.流れる血潮を……,」
扉の奥からも,同じ言葉が漏れている.
ここが大広間なのだろう.
だが神に祈るわりには,不吉な内容の言葉だ.
恨み言のような祈りは,みゆの常識では考えられない.
この世界の信仰は,地球のそれと異なるからなのか.
祈りによって得られるのは,心の平安ではなく魔法の現象.
カリヴァニア王国の城でウィルが見せたように,雪を降らせたり花を降らせたり.
セシリアが扉を開く.
開いた扉から大きな力が流れてきて,みゆは圧倒された!
「あ,」
声が吸いこまれる.
落ちていく,頭からまっさかさまに.
それとも上がっていくのか.
世界が圧縮されたトンネルをくぐり抜ける.
一瞬,ライクシードが自分を呼んだような気がした.
緑色の世界が目に飛びこんで,木々のざわめく音が耳に届く.
みゆは,森の中にいた.
ぽつんと一人で立っていた.
「え?」
ぼう然として,声を出す.
この森には見覚えがある.
「スミ,カイル師匠の後ろに回って.」
少し高くて,幼い少年の声が後ろから聞こえた.
振り返ると,ウィルとスミがいる.
「了解です.どんな魔法を使うのですか?」
別れてから三日もたっていないのに,なんて懐かしい.
「氷だよ.巻きこまれて,一緒に凍らないでね.」
触れようと手を伸ばしたが,何もつかめずにすり抜ける.
「ウィル,」
黒の少年は,血のにおいをまとわりつかせていた.
両腕には包帯が巻かれているが,血がにじんでいる.
スミも,ひどいけがをしている.
出血は止まっているが,額の左側と左目の下に切り傷があった.
「ウィル! スミ君!」
大声で呼びかけるが,少年たちに届かない.
みゆは,肉体を持たないたましいだけの存在だった.
「ここは,世界の果ての森よね?」
神聖公国へ行くときに通った洞くつがある.
みゆは風になって,森全体を見下ろした.
洞くつのまわりの草木が焼け焦げている.
山火事でもあったかのように,真っ黒だ.
この煙が洞くつを通って,神聖公国に届いているのだろう.
少年たちの姿を見失ったことに気づいて,みゆは二人を探した.
すると簡単に見つかる.
ウィルが木々の間を駆けている.
動物のようにしなやかに,力強く.
ふいに伏せて,頭上を何本ものナイフがすべり抜ける.
少年の口は,魔法の呪文を唱えていた.
ばきんと大きな音を立てて,一本の木が氷に包まれる.
巨大な氷柱になり,そこから一人の男が現れる.
カイルだ.
左腕が凍りついている.
彼の背中にスミが肉薄し,右手の剣を振るう.
突然,カイルの左腕が燃え上がった!
炎がヘビのように動き,少年を襲う.
スミは避けたが,カイルは右手で短剣を構えていた.
やいばが,少年の腹部に刺しこまれる.
「やめて!」
みゆは叫んだ.
カイルがスミの顔面を,容赦なくなぐりつける.
鼻血を流して倒れる少年のもとへ,みゆは駆けつける.
逆にカイルは,どこかへと走り去った.
その先にいるのは,ウィル.
カイルの長剣が,黒の少年の首に迫る.
みゆは悲鳴すら上げられず,両目を大きく見開いた.
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