水底呼声 -suitei kosei-

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  4−1  

みゆは結局,図書館で子ども向けの神学書を二冊借りた.
そして散歩と称して,街を適当に歩く.
やんわりと断ったが,ライクシードが同行する.
まさか見張られているのだろうか.
それは十分にあり得ることで,むしろ今まで気づかなかったとは,なんとも間抜けな話だ.
知らず知らずのうちに,ため息が落ちる.
「甘いものでも食べるかい?」
ライクシードが通りの屋台を指差したが,みゆは首を振った.
カリヴァニア王国を救う方法.
神聖公国へ行けば,簡単に分かると思っていた.
自分の考えの甘さを痛感する.
ここでは神もカリヴァニア王国も,空に浮かぶ雲のように遠い.
本を読んでも,かけらさえつかめなかった.
「ミユ.」
呼びかけに顔を向けると,ライクシードがまんじゅうらしきものを二つ持っている.
「焼きたてだよ.」
魅力的な笑顔とともに,片方を差し出された.
みゆは断ったのに,わざわざ買ってきてくれたらしい.
「ありがとうございます.」
受け取ると,ほかほかと暖かい.
ちらっとまわりを目で探れば,街の人々にさりげなく観察されている.
王子との仲を,うわさされているのだろう.
みゆは気にしないようにして,まんじゅうにかぶりついた.
ところが唐突な違和感に,むせてしまう.
中にはアンコが入っていると思いきや,甘酸っぱいジャムだった.
なんとかのみこんでから,隣に立つライクシードにたずねる.
「これは何の果物でしょうか?」
しかし彼は口をつけておらず,険しい顔で空を見上げていた.
街のざわめきも,先ほどまでと異なる.
皆一様に,同じ方向を眺めていた.
みゆも視線をやると,青い空に一条の黒い煙がたなびいている.
首都の街が火事になっているのかと思ったが,そうではない.
あれは,もっと遠い,
「禁足の森だ.」
ライクシードのつぶやきに,みゆはぎくりとした.
禁足の森,カリヴァニア王国,世界の果てにいるウィルとスミ.
あの煙は,少年たちと関係があるのか?
関係があるのだとしたら,何が起こっている?
心臓が痛いほどに胸をたたき,足が煙の方向に向かって歩き出す.
が,
「城へ戻ろう!」
ライクシードがみゆの手を引いて,反対方向へ駆け出した.
「殿下!」
食べかけのまんじゅうと本が,手から落ちる.
「本が……,」
拾おうとするが,届かない.
どんどんと遠くなる.
禁足の森も,カリヴァニア王国も.
みゆは,なすすべもなく王子にさらわれた.

城の中は,街のようにざわついていなかった.
だがメイドたちではなく兵士たちが歩き回り,非常事態であることを教える.
みゆはライクシードに手を握られたまま,バウスの執務室近くまで連れられた.
――怖い.逃げ出してしまいたい.
けれど王子の手は強く,みゆを離さない.
部屋の前の廊下で,バウスが三人の兵士たちに指示を与えていた.
体格のいい男たちに囲まれても,王子の方が一段も二段も上にいるように見える.
それは彼が,王者の風格を持っているからだ.
「兄さん,街で煙を見ました.あれは……,」
ライクシードが声をかけると,彼はみゆの方に目をとめる.
無言で近づいてきて,
「あの煙は何だ!?」
胸ぐらをつかんで叫ぶ.
「お前は何をたくらんでいる!?」
「何をするのですか!」
ライクシードが,バウスからみゆを引きはがす.
みゆの体は恐怖で縮こまり,簡単に彼の腕の中に収まった.
「カリヴァニア王国へ続く洞くつから,煙は上っている.」
バウスが,ぎらぎらした目でにらみつける.
「さぁ,知っていることを洗いざらい吐け!」
腹の底からの大声に,みゆは震えた.
カズリになぐられたときの比ではない.
ひたすらに恐ろしくて,言葉が出ない.
「ミユは何も知りませんよ.」
答えられないみゆに代わって,ライクシードが反論した.
「煙が出たとき,彼女は私とともにいたのですから.」
「仲間がいるのだろう?」
バウスは舌打ちをする.
「後でいろいろと教えてもらうからな.そいつは部屋に監禁しておけ.」
そして兵士たちを引き連れて,執務室へ帰っていく.
バウスの姿が消えると,みゆは緊張の糸が切れて倒れそうになった.
「ミユ,すまない.」
だが,いつの間にかライクシードに肩を抱かれている.
「兄さんは君のことを誤解している.」
間近から顔をのぞきこまれて,みゆはぎょっとした.
「君を兄さんの前に連れてくるのじゃなかった.うかつだったよ.」
ライクシードの体を,ぐいと押して離す.
すると自分の体がぐらつき,足踏みをしてしまった.
「かばっていただいて,ありがとうございます.」
情けないことに,声が震えている.
バウスは分かっていた.
みゆがカリヴァニア王国から来たことを.
これから,どうすればいい.
あのバウス相手に,しらを切りとおすことができるのか.
いっそのこと,城から逃げた方がよいのではないか.
しかし,どうやって逃げるのだ.
ライクシードの手すら振りほどけずに,城まで連れてこられたのに.
ぐるぐると悩んでいると,
「殿下,」
横合いから声をかけられた.
「あの,お取りこみ中に失礼します.」
一人の若い兵士が,おどおどとした様子で立っている.
「私はラート・セシリアの使いで参りました.――あなたがミユ様ですか?」
「はい.」
みゆはうなずいた.
「ラートの願いです.今すぐ私とともに,首都神殿へ行ってください.」
兵士はそう言ってから,ライクシードにちらりと視線をやる.
彼がおびえるのは当然だった.
セシリアの命令を実行すれば,王子と対立するはめになる.
つい先ほどバウスが,みゆを監禁しておけとライクシードに命じたのだから.
「事情を話してくれ.」
王子が促すと,兵士は心持ち,ほっとした表情になった.
「カリヴァニア王国側から,結界に衝撃が加えられているのです.」
しかし結界が攻撃を受けるのは,珍しいことではない.
神聖公国の豊かな土地は,常に周辺諸国からねらわれている.
だが今回は,洞くつから黒煙が吐かれている.
さらに,かつてないほどの大きな力が感じられるという.
「奇跡の力を持つ者は皆,首都神殿に集まり祈っています.」
神の結界が壊されないように.
「ラート・セシリアはミユ様にも,一緒に祈ってほしいそうですが,」
「分かった.私が彼女を首都神殿へ連れていく.」
ライクシードは即断した.
「ですが,」
迷う兵士に対して,王子は安心させるようにほほ笑む.
「兄に逆らえるのは私しかいない.君はそ知らぬふりをしているんだ.」
バウスの命令に反して,みゆを城から連れ出す.
その罪を,彼は一人でかぶるつもりなのだ.
いくらセシリアの頼みとはいえ,そんなことをしてもいいのか.
城でのライクシードの立場が危うくなるのではないか?
「殿下,」
考え直すようにみゆは言おうとしたが,彼は「いいんだ.」とさえぎった.
「君は何も心配しなくていい.」
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