水底呼声 -suitei kosei-

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  2−5  

翌朝,体調を取り戻したみゆは,何か手伝えることはないかと村長たちにたずねた.
何もせずに,ただ滞在させてもらうわけにはいかない.
昨日倒れたとはいえ,みゆは病人ではないのだ.
「それなら,芋の皮むきをお願いするわ.」
村長の妻ヘイテはほほ笑んで,ごつごつした芋と包丁を渡してくれる.
ところが,みゆは困ってしまった.
包丁は,家庭科の授業でしか持ったことがない.
しかもグループ実習だったので,できるかぎり手を抜いていた.
とりあえず芋に包丁を,さくっと差しこんでみると,
「危ないよ,ミユちゃん!」
ウィルが血相を変えて,みゆから包丁を取り上げる.
「こんな包丁の使い方をしたら,けがをするよ.」
「どこの家のお嬢様だったのだい,包丁が使えないなんて.」
ヘイテはあきれた様子で,肩をすくめる.
そして仕方ないわねと笑って,包丁の持ち方から皮のむき方までていねいに教えてくれた.
「ありがとうございます.」
と礼を述べて,みゆは少しでも役に立てるようにがんばった.
だが料理を手伝えば鍋を黒こげにし,窓をぞうきんでふけば水の入ったバケツを倒し,服を繕えば指を針で刺し,すぐさまウィルが包帯を巻く.
手伝いどころか,大迷惑だ.
「ごめんなさい!」
と頭を下げて謝れば,
「いいのよ,一生懸命にやってくれているのだから.」
「誰でも初めのうちは,こんなものさ.」
村長もヘイテも,村長の母のユーナも,笑いながら許してくれる.
しかし,それでもなお失敗ばかりするみゆに,
「まるで笑劇のようね.」
彼らはあきれるを通り越して,おもしろがるようになってしまった.
さらにそれを助長するように,
「どんなひどい料理を作っても,僕が食べるから安心してね.」
ウィルが間違った方向にフォローを入れるから,ますます笑われる.
「ミユのためなら,腹を下すぐらい耐えるのだね?」
村長が笑いをかみ殺しながら聞くと,少年はにっこりとほほ笑む.
「焦げていても生焼けでも,鼻がもげそうなにおいがしても平気だよ.」
「今度こそ,おいしい料理を作るもの!」
むきになって言い返したとたんに,また鍋が吹きこぼれて,ヘイテもユーナも笑い出す.
優しい人たちに囲まれて,声を上げて笑う回数が増えた.
心地よい暮らしに慣れていく自分を,みゆは自覚した.
ウィルは徹底して,弟のふりをしていた.
その距離感が安心で,もの足りない.
自分のわがままな感情に,嫌気がさす.
いつか,お姉ちゃんと呼ばれそうで怖い.
恋人だったウィルが遠くなる.
地球での日々はさらに遠く,みゆは自分が日本人であったことを忘れそうになる.
予備校に行って,お昼ごはんはコンビニで,授業が終われば自習室で勉強して.
家に帰れば一人で冷めた夕食を食べて,自室に戻っても勉強以外にやることがない.
ほぼ毎日電車に乗って,けれど車両に乗りこむ瞬間は,いまだに足に震えが来る.
しかし今は,ヘイテと一緒に食器を洗ったり,ユーナに教わって編みものをしたり.
だが安穏とした日々は,唐突に終わりを告げた.

「追っ手が来たよ.」
村に滞在して四日目,夕食後のテーブルでウィルがささやく.
「迎えうつから,そばにいて.」
みゆは手を引かれ,少年の部屋まで連れられた.
「ウィル,追っ手って?」
すっかりと平和ボケをしていたみゆは,気持ちの切り替えができない.
扉をきっちりと閉めてから,少年は不可思議な笑みを浮かべた.
「城からの追っ手.昼ごろにこの村に侵入して,今はすぐそばにいる.」
みゆは冷たい手で,心臓をわしづかみにされる.
「ど,どこにいるの?」
恐怖にのまれながら,右へ左へ視線を配った.
追っ手? どんな? 忍者みたいな?
「君が呼べば,出て来るかもね.」
くすりと笑んで,少年はみゆを抱き上げた.
「どうやって呼べばいいの?」
ベッドに降ろされると,少年の表情が危険なものに変わる.
「簡単なことだよ,ミユちゃん.」
みゆは,強引に押し倒された!
「ウィル!?」
肩を押さえつけられて,ほおや耳もとにキスをされる.
「やだ! やめて!」
なぜかわき腹をくすぐり始める少年に,みゆはパニックになって叫ぶ.
「追っ手が来ているのでしょう!?」
じたばたともがいて,抵抗していると,
――ドタン!
何かが落ちた大きな音がして,
「何をやっているのですか,先輩!」
別の少年の声が響き渡る.
「俺がいることを分かっているくせに!」
緑の髪の少年が,真っ赤な顔で怒っていた.
「ほら,来た.」
ウィルが笑うと同時に,部屋中の壁,天井,床に不思議な紋様が浮かび上がる.
獲物を捕らえる,きかがく模様のおり.
「結界!?」
おびき出された少年は,後ろへ飛びずさる.
一瞬の差で,複数のナイフが少年のいた場所に突き刺さった!
「ひさしぶりだね,スミ.」
第二射のナイフを片手に持ちながら,ウィルが親しげに声をかける.
「おひさしぶりです,ウィル先輩.」
スミと呼ばれた少年は剣を抜き,真正面に構えた.
肩が上下に動き,少年の荒い呼吸を視覚的に伝える.
状況の激変を,みゆはただ見守った.
この少年には,見覚えがある.
夜の王城で,ウィルの部屋へ案内してくれた少年だ.
「あのときの男の子?」
思いがけない再会に,みゆはとまどう.
「ごめんなさい,ミユさん.」
スミは律儀に謝った.
「俺,ウィル先輩を殺して,あなたを連れ戻すために来ました.」
少年の真剣な表情が,みゆの心を不安に波立たせる.
「私が,儀式のいけにえだから?」
一瞬,つらそうな顔を見せてから,少年は肯定した.
「そうです.」
姉を犠牲にして生き残り,次はひとつの国を犠牲にして生き残るのか.
「我はしもべ,神の栄光に頭垂れるのみ.」
ガシャン! と派手な音を立てて,剣とナイフが交わる.
信じられないことに,ウィルは小さなナイフで剣を弾き返した.
「御身を覆う衣を,そのかけらを恵みたまえ.」
けれどスミの体は退いていない.
ぶんと大きく剣が振るわれ,ウィルは踊るようなステップでかわす.
「彼らのもとへ祝福を,」
この王国は海に沈む.
大地が沈めば,ここに住む人々が死ぬ.
「彼らの誉れは,御神のためにあること!」
天井まで届く火柱が,ぼぉと立つ.
しかしスミは,床に転がって逃れている.
「腕の一本ぐらいはいただきますよ,先輩!」
沈んだ体勢から一気に,ウィルに飛びかかる.
ヘイテが死ぬ.ユーナも死ぬ.村長もカーツ村の人すべてが死ぬ.
「無理だと思うよ,スミ.」
旅の途中で出会った行商人の男も,小さな集落の子どもたちも,宿屋のおかみも主人も.
「どうせ殺されるのなら,俺は!」
かわいい妹のようだったメイドのツィムも,おいしい料理を食べさせてくれた料理長のバースも.
親切だった城の人たちすべてが.
「やめて!」
みゆは殺しあう二人の間に飛びこんだ!
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