宇宙空間で君とドライブを

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  6−1  

 信士の家は、マンションの七階にあった。3LDKの、何の変哲もない間取りだ。両親が健在だったころ、朝乃が住んでいた家に似ている。朝乃は、分譲マンションの角部屋に住んでいた。どちらかというと裕福な家庭だった。
 昔を思い出して、朝乃はセンチメンタルな気分になった。が、リビングの隅に置かれているダンベルとよく分からないいすが、現実に引き戻す。ふたつとも筋肉トレーニング用で、信士が使うのだろう。朝乃の家には、そんなものはなかった。
「君も使うか?」
 信士がうきうきと聞いてきた。
「遠慮します」
 朝乃は本心から断った。信士が周囲から、忍者と言われるのは当たり前だ。ドルーアが嬉々として、話に割りこんでくる。
「食後に貸してください。またチャレンジしたいです」
 どうやらドルーアは、前回の訪問時にやったらしい。彼と信士は楽しく、あれやこれやと話す。ドルーアは、体を鍛えるのが好きなようだ。スポーツジムにも通っているらしい。おしゃべりをしながら、リビングのテーブルで昼食が始まった。
「いただきます」
 朝乃は、チキンバーガーにかぶりついた。チキンバーガーのほかには、フライドポテト、オニオンリング、豆腐ナゲットがある。朝乃たちは正方形のローテーブルに向かい、座布団に座っていた。正方形の一辺にひとりずついる。
 それにしても、約一週間ぶりに食べる肉はおいしい。朝乃は幸せな気分だ。ドルーアがうれしそうに、こちらを見ている。何だろう? 朝乃は、ほおを赤らめた。
「君は、ソーセージやベーコンも好きかい?」
「はい」
 ソーセージが好きなんて、子どもっぽいかな。そうは思いつつも、朝乃は肯定した。
「ならあさっての金曜日に、僕の家に昼食を食べにこないか? 君のために、おいしいポトフを作ってあげるよ。ソーセージとベーコンをたっぷり入れてね」
 ドルーアはにこにこと笑う。予想していなかったことを言われて、朝乃は驚いた。
「ポトフに焼きたてのパン。スライスしたバゲットに甘いチーズをのせて、ハチミツをかけよう。大きな鶏肉を買って、ハーブと一緒にオーブンで焼こう」
 すばらしい提案に、朝乃はよだれが出そうになった。しかし、
「いえ、でも、……私はドルーアさんのお世話になりっぱなしで」
 遠慮しなくちゃいけない。けれど朝乃は誘惑に負けそうだった。彼は、ポテトを一本食べて笑った。
「じゃあ、君が僕の家で、ポトフや鶏肉のハーブソルト焼きを作ってくれないか? 功と翠がいつも、『朝乃の作る料理はおいしい、プロ級だ』と自慢してくるんだ」
 信士が感心したように、朝乃を見る。
「それはお世辞というか……」
 朝乃は恐縮した。功と翠は、ほめすぎだと思う。ドルーアはお構いなしに、しゃべり続ける。
「材料は僕が用意する。ふたりで食べよう。……そうそう、あさっての午前はハードな仕事で、昼食を作る余裕がないんだ。でも家で食べたい。ピザとか宅配は嫌だ。君が作ってくれると、ありがたいのだけど」
 ドルーアはちらりと朝乃を見た。
「それなら……」
 彼のために、おいしい食事を用意したい。ドルーアに対する、ちょっとした恩返しにもなるだろう。
「がんばって作ります」
 世界一おいしいポトフを作ろうと、朝乃は決意する。
「ありがとう。僕も手伝うよ。君は本当に、僕の天使だ」
 ドルーアは満足げに笑った。信士があきれた顔をして、大きなハンバーガーを食べている。だが彼は、いつもどおりの無表情に戻った。
「私は、誘拐未遂事件の黒幕はイーサンで、ラ・ルーナ軍は実行犯として利用されただけと考えている。ドルーア、君の考えはどうだ?」
 ドルーアはすぐに、まじめな話にふさわしい表情になった。
「同意見です。イーサンがどのようにラ・ルーナ軍とつながっているのか不明ですが、調べればすぐに分かるでしょう」
 信士は同意してうなずく。ふたりの会話を聞いて、朝乃は考えた。
「軍隊が、外国人の命令を聞くのですか? それにイーサンさんは、ヌール軍の将官ですよね」
 なぜラ・ルーナ軍が、ヌール軍中尉であるイーサンのために動くのか? しかも、私的な悪事のために。
「そこは権力と金次第だと思う。あと、ヌール軍はちょっと特殊な集団なんだ。通常の軍隊とはちがうというか」
 ドルーアは、オニオンを食べながら答える。言いづらそうな感じだった。少し黙ってから、微妙に話題を変える。
「誘拐が失敗した以上、イーサンは、実行犯として捕まったラ・ルーナ軍人たちを切り捨てるでしょう。浮舟警察がどれだけがんばっても、市長の鈴木さんが証言したとしても、イーサンにはたどりつけないと思います」
「だから君が、イーサンに会いに行くのか?」
 信士の質問に、ドルーアは肯定した。
「そうです。僕なら、ヌールに入国することが可能ですし」
 そこで昼食が終わった。家主の信士が、食事の片づけを始める。朝乃とドルーアは手伝った。とは言っても、ファーストフードなので、食事を包んでいた紙を捨てて、ふきんでテーブルをふくぐらいだったが。
 テーブルがきれいになり、信士はキッチンの方へ消えていった。朝乃はあることを思い出して、座布団にあぐらをかいているドルーアに問いかける。
「ドルーアさんはなぜ、市長との話し合いに私を連れてきたのですか?」
 朝乃はあの場で、一言もしゃべっていない。滞在許可証もドルーアが受け取って、タクシーの中で朝乃に渡した。
 朝乃は誘拐未遂事件の被害者で、滞在許可証をもらう本人だ。だが朝乃がいなくても、あの話し合いや許可証の受け渡しは成立した。朝乃は、存在する必要がなかった。
「それは君が、事件の被害者だからだよ。僕は、鈴木市長が君に謝罪することを期待していた。しかし彼女は誠実に対応したいと言いつつも、謝罪しなかった」
 ドルーアは厳しく言う。確かにタニアは、朝乃に謝らなかった。とはいうものの、彼女は朝乃を申し訳なさそうに見ていた。それで想いは伝わった。よって朝乃に不満はない。だがドルーアには不満だったのだろう。
「けれど、第一の目的は果たされた。僕の目的は、市長から事情を聞くことだった。彼女は積極的には誘拐にかかわっていない、なんらかのおどしを受けたのだろうと予想していたから」
 ドルーアの話に、朝乃は相づちをうつ。
「市長と対決し勝つのではなく、交渉するのでもない。信頼されて、情報をもらう。そのためには、君が同席した方がうまくいくと思ったのさ」
 ドルーアは笑った。ところが朝乃は首をかしげる。
「私は何もしていませんが、お役に立ったのでしょうか?」
 ドルーアは首を縦に振る。朝乃は、やっぱり納得できない。朝乃以外では、タニアの息子であるクリストスも、あまり役に立っていなかった。彼は考えていることが、ほぼ顔に出ていた。
 ただ朝乃も、似たようなものだっただろう。朝乃とクリストスは、それぞれドルーアとタニアの足を引っ張っていた。朝乃はあれ? と気づく。ドルーアは、タニアに勝つつもりはなかったと言った。むしろ、勝ってはいけないというニュアンスだった。つまり、
「私は、足手まといとして必要だったのですか?」
 朝乃はたずねる。そしてクリストスも、足手まといとして必要だったのだ。タニアも、ドルーアを打ち負かすつもりはなかった。ドルーアは苦笑する。
「そういうわけではないよ」
 彼は手を伸ばして、朝乃の頭をなでる。
「君は僕の弱みで、守るべきもので、宝物だから。ただ存在するだけで、意味があったのさ」
 うまくごまかされた気がする。けれどドルーアは、いつも朝乃を大切にしてくれる。だから、タニアが謝らなかったと不満に感じたのだろう。彼の不満は、ありがたいものだった。信士がリビングに戻ってきた。手には、ガラスコップをふたつ持っている。
「朝乃君にはリンゴジュース、ドルーアにはアイスティーだ」
 朝乃とドルーアの前に、コップを置く。朝乃が礼を言おうとすると、玄関の方からドアの開く音がした。
「ただいま」
 若い男性の声がする。予想外の家人の帰宅に、朝乃はびっくりした。信士もふしぎそうに、玄関の方に視線を向ける。まだ姿の見えぬ人に声をかける。
「一郎、どうした? 今日は遅くなると言っていただろう?」
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