宇宙空間で君とドライブを

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  5−13  

「マイ・エンジェル。僕は君のことを、分かっているようで分かっていなかった」
 ドルーアは拍子抜けしたように笑った。
「ちがうことばかり想像していたよ。家には持ち帰らず、あたたかいものをレストランで食べたいのかなとか、ピザの方がよかったのかなとか」
 彼は愉快そうに話す。
「たまに菜食主義者で、肉を食べる人たちを強く非難する人たちがいるんだ。君もそうなのかな、とさえ考えた」
「ちがいます。私は、……その、信士さんに言われたとおりに」
 朝乃の声は小さくなる。好きな男性の前で肉を食べたいと主張するのは、朝乃にははずかしいことだった。
「今回は私のおごりだ。遠慮なく食べたまえ」
 信士が言った。朝乃は迷ったが、彼に甘えることにした。メニュー表を見て、チキンバーガーを選ぶ。やっぱり肉を食べたい。
「ありがとうございます」
 朝乃は礼を述べた。
「どういたしまして」
 信士は表情を柔らかくする。するとドルーアが、神妙な声でつぶやいた。
「だいたいの場合、地球人は肉をこのんで食べる、月面人は肉をほとんど食べない。この食生活のちがいが星間戦争の一因ではないか、と僕は思います」
 朝乃はふしぎな気持ちで、話を聞いた。肉が原因で、戦争が起こった?
「戦争支持者の中には、肉を食べるような野蛮な地球人たちとは相いれないと主張する人たちもいます。面と向かって、『肉食のやつらはくさい』と暴言を吐く人たちも」
 ドルーアは嫌そうに、みけんにしわを寄せる。
「地球からの移民はくさいと、一郎が学校でいじめられたことがあったな。開戦後すぐのことだ」
 信士が低い声で言う。一郎は信士の息子で、今は大学生だ。
「ただ地球人の方でも、月面人に対して差別や偏見がある。二十一世紀、月面都市ができたばかりのころ、月で産まれた子どもたちを人類、――ホモ・サピエンスとして認めるかいなか議論されたという」
 そのような歴史を、朝乃は知らなかった。ドルーアがうなずいて、話を引きつぐ。
「百年以上前にそういう議論があったと、月面開拓史の授業で習いました」
 それから彼は、朝乃に説明する。
「基本的に、月で生まれ育った人たち、……つまり僕たちは、地球で産まれ育った君たちより体が弱いんだ」
 ドルーアは残念そうに、左腕をさする。これは朝乃も、くわしくはないが知っていることだ。月は地球より、重力が小さい。さらに太陽の光も浴びれない。なので、ありていに言えば、月面人はひ弱になるのだ。
「骨が弱く、筋肉も少ない。ほかにもいろいろあるが、僕たち月面人はそんなわけで、高重力の地球に降りられないんだ」
 もしも地球に行きたければ、事前に相当に過酷な訓練が必要となる。その訓練を終えて地球に行っても、しばらくの間は車いすだ。また太陽の光で目を傷めないように、サングラスをかける。ほかにも、さまざまな方法で体を守らなければならない。
「そんな地球環境に適応できない子どもたちを、人間と言っていいのか? そもそも人とは何か? 当時、議論は白熱したが、すぐに決着がついた。月面人は、地球人と同じ人類であると」
 朝乃は興味深く、ドルーアの話を聞いた。今度は信士がしゃべり始める。
「それに地球で産まれ育った人間でも、月へ行き月の低重力に慣れれば、地球に降りられなくなる。だから月面人だけが、地球へ行けないわけではない」
 朝乃はうなずいた。朝乃は月に来て、何のトレーニングもせずに約一週間がたった。自覚はできないが、筋力はおとろえているだろう。もう地球には戻れない。戻りたいのなら、厳しいリハビリが必要になる。
 信士はどうなのだろう。彼は体を鍛えていそうなので、地球に行けるのかもしれない。
「地球で生まれようが月で生まれようが、体が強かろうが弱かろうが、人間は人間だと私は思う。しかし二十三世紀の今でも、一部の地球人たちは、月で産まれた人たちを同じ人類と認めていない。よって対話より、戦争を選ぶのかもしれない」
 信士の声は苦い。ドルーアはまじめな顔で、話を聞いていた。それから口を開く。
「自分とは異なる食生活、住環境、文化、宗教、民族、肌や髪の色など。それらを許容できない人たちが、戦争を起こすのかもしれません。もちろん戦争が始まる理由は、ほかにもあると思いますが」
 信士とドルーアの会話の内容は、朝乃にはものめずらしかった。戦争とは、なぜ起こるのか。火星を取り合っているだけではないのか。
「ほかにもあると言えば、――ドルーア、君はイーサン・クルゼルと面識があるのか?」
 信士が問いかける。朝乃は首をかしげた。今の話の流れだと、戦争が始まる理由のひとつが、朝乃の誘拐を画策したイーサンのようだ。
「ヌール宇宙軍に所属していたときに、何度か会ったことがあります。その当時、イーサンはヌール軍中尉でした。僕と彼は不仲でした」
 ドルーアは苦笑する。
「ドルーアさんは軍人だったのですか?」
 朝乃はびっくりした。軍服を着て、宇宙にいるドルーアが想像つかない。彼は宇宙戦艦に乗って、地球と戦っていたのか? ドルーアは気まずそうに話す。
「軍人だったとは言っても、開戦前のことで、一年未満でやめた。そう言えば、大型の宇宙船舶免許は取れなかったな」
 彼は後悔しているようにも、していないようにも見えた。少し懐かしそうでもあった。思い返せばドルーアは、手慣れた様子で銃を扱っていた。軍にいたときに、訓練していたのだろう。
「話を戻しますが、ドラド社の方でも、クルゼル財閥とは距離を置いていますね」
 ドルーアは信士に言った。
「あの、クルゼル財閥とは何ですか?」
 朝乃は遠慮がちにたずねた。多分、この質問は初歩的なものだろう。世間知らずな自分が情けないが、聞かなくては話についていけない。案の定、ドルーアと信士はちょっと驚いた顔をした。ドルーアは考えながら話す。
「簡単に説明すると、財閥は大金持ちの集団だ。同一血族によって運営されることが多く、たくさんの企業を支配下に置く。また傘下に、銀行や大学などがある場合もある」
 なんだかすごいな、と朝乃は思った。
「全世界に財閥がいくつあるのか知らないが、特に大きなみっつを三大財閥という。極端な話だが、この三大財閥が世界を、――経済界や財界を支配している。クルゼル財閥は、その三大財閥のひとつさ」
 すごいどころの話ではない。朝乃はごくりと、つばを飲みこんだ。三大財閥の御曹司であるイーサンが、朝乃を誘拐しようとした。浮舟市長のタニアが誘拐を止められなかった理由が、分かった気がする。
「ちょっとヌールに帰ろうかな」
 ドルーアは何かを思いついたらしく、つぶやいた。月面都市ヌールには、彼の家族が住んでいる。ドルーアはヌールの軍人だったし、彼の故郷はヌールなのだろう。
「ご家族に会いに戻るのですか?」
 朝乃はたずねた。ドルーアは首を縦に振る。
「それもある。父からは一度、家に帰るように言われているし。けれど目的は、もうひとつある。僕はイーサンと顔を合わせて、しゃべりたい」
「え?」
 朝乃は驚いた。信士の顔も厳しくなる。イーサンと会って、何を話すのだ? ドルーアは笑った。
「彼は僕が朝乃を保護していると分かった上で、朝乃を拉致しようとしたんだ。イーサンにも、彼の家族にも会おう。イーサンがどんな反応をするのか、楽しみだ」
 緑色の瞳に、苛烈な光が宿る。おそらくドルーアは、イーサンに対して怒っている。何か仕返しを考えているのか? それとも自首を促すのか。
 しかし朝乃がドルーアを怖いと思う前に、彼は表情を穏やかなものに変えた。ドルーアは窓の外を見る。あっという間に営業用の笑顔になった。
「店に着いた。窓を開けて、僕がハンバーガーを受け取るよ」
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