宇宙空間で君とドライブを

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  3−1  

 朝乃とドルーアを乗せたタクシーは、浮舟の中心部に向かって走っていた。ドルーアと功の住む郊外の住宅地から、ビルが建ち並ぶ都心部へ移動しているのだ。ふたり乗りの小型タクシーで、もちろん自動運転だ。朝乃とドルーアは、隣あって座っている。
 朝乃は興味しんしんで、窓から見える外国の街並みを見ていた。今、走っているあたりは飲食店が多い。どの店も店の前に、テーブルといすがたくさん置いてある。そして、ちょうどおやつどきなのか、人々が楽しそうにパフェやケーキなどを食べていた。
「外で食べて、雨に降られないのですか?」
 朝乃は首をかしげる。今、日本では梅雨の季節だ。ドルーアは微笑した。
「月面都市では、人口的にしか雨は降らない。だからいつどこで降るか、みんな分かっているんだ」
 あ、と小さく声を上げて、朝乃は少しはずかしくなった。確かに、ドルーアの言うとおりだ。そしてパフェやケーキも、見た目は日本のものと似ているが、きっと中身はちがう。卵や牛乳をほとんど使っていないものかもしれない。
 街を歩く人々は、朝乃の目には外国人がいっぱいとしか映らない。黄色、赤、黒、茶色など、すべての髪の色がそろっているのかもしれない。肌の色もそうだ。服装も、みんな好き勝手なものを着ている印象だ。
 ほぼ鎖国状態の日本で生まれ育った朝乃には、めずらしい光景だ。これだけばらばらの人たちがそろっていて、なぜみんなケンカせずに普通に過ごしているのだろう。
 街中の看板は、月面英語で書かれている。たまに、日本語が併記されているものもある。
「空が高いですね。さっきからどんどんと高くなっていきます」
 朝乃は奇妙なものを見るように、空、――ドーム都市の天井を見る。
「ドーム都市は半球型をしているから、街の中心に行けば行くほど、建物も空も高くなるんだ」
 建物は全部、とてもきれいだ。街中には、街路樹や花壇などが多い。公園らしい場所もいくつか見かけた。日本よりも、緑が多いのかもしれない。
 タクシー内では、陽気でハイテンポな歌が流れ続けている。きっと月で人気のある男性歌手だろう。五曲ほど聴いた後で、次は女の人が歌う静かな曲になった。伴奏はピアノだけだ。
「月面都市は、薄暗く、無機質で、冷たく暮らしづらいところと思っていました」
 朝乃は月面都市を、ネット上の写真や動画でしか見たことがなかった。また朝乃にとって、月面都市はすべて敵国で、両親の敵だった。
「あぁ」
 ドルーアは生返事をする。
「けれど実際は、明るくてきれいで、みんな楽しそうです」
 今の季節、日本は暑くてじめじめしているが、浮舟は涼しくてからっとしている。
 朝乃は視線を、車内へ移した。ドルーアはぼんやりして、目を窓の外に向けている。疲れているのだろうか。彼は朝乃に巻きこまれて、命がけで戦ったり病院に行ったりした。それとも、歌に聴きいっているのか。優しく包みこんでくれるような歌声だ。
 ドルーアの好きな歌手だろうか? 朝乃は彼のことを、もっと知りたい。
「好きな人ですか?」
 ドルーアは夢からさめたように、はっとした。朝乃の方を見て苦笑する。
「朝乃、そろそろ寝た方がいい」
 ドルーアは、左手首にはめた腕時計型コンピュータを見た。タッチパネルを、ぽんぽんと指でたたいてから言う。
「今は、日本時間の午後十時四十二分だ。そして君は疲れている。月面都市がめずらしくて見たいという気持ちは分かるが、もう眠った方がいい」
「はい」
 朝乃はうなずいた。タクシーに乗る前も、ドルーアと功にそう言われた。
「ここから入国管理局まで、車で二時間くらいかかる。車内では休憩を取った方がいい」
「管理局に着けば、君は休めない。だからタクシーの中では、ちゃんと眠るんだ」
 朝乃は、彼らの意見に従うつもりでいた。が、実際には景色ばかりを見ていた。
 ドルーアは優しく笑うと、朝乃の体を抱き寄せた。強引に朝乃の頭を、ひざの上にのせる。朝乃は真っ赤になった。これは、ものすごく子ども扱いだ。朝乃は、顔にかかった長い髪を手で払った。
「私は、子どもではありません」
 一生懸命、抗議する。だがドルーアは、楽しげに笑う。
「浮舟では、二十才未満は子どもだ。大人に甘えていても許される。そして日本では、――これは功から聞いたが、十八才未満は子どもらしい。ところでマイ・ハニー、君の十八才の誕生日はいつだい?」
 朝乃は言葉に詰まった。年齢を持ち出されると、反論しようがない。
「十一月九日です」
 朝乃は答えてから、あれ? と思った。ドルーアは、朝乃が十七才と理解している。自分の恋人には、十五才と言ったのに。けれど朝乃が問いただそうとする前に、
「まだ半年くらいさきだ。当分、子ども扱いでいいかな?」
 ドルーアは、朝乃の頭をなでた。彼の笑みは、安心しているようにも見える。子どもの朝乃は受け入れるけれど、子どもではない朝乃は受け入れられない。そんな拒絶を感じた。
 多分、ドルーアにとって、朝乃は十五才の方が都合がいいのだろう。功も、ドルーアはお兄さんとして慕えばいいと言っていた。
 朝乃はドルーアの言葉に、はいともいいえとも答えずに目を閉じた。へりくつをこねても、朝乃の年齢は上がらない。十七才のままだ。
 そして朝乃は、彼を嫌いになれない。気持ちはちゅうぶらりんで、始まったばかりの恋をどう扱っていいのか分からない。だから今は、子どものままで眠ってしまおう。ドルーアには、きれいな恋人がいるのだから。

 功の家で、朝乃は彼に浮舟に亡命すると告げた。功はとても喜んだ。ほっとしているようにも見えた。おそらく彼は、朝乃に亡命してほしかったのだろう。亡命するように命令したりはしなかったが。
「急いで亡命申請を出さないといけない。今の君は、浮舟に密入国している状態だ」
 功は真剣な顔で言う。密入国は犯罪だ。罪をおかしている自分に、朝乃の気分は重くなる。
「ただ、ここから入国管理局は遠い。だから今日は電話だけして、明日行こう」
「電話をかけたら、今すぐ管理局に行くように言われるのではないか?」
 功のせりふに、ドルーアが反論した。
「あぁ、だが……」
 功が言いよどむ。
「僕が朝乃を、入国管理局まで連れていく」
 ドルーアがほほ笑んだ。
「いいのか?」
「もちろん。すでにマネージャーに、事情を話している」
「分かった」
 そんなわけで朝乃は新品のスニーカーを履いて、ドルーアとタクシーで入国管理局へ向かっているのだ。朝乃のもともと着ていた服は、アタッシュケースに入れて、功の家に置いてある。そしてドルーアの家では、大工らしい人たちがドアや窓を修繕していた。
 車内では、女性シンガーの歌が流れ続けている。
「なんという歌ですか?」
 朝乃は、うつらうつらしながら聞いた。英語だから、何を歌っているのか分からない。
「後悔。時代に流された自分を悔いる歌だよ」
 心地よいドルーアの声と体温に、朝乃は眠りに落ちていった。
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