宇宙空間で君とドライブを

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  番外編「最大限の愛想のいい笑み」  

「ミスター田上。担当を変わってもらえませんか? 日本語で応対してほしいそうです」
「分かりました」
 同僚の女性、――ソユンからの頼みに、信士は仕事の手を止めて、机から立ち上がった。それから、ソユンがちょっと不満そうな顔をしていることに気づく。
「どうしました?」
 信士がふしぎに思ってたずねると、彼女は苦笑した。
「実は私が応対したかったのです。だって」
 ソユンはうれしそうに、顔を輝かせる。
「ドルーア・コリントが同伴者なんです!」
 ドルーアという名前に、近くにいた同僚たちが、一斉に信士たちの方を見た。え? 本当? という好奇心を隠しきれない顔をして。
 難民・亡命者認定室中の注目を浴びた信士は驚いて、しばし黙る。部屋中の注目とは言っても、せまいオフィスで、信士を含め五人ほどしかいないが。そして聞き覚えのある名前だが、ドルーアとは誰だろう。
「ほら、ドラマ『ベイビードリーム』の、……そうそう、『チャレンジャーズ』の主役デイビッドですよ」
 ソユンが笑って教える。
「あぁ、なるほど」
 信士は納得した。「チャレンジャーズ」は、五年ほど前にヒットした反戦映画だ。信士も一郎と、映画館に足を運んだ。
 また「チャレンジャーズ」は、数々の賞を取った。その授賞式や雑誌のインタビューなどで、星間戦争を今すぐやめるべきと主張していたのがドルーアだ。反戦派の役者として、もっとも有名なのが彼である。
 最近では投資家としても活動して、ものすごく稼いでいるという話だ。そして軍需企業のドラド社と、ハデにもめている。政治家になるという、うわさもある。
 その一方で、甘い優しげな顔立ちが女性に大人気らしい。ホームコメディドラマ「ベイビードリーム」の主役も、長くやっているはずだ。
「私、後でミネラルウォーターとか出しに行きますね」
 ソユンは楽しそうにしゃべる。
「ありがとう」
 ミーハーな彼女に、信士は困って笑った。部屋から出て、受付に向かう。確かに「チャレンジャーズ」のデイビッドがいた。いや、デイビッドよりかっこいいドルーアだ。信士はひそかに浮かれた。案外、自分もミーハーだったらしい。
 ところがドルーアは、日本人らしい十代の女の子と話している。信士はかすかに緊張した。信士の顔は怖い。子どもに泣かれたり、女性に怖がられたりするのは日常茶飯事だ。信士が担当者になって、女の子は嫌がるかもしれない。
 しかも管理局にやってくる亡命者たちは、大なり小なり不安を抱えている。信士も約十年前に一郎を連れて、日本から浮舟まで逃げてきた。幼い子どもの手を握り、右も左も分からない月面都市で相当苦労した。
(母親を殺され、軍の中に閉じこめられて育った一郎は、普通の会話でさえ困難だった)
 信士は懐かしく思い出す。一郎は浮舟の小学校に通い出したが、なかなかなじめなかった。日本からの逃亡中に信士はだいぶ英語がうまくなったが、一郎はまだしゃべれなかった。突然、奇声を上げたりおねしょすることも多かった。
 信士は、子育てなどしたことがなかった。毎日、一郎に振り回され、悩みとまどった。だが一郎はちょっとずつ成長して、じょうぶな心と体を手に入れた。
(柏木先生。あなたの息子は、本当に強い子です)
 今では一郎は立派な青年になり、今年の四月から大学に通っている。浮舟建設当初からある名門校だ。信士はそんな大学に入って、授業についていけるのかと心配した。しかし一郎は、毎日楽しく通っている。友人も多く、ボランティア活動に精を出しているようだ。
 脱線した話をもとに戻そう。信士が管理局に勤めるようになったのは、過去の自分と同じ境遇の亡命者たちを助けたいからだ。また同胞である日本人の力になりたい、という思いもある。
 よって今、ドルーアと話している女の子は、信士が守り助けるべき存在だ。けっして怖がらせてはいけない。信士は気合を入れて、最大限の愛想のいい笑みを作る。それから、
「お待たせしました。私は日本語が話せます」
 女の子とドルーアに、優しく声をかけた。
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