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  からの空  

 何でも描いていいよって、逆に困る。
 私は、とりあえず青い海を描いてみた。白い画用紙いっぱいに、青、青、青。青ばかりでつまらなくなったので、次は白い砂浜。
 教室を巡回している先生が、声をかけてくる。
「三島は、海を描くのか?」
 先生は眼鏡をかけていて、薄いレンズ越しに私たち生徒を見る。
「ゴールデンウィークに、潮干狩りに行ったのです」
 ――家族で、と付け足すと、先生は少しだけ困った顔をした。ざまあみろだ。
「海がキレイだったのだね?」
 無難な答え、曖昧な笑み。
「はい」
 キレイな海、最後の海、さようならの海。

 イマドキの小学生は冷めている。
 イマドキの小学生は慣れている。
 だから、私はすぐに続きを描き始めた。授業中に描き終わらないと、宿題になる。先生は同情というおろかな行為をすぐにやめて、私の席から離れていった。
 ――うざい、うっとおしい、何もできないくせに。
 青色を塗りたくる、気まぐれに貝でも描いてみる。海の中に、魚を描いてみてもいい。ただ、貝を拾う自分や弟の姿は描けない。小学六年生にもなると、そういうナルシストなことはできなくなる。
 絵に集中していると、唐突に先生の言葉が私の耳を打った。
「海が青いのは、空の色を映しているからだよ」
 先生は、私の後ろの席の女子に話しかけている。村田さんも海を書いているらしい。
「なんで海を青く塗っちゃ駄目なんですかぁ?」
 村田さんは頭の悪そうな声で、頭の悪そうなことをしゃべる。そして、先生は頭の良さそうな声で、頭の良さそうなことをしゃべる。
「駄目じゃないけれど。でたらめじゃないか、赤い夕日に青い海なんて」
 海が青いのは、空が青いから。
 海が赤いのは、空が赤いから。
 自分の絵を見ると、海は青いけれど、空が無い。空白だ、何も無い。けれど、海は青いのだ。

 あの日、私は、はしゃいでいた。弟もだ。お母さんも楽しそうだった。海の匂いは強烈で、私たちは貝を取るのに夢中で、空が何色であったのか見ていなかった。
 晴れていたのか、曇っていたのか。それさえも憶えていない。
 久々の家族揃ってのお出かけだったから、笑い声が絶えないようにしていた。帽子をかぶって、サンダルを履いて,電車に乗るときには弟の手を引いて。笑って、おどけて、子供らしく。
 だから、空までは気が回らなかった。晴れてさえいてくれれば、それでいいと思っていた。このすばらしい日に水を差さなければ、それだけでいい。私たちは家族なのだから。

 私の海は青い。空が無くても、青いのだ。
 ――あの日、ビデオカメラを回していた父は、どのような顔をしていたのだろうか。
 ぽつりと、画用紙の上に雨が一滴だけ降る。

 今は、からっぽの空。
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