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  もっと素直に I love you  

「ん,ん〜〜〜〜!?」
無理やり唇を合わせてきたレノアに,私は渾身の力で抵抗する.
私を抱きしめるレノアの肩を押したり,背中をバンバン叩いたり.
「んん,ん〜〜!」
レノアの栗色の髪を引っ張った途端,
「痛い!」
やっとキスから解放される.
「痛いじゃないわよ! 何をするのよ!」
レノアの左頬に思い切りビンタを浴びせて,私は叫んだ!

「勝負に勝ったんだから,いいだろ!?」
絨毯の上に転がったレノアは,そばのテーブルの上のチェス盤を指す.
「キスしていいなんて言ってないもん! キスしてあげるって言っただけだもん!」
ほっぺに軽くチュ,程度のつもりだったのに.
「同じだろ!? 何が違うんだよ!」
「レノアのバカ! バカバカバカ!」
私の大事な大事なファーストキスが,
「バカって言った方がバカなんだよ,この暴力女!」
レノアなんかに取られるなんて〜〜〜!

「その暴力女に求婚しているのは,どこのどいつなのよ!」
椅子から武器のクッションを取り上げて,私はレノアをばふばふと攻撃する.
「そんなの出世のために決まってんだろ!」
む,むかつく〜〜〜!
「部屋から出てって!」
レノアなんか,大っ嫌い!
「あぁ! 出て行ってやるさ!」
私はレノアを部屋から追い出して,ばたんとドアを閉めた.

私の名前はアリエール,一応,この国の王女様.
そろそろ結婚について真面目に考えなくちゃいけない十五歳だったりする.
でも私の場合,すでに長女のソフランお姉ちゃんが隣の大きなアタック王国に嫁いでいるし,次女のハミングお姉ちゃんが国内有力貴族に嫁いでいるし,三女のルミネスお姉ちゃんが,逆隣のブルーダイヤ王国に嫁いでいるので,比較的,結婚は自由.
パパもママも好きにしなさいって言ってくれている.

そして,むかつくアイツの名前はレノア.
中流貴族の次男坊で,私より二つ年上で……,あぁ,もぉ! なんで私がレノアなんかの紹介をしないといけないのよ!
とにかくあいつは出世のために私に求婚していて,毎日のように部屋にやってくるけど,毎日のように喧嘩を吹っかけてくる,……ん,レノアは私を口説かなくていいのかしら? ――ち,違うわ! 別に口説いてほしいわけじゃないもん!
ふいにレノアの唇の感触がよみがえってきて,
「い,いや〜〜〜〜〜!」
私は床をクッションで,ばしばしと叩いた.
「何やってるのさ,お姉ちゃん.」
すると,背後から呆れ声がかけられる.
クッションの羽が舞う中,私は振り向いた.
「何よ,エマール.」
弟のエマールだ.
末っ子で長男で,一応,この国の跡取り王子様.

「弟とはいえ,レディの部屋にノック無しで入ってこないでよ.」
私が,姉の威厳を振りかざして怒ると,
「ノックしたけど,お姉ちゃんは聞いてなかったじゃんか.」
エマールは,はぁぁとため息を吐く.
む,生意気な奴.
「そろそろビーズ家のダンスパーティに行く時間だけど.」
あっ,いけない.
レノアのせいで,忘れるところだったわ.
「……レノアからエスコートの申し込みはされた?」
「は? 何で?」
するとエマールは,はぁぁぁぁとわざとらしく長いため息を吐いた.
「じゃ,また僕がお姉ちゃんのエスコートをするんだね…….」
がっくりと肩を降ろす.
「何よ,その言い方.弟なら喜んで姉をエスコートしなさい!」
ぶうぶうと私は唇を尖らせる.
「……何のために,レノアは来たんだろ.」
「そんなの,私と喧嘩するためでしょ!」
アイツの目的は私を怒らせること,その一つしか無いに決まっているじゃない!

夕刻,私はエマールと一緒に王家の馬車に乗って,ビーズ家に向かった.
馬車に酔いやすい私のために,エマールは馬車の中でずっとおしゃべりをしてくれる.
こういうところは,いい弟だと本当に思う.
エマールなら,この国の平和をずっと守ってくれる.
私もお姉ちゃんたちもパパもママも,そう信じている.
「次からは,ちゃんとレノアにエスコートしてもらってよ!」
……私の平和は守ってくれそうにないけど.

パーティ会場にたどり着くと,私とエマールはまず,邸の主人であるビーズ侯爵と夫人に挨拶をして,その後で,次女のハミングお姉ちゃんを人ごみの中から探し出した.
ハミングお姉ちゃんは,旦那さんのボールドお義兄ちゃんと一緒に,会場の端の方に居る.
優しくて美人で控えめなお姉ちゃんは,私の自慢だ.
「お姉ちゃん!」
手を振って駆け寄ると,お姉ちゃんは笑って応えてくれる.
ボールドお義兄ちゃんは,私にはきれいに,弟には逞しくなられましたね,と言って,私たちの頭を撫でてくれた.
大好きなお義兄ちゃんの大きな,――正直に言うなら,とってもおデブさんな体に抱きついていると,
「あ,しまったな.」
と,お義兄ちゃんが舌打ちをする.

「どうしたの? お義兄ちゃん.」
お義兄ちゃんの視線の先を追いかけると,そこにはレノアが居た.
人ごみの向こうで,ものすごく怖い顔をして私を睨んでいる.
「……レノア?」
やだ,本気で怖い…….
レノアは目が合うと,さっと背中を向けてパーティ会場から出て行った.
何? なんで怒っているの?
さっきまで,仲良く,――仲良くってのは変だけど,喧嘩していたのに.
どうしようと,おろおろとレノアの居なくなった方向とお姉ちゃんたちの顔を見比べていると,
「行きなさい.」
お姉ちゃんが,そっと微笑む.
「……彼のことが好きならば.」
私は,ドレス姿で駆け出した!

「レノア,レノアってば!」
邸の玄関口で,やっとレノアの背中を捕まえる.
息をぜいぜいと切らして,レディにあるまじき姿だわ.
「……何だよ.」
振り返ったレノアの顔は,ものすごく不機嫌なものだった.
俺に話しかけるな! ってオーラが出ている.
「……何でもないわよ.」
追いかけたのはいいんだけど,よく考えれば,私にはレノアを呼び止めることのできる用事なんか無いわけで.
呼び止める資格も,……あるのかな? レノアは私の友達,だよね,……多分.
「じゃ,呼ぶなよ.」
レノアの言葉に,ずきり,と胸が痛んだ.
「何よ! そんな言い方って無いじゃない!」とか言い返せばいいのに,なぜか,すぅっと体が寒くなって,なのにどくどくと心臓が鳴って.
何も言い返せない.
何だか分からなくて悲しくて,レノアを見つめていると,視界が少しずつにじんでくる.
すると,いきなりレノアが抱きしめてきた.
壊れ物を扱うように,そっと.

ぱちぱちと瞬きすると,涙が一つ二つ落ちたのが自分でも分かった.
そのとき,唐突に,本当に唐突なんだけど,
「まぁ,微笑ましい.」
「王家のアリエール姫が……,」
「近頃の若者は恥を知らん!」
周囲の人たちの声が聞こえてきて,私はどんっとレノアの体を押し返した!
こんな,こんな人がいっぱい居るところで,レノアと抱き合っていたなんて!
恥ずかしくて,顔が燃え上がるように熱くなる.
レノアはびっくりした後で,怒ったように目を逸らした.
「俺よりも,あんなデブなおっさんがいいのかよ.」
何の脈絡も無く家族をけなされて,私は怒る.
「お義兄ちゃんに,失礼なことを言わないで!」
いきなり,何の話をするのよ!?
「不倫は大罪だぞ!」
意味,分からない!
「だから,何よ!」
だから,いったい何の話をしているのよ!
周囲に人がどんどんと集まってくるのに気づかずに,私とレノアは言い争いを続ける.
そのうちに,レノアは逃げるように馬車に乗って居なくなって,私は一人残された…….

「はぁぁぁぁ……,」
あのパーティの日から四日間,私はひたすら部屋の窓から外を眺めるだけの日々を送っていた.
レノアは来ない.
私とレノアの大喧嘩は,社交界中の噂になっていた.
ぼんやりと紅茶を飲みながら,ぼんやりとため息を吐く.
「はぁぁ……,」
「十六回目.」
ティーポッドを持ったメイドのアクロンの声も,何だか遠い.
レノアの顔を忘れそう.
毎日,見ていたのに.
「十七回目.」
今じゃ,最後に会ったときの,怒っているような泣いているような顔だけが,妙に頭の中に残って,
「姫様,十七回もため息をつかないで下さい!」
いきなりのアクロンのどアップに,私は唐突に我に返った.
「ご,ごめ……,」
「辛気臭いですよ!」
まったく,もぉと怒りながら,アクロンが暖かい紅茶のお代わりをカップに注いでくれる.
私は机の上に突っ伏して,部屋のドアを眺めた.
ドアは開かない.
レノアは来てくれない.
あんなに,毎日来てくれたのに…….
「姫様の方から,逢いに行ってはいかがですか?」
アクロンの言葉に,どきんと心臓が跳ねた.
「え,でも……,」
顔を上げて,けれど私は言いよどむ.

求婚されている立場の女性である私が,レノアの家に行ったら,それは正式にプロポーズを受けたことになる.
それは,まだ……,……まだちょっとだけ待ってほしいような気がするし,……それにレノアが迷惑がるかもしれないし,
「姫様,」
私が迷っていると,アクロンは楽しそうにウインクした.
「ばれなければ,いいんですよ!」
……なるほど.

早速,私はお忍びでレノアの家に行くことにした.
弟のエマールが心配して,一緒に行くと言ってくれた.
城で一番古くて小さな馬車を用意して,レノアの家を目指す.
馬車ががたがたと揺れるたびに,心臓が,どっきんこ,どっきんことあちこちに跳ぶ.
な,なんでレノアに逢うっていうだけで,私,こんなに緊張しているの……?
「お忍びでも,もう少しマシな馬車にすれば良かったね.」
いつもどおりにエマールが話しかけてくれるのだけど,何も耳に入らない.
「うん,そだね…….」
いきなりやってきて,レノアは怒らないだろうか.
迷惑に思わないだろうか.
「お姉ちゃん,見なよ.ブライトの花が咲いている.」
すぐにまた喧嘩にならないだろうか.
「うん……,」
ううん,それよりも私はレノアに逢って,何をしたいのだろう.
「もうそんな季節なんだね,……お姉ちゃん,聞いてる?」
私はレノアに,何を求めている?
レノアのことを,どう思っている?
「大丈夫? お姉ちゃん!」

レノアの家にたどり着いたときには,私は車酔いで立つのもやっとの状態だった.
出迎えてくれたレノアのお母さんは,すぐに私を客室のベッドへと案内してくれた.
「ごめんなさい…….」としか言えない私に代わって,エマールがしっかりとした挨拶と謝罪と感謝の言葉を述べる.
ただでさえ,お忍びでいきなりやって来て迷惑をかけているのに,ベッドまで借りることになるなんて.
情けなくて,恥ずかしくて,私はひたすらに謝った.

ベッドに横になると,頭がぐらぐらとする.
まだ,地面がゆらゆらと揺れているみたい.
きゅっと目を閉じて,なんとか眠ってしまおうとする.
おなかの中がもやもやとする,吐いてしまいたい.
でも,……レノアの家で吐くなんて,絶対に嫌だ,恥ずかしい.
苦しくて何度も寝返りを打つうちに,自分の頭を撫でている手の存在に気づいた.
「……レノア?」
すぐそばに,レノアの顔がある.
「俺に逢いに来てくれたんだよな?」
頬に触れてくるレノアの手にどきどきしながら,私は頷いた.
「兄のトップじゃないよな? 俺の方だよな?」
レノアのお兄さんのことはまったく知らないので,再び頷く.
何だか夢見心地でぼうっとしていて,頭ぐらぐら,地面ゆらゆらで.
「レノアに逢いたかったの.」
するとレノアは覆いかぶさるようにして近づいてきて,私の唇をふさいだ!

「んんん〜〜〜!?」
目が回る,どころの騒ぎじゃない.
抵抗しようとしても,すでに両手はレノアの手に掴まれていて.
私の頭の中は,一回目のキスのとき以上にパニックになった!
気持ち悪い! 吐きそう!
足をばたばたとさせても,むしろそのせいで,おなかの中がさらに,ぐにょぐにょしてきて.
もう駄目! 吐く!
――の限界一歩手前で,レノアから解放される.
すぐに私はベッドから,レノアから逃げ出す.
なのに,
「おいっ,どうしたんだ!?」
肩を掴まれて,強引にレノアの方に向かされて,

……私は吐いた.
レノアのおなかに向かって,今日食べたものすべてを…….

「アリエール……?」
レノアが呆然と立ちつくす.
もう,やだ.死にたい…….
本気で,そう思った.
「ごめんなさい…….」
レノアの顔を直視することなんてできない.
声が震えて,体までかたかたと震えだした.
レノアは自分の汚れた服を見て,私の体を上から下まで眺めてから聞いた.
「お前は汚れてないよな?」
涙が滝のように溢れてくる.
「ごめん……!」
私の声は,完全に泣き声だった.
「俺の服は洗濯すればいいから,お前はベッドに戻れ.」
「やだ!」
涙が止まらない.
嫌われた,呆れられた.
人前で吐いちゃうなんて,レディのやることじゃないよ.
強引にベッドに連れて行こうとするレノアに,いやいやと首を振って,私はその場にしゃがみこむ.
動きたくない,何もしたくない.
そしてそのまま,わぁわぁと大声を上げて泣く.
吐いたおかげで,だいぶ体は楽になっている.
でも,もうそんなことはどうでもいい.

レノアの前で,好きな人の前で吐くなんて…….
ただひたすら泣き続け,いつの間にかレノアが居なくなったことに気づいて,私は眠りに落ちてしまった…….

「…….」
「…….」
人のしゃべり声で目覚めたとき,私はちゃんとベッドの中で寝ていた.
「うぅん……,」
暗い部屋の中で起き上がる,――今は何時なのだろう,どれだけ寝ていたのだろう.
話し声は,部屋の外,廊下の方から聞こえてくる.
ベッドから降りて,そろそろとドアの方へ歩いていく.
話し声は,弟のエマールとレノアの声だった.

……何を話しているのだろう?
ドアノブを回そうとして,躊躇する.
レノアの前で吐いちゃって,あんな邸中に聞こえるような大声で泣き喚いて.
恥ずかしくて,みっともなくて,もう人前になんて出られない.
……けれど.
一生,この部屋に篭っているわけにはいかない,……よね.

私はきゅうっと目をつむってから,ぱっと開いた.
ほぉっと息を吐き,すぅぅっと深く息を吸って.
そして,思い切りドアを開く!
途端に,真っ赤な顔をしたレノアと目が合った.
「い,居たのか!?」
意味の分からないことを言って,レノアは一歩二歩と下がる.
「寝ていたんじゃないのか,アリエール!? いつから起きてた,どこから聞いてた!?」
レノアは着替えたらしく,新しいきれいな服を着ている.
そして,なぜか右の頬がはれていて,左目には青あざができていた.
レノアの隣には,びっくり顔のエマールとレノアのお母さん.
そして三人を取り囲むように,邸の使用人たちがずらりと勢ぞろいしていた.

――何,この状況は?
本気で,わけ分からない.
一人,狼狽するレノアに,
「しゃきっとしなさい!」
レノアのお母さんがレノアの背中をばんっと叩くと,メイドたちがくすくすと笑い出す.
「もっときっちりとした形で,告白させようと思っていたのに.」
エマールが,ため息を吐く.
「けれどこれで,めでたしめでたしですね.」
と一人のコックらしい男性が言い,
「良かったですね.」
「えぇ,本当に.」
使用人たちは笑いながら,ぞろぞろと去っていく.

私一人,意味が分からない.
「これ以上,姉を泣かしたり,姉に恥をかかせたりしたら,」
エマールが,偉そうにレノアにすごむ.
「次は容赦しませんからね.本気で殴りますよ.」
エマールの言葉に,ちょっと感動.
「うちの愚息が,本当にごめんなさいね.」
とレノアのお母さんが,私に向かって丁寧にお辞儀をする.
「体調を崩したレディの部屋に勝手に忍び込むなんて,なんて根性のひねくれ曲がった息子なのかしら.」
何も言い返せないレノアの足を,私からは見えないように,――でもしっかりと見えてる,ぐりぐりと踏んづけている.
そして潮が引くように,あっという間に皆居なくなり,私はレノアと二人だけで廊下に残された.

「……聞こえただろ? 俺の気持ち.」
皆が居なくなってから,レノアが真っ赤な顔を背けながら聞いてきた.
「何も聞こえなかったよ.」
私は正直に答える.
「う,嘘,言え! 聞こえたに決まってんだろ!」
あんなに大声でしゃべっていたんだからだの,それともとぼけているのかだの,まさか俺に同情しているのかだの,レノアは延々とつばを飛ばしながら,私の言葉を否定し続ける.
いい加減,たまりかねて,
「うるさ〜い! 聞いてないものは聞いてないのよ!」
思わず怒鳴り返してしまう.
あぁ,もぉ,やっぱりむかつく,この男!
「何を言っていたのか,さっさとここで素直に白状しなさい!」
レノアの胸倉を掴んで揺さぶれば,レノアは戸惑った表情のままで三度目のキスをした.
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