ロインの川を越えて

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  番外編 しっかりしてよ、ラウリン!  

 私、――パトリッチアには、三人の兄とひとりの姉がいる。姉はのんびりとしたのんき者で、うそみたいな話だが、隣国のカペー王国へ嫁いだ。カペー王国の世つぎの王子シャルルが、姉の能天気なところにほれたのだ。
「あぁ、麗しき姫君。君と君の家族が許すなら、君の国の花をひとつつんで、故郷へ帰りたい」
「いいよ。山にのぼりなよ。花ならいっぱいあるから」
「……端的に言う。私と結婚してくれ」
「シャルルはいつも笑顔でみんなに優しいから、いいよ。山に入って、花をつまなくていいの?」
「私は君にだけ、特別に親切と認識してくれ。花はあとで適当に取る」
「優しいことはいいことだよ。花はもっと、ちゃんと選びなよ」
「この上なく、ちゃんと選んださ」
 口のうまいカペー王国男にのせられて、姉は気楽に大国へ嫁いだ。将来はカペー王国の王妃になると、彼女がきちんと分かっているのかどうか疑問だが。
 ひとり目の兄はしっかり者でまじめだ。これまたすでに結婚している。彼らは、将来の王と王妃だ。ちゃんと、その自覚もある。ふたり目の兄は要領がよくて、ちゃっかりしている。彼も既婚者だ。
 最後に残った三人目の兄、ラウリンは、ぼんやりしていて頼りがない。そんなラウリンだが、隣接するシュプレー王国へ勉学のために旅立っていった。内気で口下手な彼が、外国でうまくやっていけるのか。私は心配している。
 私は、国王である父のエリアスにたずねてみた。すると彼はゆったりと笑う。
「君が思うほどに、ラウリンは子どもではない。それにシュプレー王国の世つぎであるフェアナンド王子は、ラウリンと同じ年ごろだ」
 父の瞳が油断なく光った。ラウリンがフェアナンドとよしみを通じることを、父は期待しているのだ。私たちのアーレ王国は今、シュプレー王国とのつながりが薄いから。
「勤勉で実直、優秀な王子とうわさされている人よね」
 私が言うと、父はうなずいた。フェアナンドはシュプレー王国内で、国王よりも権限を持つとも言われている。加えて彼の妹は、シュプレー王国で一番の美女らしい。
「大国の世つぎの王子様が、ラウリンなんかを相手にするかしら?」
 私は不安になった。小国の第三王子でしかないラウリンは、フェアナンドにとって道端の石ころではないか。けれど父は楽しそうに笑う。
「そんなにまじめに考えなくていい。あくまでラウリンは、勉強のために行くんだ。彼はひと回りもふた回りも大きくなって、帰国するだろう」
 本当かなぁ? それが私の本音だった。しかし私の予想は裏切られる。ラウリンはシュプレー王国の王女ミラと、国境のロイン川を越えてきたのだ。驚くことに、ふたりは結婚するらしい。
 しかもラウリンはミラに男装させて、王都に向かって旅をしている。少数のともの者だけに守られて、身ひとつで父に嫁いだ母のグレータのように。当然、国民は大喜びで、道中の街や村では歓迎されているそうだ。
「ラウリンが、こんなにもハデに結婚相手をみせびらかしながら、城に帰ってくるとは思っていなかった。しかも相手は大国の姫で、王国一の美女」
 ひとり目の兄は驚きを通り越して、感心していた。
「ラウリンからの手紙によると、フェアナンド王子とも親しいみたいだ。あいつは案外、すごいやつだったのかもしれない」
 と、兄は真剣に言う。
「ラウリンは、お姫様に男のかっこうをさせているのよね。ミラ王女は怒っているのではないの?」
 私はミラが心配だった。それとも彼女は、影で泣いているのか。ラウリンは何をやっているのだ。あの兄にかぎって、力づくで女性に言うことをきかせているとは思えないが。兄はうーんと考えこんだ後で、答えた。
「ミラ王女がみずからすすんで、アーレ王国の国民に受け入れてもらうために、男装しているのかもしれない。あのフェアナンド王子の妹君だ。きっと賢い女性だろう」
 私たちの国は昔から、カペー王国と仲がいい。なので、過去にカペー王国と戦争したシュプレー王国は、あまり好かれていないのだ。だからミラは国民たちの感情に配慮して、男の姿をしているのだろう。なんてすばらしい気づかいのできる姫君なのか。
 六月下旬の夏が来そうでまだ来ないある日、ミラは城にやってきた。彼女は、私たち家族の予想を超える男装の麗人だった。シュプレー王国のうるわしい騎士にしか見えない。道中では、若い女性たちから人気があっただろう。
「何がどうして、ラウリンがこんないい女を手に入れたの」
 私の本音は思わず、口から出た。シュプレー王国一の美女らしいミラの外見は、想像していたものとはちがった。華やかな容姿も、愛らしい姿もしていない。男装しているので、着飾ってもいない。
 ミラはりりしく、かっこいい感じだ。ほのおのような情熱的な赤い髪をしている。みんなが待ち望む夏が、女性の形をとって、やってきたようだ。
「同感だ。あの気弱なラウリンがどうやって、あの意志の強そうな彼女を口説いたんだ?」
 隣に立っていた二番目の兄も、ぼう然としてつぶやく。それともミラがラウリンにほれて、彼に言い寄ったのか。ラウリンは簡単に流されたのだろう。これならば納得できる。ただミラは、ラウリンの何がよかったのか。彼のとりえは顔しかない。
 そしてラウリンは相変わらず、緊張するとどもったり舌をかんだりするらしい。家族にミラを紹介し、ミラに家族を紹介するという重要な場面では、
「父上。こちらが、俺の大切な、……その、愛するというか」
 ラウリンは真っ赤になって、言葉を失った。私はため息をはく。ラウリンは落ちついてほしい。深刻な顔をして黙っていれば、美形なのに。ラウリンは気を取り直して、ミラに父の紹介を始めた。
「えっと、ミラ、この人が俺の父で、ア、アーレ王国国王の……、あれ? 誰だっけ?」
 なんとラウリンは、父の名前をド忘れした。彼は顔を青くして、「その……、あの……」とごまかしつつ、名前を思い出そうとする。父の笑顔は引きつる。母も苦笑する。私はラウリンにあきれた。ミラも怒っているにちがいない。
 ところが私の予想に反して、ミラは怒っていなかった。慈愛に満ちたまなざしで、ラウリンを見つめている。ミラは社交的な笑みを、父に向けた。低い落ちついた声でしゃべり始める。
「初めまして。アーレ王国国王エリアス様。私はシュプレー王国王女のミラと申します。このような男装姿で失礼します。ただアーレ王国の方々が喜ばれるので、つい私もうれしくなって、この姿のまま城へ参りました」
 なまりのないシュプレー王国語で、すらすらと話す。私はあっけに取られて、彼女を見た。ミラの立ち姿は、大国の姫らしく品がいい。エメラルドのような両目は優しげだ。人見知りをするラウリンは、ミラと話しやすかっただろう。
「ですが、私は女性です。そしてラウリンを愛しています。誰よりも大切に思っています。持参金も何もなく、わが身ひとつがあるだけですが、――私と彼の結婚を祝福していただけると幸いです」
 ミラはほほ笑んで、さきほどのラウリンの失態をなかったことにした。私も父も母も兄たちも義姉たちも、ぼかんと口を開けて、こう思った。ラウリンにぴったりの、よくできたしっかり者の嫁が来た、と。
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