リオノスの翼 ―少女とモフオンの物語―

戻る | 続き | 目次

  4−1  

 瞳は山の中腹で、王子たちが来るのを待っていた。今日の瞳は普段とちがい、着飾っている。山で動き回れるようにズボン姿だが、上衣は薄紅色のワンピースだ。さらに薄い生地の上着をはおり、これのすそがひらひらと揺れる。
 黒髪には、銀の髪飾り。優美なチョウが舞っている。初めて村に行ったときに、シフォンが買ってくれたものだ。
「君が保護区から出られたお祝いだよ」
 と、彼は笑った。それ以来、瞳はほぼ毎日、髪飾りをつけている。そして村の人々も、保護区の人々と同じく優しかった。
 サラたち親子は、体を念入りに洗われた。巨体のサラをせっけんで洗うことは大変だったが、子どもたちの方がもっと大変だった。何かの遊びとカン違いした子どもたちは、集落中を走り回り、わざと転んでどろだらけになり、人間たちにじゃれついた。
 瞳たちはびしょぬれになりながら、子どもたちを洗い、大判の綿布でふいた。その後のブラッシングも一騒動で、すべての作業が終わったとき、瞳たちはぐったりだった。瞳がひとりで緊張して立っていると、ふもとからビターが駆け上ってくる。
「殿下が来られるぞ!」
「はい」
 瞳は片ひざをついて、頭を下げた。ビターはそのまま走って、川辺へ向かう。川辺ではロールとリームが、茶と菓子を用意しているのだ。瞳が下を向いて待っていると、にぎやかな人々の声が聞こえてきた。
「こちらが、さきほどの話にあった瞳です」
 シフォンだ。普段より、声が少し緊張している。
「あぁ、確かに、リオニア国ではほぼ見かけない髪の色だ。――瞳、顔を上げなさい」
 王子の命令に、瞳は顔を上げてほほ笑んだ。
「初めてお目にかかります。池上瞳と申します」
 レートは機嫌のよさそうな笑みを浮かべている。彼は童顔だった。シフォンたちが事前に調べた情報によると、王子は瞳より三つ年上だが、年下に見える。髪は明るい茶色で、目は青色だった。
「夜を映したような漆黒の瞳。つやのある黒髪。魅力的な組み合わせだ」
「ありがとうございます」
 瞳は礼を述べる。王子の背後には、鉄製のよろいを着たふたりの騎士と四人の従者がいる。シフォンは王子の隣、タルトはななめ後ろだ。ふたりとも一張羅で、胸ポケットに黄色の花を飾っている。
「私の母と弟たちのもとへ案内いたします」
 瞳はできるだけ優美に立ち上がった。そしてへりくだった態度で、レートを誘導する。ふとシフォンと目があった。彼は顔をほころばせる。その笑みに瞳は、自分は滞りなく仕事をやれているのだと安心した。
 サラたちのもとへたどり着くと、レートに一礼してから、サラのそばに歩み寄る。目で合図すると、サラはゆったりと寝そべった。瞳はレートの方へ向き直る。
「母のサラと子どもたちでございます」
 好奇心おうせいな子どもたちが王子に突進しようとするのを、瞳は片腕で制する。レートは、初めて見るリオノスに驚いていた。それから感嘆のため息を吐く。
「想像以上の美しさだ。陽光を弾くレーテス海、――いや、霧に包まれたグレマール湖の瞳、たわわに実る小麦畑の肢体、そしてクールトネー山脈に降り積もる雪の翼」
 レートは芸術をこよなく愛する王子らしい。絵を描き、楽器をかなで、詩を口ずさむ。世つぎではない気楽さから、しょっちゅう城から出て気ままに旅をする。
「近づいて、なでてみますか? リオノスはとても優しく、人懐こい幻獣です」
 瞳のせりふに、彼は苦笑した。
「においが移りそうだから、やめておこう」
 瞳の思考は停止する。
「君も相当におう。リオノスは遠目に眺めるだけにするさ」
 自分とリオノスがくさいと言われていることに、やっと気づいた。瞳はとまどって、シフォンとタルトを見る。彼らは表情が凍りついていた。しかしタルトは、さっと表情をにこやかなものに変える。
「殿下、川辺へ移動しませんか? 茶と菓子を用意しています。リオノスとは、ここで別れましょう」
「あぁ、そうしよう」
 レートはおおようにうなずいた。タルトは瞳に視線を送る。瞳は自分の役割を思い出して、王子を川辺へ連れていった。
戻る | 続き | 目次
Copyright (c) 2019 Mayuri Senyoshi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-