リオノスの翼 ―少女とモフオンの物語―

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  1−3  

 サラが少女を拾ってきたのは、三日前のことだ。気の失った少女を口にくわえて、集落までやって来た。少女のありさまは、本当にひどかった。体や服は土にまみれて、なぐられたり、けられたりしたあとがあった。髪や服はずたずたに切られて、やけどもあった。
「どんな人々か分からないが、集団でこの子に暴力をふるったのだろう」
 ガトーはぞっとした。まともな人間のやることではない。ガトーたちはサラから少女を受け取ると、汚れた服を脱がせ、体や髪を洗い、傷の手当てをした。
 途中で少女は意識を取り戻し、ガトーたちから泣いて逃げ回った。だが彼らは、強引に治療を続行した。若い娘なのに、けがのあとが残ってはかわいそうだ。このような不潔な状態では、病気になってしまう。それらの判断は多分、正しかった。
 だが、すっかり恐怖心を抱いた少女は、小屋から飛び出した。以来、サラにくっついて、ガトーたちが近づくと逃げるようになったという。
「はぁー、これで一安心だわ」
 炊飯小屋の中で、まかない係のロールがため息を吐く。
「若先生が連れてこなかったら、私たちみんなであの子を捕まえなきゃいけなかった」
 シフォンは、食卓でお茶を飲みながら微笑した。
「僕の手柄ではなく、サラのおかげです」
 少女はガトーの小屋、――普段はリオノスの治療をする小屋で、診察を受けている。サラと子どもたちは、小屋のそばで待っていた。サラはのんびりと寝そべっているが、子どもたちは退屈らしく、走り回っている。
「手当てが済んだら、食事を取らせて風呂に入れて服を着替えさせて、ぶかっこうになっている髪を切りそろえて」
 あれこれ考えるロールに、シフォンは苦笑する。
「あせりは禁物です。あの子は野生動物のような状態ですから」
 時間をかけて、警戒を解かねばならない。ましてやガトーたちは、おびえられている。だから、顔の知られていないシフォンが帰ってくるのを待っていたのだ。
 窓の外に視線をやると、医療小屋から少女が駆け出すのが見えた。まっすぐにサラのもとへ走り、がばっと抱きつく。ガトーが追いかけて話しかけるが、少女はいやいやと首を振る。加えてサラの子どもたちが、少女を守るように立ちふさがった。
 シフォンは席を立つ。小屋を出て、ガトーのもとへ向かった。彼はシフォンに気づくと、困ったように話す。
「この子に小屋に戻って、食事を取るように説得してくれ」
「先生、今日はもうやめましょう」
 シフォンはたしなめる。少女を心配するガトーとロールの気持ちは分かるが、あせらない方がいい。
「だが食べなければ」
「食事は、サラが与えているのでしょう。山には、木の実やきのこがありますから」
 シフォンの言葉に、ガトーは納得したようだ。黙って後ろに下がり、この場を任せてくれる。シフォンは、少女とリオノスの方へ向かった。腰を落として、少女より目線を低くする。凹凸の少ない顔立ちや濡れた鳥の毛のような髪が、いかにも異国人らしい。
「山へ帰るかい?」
 シフォンの問いかけに、少女は大きくうなずいた。
「明日、また集落に来てほしい。おいしいものを用意するから、食べてほしいんだ」
 シフォンが言うと、少女はまよった顔でサラを見る。サラはシフォンに目を向けた。深い青の瞳が、提案に同意したように感じられた。
「ありがとう、サラ」
 シフォンはほほ笑む。こんなとき、リオノスは本当に賢いと思う。サラはくるりと背中を向けて、歩き出した。その後ろを子どもたち、――と言ってもひとりは人間だが、がついて行く。途中で少女が振り返った。シフォンに向かって、
「私の名前は、池上瞳(いけがみ ひとみ)です。日本でひどい目にあっていたところを、サラに助けられました」
 少女はガトーに、がばりと頭を下げた。
「けがの手当てをしてくれて、ありがとうございます」
 顔を上げた、黒の瞳はうるんでいた。
「あなたたちがいなければ、私は生きていなかったと思います。本当に感謝しています」
 少女は一気に話すと、泣きながらサラについていった。
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