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  遥か彼方,遠い異国の物語  

ラクトー王国といえば,緑なす豊かな大地.
四方を山に囲まれた,小さな平和な王国.
そして,国民皆に愛されている,清楚でたおやかな王女.

王女ユリ,14歳.
木々の間からこぼれる日の光のような少女であるらしい…….

「ねぇ,オーヴィス.」
鏡台に向かって栗色のふわふわとした髪を自分で結いながら,王女は問いかけた.
「私,……きれいかしら?」
深い緑の麗しい瞳に似つかわしくない懸念を映して,王女はため息を落とす.
「はぁ……,おきれいですよ.」
背後に立つ従者オーヴィスは,熱意の無い答を返した.

「本当に,そう思うの!?」
王女は涙ながらに振り返る.
「ミリオン王子は,私と結婚してくださるかしら?」
ミリオン王子とは,今,この城に滞在している大国ゼニオールの王子である.
「牛臭い田舎ものと,嫌われそうで怖いわ!」
ラクトー王国は,王宮の庭先でさえ乳牛を飼っている.
……ぶっちゃけ貧乏王国であった.

「殿下,そのようなことをおっしゃらないでください.」
胸にすがりつかれて,オーヴィスは困惑する.
こんな,小動物のようなうるうるとした目で見つめられると…….
「ユリ殿下には,それ以前に結婚できない理由があるではないですか?」
「ひどいわ……!」
王女は,よよよと泣き崩れる.
「あなたは男性じゃないですか,ユリシーズ殿下.」
本名,ユリシーズ・ラクトー.
れっきとしたラクトー王国の第一王子,国王夫妻の一人息子である.

ラクトー王国は,周囲を高い山々に囲まれた陸の孤島である.
孤島ゆえに情報が遮断されがちで,わけの分からない幻想を周辺諸国の人々は抱く.
森にはユニコーンが生息しているだの,ドラゴンが山の財宝を守っているだの,湖には精霊が棲んでいるだの.
それらと同じような乗りで,つまりは伝言ゲームの失敗で,産まれてきた王子がいつの間にか王女になっていたのだ.
しかも絶世の美少女である,という尾ひれ付きの.

「だよなー,絶対にばれるよなぁ.」
少年は豪華なドレスで,行儀悪く床にあぐらをかいた.
「今はごまかせても,ベッドではどうすりゃいいんだろう?」
王女のあられも無い姿に,オーヴィスはため息を吐く.
「下品ですよ,ユリ殿下.」
大国に囲まれた小国の弱みで,まさか王女ではない王子である,あなた方は勘違いをしているとは言えない.
すでに周辺諸国では,宝石のように美しいユリ王女争奪戦,もとい恋の空騒ぎが始まっているのだ.

「どうやって,結婚を断ろう.」
特に強引に結婚を迫ってきたミリオン王子の突然の訪問に,父である国王は泡を吹いて倒れた.
まさか,あの険しい山々を越えてやってくるとは…….
「今は,親父の急病を理由にのらりくらりとかわせているけど.」
少年は,よいしょっと立ち上がり,鏡で自分の女装の仕上がり具合を確認する.
我ながら,見惚れてしまいそうな美少女っぷりだ…….

けぶるような栗色の髪,新緑の瞳.
自慢ではないが昔から美少年だったし,愛称はユリだし.
ある意味,この勘違いは自分の容姿のせいかもしれない.
「ふっ,美しいとは罪なことだな…….」
「何をおっしゃっているのですか,殿下.」
呆れた従者の声を背に,少年はナルシストを気取ってみせた.

「ユリ王女,今日も一段とお美しい…….」
王宮のテラスで,王女は求婚者のミリオン王子を迎えた.
落とした女性は数知れず,浮名が他国まで響いている軽薄な美貌の青年王子だ.
この恋上手な王子が王国へやってきてから,少年は男に口説き落とされる毎日である.
「この王国に棲むと言われている湖の精霊とは,あなたのことを指しているのではないかと思いますよ.」
手を取られ,しかも手のひらを意味深に指でなぞられる.
少年はぞっと,鳥肌が立つのを堪えた.
「ミリオン様,……父はまだ臥せっておりますの.」
さっと手を取り戻し,王女は心細げな様子で俯く.
王女のはかなく頼りなげな姿に,王子は胸がきゅぅうんと締め付けられた.

噂とはあてにならない.
まさかここまで,壊れてしまいそうに繊細な美しさを持つ少女だとは.
「ユリ王女,私などでよければ,ぜひあなたのお力になりたいと……,」
少女の細い,いや意外に固い肩を抱くと,
「ミリオン殿下,あまり無理強いは……,」
今まで黙って一歩後ろに控えていた従者のオーヴィスが,二人の間に入ってきた.
王子は不機嫌に口をへの字に曲げる.

だいたいこの従者ときたら気に食わない.
いつも王女の側に居て,いいところで邪魔をするのだ.
長身細身のひょろりとした体型で,髪は無造作に後ろで一つに束ねている.
地味な顔立ちで,そして顔以上に地味な服装である.

「無理強いなどしておりませんよ.ユリ王女,どうかおびえないでください.」
王子は取り繕うような笑顔を見せて,オーヴィスの体を押しのける.
すると,
「あぁ……,」
風に舞う花びらのようなはかなさで,王女はふらっと倒れる.
王子の手よりも早く,従者がさっと王女の体を支えた.
「ミリオン殿下,……王女はお父君のことが心配で,眠れぬ夜を過ごしておいでなのです.」
青い顔の王女を抱きながら,オーヴィスは「どうかご容赦を.」と頭を下げる.
さすがに痛ましく感じられて,王子は退出する王女と従者を引き止めることができなかった.

「いい案が浮かんだ.」
廊下に出るとすぐに,気を失っていたはずの少年は目をぱっちりと開いた.
先ほどのわざとらしい貧血の演技もどこへやら,切り替えがはやいのは子供の特徴であろう.
「オーヴィス,ちょっとかがんでくれないか?」
周りに誰も居ないことを確認してから,少年は従者に命じる.
「何ですか?」
怪訝な顔をして,オーヴィスが目線を少年の高さまで下げると,
「愛しているわ,オーヴィス.」
いきなり首に腕を回されて,耳元で囁かれた.
「なっ……!?」
真っ赤になって,オーヴィスは慌てふためく.
「王女である私を連れて,この城から逃げてくださらない?」
中性的な王子の,少年なのか少女なのか判別のつかない甘い声.

「かっ,からかわないでください!」
少年の体を引き剥がすと,いたずらの成功した王子はうひゃひゃひゃひゃと笑った.
「オーヴィスってば顔,真っ赤!」
19歳の若い従者であるオーヴィスは冷静そうに見えるが,思ったよりも隙だらけだ.
「あなたは王子でしょう! 変なことは言わないでください!」
「どうしても私のお願いを聞いていただけないの? オーヴィス.」
怒り出す従者を無視して,少年は妙なしなを作る.
「いつもそばに居てくれるあなたを,こんなにも愛しているのに…….」
「気色悪いから辞めてください!」
オーヴィスは苦虫を100匹ほど噛み潰した.

「じゃ,後で別のお願いを聞いてよ,オーヴィス.」
唐突に,少年は少年の顔に戻る.
「嫌です.」
オーヴィスは断ったのに,少年は「オーヴィスはきっと聞いてくれるよ.」と軽く流してしまう.
そしてすぐに話題を転換させて,
「ミリオン王子を追い出す作戦なんだけど,」
少年は嬉々として,思いついたという作戦の説明を始めた…….

夜半,ミリオン王子は部屋に突然の訪問客を迎えた.
ネグリジェを着た王女ユリである.
「なかなか寝付けなくて……,」
可憐な王女は,夜に男の部屋を訪ねる意味を分かっているのかいないのか,かすかに震えていた.
「良かったら,私とお話をして頂けませんか?」
恥らうように頬を染めて,王女はネグリジェの上に着ているガウンの合わせ目を握る.
「ユリ王女,お一人で来られたのですか?」
心臓をばくばくさせながら,王子は自分の動揺を悟られないように,精一杯余裕のある笑みを作る.

「えぇ,……ミリオン様に逢いたくて,」
大胆な王女の発言に,王子はこの恋の成就を確信した.
「私も,私もあなたにお逢いしたかったのです.」
天まで昇る心地で,王女の小さな手を握り締める.
わざわざ山越えをしてこんな辺鄙な王国までやってきてよかった,と王子は思う.
今夜,この少女を手に入れて,すぐに彼女を連れて国へ帰ろう.
なんせこの国ときたら,王宮のテラスにまで家畜の匂いが匂ってくるのだから堪らない.

「さぁ,どうぞ部屋の中へ……,」
しかし王女は廊下から一歩も動かない.
「ユリ王女……,」
無理やりにでも部屋の中へ押し入れたい衝動を堪えて,王子は王女の名を呼びかけた.
「ミリオン様,私,星のよく見える部屋を知っておりますの.」
王女はさっと一歩引いて,じらすような微笑を浮かべた.
「天窓がありますの,どうぞそこで……,」
逃げるように王女は身を翻して,廊下を進みだす.
王子は,何も考えずに王女のあとについていった.

「まったくあいつは,親をあごで使うか,普通……?」
大きなベッドの中央でラクトー王国の国王は,はぁとため息をついた.
ちなみにベッドの住人は3人,今夜は満員である.
「どっちに似たのだと思う?」
同じベッドにいる妻に問うてみると,読書に夢中な妻はしれっと「私の方でしょうね.」と答える.
ちなみに読んでいる本は「農産物輸出における外交戦略について」であり,夫よりも政治,経済に詳しい.
さらに蛇足ながら,国王の愛読書は「本当は教えたくない餌の配合比 −おいしいお乳を出す牛を育てるために−」である.

息子に求婚しに来たミリオン王子に,国王は本気でそっくり返って倒れた.
「まじっすかぁ〜!? うちの子は男っすよ〜!」
などと,大国の王子に向かっては口が裂けても言えない…….
そしてはっと意識を取り戻したときには,息子はすでに完璧な女装を整えていた.
「お父様,どうぞ養生なさっていて……,」
寒気がするほどの白々しい演技で,息子は国王が病気の方が都合がいいからベッドから出てくるな,と念を押した.
なんというか,末恐ろしい14歳である.

「そろそろ来るかな……?」
国王がつぶやき,妻が読んでいる本にしおりを挟んだ瞬間,
「この部屋ですか? ユリ王女.」
無防備にミリオン王子が,ドアを開けて国王の寝室へと足を踏み入れる.
「……え!?」
天窓のある無人の部屋を想像していた王子は,絶句する.
ここは,この部屋は……!?
慌てて後ろを振り返れば,さっきまで隣にいたはずの王女の姿は無い.
「くせものだ!」
「国王陛下を守れ!」
良すぎるタイミングで,隣室から兵士たちが飛び出してくる.

「ち,違……,」
弁解する暇も無い,王子はあっという間に兵士たちに囲まれた.
剣を構える兵士たち,中には鍬や斧を手にしている兵士たちも居て,王子は心底震え上がる.
「違うのです,国王陛下! 私はユリ王女に案内されて,」
まんまと罠にかかってしまった王子に少し同情しつつも,国王は冷厳な声を出した.
「ユリに? 何をおっしゃっているのですか?」
同じベッドの脇で眠っている小さな少女を指差して,
「ユリはここで寝ていますよ,まだまだ親離れのできていない娘でしてね.」
もちろん,偽者の身代わりである.
「そんな……,」
夢でも見たのかと,王子は愕然とする.
王子の甘い恋の夢は,あっけなく崩れ去ったのであった…….

翌朝,害意があって寝室に侵入したのではないという主張が受け入れられた王子は,王宮の軟禁部屋から解放された.
解放されたが,すぐに国内から出るように命じられる.
ユリ王女の存在に後ろ髪を引かれつつも,王子は王宮から出てゆく.
王宮から去ってゆく王子とその部下たちの後姿を部屋の窓から眺めながら,オーヴィスは深いため息を吐いた.
「どうしたんだ,オーヴィス?」
居間のソファーでくつろぎながら,本を読んでいる王子が声を掛ける.

もはやドレスは着ておらずに,ミリオン王子がかわいそうになるほどにのびのびとリラックスをしている.
読んでいる本の背表紙には,「新説 交渉術」という子供らしくないタイトルが書いてある.
そもそもミリオン王子は,本気で恋をしてラクトー王国までやってきたのではなかった.
単なる興味本位,噂の姫とやらを見てみたい,それだけだったように思える.
もしかしたら,皆が狙っている姫を落として周りに自慢したいだけだったのかもしれない.
なのに,実際に王女の扮装をした少年に逢ってしまい,どんどんと少年に惹かれていったのだ.
そしてその結果,あんな見え透いた罠にかかり……,

「何でもありません,ユリ殿下.」
自分の行く末に一抹の不安を感じながら,オーヴィスは窓から離れる.
この5歳年下の少年は,相手が男だろうが女だろうが人を魅了せずにはいられないらしい.
ミリオン王子を国王の寝室へと誘ったときのように簡単に…….
「あ,そうだ,言い忘れていた.」
すると,少年がちょいちょいっとソファーの上から手招きをする.
「何ですか?」
怪訝な顔をして,オーヴィスが近寄ると,
「愛しているよ,リザ・オーヴィス.」
本名とともに愛の言葉を囁かれ,ぐいっと腕をとられた.
「はい……!?」
逃げようとしても果たせずに,強い力で引きとめられる.
「4年後には,俺の別のお願いを聞いてね.」
彼女の顔が真っ赤に染まるのを確認すると,少年はいたずらっ子のようにうひゃひゃひゃひゃと笑った.

ラクトー王国.
周辺諸国の人々がどのような印象を持っているかは別として,国王自らが牛を育て,畑の世話をする王国である.
その王国の宝ともいうべき王女が,城の従者の青年とともに駆け落ちをし,行方をくらませたらしい.
王女を狙っていた,周辺諸国の男たちの落胆は大きい.
ユニコーンと戯れる聖女,あらぶるドラゴンを静めることのできる乙女とまで噂された王女だったのだ.

4年後,初めてラクトー王国王子の噂が聞こえてきた.
噂話の内容は,王子が結婚したというもの.
けれど,王子の話はほとんど人々の興味を惹かなかった.
平凡な王子の幸せな話など,誰の関心も得られない.
そして王子の話はそれっきり,人々の口の端にさえのぼらない.

そう,遥か彼方,遠い異国の物語はいつも,二人は結婚して,いつまでも幸せに暮らしましたと締めくくられるのだから.

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