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  福井へ  

私の父方の田舎は,福井にある.
そこには,九十歳を過ぎた祖父母とおじ夫婦が住んでいる.
私と同じ年ごろのいとこたちは,みんなひとり立ちして福井から出て行った.

福井というと,みんなはどんなイメージを持つだろうか.
高校時代,福井から引っ越してきたクラスメイトは,
「福井なんて,拉致(らち)と原発しかないよ.」
と笑った.
ちなみに私は,中学のときから大阪に住んでいる.
なので,これは大阪での話だ.
そんな福井のイメージがちょびっと変わったのが,2008年のアメリカ大統領選挙だ.
小浜市=オバマ氏である.
このときの私は,大学を卒業して就職したはいいが,うまくいかずに転職したばかりだった.
そして2012年の今,福井のイメージはどうなっているのか.
もんじゅと原発の二色刷りの気がする.
ついでながら私は2010年に,もとの就職先の先輩と結婚し,今は一児の母である.

しかし,今年の正月は寒い.
品質管理部で働く理系の夫などは,原発が止まっているために日本周辺の海水温が上昇せずに日本全体が涼しくなっていると,冗談まじりに話す.
確かに,去年の夏は涼しかった.
夫の説が正しいならば,原発で暑くなった日本で過ごすためにエアコンの電気が必要であり,原発が必要になるわけだ.
私は生後四か月のわが子を抱いて,スノータイヤにはきかえたワンボックスの自家用車を眺める.
今から家族三人で,福井へ行くのだ.
こんなタイミングでこんなことを思うのはゆううつだが,田舎の家の近くには原発が複数ある.
しかし市町村がちがうので,金は降りてこないとおじさんは笑っていた.
去年の夏に,父母が福井へ行ったときには,
「原発が近くにあるのだから節電するな! 遠慮せずにエアコンを使え!」
と,かっかっかと笑っていたらしい.
が,笑い話ではないと思う.
あと,原発の近くだから電気が大量にあるわけでもない.
しかし,笑い話にしないとやってられないのだろう.
それぐらい,福島原発の事故の衝撃は大きかった.
もしも私たちが滞在しているときに,原発が事故を起こしたらどうなるのか.
正月に帰省すると決めたときから,ずっと不安だった.
適切な避難指示や救援は期待できない.
ましてや私たちは住民ではなく,遊びに来ただけの親せきだ.
となると,自分たちで情報を集めて,自分たちで判断して逃げるしかない.
道路は渋滞するだろう.
ただ逃げたとしても,逃げた先の方が放射線量が高ければ意味がない.
それに屋外に出て逃げるよりも,家の中にこもった方がいいかもしれない.
最低限,子どもだけでも.
老人よりも若者,若者よりも子ども,子どもよりも胎児の方が放射能の影響を受けやすいのだから.
さらにもしも逃げるとしても,自分たちさえよければいいと考えて逃げるのか?
ほかの避難しない人たちを置いて,自分たちだけ安全な場所へ行くのか?
自主避難したことで,私たち家族は責められるのかもしれない.
考えれば考えるほど,どうすればいいのか分からなかった.
なので私は,考えないようにした.
そもそも乳児を連れて,大阪から福井まで移動するのだ.
粉ミルクに紙オムツに着替えに,あそこの道の駅には授乳室があるのか? 赤ちゃん連れで食事できる場所はどこだ? で,原発のことまで考えられない,というのが本音だった.
そして福井へ帰らないという選択肢は,私の中に存在しない.
私にとっては,祖父母たちの暮らす故郷である.
生まれたばかりのわが子を,祖父母に紹介しないことはありえない.
さらに,子どものころから遊びに行っている愛着のある土地でもあった.

娘をチャイルドシートに座らせて,私たちは一路,福井を目指した.
大阪から京都へ,京都から滋賀へ,滋賀ではびわ湖沿いを走り北上する.
福井に入ると,道路標識に敦賀(つるが)の文字が現れる.
敦賀には原発がある.
この原発も,放射能漏れを起こした.
ちなみに福井には,四つの原発がある.
敦賀原発,大飯(おおい)原発,美浜(みはま)原発,高浜(たかはま)原発だ.
美浜原発は2004年に大きな事故を起こした.
私が大学生のときだ.
当時,いとこが勤めていたから,よく覚えている.
死亡者も出た事故で,テレビでも報道していた.
ちなみにいとこは,その事故の後に仕事をやめた.
さらに原発だけではなく,もんじゅも事故を起こしている.
地震や津波がなくとも,トラブルだらけだ.
もしも私がおじさんたちに,原発やもんじゅの近くに住むのは危険だと言ったら,どうなるのか.
答は分かりきっていた.
山に囲まれた場所で,畑をたがやして,牛や鶏を飼う.
山の水を飲み,近くで取れた魚を食べる.
私が何を言ったところで,その生き方を変えられるわけがない.
生まれ育った場所から動けるわけがない.
もしも動くのならば,耐えられない痛みをともなう.
たとえ,放射能が大量に漏れ出る事故が起きたとしても…….
私は思考を止めて,窓の外を眺めた.
何もない原っぱに,高架道路の下の部分だけがいくつも連なっている.
作りかけのまま放置されているようだ.
そこから三十分以上走り続けて,私たちは祖父母とおじ夫婦の暮らす家までたどり着いた.
家に入ると,大歓迎を受ける.
「莉子(りこ)ちゃんですよー,初めましてー.」
娘を差し出すと,祖父母は同時に抱っこさせてと両手を広げた.
どちらに先に渡すか悩んだけれど,とりあえず祖母の顔を立てる.
ひ孫に,――ちなみにひ孫は五人いる,祖母は大喜びだ.
祖母の認知症は重く,もう私の顔も名前も分からない.
私が孫のうちのひとりだとは認識できるけれど,それだけだった.
次に祖父に娘を預けると,祖父は危うげなく抱き,部屋を歩き回る.
「うちの子は三人とも,おじいちゃんに育ててもらったからねぇ.」
とおばが笑った.
どうやら祖父は,イクジイだったらしい.
いとこたちは誰も家をつがなかったので,今は牛も鶏もいない.
当然,畑もやっていない.
が,おじは趣味で野菜を作っていた.
さらに二年前に作った茶葉が,いまだに大量に余っているらしい.
くれ! とねだると,「こんなものがほしいんか?」と言いつつも,うれしそうに笑っていた.
再び腕にひ孫がやってきて,祖母はご満悦だ.
娘の手を,しみじみと眺める.
「小さい手やろ?」
私は笑った.
祖母は安心したように,シワだらけの目を細めた.
「指が五本ある.あぁ,よかった.この子はカタワではない.」
私は笑顔のままで,返事に詰まった.
カタワって何? と聞ける雰囲気ではなかった.
けれど何を指しているのか,文脈で分かった.
「もし障がいがあったならば,喜んで抱っこしなかったのか?」
「障がいがあろうがなかろうが,私の愛する娘で,あなたのひ孫だ.」
と責めることはできなかった.
そもそも祖母は,女は子どもを三人産んでやっと一人前とか言う人だ.
そして,実際に障がい児を育てたことのない私が何を言っても,苦労知らずゆえの無責任なセリフだ.
無神経でさえ,あるのかもしれない.
わが子が健常者ではない母親たちの切なさも苦しみも,そして喜びや怒りも,私は知らない.
祖母の声は小さく,私以外には聞こえなかったらしい.
祖父が,祖母に抱かれた娘に,いないいないばぁをする.
おばは,おじ手づくりの茶ばかりでは申し訳ないと思ったのか,コーヒーを用意してくれた.
楽しい時間はあっという間に過ぎて,私たちは家を出た.
車に乗りこむと,娘は疲れたのか,すぐさま眠った.
私は,運転する夫と適当に話しつつ,窓の外に目を向ける.
もしも原発の近くに住んでいなければ,祖母はあの言葉を言わなかっただろう.
いや,祖母からすると,自分の住んでいる場所に,原発がぽんぽんと建っていったのだ.
祖母は私の父を含め四人の子どもを産み,その子どもたちは私を含め二十人以上の孫を作った.
子どもが生まれるたびに,祖母は心配だったのだろう.
原発の近くに住んでいるからと言って,子どもに障がいが出るとは限らない.
実際に私の父やおじたちは,なんら障がいを持っていないし,孫である私たちもそうだ.
それにもしも子どもに障がいが出ても,その原因が原発とは限らない.
さらに障がいがあるからと言って,子どもが不幸になると決まったわけではない.
当然ながら,健常者が障がい者より優れているとか,障がい者には生きる価値がないわけでもない.
極例だが,パラリンピックでは,義足を用いて私よりも早く走る人たちがいる.
けれど,――子どもや孫やひ孫が健常者でよかった,それが祖母の本音なのだろう.
今まで黙っていた本音なのだろう.
その本音が,認知症になった今,現れた.
祖母に説明しても,もう理解してくれないだろうが,二十一世紀になった今でも放射能が人体に与える影響は判然としない.
さまざまな学説があり,どれがもっとも真実に近いのか分からない.
そもそも科学は万能ではないのだ.
放射能に限らず,分かっていることよりも,分かっていないことの方が断然多い.
福島原発の事故は収束していない.
本来,施設内からいっさい漏れてはいけない放射能が,大気へ大地へ海へ流れ続けている.
このことによって,大勢の人たちが苦しんでいる.
今回,私が帰省によって感じたストレスは,その苦しみの大海に,ささやかな一滴を加えた.
そして,原発がなければ電気が足りなくなるという話には疑問がつきまとう.
実際の電力需要量は,電力会社によって秘されている.
また,石油の輸入に頼る火力発電だけでは,電力を安定供給できないという話もおかしい.
原発もまた,輸入に頼っているからだ.
そしてひとたび事故が起こると,電力供給どころの騒ぎではない.
なおかつ,原発に依存しなければ,電気代が高くなるというのも変だ.
原発の建設や運営には,多額の税金が投入されている.
火力発電所の老朽化が指摘されているが,原発も同じく老朽化が問題視されている.
さらに,原発がCO2を出さないというのは,真っ赤なウソだ.
そして火力と原子力以外に,発電方法がないわけではない.
太陽光,風力,地熱などの自然エネルギーによる発電に関しては,日本はほかの国に大層おくれを取っている.
さらに事態をややこしくさせるのが,エネルギー問題を政局でのみ考えるマスコミや政治家たちだ.
もちろん,そうでないマスコミや政治家たちもいるが.
どこの駅か分からないが,やたらと立派な駅前ロータリーを通りかかった.
人気はまったくないが,きれいで新しそうだった.
誰も見ていないのに,――正確には見ているのは私ひとりだ,電光掲示板が文字を流している.
――ほしいのは,こんなものじゃない.
私は思った.
福井は何もない田舎だ.
観光地ではないし,名産品もない.
子どものころは,帰省するのが嫌だった.
遊ぶ場所など,まったくと言っていいほどにないから.
海水浴場があっても,日本海側であることが,子ども心に嫌だった.
さらに毎朝,手が凍るほどに冷たい山の水で顔を洗い,怖くて臭いぼっとん便所(くみ取り式便所)で用を足す.
乳牛がいっぱいいるから,そのにおいが家の中まで漂ってくる.
牛舎に行けば,くさいなんてものではなく,さらに牛は巨大で恐ろしかった.
しぼりたての乳を飲めば,腹を下した.
肉牛の子牛はかわいかったが,当時小学生だったいとこに,
「いい値段で売れるかなぁ?」
とにこにこ顔で問われて,顔がひきつった.
父に連れられて川でよく泳いだが,川よりも巨大な滑り台のあるプールの方がよかった.
近場でとれたカニよりも,ハンバーガーを食べたかった.
テレビがNHKしか映らないのが,また嫌だった.
そんな田舎だから,原発を建てるしかなかった.
原発に依存するしかなかった.
ちなみに原発が建った後は,テレビのチャンネル数が増えた.
原発のおかげと,おじたちは言っていた.
だから,福井と言えば原発だ.
福井には原発しかない.
けれど今,私は,それらのすべてに否と言う.
誰が何と主張しようが,その認識はまちがっている.
福井には,すばらしいものがたくさんある.
子どものころは分からなかったけれど,大人になった今では分かる.
正月にもちをついたのも,牛や鶏が身近にいたのも,畑からネギを引っこ抜いたのも,すべてが光り輝く思い出だ.
それらを捨ててまで,大量の電気が二十四時間,――夜間でさえも必要なのだろうか.
確かに二十四時間営業のコンビニは便利だが,必要不可欠なものにも代替のきかないものにも思えない.
原発は,必要ない.
福井にも,どこの地域にも.
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