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魔術学院マイナーデ

魔術学院04

魔法には,入念な準備が要る.
特にライムのようにあまり魔力の無い者が,大掛かりな魔術を成功させようと思ったら,1日を準備に費やしても足りないくらいだ.
しかし今は,あまり時間が無い.
限られた時間内で,出来うる限りのことをしなくてはならない.
黒装束に着替えた少年は,身の丈ほどの長さの白銀の杖を持って,魔方陣の中央に立った.

密度の濃い魔方陣を描くこと,補助として魔法具を使用すること,呪文を唱えるときの息遣い,音の高低,それら小さなことの積み重ねが魔法の成功の鍵を握る.
少年は焦る気持ちを抑えて,深く息を吸って吐く.
そして,
「大地に落ちる翼の影よ,」
呪文を唱え始めた瞬間,
「ライム,辞めなさい!」
いきなり後ろから腕を引かれて,少年はどすんとしりもちをついた.
「じいさん!?」
少年の魔法の邪魔をした犯人は,祖父のコウスイである.

「サリナとルッカが攫われたんだ!」
「聞きなさい! サリナがアデル王子に攫われて,馬車に乗せられた!」
少年と老人は,同時に叫ぶ.
しかし聡い少年はすぐに,祖父の台詞の中で一番重要な単語に気づいた.
「馬車……?」
高速で移動するものに転移するのは,ほとんど不可能である.
もしも近くに転移できたとしても,徒歩では馬車に追いつけない.
下手をすれば馬車の目の前に転移し,轢かれてしまう可能性もある.
「馬で追いましょう,殿下.」
薄水色の髪の青年が,少年の腕を引っ張って立たせた.
その青年の後ろには,険しい顔をしたダグラス教官とトゥール教官.
「足の速い馬を用意してもらった.一緒に追いかけよう.」
ダグラスは言い,すぐに背中を見せて部屋から出て行こうとする.

「いや,俺は魔法で飛びます.」
教官たちの背中に向かって,少年はしゃべった.
「サリナは必ず俺の名前を呼ぶから,その声をたどって馬車の中に飛びます.」
少女が少年の呼び声に応えて,戦場の真っ只中へと飛んだように.
自分も飛べるはず,幻獣など居なくても.

少年の強い瞳に,大人たちは何も言えなくなる.
たとえ少女が呼んだとしても,博打のような危険な魔法だ.
馬で走る方が,時間はかかっても確実である.
しかし,
「私たちは,馬で追います.」
一瞬の沈黙を破り,薄水色の髪の青年が微笑んだ.
少年の魔法の腕前を,誰よりも分かっているからこそ.
「サリナのところへ着いたら,光の魔法で場所を知らせなさい.すぐに追いつきますから.」
トゥールの言葉に,少年は頷く.
「分かりました.」
二人は共に知識偏重型の魔術師であり,今も同じような黒装束を着ている.

「ライム,唱える呪文の属性を教えなさい.魔法の補助をしよう.」
コウスイも覚悟を決める,この孫を信じるのみだと.
ラティン教官はすでに,ライムの描いた魔方陣を勝手に補強している.
「転移位置精度の高い,」
「ライム殿下!」
少年が答えようとすると,今まで後ろで控えていたルッカが前に飛び出てきた.
「ごめんなさい,私のせいで……,」
青ざめた顔で,謝罪する.
「本当に,ごめんなさい…….私が守らなくちゃいけなかったのに.」
なぜサリナ一人を攫ったのか,ルッカには分からない.
人質にするのならば,そのまま自分を連れてゆけばよかったのに……!

「大丈夫だ,ルッカ.サリナは必ず連れ帰る.」
驚くほど自然に,その台詞は少年の口から滑り出た.
「それに昔から,サリナを守るのは俺の仕事だ.」
そう,それは出会ったときから.
少女を守るのは,少年の義務であり権利でもあった.
「そうだろ? じいさん.」
余裕のある笑みを,少年は祖父に向ける.
この老人に,引き合わされた.
「そうだよ,……けれどそれを君に言われる日が来るとは思わなかった.」
白髪の老人は,瞳で笑みを返した.

「なんで,連れてきたの!?」
揺れる硬い板の上で,サリナは目を覚ました.
「魔法書の代わりさ,手ぶらでは帰れないだろ?」
くらくらする頭を押さえ,起き上がる.
床の上で寝ていたので,体中が痛かった.
「代わりって!? 人間じゃない!」
少女の目の前では,アデル王子と王子と同じ顔をした少女が言い争っている.
馬車の中であり,他には誰も居ない.
サリナには,今のこの状態がさっぱり理解できなかった.
すると,アデル王子がサリナの方を振り向く.
「サリナ,だろ? ライゼリート王子の婚約者の.」
少女はただ,少年の顔を凝視した.

「……ルッカさんはどこですか? 無事なのですか?」
わけが分からぬままに,少女は姿の見えないルッカの身を案じる.
「彼女は無事だよ.」
少年は優しく微笑んで,少女の方へ近づいてきた.
座り込む少女の側でしゃがみ,少女の髪をふと房だけ取る.
「今頃,君の行方を必死で探しているんじゃないかな?」
「離して!」
少女は,ぱんっと少年の手を払う.
やっと自分の置かれた状況が分かったのだ.

「どうして……!?」
問いかけておきながら,少女は恋人の言葉を思い出す.
西ハンザ王国の奴らの目的は,俺たちの魔法の知識だ.
「私,単なる使用人です,平民です! マイナーデ学院の生徒じゃありません!」
悟った途端,少女はつばを飛ばしながら大声で嘘をまくし立てる.
「君は貴族だろ? そしてライゼリート王子の婚約者だ.」
しかし少年は,眉一つ動かさずに言い返す.
少女の優しげな甘い顔立ちは,何よりもあの金の髪の少年に似ていた.
「平民だってのは本当です!」
少年は思わず,笑ってしまった.
今の台詞で少女は,自分は使用人ではなくマイナーデ学院の生徒であると,自ら告白したようなものだ.
嘘の仮面をかぶるのが下手な所も似ているらしい.

「嘘つき! 門まで飛んだら解放するって言ったくせに!」
無力な少女に非難されても,なんら痛痒には感じられない.
楽しそうな様子の少年の隣で,エイダは信じられない想いで弟の横顔を盗み見た…….
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