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魔術学院マイナーデ

王の子供たち07

「なんだ,まだ始まっていなかったのか.」
赤毛の青年は「慌てて損した.」と,大口を開けて笑う.
持っていた書類の束をどさっと卓の上に置き,どかっと椅子に腰掛けた.
「さっさと始め,……どうして皆,座らないんだ?」
青年は不思議そうに,弟,兄,大臣ら,友人らの顔を見回す.

誰も答えてくれないので,イスカが金の髪の少年に視線で問い掛けると,
「なぜ,こんなにもずうずうしく振舞えるんだ!?」
弟ではなく兄の方が,たまりたまった鬱憤を吐き出すように口を開いた.
「ラルファード兄?」
赤毛の青年は驚く,兄のあらぶった声を彼は初めて聞いたのだ.
「いつもいつも,俺を無視して,」
顔を紅潮させる兄に,イスカは兄が発作でも起こしてしまうのではないかと危ぶむ.
「落ち着けよ,どうしたんだ?」
兄をなだめようとするのだが,イスカの誠意は全く届かなかった.

ばしっと乱暴に手を払われて,赤毛の青年は兄の顔を改めて見返した.
暗い,なんて暗い顔をしているのだろう.
「兄……?」
この顔は,つい昨日も見たばかりだ.
……俺はいつでも兄の光の影に隠されていた.
王弟タウリ,シグニア王国の裏切り者.

「俺だって,日の光に当たっているわけじゃない.」
赤毛の青年は今,初めて兄のラルファードと向き合った.
どこか屈折している眼差し,常にイスカに対して優越感に満ちていた瞳がいつから,こんなにも卑屈になってしまったのだろう.
「親父のことは,今でも嫌いだ.許せない.……母さんは,」
飲み込んでしまいそうになる言葉を,息を慎重に吐き出すように紡ぐ.
「……母さんは親父のために死んだ,それでも,」

「玉座は俺が継ぐ.」
周囲の者が聞き逃してしまいそうな程あっさりと,イスカは決定的な言葉を放った.
兄の瞳が驚愕のために,ゆっくりと見開かれてゆく.
「親父のやり残した仕事は,俺がやる.」
卓の上に置いた書類や本の山を,ぽんと叩く.
学校,病院等の建設計画,平民の政治への参加を促進する政策,街と街をつなぐ駅馬車,もしくは牛車の構想まで.
すべて国王リフィールが,一人でやっていたことだ.
「親父のご指名だ,……置き土産を残していきやがった.」
口元には苦い笑みを,目元には優しいそれを浮かべて,青年は憎んでいた父親を受け入れた.

「俺は,……認めない.」
悔しそうに歯噛みして,ラルファードは顔を俯ける.
しかし彼は,心のどこかでよく分かっていた.
認めないこと,もはや自分にはそれしかできることは無い.

「陛下……,」
「お部屋に書類が見当たらないと思っていたら……,」
政務の補佐をしていた大臣らが,囁き交わす.
国王は,一番嫌っていたはずの息子にすべてを託したのだ.
もはや議論の余地は無い,次の国王は……,
「私も認めませんわ,このような薄汚い奴隷など!」
つんざくような女性のヒステリックな声に,大臣らははっと我に返る.
美しい銀の髪を振り乱して,王女イリーナが叫んでいた.

次期国王は奴隷の息子.
いくら身分平等を謳うシグニア王国でも,許されるはずは無い.
「他国からのいい笑いものだわ!」
シグニア王国の周辺諸国には,れっきとした身分制度があるのだ.
「誰もあなたを国王だなんて認めない!」
特に東の大国である西ハンザ王国は,シグニア王国の奴隷解放に批判的であった.
皮肉なことに,シグニア王国の奴隷解放に一番の理解を示しているのは,外洋と接するティリア王国である.

「身分など,何の意味も無い.」
静かな声が,混迷する場に割って入ってきた.
「皆も分かっているはずだ,誰が一番国王にふさわしいのかを.」
輝く金の髪,深い緑の瞳.
いかにも王子の容貌を持つ,誰よりも高貴な血筋の少年.
「イスファスカ兄上,」
あろうことか,金の髪の少年は赤毛の青年に向かって膝をつく.
同等なはずの王子に向かって,……いや,母親の身分を考えるとライムの方が位はずっと上である.
「あなたに忠誠を誓います.」
ライゼリート王子の行動に,周囲の者,特に年かさの貴族たちは狼狽した.
イースト家の母を持つ王子が,奴隷の王子に頭垂れるなど……!

「私も,忠誠を誓いましょう.」
王国騎士の青年カイゼも,うやうやしく跪く.
「今,この場に居ない王国軍一同を代表して.」
もはやこの青年以外の者を,陣頭に立てるなど考えられない.
「私も誓います,」
「俺も,」
互いに競い合うかのように次々と,若い貴族の青年たちが頭を下げる.
マイナーデ学院での彼らのリーダーは,この国の王となるのだ.
いや,最初から,彼らの中で王はただ一人だけだった.

「誓います,あなたは我々の希望ですから.」
出席を許された数少ない平民政務官の男たちが,同時に膝をつく.
事態を見守っていただけの貴族たちも,釣られたように忠誠を示しだした.
「認め,ないわ……,」
悔しさに震える王女の声,だが変わりゆく時代はもはや止められない.
周囲の仰々しさに,王となる青年は呆れたようにため息を吐いた.
「忠誠をありがとう,……ただしイスファスカ陛下なんて,さらに噛みそうな名前で俺を呼ぶなよ.」

「兄貴!」
小声で,一番側に居たライムが注意する.
「呼び名くらい好きにさせろよ.だいたい兄貴は,」
すると兄は,おどけたように肩を竦ませた.
「昔はイスファスカ兄上って言えなくて泣いていたくせに.」
「だ,誰がそんな理由で泣くか!?」
ウインクする青年に,少年は真っ赤になって言い返す.
少年の隣に座っていたサリナが,くすくすと笑い出し,
「サリナ!」
周囲の若者たちも,どっと笑い出す.

新しい時代の産声に,ここから始まる新しい何かに.
青年たちはただ笑い,肩を叩き合うのであった…….
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