恋に落ちていただけると幸いです

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  7 笑っていただけると幸いです  

 やっぱりユウトは、同郷の少女と隣国に旅立つらしい。邸の玄関ホールで私は、
「どういうことよ!?」
 両手を腰に当てて怒った。旅の荷物をかついだユウトは、目を丸くする。
「お嬢様、お怒りになることができるのですね? お嬢様は菩薩のような心を持っているから、怒るというスキルすらないと思っていました」
「怒るのは当たり前でしょう!」
 私はますます怒った。そんな私に、お父様とお母様も驚いている。
「怒るのはやめて、ちゃんと笑ってユウトを見送りなさい。彼はあなたのために、隣国へ行くのだから」
 お母様はたしなめた。
「でも私はもう、王子との結婚を望んでいません」
 お母様はきょとんとしてから、笑い出す。
「ちがうわよ。ユウトは隣国の王族の方にお願いして、あなたと結婚するのにふさわしい身分をもらいに行くのよ」
「へ?」
 私はまぬけに口を開けた。ユウトを見ると、彼は顔を赤くして目をそむけた。それから彼は、おそるおそるといった風に私を見る。
「お嬢様、私は隣国の貴族となって戻ってきます。そしてあなたに愛をこいます」
 私も顔を赤くした。なんだ、そうなのか。それならいいのよ。
「はやく戻ってきてね」
 私ははずかしくなって、うつむいた。ユウトからの返答はない。いぶかしんで、顔を上げると、
「侯爵様、私は今、死んでもいいほどに幸せです」
「不吉なことを言うな! それから私はまだ、君と娘の交際を認めていない」
 ユウトは泣きながらお父様に抱きついて、お父様はユウトを嫌がっていた。
「あなた、もうあきらめた方がいいわよ」
 お母様が言う。
「王子が浮気しても婚約破棄しても怒らなかったこの子が、ユウトに怒ったのよ。どういうことか分かるでしょう?」
 お父様は、片手で目を覆って泣き出した。
「認めない、私はまだ認めないぞぉ」
 ユウトは私のもとへやってきて、私の体を抱き寄せた。優しいしぐさに、胸がときめく。始まったばかりのこの恋を大切にしたい。
「すぐに戻ってまいります」
「うん、待っている」
 ユウトは私を離した。
「私と田中さん、――王子の恋人がこの世界に落っこちた理由は、私には分かりません。きっと隣国の王弟殿下にも分からないでしょう」
 私は、隣国の王弟とは面識はない。とても賢い方だとうわさで知っている程度だ。
「けれど、もとの世界に戻る方法はあります。殿下は手紙で『世界という生命体は常に異分子を排除しようとする。よってきっかけさえ与えれば、君はもとの世界に戻るだろう』とおっしゃっていました」
「よく分からないわ」
 私は苦笑した。
「私もです」
 ユウトも笑う。
「ただ私に関しては、すでにこの世界に来てから長いですし、さらにお嬢様をはじめこの国の人たちと強く結びついているので、きっかけを与えても故郷へ戻れない可能性が高いとおっしゃっていました」
 ん? 私は首をかしげた。ということはユウトは、やっぱり故郷へ帰ることができないのでは?
「だましたわね! 故郷へ帰れると何度も言ったのに」
 私は再び怒った。
「いえ、その、……帰れないかもしれないし帰れるかもしれないし、やってみないと分からないというか」
 しどろもどろになるユウトの顔に、私はげんこつをくらわせた。
「ばかっ、だいっ嫌い!」
「申し訳ございません」
 私は彼の胸を、ぽかぽかぽかとなぐる。
「お嬢様、意外に強い、……でもかわいい」
 私のこぶしが、彼のあごに命中した。がひっと変な声を上げて、ユウトは倒れる。
「ごめんなさい」
 私は彼を助け起こす。お父様とお母様は、あきれて笑っている。ユウトは立ち上がると、
「愛しています」
 私にだけ聞こえるようにささやいて、情けなさそうに笑った。
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