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  Lucifer 03(リメイク版)  

 階段教室の中で、律子は角田の姿を見つけた。いつもどおり前の方の席に座って、授業が始まるのを待っている。
「おはよう」
 律子は彼に声をかける。しかし声がこわばっているのが、自分でも分かった。
「はよ」
 角田はいつものように、にかっと笑った。律子は、背負っていたリュックを机の上に置き、角田の隣に腰かける。
「朝のメールはどういうことなの?」
 けわしい調子でたずねた。
「天使に気をつけろ、そのままの意味だ」
 目の前が真っ暗になるかと、律子は思った。朝のメールだけならば、まだ分からないふりをしていられた。
「角田も天使なの?」
 声が震える。入学したときからずっと、そばにいたのに。
「その逆」
 気楽な感じで、彼は笑う。
「俺は悪魔だ」
 律子の驚きは飽和して、もう驚くことはできなかった。
「なんで悪魔が大学に?」
「日本の古典文学が好きと言っただろ」
 角田は悪びれない。
「まさか勉強するためだけに大学にいるの?」
 律子はあきれたが、それは学生として正しいあり方だ。彼は真面目に授業に出席し、ノートをきちんと取っている。天使が道ばたで迷子になり、悪魔が大学で勉強をする。この世界はどうなっているのだ。
「私が知らなかっただけで、日本には天使と悪魔がいっぱいいるの?」
「いーや。たまたま、お前のまわりに俺とそいつがいるだけ」
 すごい偶然だ、神に問いただしてみたい。
「信じられない」
 律子は頭を抱えた。
「なぁ、律子」
 ふいに角田は真剣な声を出す。
「俺の気持ちに気づいているだろ?」
 律子はぎくりとした。言ってほしくない。なのに、
「好きだよ」
 さりげなく落とされる爆弾。律子はためらったすえに、答えた。
「ごめん」
 受け入れられない。角田の想いにはこたえられない。それは、もう無理なのだ。
「そうか」
 角田の顔が悲しげにしずむ。律子はリュックを持って、彼の隣の席から離れた。授業が終わると、律子はすぐに家路についた。いつもは角田とテニスサークルの部室に顔を出すのだが、そんなことはできない。
 電車に揺られながら、心の中を整理しようとする。白い翼を持つ天使に会って、それだけならまだしも、――角田が悪魔で、告白をしてきた。何に一番驚いていいのか分からない。
(私は、角田が好きだった。彼からの好意も、なんとなく感じていた)
 いつかふたりは付き合うだろうと、まわりからウワサされていたのも知っていた。なのに……。ルウの笑顔が邪魔をする。ほんの少しだけ触れた、彼の指さきのぬくもりが心を乱す。
 私は彼に興味がある? ちがう。ただ、めずらしいだけだ。動物園でパンダやキリンを見たいのと同じ感覚だ。自分に言い聞かせて、律子は電車から降りる。そしてホームの中で、ルウを発見した。
 黒色のダッフルコートを着て、寒そうに身を縮めている。駅の看板を、興味深そうに見ている。ホームには、ほどほどに人がいて、目立つ容姿のルウを気にしている。律子が乗っていた電車は走り去ってしまった。
 ルウは律子の視線に気づいて、顔を向けた。緑色の瞳が優しげに細められる。なぜルウは、その日のうちに会いに来るのだろう。律子は唇をかみしめた。こんなにも早く、現れないでほしい。一晩、二晩たてば、忘れられるのに。現実に立ち戻ることができるのに。
「名前を教えてください」
 開口一番、彼は名前を問うた。
「なぜ?」
 ルウの性急さには理由があるように思えて、律子は聞き返す。彼は照れたように微笑した。
「あなたに愛を告白するのに、名前を知らないままでは……」
 律子はほおが熱くなって、うつむいた。出会ったばかりとか、彼が天使とか、すべてが消えていく。
「私は律子」
 顔を上げて、差し伸べられた手を取る。しかしそのとき、彼の翼にかげりが感じられた。
「ルシフェル」
 彼の本当の名前に気づく。神にもっとも愛される、光り輝く天使。
「私はついさきほど、その名前を失いました。神の愛を拒絶し、堕天しました。けれど、律子」
 黒い翼が広がる。ホームにいる人々が驚いて、おちた天使を見返した。
「あなたの愛を得るためならば、何も惜しくないのです」
 ルウが律子の手の甲に口づけると、わっと歓声と拍手がわき起こる。
「映画やドラマのロケと思われているみたいね」
 律子は笑い、彼の体にぎゅっと抱きついた。
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