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  Lucifer 01(リメイク版)  

 話しかけやすい雰囲気をしているのか、街を歩けばよく人に道をたずねられる。駅はどこですか? コンビニはどこですか? そして、――天はどこですか?
「迷子になってしまいましたぁ」
 背の高い美形青年に情けなさそうに泣きつかれて、律子(りつこ)は絶句した。
「助けてください。天へ帰る道を教えてください」
 青年の背中から生えている巨大な白い翼。道路脇のタバコの自販機に、ぶつかりかけている。商店街のそばの道なのに、どうして誰も通りかからないのか。律子はぎくしゃくと首を回した。誰か助けてくれ。
「あぁ、日が暮れる。天の門が閉まってしまう」
 あやしい発言をする青年の外見は、さらにあやしかった。茶色の髪は長く、胸あたりまである。薄手の白いローブが、木枯らしにひらひらと揺れて寒々しい。現実主義者の律子としては認めたくないことだが、その姿はまるで、
「あなたは天使ですよね。地上で身を隠して、仕事をなさる方ですよね。僕はまだ見習い天使です。どうか力を貸してください」
「ちがう、私は天使じゃない」
 かろうじて、律子は反論した。自分の目に映るすべてを否定したい。自称天使は、あれ? と緑色の瞳を丸くした。
「もしかしてあなたは人間ですか?」
 律子は大きくうなずく。天使は、「あぁーー!」とさけんだ。
「見習い期間中なのに、人間と話してしまった。先生に怒られる」
 頭を抱えて、うずくまる。背中の翼がばさーっと広がり、律子は「ひょえー!?」とのけぞった。
「今日のことは内緒にしてください、お願いします」
 天使は土下座する勢いで、頼みこむ。律子は混乱した頭で了承した。
「内緒にする。絶対に誰にも話さない」
 というより、話しても誰も信じない。天使はほっとして、顔を緩ませた。
「ありがとうございます。このご恩は必ず返します」
 翼をはためかせて、天使は夕暮れの空へ飛び立つ。律子はぽかんと口を開けて、天使の後ろ姿を見送った。夢でも見たのか。うん、きっとそうにちがいない。自分で自分を納得させる。
 自己完結したとたん、両手に持っているスーパーの袋が重く感じられた。さっさとテニスサークルの部室に戻ろうと、律子は歩き出す。そのとき、大学の方からひとりの青年が走ってやってきた。
「律子」
 同じ二回生の角田(つのだ)だ。
「先輩たちから、ひとりで酒の買い出しに行ったと聞いた」
 彼はすぐさま律子の荷物を取り上げる。そして、ほがらかに笑った。
「重かっただろ。俺に声をかければよかったのに」
 ビールに、発泡酒に、缶チューハイ。確かに袋は重かった、だがそれが気にならなくなるほどの出来事があった。
「ありがとう、角田。助かったよ」
 律子は笑い返す。いろいろな意味で助かった。現実に引き戻してくれてありがとう。角田は、にかっと笑った。
「もう鍋はできているぜ。今は乾杯のビール待ち」
 彼は歩くペースを速める。律子は小走りで彼についていった。そして部室に着くころには、すっかりと天使のことは忘れていた。

 次の日、律子は大学の構内で、昨日の天使を見つけた。大きな翼はなく、普通のカジュアルな服装をしている。しかし茶色の長髪は目立つ。白い肌と緑色の瞳を持ち、外国人留学生のようだ。天使は律子に気づくと、うれしそうに走りよってくる。
「こんにちは。待っていました」
「こんにちは」
 律子はこわばるほおで、笑顔を返す。天使なのかどうかは置いといて、あまり関わりたくない。
「人間に話しかけていいの?」
 律子は小さな声で問いかける。
「担当教官の許可をもらいました」
 天使は子供のように無邪気に喜ぶ。
「あぁ、そう」
 律子は適当に返事した。律子の通う大学は総合大学で、構内は広くいろいろな人がいる。だがさすがに天使はいない。天使は、白い羽を一枚差し出す。
「これは昨日のお礼です。あなたの願いを、ひとつだけかなえます」
 太陽の光に、羽は七色に輝く。毛のさきまでつやつやとして、赤ん坊の産毛のように柔らかそうだ。
「きれい……」
 羽の美しさに、律子はそれを受け取ってしまう。
「遠慮せずに、何でも願ってください。僕の羽がきっと、あなたを幸福にします」
 天使は、羽よりも美しいほほ笑みを見せた。
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