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  Lucifer 03  

階段教室の中で,律子は先に来ていた角田の隣の席に座った.
「おはよう.」
声が緊張してしまう.
「はよ.」
角田はいつものように,にかっと笑った.
「朝のメールはどういうことなの?」
「天使に気をつけろ,そのままの意味だよ.」
目の前が真っ暗になるかと,律子は思った.
朝のメールだけならば,まだ分からないふりをしていられた.
「角田も天使なの?」
声が震える.
入学したときからずっと,そばにいたのに.
「その逆だ.」
気楽な感じで,彼は言う.
「逆?」
「俺は悪魔だよ.」
律子の驚きは飽和して,もう驚くことはできなかった.
「なんで悪魔が大学に?」
「日本の古典文学が好きだと言っただろ.」
角田は悪びれない.
「まさか純粋に勉強するために大学にいるの?」
律子はあきれたが,よく考えれば,それは学生として正しいあり方だ.
彼はいつも真面目に授業に出席し,ノートをきちんと取っている.
天使が道ばたで迷子になり,悪魔が大学で勉強をする.
この世界はどうなっているのだ.
「私が知らなかっただけで,日本には天使と悪魔がいっぱいいるの?」
「いーや.たまたま,お前のまわりに俺とそいつがいるだけ.」
すごい偶然だ,神に問いただしてみたい.
「信じられない.」
律子は頭を抱えた.
「なぁ,律子.」
ふいに角田は真剣な声を出す.
「俺の気持ちに気づいているだろ?」
「え?」
ぎくりとした.
「好きだよ.」
さりげなく落とされた爆弾.
「ごめん…….」
受け入れられない.
とっさに,そう感じた.
彼の想いには応えられない.
「そうか.」
角田の顔が悲しげに沈む.
律子はかばんを持って,彼の隣の席から離れた.

授業が終わると,律子はすぐに家路についた.
いつもは角田と一緒にテニスサークルの部室に顔を出すのだが,そんなことはできない.
電車に揺られながら,なんとか心の中を整理しようとする.
白い翼を持つ天使に会って,それだけならまだしも,――角田が悪魔で,告白をしてきた.
何に一番驚いていいのか分からない.
律子は,角田が好きだった.
彼からの好意も,なんとなく感じていた.
いつか二人は付き合うだろうと,まわりからウワサされていたのも知っていた.
なのに.
――また会いに行きます.
ルウの笑顔が邪魔をする.
ほんの少しだけ触れた,彼の指先のぬくもりが心を乱す.
私は,彼に興味がある?
いや,ちがう.
ただ,もの珍しいだけだ.
動物園でパンダやキリンを見たいのと同じ感覚だ.
なんとか言い聞かせて,律子は電車から降りる.
そしてホームの中で,たたずむルウの姿を発見した.
黒のコートを着て,寒そうに身を縮めている.
緑色の瞳が律子を捉え,優しげに細められた.
なぜルウは,その日のうちに会いに来るのだろう.
律子は唇をかみしめた.
こんなにも早くに,現れないでほしい.
一晩,二晩たてば,忘れられるのに.
現実に立ち戻ることができたのに.
「名前を教えてください.」
開口一番,彼は名前を問うた.
「なぜ?」
ルウの性急さには理由があるように思えて,律子は聞き返す.
彼は照れたように微笑した.
「あなたに愛を告白するのに,名前を知らないままでは…….」
ほおが熱くなって,律子はうつむいた.
出会ったばかりとか,彼が天使であることとか,すべてが消えていく.
「私は律子.」
顔を上げて,差し伸べられた手を取る.
しかしそのとき,彼の翼にかげりが感じられた.
「ルシフェル.」
彼の本当の名前に気づく.
神にもっとも愛される,光り輝く天使.
「私はつい先ほど,その名前を失いました.けれど,律子.」
黒い翼が広がる.
ホームにいる人々が驚いて,おちた天使を見返した.
「あなたの愛を得るためならば,何も惜しくないのです.」
ルウが律子の手の甲に口づけると,わっと歓声と拍手がわき起こる.
「映画やドラマのロケだと思われているみたいね.」
律子は笑い,彼の体にぎゅっと抱きついた.
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