2010.4.1. cat dance

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  『水底呼声』エイプリルフールスペシャル!  

朝,ベッドで目覚めてすぐに,ウィルは違和感に気づいた.
耳が,よく聞こえるのだ.
少年は普段から耳はいい方だが,普段以上に多くの音が届く.
少年にくっついているみゆの寝息,隣室のスミのあくび,スミは今起きてベッドから降りた.
外からは鳥のさえずり,両隣の家の子どもたちがはしゃぐ声まで聞こえる.
さらにウィルの耳は,よく動いた.
音のする方向へ簡単に,くるくると回る.
ウィルはそっと,ベッドから抜け出した.
二本の足で立とうとした瞬間,どたんと前のめりに倒れる.
信じられないことに,体のバランスを崩したのだ.
床に四つんばいになって,後ろを振り返る.
すると,黒いふさふさのしっぽが生えていた.
長いしっぽは,ふにょんふにょんと動いている.
はっと気づいて頭に手をやると,とんがった三角形の耳があった.
「何の音?」
少年のこけた音に気づいて,みゆが目を覚ます.
ゆっくりと起き上がって,目をこすって,ぼーっと少年の姿,――特にしっぽを見た.
黒の瞳が大きく開いて,その瞳の中に,わくわく,うずうず,もふもふといった感情が踊る.
「か,わ,いいーーーっ!」
みゆはウィルの背中に,――幸いなことに猫になったのは耳としっぽだけだった,飛びこんだ.
「かわいい,かわいい,超かわいい!」
頭をかいぐりかいぐりとなでて,すりすりとほおずりする.
いつもならばスキンシップはうれしいのだが,中途半端に猫になったウィルは押しつぶされた.
「どうしてこんなにかわいいのー!?」
そんなことより,どうしてこんな体になったのか考えてほしい.
騒ぎを聞きつけて,スミが近づいてくる気配がする.
「ミユさん,どうかしましたか!?」
真剣な顔をして,扉をばっと開けた.
が,ウィルとみゆの様子を見ると,口もとをひきつらせる.
そぉっと扉を閉めて,立ち去った.
興奮するみゆをのせたままで,ウィルは少しだけ途方に暮れた.


とんでもないものを見てしまった,とスミは思った.
ウィルはさまざまな意味で常軌を逸した存在だが,まさか猫耳としっぽが生えるとは!
信じられない,さすが黒猫としか言えない.
しかもみゆは,普通ならば恐れおののく状況なのに,大喜びだ.
こんな非常識な事態には関わりたくないと,スミは隠れ家から出て行った.
朝の街をぶらぶら歩いていると,自分が注目されていることに気づく.
若い女性から,ぷっと笑われたり,小さな子どもから「変なお兄ちゃんがいる!」と指差されたり.
スミはとてつもなく,嫌な予感がした.
おそるおそる頭を触ると,案の定生えている.
自他とも認める『水底呼声』唯一の常識人として,あってはならないものが存在している.
スミは大通りの真ん中で,Nooooooo!! と頭を抱えた.
なんで,こんなことに…….
作者は俺が嫌いなのか…….
しかしそのとき,雷光のようにすばらしいアイディアがひらめいた.
みゆは,猫耳のついたウィルに抱きついていたのだ.
かわいいかわいいと連呼して,いちゃいちゃ,べたべたしていた.
スミは,そそくさと城へ向かった.


城の中では,ある異変が起きている.
第一王子であり実質の支配者であるバウスは,それを肌で感じていた.
いつもどおり朝食を取っているのだが,テーブルの周りで給仕するメイドたちの様子がおかしい.
バウスにおびえたように,目を合わせない.
たまに後ろを向いて,泣いているのか,肩を震わせる.
そしてバウスが「どうしたのだ?」とたずねても,けっして口を割らない.
「恐れ多くて申し上げられません.」だの「お体に異常は感じないでしょうか?」だの言って逃げる.
この不可解さの正体を見極めようと,バウスは目を細めた.
耳をぴくぴく動かして,しっぽをぱたぱた揺らして.
今日はやけに,――コックが腕を上げたのか,魚料理がおいしい.
王子が自分自身の異変に気づくのは,まだ先のことだった.


カリヴァニア王国でライクシードを迎えたのは,猫耳としっぽをつけた人間たちだった.
(時系列がいまいちナゾですが,気にしないでください.)
ライクシードは最初はとまどったが,これこそが王国の真実で,実際の姿なのだと納得した.
自分自身の目で確かめないと,分からないことが多い.
王子は素直にそれを実感し,今まで自分がいかに狭い世界だけで過ごしていたかも知った.
国王もまた,猫耳としっぽをつけていた.
ライクシードは,もはやそのことには驚かなかったが,
「ようこそお越しくださいましたにゃー.私はカリヴァニア王国の国王ドナートですにゃー.」
「私は神聖公国の,……,」
ライクシードですにゃー,と答えるべきなのだろうか.
いや,それはあまりにも間抜けだろう.
二十二才の男が言っていいせりふではない.
しかし国王は,――壮年の男性であるにも関わらず,語尾に“にゃー”をつけているのだ.
きっとこれが,カリヴァニア王国の作法に違いない.
ならば,従うべきだ.
他文化を受け入れることこそ,今,ライクシードに課せられた使命だろう.
けれど,にゃー? にゃー,だと?
ぶっちゃけ,あほっぽい.
男としてのプライドと外交の使者としての責務が,若い王子の心の中でせめぎあう.
国王の周囲にいる大臣や騎士たちも,皆猫だ.
にゃーにゃー鳴いている.
だからライクシードも,にゃーと言うべきなのだ.
きらきら王子様スマイルで,さわやかに軽やかに涼しげに,にゃーと.
嫌な汗が,背中をだらだらと流れた.
初めての外国訪問は,ライクシードに厳しすぎる試練を与えたのだった.


城の中のセシリアの部屋に忍びこんだスミは,ふふんふーんと目当ての姫を探した.
しかしどこを見回しても,少女はいない.
代わりに,窓際で日の光を浴びて,白銀色のいい毛並みをした猫が丸くなっていた.
スミに気づくと,少しだけ顔を上げて,目を開く.
それは見事なブルーの瞳.
誰かさんを思い起こさせるような,紺碧の海の色.
にゃぁとかわいらしく鳴いて,顔をしっぽにうずめて,再びこんこんと眠り始める.
負けた.
スミはがっくりと,ひざをつく.
猫耳程度では,天然王女には勝てなかった.


ウィルはいつの間にか,完全な猫になっていた.
もちろん毛は真っ黒で,本当の意味での“黒猫”だ.
隠れ家の屋根の上で,濃い灰色のメス猫がぴったりと寄りそっている.
メス猫は,ごろごろとのどを鳴らした.
まるで,ラブソングのように.
ウィルはメス猫をぺろぺろとなめて,毛つくろいをしてやる.
メス猫は気持ちよさそうに,目を閉じて体を預けた.
猫になってもかまわない,二匹が一緒にいられるのならば.
みゆさえそばにいて,幸せそうならば.
猫だらけになった世界を眺めて,ウィルは心からそう思った.
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