日本食文化の醤油を知る -筆名:村岡 祥次-


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江戸の外食・醤油文化

 再現・江戸庶民の料理(おかず)


再現:江戸庶民の料理(おかず)

■料理番付と江戸庶民
江戸時代の後期、人気の倹約おかずを相撲番付や歌舞伎番付風に並べた料理番付「日々徳用倹約料理角力取組」がある。この倹約おかず番付は、料理名を一枚刷りの簡潔な記述で相撲番付の如く、“大関”を筆頭として東西に分け、順位をつけて優劣を競うという見立(みたて)番付であって庶民に受けて大隆盛をみた。

食生活関係の見立番付でも、酒屋の「銘酒づくししんぱん」、醤油屋の「醤油見立番付」、料理屋の「江戸会席料理老舗番付」や「即席会席御料理」「御料理献立競」など商売に関するもの。
食品の「江戸自曼蒲焼茶漬番付」や「かつほぷし位評判」、料理の「日々徳用倹約料理角力取組」「魚鳥料理仕方角力番付」など食に関するもの。食べ方・飲み方など食行動に関するもの。諸国の名物産物「諸国産物大数望」、「大日本産物相撲」に関するものなど、数多くの見立番付が刊行された。
こうした江戸時代の番付表は三都と呼ばれた江戸、京都、大阪を中心に出版されているが、名古屋、金沢、仙台にも少しながら存在する。


『日々徳用倹約料理角力取組(ひびとくようけんやくりょうりすもうとりくみ)』(倹約おかず番付)


1.江戸,幕末頃のおかず番付

■見立て番付表というのは、元々は相撲や歌舞伎役者の序列を順番に書き付けたもので、江戸時代後期にさしかかる宝暦年間(1751年~1763年)には、すでに紙に刷った形で発行されていた。やがて相撲や歌舞伎役者の番付表に見立てて、物事を東西にわけた見立て番付が盛んにつくられるようになった。

見立て番付に、200種類程の総菜を列記した『日々徳用倹約料理角力取組』という、江戸庶民の節約おかず番付もあった。幕末の天保年間(1830-42年)に作成された『日々徳用倹約料理角力取組』にのっている料理名は、江戸庶民の日常のおかずに欠かせない重要な位置を占めていた。

  
翻刻版『日々徳用倹約料理角力取組』と、原本『日々徳用倹約料理角力取組』の秋・冬の料理名の切り取り画像。(内容はほぼ同じである。しかし、翻刻版は印字スペースの理由により、一部が欠落している箇所[名称]が見受けられる)

『日々得用倹約料理角力取組』の見立番付の精進方・右下方に書かれている「秋」料理「冬」料理は次のとおりである。
〇「秋の料理・精進方」の料理名には、
割菜汁、いりな、芋煮ころがし、ふろふき大根、ごぼう太煮、さつま薄くず、もみだいこん、はつたけ豆腐、とろろ汁、あげもの、山かけ豆腐、きくみすのもの、焼き生姜、くわい煮付け、とうなす煮物、ひょうのごとし、むかごいりつけ、ふじまめ煮びたし、いりどうふ、しめじそぎどうふ、だんご汁、あんかけ豆腐、八つがしら芋につけ、長芋おでん、ぎぜへどうふ、山いもぐつぐつ煮、 とある。
〇「冬の料理・精進方」の料理名には、
湯豆腐、こんにゃくおでん、納豆汁、かぶな汁、かぶ菜汁、輪ぎりごぼう、こんにゃく白あえ、ねぎ南蛮、こんにゃくさしみ、ごまみそ、あぶらみそ、炒り豆腐、おこと汁、うど白和え、こんにゃくいり付、にんじんけし、きりぼしすあい、ながいもひらだね 、 とある。
「おこと(事)汁」とは、2月8日、12月8日の「事八日(ことようか)」に、事納めの日に作った芋・大根・人参・ごぼう・小豆・こんにゃくの6種類の具材が入った味噌汁をいう。
幕末頃のおかず見立番付『日々徳用倹約料理角力取組』は、200種類程の日常のおかずを精進方(野菜類)と魚類方(魚介類)に分け、大相撲の番付風に大関から列記している。横綱が書かれていないのは、この時代は大関が力士の最高位であったためである。
見立て番付の中央に書かれた「為御菜(おさいのため)」は、おかずを意味しており「為御菜」の下には「毎年毎日於て世界台所晴雨共三百六十日之敢行」(晴れた日も、雨の日も、毎年、毎日、一年360日にわたって世界中の台所で行われる料理)と添え書きされている。
同じく、中央部には勧進元と差添(共催者)として、「味噌・塩・醤油」が書かれている。

翻刻版『日々徳用倹約料理角力取組』を見ると、おかず見立番付の「行司」役として漬物が記されており、「ぬか味噌漬、大さか漬、沢庵漬、なすび漬、くき菜漬、寺納豆、からし漬、梅干し、かす漬(奈良漬)、かくや古漬」とあるが、原本にある「らっきょう漬・ほそね漬け」の記載は無い。



「年寄」としては、「かつおぶし、塩辛、なめもの、ごま塩」が上げられている。そして、番付の右の「東方」には「精進方」 として野菜のおかず、左の「西方」には「魚類方」として魚のおかずが列挙されている。

おかず見立番付上位の料理は、最高位の大関に見立てられた〔八はいどうふ(八杯豆腐)/めざしいわし〕である。関脇は〔こぶあぶらげ(昆布油揚げ)/むきみ切干〕、小結は〔きんぴらごぼう/芝えびからいり〕である。
前頭の上位は、精進方の前頭一から前頭七には、「にまめ、焼豆ふ吸下夕じ(焼き豆腐のすまし汁)、ひじき白あい、切ぼし煮つけ、いもがらあぶらげ(芋がら油揚げ)、あぶらげつけ焼(油揚げつけ焼き)、小松なひたしもの」が並んでいる。
魚類方の前頭一から前頭七には、「まぐろからじる、小はだ大こん、たたみいわし、いわししほやき、まぐろすきみ、しほがつを、鰊しほびき」をそれぞれ列挙している。



これら番付上位に置かれたおかずは、人々に人気があり、乾物や塩もののように価格的にも季節的にも入手しやすい食品を用いたものが多い。
そして、番付下位にならぶのが、「春・夏・秋・冬」の季節ごとの精進方・魚類方の料理献立である。
精進方と魚類方の調理法では、精進方に「酢・和・浸」 の割合が高く、魚類方には「焼・蒸」が高いという相違がある。


大関「目刺しいわし」(塩漬け鰯の目を串で刺した干し物) 大関「八杯豆腐」(鰹出汁6・酒1・醤油1の八杯合せ)
写真:一日一品江戸料理/車 浮代 写真:NHK「美の壺」

関脇「剥き身切り干し」(あさりと切り干し大根の煮物) 関脇「昆布油揚げ」(昆布と油揚げの煮物)
写真:野菜生活研究所 写真:一日一品江戸料理/車 浮代

小結「芝エビ辛炒り(からいり)」(醤油で味付け) 小結 「きんぴらごぼう」
写真:DIAMOND online/車 浮代 写真:今日の料理HP

前頭一 「まぐろから汁」(鮪身の味噌・だし合せ汁) 前頭一 「煮豆」
写真:DIAMOND online/車 浮代 写真:一日一品江戸料理/車 浮代

前頭三 「たたみいわし」(イワシ稚魚の天日干し) 前頭三 「ひじき白あえ」
写真:JAPAN WEB MAGAZINE 写真:ビデリシャス(江戸時代のおかず)

前頭四 「いわし塩焼き」 前頭四 「切り干し煮つけ」
写真:ディライトクリエイション/佐々木倫美 写真:NHK「きょうの料理」

前頭五 「まぐろの剥き身」(鮪の剥き身の醤油煮) 前頭五 「芋茎(いもがら)油揚げ」(煮付け)
写真:身体が喜ぶ江戸料理/車 浮代 写真:江戸文化研究家/断腸亭錠志


まぐろの人気が高まったのは「天保の改革」で贅沢が禁止され、人々が下魚《げぎょ》を多く食べるようになったことにある。
江戸では日本橋魚市の「鯛は諸侯に奉じ、まぐろは下賤(げす)の食いもの」などといわれ、大量に獲れるが鮮度が落ちやすいこともあって、まぐろは安価な下魚とされていた。まぐろは、塩まぐろを焼いたり、ねぎま(葱鮪)などとして煮て食べられていたが、しだいに刺身が好まれるようになり「塩まぐろを止て、すき身が売れる」(天保2年(1831)刊行の随筆『宝暦現来集』)ようになっていったという。


前頭六 「塩かつお」(鰹の塩漬け) 前頭六 「油揚げつけ焼き」(醤油付け焼き)
写真:西伊豆・カネサ鰹節商店 写真:一日一品江戸料理/車 浮代

前頭七 「にしん塩引き」(塩漬けニシンの干し物) 前頭七 「小松なひたしもの」(小松菜のおひたし)
写真:株式会社 加島屋 写真:一日一品江戸料理/車 浮代

春「まぐろきじ焼」鮪の醤油付け焼き(魚類方) 春「人参の白あえ」(精進方)
写真:ビデリシャス(江戸時代のおかず) 写真:レタスクラブ


「きじ焼き」は、いわゆる醤油の付け焼きを意味します。『嬉遊笑覧』には元々は塩焼きだったのではないかと書かれていますが、甘辛の醤油だれで照り焼きにするのもきじ焼きと呼ばれています。これらは、鳥である「雉(きじ)」の肉を焼く、煎り鳥料理などからそう呼ばれるようになったようです。


春「鰯(いわし)ぬた」(魚類方) 春「わかめのぬた」(精進方)
写真:ヒトサラMAGAZINE/車 浮代 写真:一日一品江戸料理/車 浮代

春「しんじょ(魚のすり身)みつば」(魚類方) 春「たんぽぽ味噌和え」(精進方)
写真:グルメライター・ニコライ 写真:Rakutenレシピ

春「しじみ汁」(魚類方) 春「のっぺい」(精進方)
写真:一日一品江戸料理/車 浮代 写真:池波正太郎-江戸料理帳-


"のっぺい"は能平汁、濃平汁、濃餅汁などと書き、野菜と鳥肉や魚などを煮て、葛などでとろみをつけた料理です。
江戸時代に紹介されているのっぺいは煮物でもあり汁物でもあったのではないかと思われます。江戸初期の『料理物語』には「鴨を炒り鳥の如く作り、だし、たまりにて煮る。煮え立ち候時加減吸合せ、饂飩(うどん)粉を出汁にて溶き、ねばる程さし云々」とあります。


春「するめつけ焼」一夜干しイカの醤油漬焼き(魚類方) 春「木の芽味噌田楽」(精進方)
写真:一日一品江戸料理/車 浮代 写真:日本料理「凪の蔵」

夏「生り節おろし大根」鰹生節とおろし大根(魚類方) 夏「茄子の鴫焼(しぎやき)」(精進方)
写真:ビデリシャス(江戸時代のおかず) 写真:「マルコメキッチン」から"なすのしぎ焼き"


江戸での呼称"しぎ焼き"とは「鴫焼」と書き鴫(シギ)という鳥を焼いた料理のことを言ったそうです。それが時代を経てナス料理に変化したもので、今では、しぎ焼きというと『なすの味噌田楽』の別称となっています。


夏「えび鬼がら焼き」(魚類方) 夏「筍あらめ」タケノコと荒布(あらめ)の煮物(精進方)
写真:鎌田醤油(株) 写真:ビデリシャス(江戸時代のおかず)

夏「くじら汁」(魚類方) 夏「そら豆煮つけ」(精進方)
写真:日本捕鯨協会 写真:一日一品江戸料理/車 浮代


室町時代には公家の行事食に「鯨汁」がみられる。江戸時代、12月13日が「煤払いの日」でした。正月事始めとして、江戸の商家や武家では奉公人総出で屋内の煤払いが行われ、煤払いを終えると塩鯨が入った「鯨汁」を食べる風習がありました。


秋「ひしこすいり」《煮物》(魚類方) 秋「ふろふき大根」(精進方)
写真:「きょうの食材」から"いわしの酢炒り(すいり)" 写真:おいしいごはんの勘どころ/野崎洋光


ふろふき大根:『素人庖丁』には、添える味噌に「山椒味噌、胡椒味噌、唐辛子味噌、生姜味噌、赤味噌、山葵味噌、諸味味噌、砂糖味噌、柚子味噌、フキ味噌、青のり味噌、ごまみそ、木の芽味噌」と十種類以上の味噌の名前を挙げています。


秋「焼きはまぐり」(魚類方) 秋「山かけ豆腐」(精進方)
写真:江戸時代創業「桑名丁字屋」 写真:クックパッド

秋「子鮒(ふな)すずめ焼き」(魚類方) 秋「あんかけ豆腐」(精進方)
写真:天保三年創業「麻生屋」 写真:池波正太郎-江戸料理帳-


餡(あん)かけ豆腐は江戸時代に書かれた料理本『豆腐百珍』に​、高津湯豆腐(こうづゆとうふ)として載っています。『豆腐百珍』の「高津湯とうふ」は、「絹ごしとうふを用ひ湯烹して熱葛あん かけ芥子おく」とある、餡かけ豆腐でした。湯豆腐の要領で温めた豆腐を盛り付けたら、醤油とみりんで作った「あん」をかけ、最後に “からし”を添えるだけです。


冬「たらの煮しめ」(魚類方) 冬「こんにゃくおでん」(精進方)
写真:「ニッスイ」から"棒だら煮" 写真:身体が喜ぶ江戸料理/車 浮代

冬「秋刀魚干物」(魚類方) 冬「納豆汁」(精進方)
写真: 慶応二年創業「あをきのひもの本店」 写真:クックパッド

おかず見立番付(日々徳用倹約料理角力取組)で出現数が多い食品群は、海水魚介類、ついで野菜類である。海水魚介類には比較的加工食品が多く、野菜類は圧倒的に生鮮食品が多いという特徴がみられる。
利用頻度が高い食品名を挙げると、豆腐が、もっとも多く、その他、なす、大根、油揚げ、鰯(いわし)などとなっている。また、干し大根を加えれば大根は豆腐に次ぐ出現回数となり、調理法も「煮る、ゆでる、おろす、漬ける」と多彩である。逆に、魚類方には「野菜・海藻・大豆加工品」などと組み合わせたおかずが多く出現している。
式亭三馬の『浮世風呂』の大店の食事にも「八盃豆腐、ひしこいわし、こはだと大根の煮付け」が出てくるが、これらのおかずは本番付でも上位にあり、江戸庶民の食生活の実態をある程度正確に伝えていることを示している。
(八盃豆腐:精進方・大関,こはだ大根煮:魚類方・前頭二,ひしこすいり:魚類方・前頭 秋、ひしこいわしはカタクチイワシの別名で、主として関東地方での呼び名)


2.江戸時代の庶民料理(蛸料理)

昔から親しまれていた蛸を使った江戸時代のおかず

『黒白精味集』(延享三年、1746年)より、「いも煮タコ」、写真:ビデリシャス
料理本にはレシピが入らないほど一般的な料理のようで、『黒白精味集』のタコの煮方の所でやっと見つかるほど記述が少ないものでした。
『黒白精味集』では味噌でタコの足を一本ずつよく扱き、鍋かすり鉢で味噌を一掴み入れて良く揉んだあと、乾煎りすると吸盤も落ちず歯切れよく柔らかになるとあります。その際に里芋を四つばかり入れるとあります。
また、おかず見立番付『日々徳用倹約料理角力取組』にも魚類方・前頭 秋の料理として「いもだこ」が載っています。


『料理物語』(寛永二十年、1643年)より、「タコの桜煮」、写真:ビデリシャス
桜煮は別名桜煎とも呼ばれる料理で、タコの足を切り醤油などで煮たものです。桜煮(桜煎)の料理の名前は、江戸時代の多くの料理本で取り上げられています。そのほとんどが皮付きのまま小口切りにした蛸を、醤油で煮る料理法です。
『料理物語』によれば小口で薄めに切り、さっと煮るとあります。『古今料理集』(延宝二年、1674年)にも煮過ぎると身が固くなりよろしくない、とあります。
また、おかず見立番付『日々徳用倹約料理角力取組』にも魚類方・前頭 秋の料理として「たこさくら煮」が載っています。


『素人庖丁』(享和三年、1803年)より、「酢だこ」、写真:Eat Smart・栄養バランス
「酢だこ」の詳しい調理法は『素人庖丁』の他は見つかりません。現在では酢に足のまま漬ける方法が多く見られますが、『素人庖丁』によれば、細かく薄く切って塩を少し入れた酢に良く漬け込むとあります。4、5回酢を変えて、その度に良く手で揉み込み、生姜の千切りを添えて出します。
一緒に出す時に酢の物のように酢をかけて出すことはしないとありますので、それだけよく漬け込んだと思われます。
また、おかず見立番付『日々徳用倹約料理角力取組』にも魚類方・前頭 秋の料理として「すだこ」が載っています。


『素人庖丁初編』より、「タコ衣かけ」、写真:DIAMOND online
江戸時代には「からあげ」という呼び方はなかったものの、『素人庖丁』(1803)などでは、煎出(いりだし)・衣かけの名で魚介類や野菜類を素揚にしたり、小麦粉をまぶして揚げたりしている。


3.江戸時代後期の蕎麦屋メニュー

江戸末期の風俗記『守貞饅稿』/喜田川守貞の「そば屋の品書き」によると、御膳大蒸籠(蕎麦の大盛り) 四十八文、そば(盛り蕎麦) 十六文、あんかけうどん 十六文、あられ 二十四文、天ぷら 三十二文、花まき 二十四文、しっぽく 二十四文、玉子とじ 三十二文、そして上酒一合 四十文と記している。
 
『守貞謾稿』は、当時のそば屋についての描写のなかで、食器については次のように記している。
「江戸は、二八の蕎麦にも皿を用ひず、下図の如き、外面朱ぬり、内黒なり、底横木二本ありて竹簀をしき、其上にそばを盛る。是を盛りと云。盛そばの下略也。だし汁かけたるを上略して、掛と云。かけは丼鉢に盛る。天ぷら、花巻、しっぽく、あられ、なんばん等、皆丼鉢に盛る」
筆者自筆の図には、四段重ねにした蒸籠とつゆ徳利、猪口が描かれている。蒸籠の最上段には蓋をするようになっており、現在と同じ供し方である。


■花巻そば 『守貞漫稿』嘉永六年(1853)

「花巻そば」 写真:「身体が喜ぶ江戸料理」車 浮代

安永年間(1764-80年)に発行された料理本『献立部類集』には、「浅草海苔」を使った吸い物や巻き寿司の作り方が掲載され、かけ蕎麦に焙った浅草海苔を散らした「花巻そば」も、この頃に考案された。
「花巻」の名前の由来は、江戸っ子は浅草海苔のことを、誇りを持って「磯の華」と呼んでいたからで、“蕎麦に花を撒く”=花巻 となった。
享保2年(1718)頃、浅草では浅草紙づくりの技法を生かし、収穫した海苔を細かく刻んで水に溶かし、和紙用の四角い漉き型にすくい取って乾かす、という板海苔の製法が発明された。この板海苔は『浅草海苔』と名付けられ、江戸名物として全国に売り出されるようになった。

『守貞謾稿』
一、花巻 代二十四文 :浅草海苔をあぶりて揉み加ふ。


■天ぷらそば 『守貞漫稿』嘉永六年(1853)

芝海老の「天ぷらそば」 写真:蕎麦学/季節蕎麦の魅力、「室町砂場 赤坂店」http://www.kibati-kai.net/02kamei/kameiten/muromati_sunaba/

当時、江戸では江戸前の魚を使ったものを『天ぷら』と呼び、それ以外の野菜を揚げた料理を『胡麻揚げ』と呼び区別したようです。
『芝海老』の旬は11月~3月で江戸前で獲れていました。
江戸で蕎麦の種に使われたのは『芝海老』で、天ぷらそばの具材は『芝海老のかき揚げ』の事と推測されます。
江戸つゆに天ぷらをのせた風味は抜群、因みに蕎麦屋の天ぷらは江戸時代後期から昭和初期までは芝海老の『つまみ揚げ』か『かき揚げ』を汁に煮込んだ種物仕立て(今の温かい天ぷら蕎麦)で販売されてきました。

『守貞謾稿』
一、天ふら 代三十二文 :芝海老の油あげ 三、四を加ふ。


■あられそば 『守貞漫稿』嘉永六年(1853)

あられ蕎麦、写真:「手打ちそば 石月」、https://r.gnavi.co.jp/kbwj630/menu1/

かけそばの上に海苔を敷き生の貝柱を散らした暖かいそば。貝柱は江戸深川や千葉・行徳などでとれた馬鹿貝(江戸時代の呼称で、現在ではあおやぎ)の小柱をあられに見立てた。
この小柱を寒冬からぱらぱらと降ってくる霰(あられ)に見立てて、この名がつけられたといいます。

『守貞謾稿』
一、あられ 代二十四文 :ばか(青柳)と云ふ貝の柱をそばの上に加ふを云ふ。


4.江戸時代後期、江戸の寿司

「妖術と いう身で握る 鮓の飯」『柳多留』文政12年(1829)が握り寿司の文献的初出である。握りずしを創案したのは「與兵衛(よへえ)鮓」華屋与兵衛(はなやよへい)とも、「松が鮨(本来の屋号は砂子(いさご)鮨)」堺屋松五郎ともいわれる。 当時は握りずしを「握り早漬け」と呼んだという。

握りずし(握り早漬け)は、江戸前寿司を代表とする寿司の一種であり、酒粕をもとに作られた粕酢(かすず)による赤シャリの酢飯と新鮮な魚介類を食材にした寿司ネタを使用し、「塩や酢で〆る」「醤油に漬ける」「蒸す・煮る」などの仕込みを行う江戸の料理として広く広がった。しかし、京や大坂では、依然としてさまざまな魚種の押しずしや棒ずしが主流であった。

今日のすしダネの筆頭格であるマグロは、江戸末期の大衆店から使われ始めた。江戸時代、鮮度の落ちやすい鮪はあまり寿司ネタとしては重宝されておらず、普通の魚に劣るという意味で「下魚(げざかな)」と呼ばれていた。
寿司として食べられていたのはもっぱら「ヅケ」と呼ばれる醤油に漬けた赤身で、現在のように大トロ、中トロなど赤身以外の部位が食べられるようになったのはここ50年くらいのことです。

握り寿司(江戸前寿司)
『守貞謾稿』は、天保(1830~44)末頃の「握り寿司」の具について次のように記録している。
「江戸、今製は握り鮓なり。鶏卵焼・車海老・海老そぼろ・白魚・まぐろさしみ・こはだ・あなご甘煮長のまゝなり。 以上、大略、価八文鮓なり。その中、玉子巻は十六文ばかりなり。これに添うるに新生姜(しんしょうが)の酢漬、姫蓼(ひめたで)等なり」


深川「すし三ツ木」より、酢や塩で〆たネタと今の3倍ほどもある赤酢で仕込んだシャリ。昔の文献を紐解いて当時の寿司を忠実に再現したという「正調 江戸前にぎり寿司」。
生姜のガリ・鯛・コハダ・煮穴子・マグロ漬け・車海老・海苔巻き(干瓢)


銀座「鮨 竜介」より、中トロと大トロの握り寿司、赤酢(粕酢)で合わせたシャリとネタで作られる。当時のネタは赤身マグロである 寿司会席「真砂本店(まさごほんてん)」より、江戸時代と現在の寿司の大きさ、大きさは今の寿司の2.5倍。


「笹巻毛抜鮨(ささまきけぬきすし)」は、両国の「與兵衞鮓」、本所安宅(あたけ)の「松が鮨」と並び”江戸三寿司”にかぞえられた。
「守貞謾稿 巻之六」(嘉永6年-1853刊)には、『毛ぬきずしと云うは、握りずしを一つづゝくま笹に巻きて押したり。価一[つ]六文ばかり』とある。
写真:神田小川町「笹巻けぬきすし総本店」 海老・たまご焼き・おぼろ(海老入り)・こはだ・鯛

「笹巻けぬきすし総本店・宇田川浩さん。…江戸のすしは長く保たせるため、かなり酸味のきついものだったといいます。すしダネは七種類(鯛、光もの、白身の魚は季節で変わる。
ほかに海老、おぼろ、たまご、海苔巻)。魚類は塩漬けにした後、酸度の強い一番酢に漬けて一日しめる。その後、少し酸度の弱い二番酢に三、四日漬ける。従って普通のすしより酸味の効いた独特の風味が得られます。熊笹は裏がつるつるの種類だけ。一枚一枚水で洗うのが大変な仕事です。」
"神田法人会/http://www.kanda-hojinkai.com/information/sinise/sinise09.html"より


5.江戸の庶民の献立、そうめん料理

室町時代後期の『尺素往来(せきそおうらい)』には「索麺(素麺、そうめん)は熱蒸、截麺(きりむぎ)は冷濯(ひやしあら)」とあり、切り麺は冷たくして食べるのか主流であったようで、これが冷や麦の元祖である。夏は冷やし素麺、冬は温麺(入麺)という食べ方が確立してくるのは江戸時代である。

寛永20年〔1643年〕に刊行された『料理物語』をみると、「にゅうめん」についての作り方を記し、「まづ素麺を短くきり、ゆで候てさらりとあらひ(洗い)あげおき、たれみそ(垂れ味噌)にだしくはえふかせ入り候。小菜、ねぷか、なすぴなど入りてよし。うすみそにても仕立て候。胡椒。さんせう(山椒)の粉」とある。
なお、『料理物語』には「煮貫」の作り方も記されており、「なまだれにかつほを入せんじこしたるもの也」とあり、「垂れ味噌」の作り方も記され、「味噌一升に水三升五合入せんじ三升ほどになりたる時ふくろに入たれ申候也」とある。

この他に「生垂」はすり味噌一升に水三升入れてもみ、ふくろで漉したもの。「煮貫」は生垂に削り鰹節(花鰹)を入れてせんじて漉したものである。
江戸初期の料理書なので、まだ醤油は普及しておらず味付けに使用されていない。当時はうどんもそば切も垂れ味噌でだしに味を付けている。垂れ味噌仕立は不精進で味噌仕立は精進である。
徳川家で醤油を使い始めるのは、もっと後の1700年代中頃になってからで、上方の下り醤油を使うようになってからである。

江戸初期には素麺作りが栄え、庶民の間で素麺が食べられるようになり、江戸時代中期になると、味噌味のつゆから地元で造られる醤油を使ったつゆが一般化した。
素麺作りが発展したのは、江戸時代にお伊勢参りの旅人によって「三輪素麺」が全国に宣伝され、素麺づくりが農民の副業として各地に広まったといわれている。
また、幕府は乾麵である素麺が数年日持ちするため、飢饉が発生した時の保存食として素麺づくりを推進した。素麺を温かいつゆで食する「にゅうめん(入麺/煮麺)」という食べ方が定着したのも江戸時代で、四季を通じて素麺が食べられていた。

『料理伊呂波庖丁』より、「みそにゅうめん」
小松菜に白胡椒をかける
写真:DIAMOND online/車 浮代
『料理伊呂波庖丁』より、「にゅうめん」
削りカツオとわさびをのせる
写真:『江戸のおかず帖 美味百二十選』島崎とみ子著


『北斎漫画 十二編』より「素麺」の絵/葛飾北斎 文化12年(1815)

江戸時代に書かれた書物『守貞謾稿(もりさだまんこう)』から、素麺の説明には、
「又古は うどん素麺饅頭の類 縁高の折敷(おしき)にもり 湯を入れ 折敷を組重ね 汁及び粉きり物 酢菜等を添へて出す也 粉切物は今云薬味也」とあり、うどんに限らず素麺・饅頭なども折敷に盛り、折敷を複数重ねて組み合わせ、汁と薬味、酢漬けの野菜等を添えて提供されたという。


■素麺の古文献『料理物語』、『本朝食鏡』
『料理物語』は江戸時代初期の代表的な料理書で、料理の材料や調理法を記した最初の料理書。寛永20年(1643)跋刊が初版とされているが寛永13年(1636)の手書き本があったとされている。
『料理物語』飲食部、寛永20年(1643)版(現本と云われる)より
「にうめん、まづ素麺をみじかくきりゆで候て。さらりとあらひあげをき、たれみそにだしくはヘふかせ入候。小菜、ねぶか、なすび など入れてよし。うすみそにても仕立候。胡楸、さんせう(山楸)の粉」
『料理物語』寛永13年(1636)、千葉大学教育学部研究記要 第31巻「古典料理の研究 -寛永13年"料理物語"について-」より
「にうめんは、さうめんをみじかくきりて、よくゆで、ぬるゆの中へ、入さらりとあらひ候てあげ置、たれみそにだしをくはへ、ふきたち候て、かげんすい合、 出しさまに、さうめんを入申也、こな、ねぶか、なども入候てよき也、うすみそにても仕たて申也、ひやむぎ、むしむぎは、むつかしき事なく候あひだ、しるさす候也」
『本朝食鏡』元禄8年(1695)より、「ひやむぎ」の説明
「冷麦もまた温飩を造る法のごとくにし、きはめて細かにこれを切り、緒のごとくにす。ゆえに俗に切麦と称す。煮熟して取り出し洗ひ浄めて、冷水に浸し氷のごとくならしめて、これを食ふ。これを食ふもまた温飩の諸汁を用ゆ。特に芥子泥を加へて佳となす。大抵、温飩は寒天の時に宜し」


6.現代に生きる江戸の天ぷら(串天ぷら)

現在のてんぷらを指して「てんぷら」もしくは「てんふら」と記述している最も古い料理書は、1748(寛延元)年刊行の『歌仙の組糸』(冷月庵谷水著)である。
同書には、以下のように記されている。 
<てんふらは何魚にても饂飩(うんとん)の粉まふして油にて揚る也 但前にあるきくの葉てんふら又牛蒡蓮根(れんこん)長いも其外何にてもてんふらにせん時は饂飩の粉を水醤油とき塗付て揚る也 常にも右之通にしてもよろし又葛の粉能くくるみて揚るも猶宜し> 
この記述を見ると、衣がうどん粉を水で溶いた軽いものになり、味つけも醤油だけになっている。新鮮な魚介類の持ち味を生かすため、衣は薄くなり、味つけもシンプルになっていったことが分かる。こうして、現在のてんぷらにつながる「江戸前てんぷら」が誕生したのである。
(引用:食の研究所-食の源流探訪)



写真:「歌舞伎座花篭で学ぶ江戸食文化紀行」
再現天ぷら「コハダ」「芝エビ」「鱚(きす)」そして「鱧(はも)」の4種類、串に刺すのが江戸のスタイル。江戸時代は、天ぷらの衣にそば粉を使い 卵の黄身で溶いたのが「金(きん)ぷら」、 白身で溶いたのが「銀(ぎん)ぷら」と呼 ばれた。 天ぷらは串で食べるのが主流だったようです。江戸時代の屋台では、串に刺した天ぷらを共用の壺に入った「つゆ」につけ、大根おろしと共に食べていました。

■現在の「串天ぷら」

写真:海鮮串天ぷら「中野家」


写真:元祖 串天ぷら「むてっぽう」






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