55、「幸存者とその証言」展示板の前
(写真を指して):この二人は、映画『屠城血証』の主人公のモデル羅謹と呉旋です。? 当時、羅謹は南京長江路の華東写真館で見習い工をしていました。ある日、彼は日本軍人が現像に持ってきた二本のサクラ印120フィルムの中に、南京での殺人、強姦、略奪の現場写真があることを発見し、一組余分に現像します。以後また続々と30枚余りを収集し、中から16枚を選び、これを自製の小アルバムに入れました。アルバムの表紙には、一本の日本人の刀と突き刺されて血を流している一個の中国人の心臓を描き、そのかたわらに「恥」の字と「?」の符合とを大きく書き、また彼の私印を押しました。以後、彼は日本人の追求から逃れるため、アルバムをトイレのレンガのすき間に隠し、後になくなっていることを発見し、あちらこちらに逃げ隠れし、今なお福建省三明市の大山溝に住んでいます。このアルバムは後になって呉旋に発見され、前後して家の梁の上や毘廬《びる》寺の仏像の底座の穴などのところに置かれ、1946年になって、呉旋によって南京市臨時参議会に提出され、続いて中国南京審判日本戦犯軍事法廷に渡され、「京字第一号」の物証となり、日本の戦犯を審判するために重要な働きをしました。 現在、このアルバムと写真は中国第二歴史文書館に保存されています。
1984年、南京市は大虐殺の幸存者について全面調査を行い、1756名がなお健在であることを発見し、以後また1991年と1997年の夏、2回夏期休暇を利用して1万名の学生を動員して幸存者の全面調査を行いました。1000名余りの幸存者がなお健在であることが発見されています。
(写真を指して):彼らの身体には、今でもまだ当時日本軍の傷害に遭った傷跡が残っています。もも、肩、臀部、腰、すね等です。
(写真を指して):この老人は名を唐順山といい、南京大虐殺の幸存者の一人です。本館が建設されて10余年来、毎年清明節には、老人は必ず三輪車に乗って、遇難同胞に花輪を送り、彼の哀悼の意を表します。
(写真を指して):これらはみな今なお健在な大虐殺の幸存者であり、彼らは皆歴史の証人です。
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血の証拠である16枚の
写真の現像者:羅謹

幸存者:李秀英
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