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10.雑穀農耕文化(稲作と粟作)

 


10.雑穀農耕文化(稲作と粟作) 2001年8月17日 TOP INDEX HOME    

 

 実はだいぶ前に読んだ本のうろ覚えの知識で、「稲作と粟(キビ・ヒエ)作は同類型の農耕である。稲作がその類型の農耕の湿地バージョンであるとすれば、粟作は乾地バージョンである。稲を植えれば、粟は雑草として生えてくる。」と拙文に書きまくっていたのだが、今回、出典を確かめたところ、直接の出典を探し出せなかったが、どうやら元々は中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』(岩波書店1966)によるものであったらしい。

 なお、「稲を植えれば、粟は雑草として生えてくる」というのは、昔、農家出身の友人に聞いたような記憶があったのだが確認できず、上書によれば「雑草」としてよく生えてくるのはヒエだという。

 ちなみに、中尾氏は、

イネはただ湿地に生ずるだけで、農耕文化の基本複合としては、簡単に他の雑穀と同じカテゴリーに入るものだ。そこでイネはなにか他の文化要素と複合して、雑穀農耕の複合と区別すべきなんらの理由もない。イネは湿性の雑穀だ。

と述べている。

 現在、確かに稲(米)は一般的には特別視され、他の「雑穀」(粟・稗ヒエ・黍キビなど)と区別される。しかし、これは網野善彦氏などの言う「水田中心主義」の産物であって、本来、稲を他の雑穀と区別する必然性はない。実際、日本では、畑作物の雑穀は歴史的に大きな比重を占めていたのであり、決して水田稲作農業だけが行われていたのではない。それは中国でも同じであり、畑作中心の北中国でも可能地では稲を作ってきたし、逆に水田中心と言われる南中国でも、山の中に入れば畑作の雑穀類はいくらでも栽培されている。そういえば、「畑」が日本で作られた「国字」であるのに対し、中国では「田」が水田と畑の両方を意味していることも興味深い現象である。

 少なくとも、米に対する勝手な現代人の思いこみから、稲と他の雑穀を全く違うものと見なしたり、ましてや粟作などの「雑穀」作より稲作の方が進歩したものであるなどと決めつけるのは、歴史を見る目をゆがめることになるだろう。

 

 例えば、山間での焼き畑による「雑穀」栽培などと言うと、「遅れた農耕」の代表的なもののように言われる。しかし、それは後世の「かなり進んだ水田耕作」と比べるからであり、肥料もやらず沼地のような所に直播きしていたような原始段階の稲作に比べれば、焼き畑などはかなり進んだ農耕形態であるはずである。

 実のところは、稲作・「雑穀」作に関わらず、比較的進んだ農耕形態とそうでない農耕形態とがあるだけである。粟作などの「雑穀」作より稲作の方が進んだ農耕であり、「雑穀」作を「稲作以前」段階の農耕などと考えるのは、稲作至上主義の日本人の偏見であり、実際、中国・長江流域を見ていても、稲作以前に粟作をやっていたとは到底考えられない。