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1.南方系言語と北方系言語  2001年8月5日

 

2.漢語の構造  2001年8月5日

 

3.タイ諸語  2001年8月5日

 

4.漢語かタイ語か  2001年8月6日

 

5.言葉と文字と民族  2001年8月6日

 

6.文字排列法と文明  2001年8月7日

 


6.文字排列法と文明 2001年8月7日  TOP INDEX HOME    

 

 「4.漢語かタイ語か」を補足するならば、ある種の文字を使用すると言うことは、その文字の属する文明の影響下に入ったことの指標である。そして、歴史上の圧倒的多数の民族には、どっちの文明を選ぶなどという「選択の自由」はなく、文明化とは即ち、その歴史的条件下に存在した当時、唯一の文明に化することであった。

 宮崎市定に、『歴史的地域と文字の排列法』という文章があるが、蒙古文字やそれから派生した満州文字は、西アジア系のウイグル文字から作られたものであるが、本来、横書き(それも右から横書き)の文字が、中華文明の影響を受けた蒙古文字や満州文字になると、縦書きに変わったという。つまり、漢字を用いようにも、彼らの言語を記すのに不適であり、それで表音文字たる西方系の文字を使用することにしたのだが、文字の排列法は中国風になったのである。ちなみに、外蒙古(モンゴル国)では、ロシア文字に基づくアルファベットが採用されているが、中国・内蒙古自治区では、伝統的な縦書き蒙古文字が用いられている。

 また、中国の西南少数民族・イ族(ロロ人)の文字は、右から横書きであり、インド系の左から横書きとは異なるが、イ族のそれは、漢字からヒントを得たもので、発想は「縦書き」で、一字書くごとに行を変えて、右から左へ移っていったのだという。実際、戦前、日本や中国でも、横書きする場合、「社会式株」とか「―タスア座銀」と右書きにしたが、これは文字というものは「右から書くもの」という通念によったものだろうが、一字書くごとに左に移った縦書きという発想なのかもしれない。

 ただ、宮崎市定は、宗教的文字を除外例としてあげている。東アジア圏でも、ウイグル族などのイスラム教徒が用いるアラビア文字(右から横書き)、及びラマ教と密接に結びついたチベット文字(インド風左から横書き)などは、その宗教的意義をもって、東アジア文明圏でも、その排列を改めないと言う。

 それは、欧州(左から横書き)にあったユダヤ教徒のヘブライ文字(右から横書き)も一緒だと言うが、元の時代、クビライがラマ僧パスパに命じて作らせたパスパ文字も、チベット文字から作られたが、中国で用いるためのパスパ文字になると、縦書きになったという。 

 文字排列法には、文明圏ごとに特色があるとする宮崎氏の所説は興味深いものがあり、一読をお勧めする。

 

5.言葉と文字と民族 2001年8月6日 TOP INDEX HOME    

 

 言語が「同じ」人々が、必ず同じ民族を形成するとは限らない。特に話し言葉の場合、その傾向が強い。日本などは、方言差が激しい国であるが、そんな国の主要居民の民族的同一性を保障したのは、漢字仮名交じり文であると思う。漢族の場合、それはもっと激しく、互いに「外国語」のような相通ぜぬ言葉を使用する集団を同じ民族として、まとめてきたのは、やはりその文章である。

 話し言葉が「同じ」ようでも、互いに使用文字が異なる民族は、なかなか同一民族を形成しない。文字は、単なる言葉を表す記号ではなく、その背景には宗教などの文化、文明が存在している。例えば、旧ユーゴ。クロアチア人もセルビア人も、元々は南スラブ人(ユーゴスラビアとは南スラブという意味)であり、同源であり、言語も似ている。少なくとも、お互いに通じないと言うことはない。しかし、クロアチア人は西欧文化の影響を受け、宗教もカトリック、セルビア人は宗教はギリシア正教で、互いに使用文字も違っていた。

 その結果、元々、「血統的に同源」の似たような話し言葉を持つ南スラブ人を「国民」としてまとめようとしたユーゴスラビアは崩壊し、旧ユーゴの各民族は、むしろ話し言葉が違っても、文明(文字)が共通する多民族との連帯意識の方が強かった(クロアチアの場合、ドイツなど西欧。セルビアの場合、ロシア)。

 むしろ、多民族国家としては、話し言葉が違っても、文明的共通性のあったオーストリア・ハンガリー帝国の方がうまく行っていたとも言えるのであり(民族政策がかなり良かったと言う話もある)、旧ユーゴはそれを創出したベルサイユ体制のイデオロギーであった「民族自決」論、「一民族一国家」論の欺瞞性の集中的表現物とも言えよう。

 結果、冷戦体制の終了(西側にとって、対ソ戦略上のユーゴの利用価値がなくなった)と共に、覆われてきた諸矛盾が「噴出」し、西側自らがユーゴを破壊せざるを得ず、結果は第2次大戦終了後初めて、ヨーロッパの都市が空爆を受けるという、冷戦中にもなかった異常事態が出現したのである。

 

4.漢語かタイ語か 2001年8月6日  TOP INDEX HOME    

 

 ここで、仮に互いに言語が通じるような言語を使用する民族がいたとして、彼らの東半分が中国文明の影響を受けて、自分たちの言語を漢字で表現し、西半分はインド文明の影響を受けて、インド系の文字で自分たちの言語を表現するようになったとする。こうなれば、両者は互いに相通じる言語をしゃべりながらも、東と西とは、違った民族となるだろう。まあ、文字というのは、言語を表現する記号に止まらず、宗教等、文化の問題と密接に結びついているのである。

 実際、言語が相通じるかどうかは別として、中国は広西省に住む壮族とタイ王国の主要居民とは、共に同じタイ諸語族に属し、元々、民族的に同源であり、基本語彙などはかなりのものが一致しているという。しかし、壮族が中国文明の影響を受けたのに対し、タイ王国の方はインド文明の影響を受け、両者の現在の違いが生じたという。

 それどころか、香港などで使われる広東語は、現在5000万余りの使用人口を持つというのだが、これは実際、タイ諸語に似ていると言い、かつてのタイ語使用民族が漢化した結果であるという。

 甲骨文に使用された文章が南方語的であることを述べたが、実際、「タイ」諸語族は、当時は長江流域だけでなく、黄河流域に広がっていたことが推定され、そのような民族が初期の黄河長江文明の主要な担い手の一つであったことは、ほぼ間違いないだろう。

 しかし、これをもって当時の黄河長江文明が非中国的な東南アジア系の文明であったようにいうのは、やはり違っていると思う。広東語の例を見ても分かるように、タイ語に近いからと言って、その言語が漢語に分類されないとは限らないのである。漢字の使用などの文明的な背景の方が、むしろ民族の分類には重要なのであり、漢字を創出したことなどを勘案すると、彼らの言語を漢語でないとまでも言い切れず、原漢語は、タイ語のように、あるいは広東語のように、南方的な言語であると言った方が適切であるかもしれない。

 ただ、イメージとしては、初期黄河長江文明の担い手は、漢族とはほど遠く、むしろ現在の中国南方少数民族のような集団と表現するのは、むしろ妥当であると思う。

 

3.タイ諸語 2001年8月5日  TOP INDEX HOME    

 

タイ諸語(広義のタイ語)とは、現在のタイ王国の国語(狭義のタイ語);ラオスのラオ語(実は狭義タイ語の東北方言に同じ);ミャンマーに住むシャン族のシャン語;中国の壮族(広西)、タイ族(雲南)、リー族(海南島)の言語など、多くの言語が含まれる。

ちなみに、タイ語諸語の系統に関して、一応、筆者は橋本などの著書に従い、漢チベット語族に入れたのだが、近頃はタイ・カダイ語族として、独立して書かれるのが一般的のようである。

 なんでも、漢語との親縁関係を主張し、漢チベット語族に入れる説と、それを否定し、カンボジア語などの南アジア語族と系統的に近いという説が対立している結果、タイ諸語は「タイ・カダイ語族」として、「他との関連なし」と書かれるようになったというのだが、これもこの語族という分類の限界を示すものであろう。

 結論から言えば、タイ諸語はどちらとも関係があるのである。橋本の説によれば、東アジアの言語は、真ん中に漢語をはさみ南北の連続性を持っていると言うが、漢語というのは、極論すれば「アルタイ語化したタイ語」か「タイ語化したアルタイ語」であり、一種中間的なものであるという。

 実際、漢語は、アルタイ語的な北方系言語とタイ語などの南方語系言語との混合の結果、形成されたものであるが、それならタイ諸語と北の漢語との間に近親性があるのは当然であるし、またタイ諸語と南隣の南アジア諸語との間に近親性があるのも当然であり、タイ語が漢語と南アジア語との中間的な性質を示すのも当たり前であろう。

 語族分類というのは、例のインド・ヨーロッパ語族という世界的には一種の特異例を標準とした分類法であるが、実際の世界の言語というのは、どうもこれとこれは別語族と一線を引いた区分は出来ないようであり、まさに橋本が指摘するように言語は連続しているのである。

 

2.漢語の構造 2001年8月5日  TOP INDEX HOME    

 

 しかるに、漢民族の言語である漢語(中国語)は、名詞句が逆行構造(美服=美しい服)であるのに対し、動詞句は順行構造(読書=本を読む)であり、他の東アジアの諸言語のように名詞句と動詞句との構造が一致していない。

 まさに、北方系言語と南方系言語との折衷的構造を持っているのだが、これを橋本萬太郎は、順行構造の南方的言語の上に逆行構造の北方的言語とが重なって、漢語が形成されたのだとしている。

 この漢語の形成が行われたのは、橋本によると、周代である。即ち、商代の甲骨文などに見られる名詞句の順行構造(「帝」、「丘」)が、周代には逆行構造(「王」「王」、「丘」)に変わるが、一方、動詞句はなお漢文でおなじみの順行構造(登山)のままである。

 このように、北方・黄河流域では、周代以降、南北混合の言語が主流になっていくのだが、南方・長江流域では、従来の南方系のままである。

 後に南北が一体化して漢族が形成され、南北混合語の文章(漢文)が漢族の共通語的役割を果たして、最近まで来るわけだが、南方の話し言葉は文章語の影響を受けながらも、南方的な性質をかなり現在まで留めている。実際、長江以南では、現在でも北方では、「生魚」(生の魚)と言うところを、「魚生」とか、「客人」というところを「人客」と言ったりすると言う。

 一方、北方はというと、黄河流域には、その後も度々北方民族が入ってきたことは言うまでもない。その結果、身体的にも北方の漢族は北方系民族と混血して、南方の漢族と様相を異にし、話し言語もかなり北方アルタイ語化しているという。

 例えば、現代漢語でも、「我去学校」(私は学校へ行く)と「去」(行く)という動詞を持ってくれば、これは南方的表現(順行構造)であるが、「我到学校去」と動詞をアルタイ語的に後ろに持ってくる北方的表現(逆行構造)が現代漢語には増えてきている。ちなみに、「到」は動詞ではなく、補語とされる。

 なお現在、中国の標準語(普通話)のベースとなっている北京語は、清朝を樹立した満州族の話したピジン・チャイニーズというか、「満州なまり」の漢語だとも言えるという。

 

.南方系言語と北方系言語 2001年8月5日  TOP INDEX HOME    

 

 言語学者・橋本萬太郎によると、東アジアの諸言語は南方系言語と北方系言語とに大別され、いわゆる「語族」の相違を超え、両者には構造上の顕著な違いがあるという。

というのは、北方系言語は「逆行構造」を持つと言い、日本語のように、名詞句の場合:「美しい服」と、名詞に対する修飾語(形容詞)は前に置かれ、動詞句の場合:「花を見る」と、動詞に対する修飾語(目的語など)も前に置かれ、それぞれ逆行構造で一致している。

一方、 南方系言語は「順行構造」を持つと言い、タイ語のように、名詞句の場合:「飯店ソンブーン」(ソンブーン飯店)と、名詞に対する修飾語は後に置かれ、動詞句の場合:「食べる料理」と、動詞に対する修飾語も後に置かれ、それぞれ順行構造で一致している。

 一般に、動詞句が順行構造(逆行構造)なら、名詞句も順行構造(逆行構造)であり、一致しているのが普通である。

 

ちなみに、東アジアでは、北方系言語としてはモンゴル族・満州族などの属するアルタイ諸語が挙げられる。一時、ウラル諸語と一括りにされ、「ウラル・アルタイ語族」という呼称が行われたものの、現在では両者は「別系統」の言語とされているが、そもそもウラル諸語(ハンガリー語やフィンランド語)の話者は、元々はアジア渡来の黄色人種であり、これもアジアの北方系言語と考えるならば、アルタイ諸語との類似性も解決されよう。

また、南方系言語としては、漢チベット語族に属するタイ諸語(タイ王国の国語や中国少数民族の一部の言語)、ミャオ・ヤオ諸語、チベット・ビルマ諸語;モン・クメール諸語などが属する南アジア語族;南島語族とも言われるマライ・ポリネシア語族などが挙げられる。

 

日本語の文法については、モンゴル語などアルタイ語との類似が指摘されているが……、

 

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