日   記

2001年7月分

 

48.いつの間にか7月も終わり 2001年7月31日

 

 今年は去年に比べ、非常に暑く、本当にげんなりしてしまった。ちょうど、そこに色々とスランプが襲いかかったので、

今月は「日記」も6回しか書いていない。けっこう、それなりに本を読んで、勉強したとは思うのだが、何か読み方も甘く、というか方法が見つからず、この間、何度も習作を書いても、いささか消化不良気味で満足が行かず、載せなかったり、HPに載せてもすぐに削除したりした。取りあえず、今日は図表を載せることにする。文章の方向としては、前に書きかけたような「東アジア世界史概略」のようなものを書いていこうと思う。やはり、一昨日、掲載した「東アジア世界史について」は「論」が先行しすぎた嫌いがある。「史」を述べる中で、「論」についても触れていきたい。

 

47.『漢民族と中国社会』 2001年7月24日

 

ネットを通じて注文した書籍が今日送られてきた。橋本萬太郎編『漢民族と中国社会』、山川出版社の「民族の世界史」シリーズの5巻目である。手数料はかかるが、大きな書店に行くため寄り道しても、交通費がかかるわけで、むしろこちらの方が、書店に行く手間もかからず、効率的な場合もあるだろう。特にこのごろは、猛暑厳しいので、なおさらである。

 読みやすいところから読んでいるところであるが、この他二三冊を読んで、今までの文章を書き直してみようと思う。

 

46.8日ぶりの日記 最近の台湾問題関連ニュース 2001年7月16日

 

 気がつくと、またまた8日間、HPの更新を怠ってしまった。この間、実を言うと、仕事の方は落ち着いて来たのだが、暑さのせいで体力的にはすぐれない。本はまあまあ読んでいるが、一文を草するまでには至らない。昨日も、習作を一本書いてアップしかけたのだが、満足がいかないので、掲載はやめた。取りあえず、言語学者・橋本萬太郎氏の著作を手に入れなければならない。掲示板にも紹介した氏の「漢民族と漢語の形成」に関する学説の要約は、かなり私としては参考になった。一度、私が言いたいことを、箇条書き的に文章にまとめてみようと思う。

 なお、注目すべき中国関連ニュース。

 1.<華僑>世界華僑華人中国平和統一促進大会が始まる 東京(毎日新聞)

   2日間の日程で「一つの中国堅持、台湾独立反対」をアピールするという。

 2.<中台関係>「1国2制度」の具体的な内容が初めて明らかに(毎日新聞)

これによると、台湾は現行の軍隊を継続して保有できるという。もっとも、これは中国が1国2制度を初めて提唱した80年代初頭から、述べていたことだが。なお、毎日新聞14版(大阪市内版)は、ヤフーニュースに比べ、非常に詳細な記事になっている。これをヤフーが載せていないことは、やはりおかしいと思うが、一部紹介してみる。

 今回、中国共産党と「一つの中国」の原則で一致した台湾・統一派野党「新党」の代表団が明らかにしたところによると、@台湾貨幣の使用 A軍隊の保有 B単独関税区 C政府機構の維持 D中国の台湾資金不使用 E人民や企業の財産の保全 F人事の自主権(中国から官僚を派遣しない)など、香港やマカオより幅広い自治を認める。

 また、台湾では経済悪化に伴い対中投資が拡大、「1国2制度」受け入れに賛成する人が増えている。有線テレビ「TVBS」が先月行った世論調査によると、賛成は31%で、99年12月のマカオ返還時の12%から大幅にアップした。

 

 なお、ついでに関連したニュースを2件。

 1.<中国>台湾の野党と「一つの中国」の原則の確認などで合意(毎日新聞)

 2.米国、両岸への不介入を強調 -

米国のジョセフ・ナイ前国防副長官は6日台北で演説し、かりに台湾が独立を宣言して中国が武力に訴えたとしても、米国はこれに介入しないであろうと述べた。

 

45.書くことは多い 2001年7月8日

 

 考えてみれば、案外書くべきことは多そうだ。まず、「管理人紹介」を完成させねばならぬ。「中国の写真」も整理すれば、まだまだたくさん載せられる。もっとも、こっちの方は、やはり1年近く立って、印象が薄れてしまって、あまり気乗りはしない。それで言うと、「管理人紹介」も、まだまだ内容が必要だ。もっとも、こういうものは書いている内に出きるものなのだが。

 他にも、長文の方も、4年前の海外旅行記もある。写真等を整理すれば、いや文章だけでもなかなかのものだ。これは、夏休みの課題だろう。

 「雑記帳」の方は、ネタ切れだが、これとて絞り出せば、二三あり、こういうものも、案外、書いている内に、ネタを思いつくものだ。

 もっとも、やはり私が力を入れたいのは、「雑考」であり、これが停滞状態で、これも私の「ストレス」になっている。

これは、色々、この間、取り留めもないことを考えたりしたのだが、証明もしようのない問題を考えても、下手をすれば、トンデモの世界に入るので、まあ分かっている範囲で、再び概説に取り組もうと思う。自分なりに、東アジア史の概略をまとめてみたいと思う。ネックになったのが、中国文明の形成問題なのだが、黄河文明と長江文明の関係なのだが、これとて分からないところは置いておいて、取り組んでみようと思う。

 まあ、その前に、少なくとも、講談社学術文庫版の『古代中国』の関連部分だけは精読しようと思うのだが。

 

44.そういえば、昨日は七夕だった 2001年7月8日

 

 梅雨はまだ明けていないはずだが、とっくに夏真っ盛りの様相で、毎日、うんざりする。それに加え、仕事は忙しいし、HPに載せる文章のネタは切れて、考えていることも袋小路にはいるという三重苦、四十苦の結果、HPの更新もなかなか進まない。

 「日中文化交流のHP」と銘打った以上、昨日の七夕に関しても、その起源や日本への伝播について、一文を草せねばと思ったりするのだが、そう思ったのも「翌日」の今日のことで、これは「六日の菖蒲(アヤメ)」ならぬ「八日の笹?」、こんな諺はもちろんなく、次の節句は9月の重陽で、今度こそ「十日の菊」にならないようにしようとも思うのだが、9月の「菊の節句」の方は、少なくとも今の日本では、あまり祝わない。

 ただ、七夕について一言言うならば、我々は幼稚園などで、笹の葉に願いごとを託したり、牽牛星と織女星の話を聞いたり、七夕というと、夏の祭りというイメージなのだが、昔は当然、旧暦でやったはずである。今年の7月7日は、旧暦ではなんと「5月17日」、ちなみに今年の旧暦7月7日は、新暦ではなんと8月25日である。暦の上では、秋であり、どうも昔の七夕というのは、秋の祭りだったのである。

 

43.久しぶりの日記 いつのまにか7月 2001年7月5日

 

 気がつけば、日記も含めて九日間、HPを更新しなかった。まあ、劉公嗣氏の投稿を受けて、掲示板の方は2回投稿したのだが、正直、仕事の多忙(主に精神的多忙)に加え、暑さによる体力、気力のダウンで、更新する気になれなかった。ただ、この間、3回ほど比較的ゆっくり本を読む時間は出来たのだが、文章にまとめるまでには至らなかった。

 今日は、久しぶりに時間がとれ、少し習作を書いてみたのだが、まだ発表しない方がいいだろう。劉公嗣氏に教えてもらった古代中国史の概説書を読んでから、何か一本、書いてみようと思う。

 今考えているのは、中国の定義についてだが、『広辞苑』には、「きわめて古い時代に黄河中流域に定住した漢民族の開いた国」とあるが、私見では、「新石器時代以降、黄河長江流域に発生した諸文化諸文明が相互交流の中で発展していったもの」とするのが適切ではないかと考える。もっとも、この定義とてまだまだ不十分であり、今後も研鑽が必要である。

 

 

 

2001年6月分の日記