日   記

2001年6月分

 

42.本を買おう 2001年6月26日

 

 昨日の晩、体重を量ったら、86.5キロと初めて87キロを割った。今朝起きると、86キロだった。さっき、夕食後の状態で、86.5キロ、ダイエット開始3ヶ月半で、体重は86キロ代に入ったということになる。

 原因としては、全体的な摂食傾向の他に、この二三日、ビールを飲んでいないこと(焼酎の炭酸割りばかりである)ことなどが挙げられる。それと、近頃の暑さでよく汗をかいていること。なんと、学校には冷房がない。

 

 昨日の朝刊に、岩波書店の広告が載り、新刊に面白そうな本が出ていた。以下、挙げてみる。

1.    R・M・W・ディクソン『言語の興亡』(岩波新書) 780円

2.    高野潤『カラー版インカを歩く』(岩波新書) 1000円

3.    アッシリアノス『アレクサンドロス大王東征記―付インド誌』(上)(下)(岩波文庫) 計1800円

4.    イブン=ハルドゥーン『歴史序説』(一)(岩波文庫) 900円

このうち、1と4は買おうと思う。ちなみに、今朝の読売の朝刊には、中央公論社の新刊広告が出ており、これにも面白そうな本があったので、また紹介する。

 

41.近況報告 2001年6月24日

 

 近頃、仕事が忙しい上、梅雨の成果、どうも体の調子が悪い。せっかくの休みも、ぐたっとしてしまい、昨日は一冊本を読もうと意気込んだのだが、思ったほど読めなかったし、今日はほとんどなにも手つかずだった。

 当然、更新も滞りがちであるが、今日は、中国人主婦、シューピンさんのHPと相互リンクしていただいた。

 『私的アジア文明論』に載せた「今までの文章のまとめ」は、中国文明の発生のところで、少し「分からなくなった」ので、更新が滞ってしまった。取りあえず、思いつきと疑問点の列挙にしかならないかもしれないが、新たに『私的中国文明論』の項を設け、下に書いた「長江文明」と「黄河文明」のことを、もっと勉強して書いてみたいと思う。

 

40.「黄河文明」と「長江文明」 2001年6月20日

 

 今までどうも、この「黄河文明」とか「長江文明」という用語を安易に使いすぎたようだ。この両者は、やはり密接かつ不可分な関係にあり、全く別の文明とは考えない方がいいだろう。夏・商・周という中原王朝に服属しなかったことは、文明として全く別個のものであるということを意味しない。

今度の休みにでも、何か参考書を読んで、一文にまとめたいと思う。

 

39.酢が飲みたい 2001年6月18日

 

 お酢健康法というのがあるらしく、酢には、体内の疲労物質を分解するような効果があるという。そこで、近頃、玄米黒酢を買ってきて、水で割って飲んでいたのだが、今日は仕事からの帰り、暑さ等からの疲労のせいか、酢が飲みたくてたまらなくなった。そこで、思いついて、帰りしな、炭酸水と焼酎を買い込み、焼酎を炭酸水で割った上に、黒酢を混ぜ「サワー酎ハイ」としたのだが、これは案外いけた。ちなみに、暑さのせいか、今日はカレーが食べたくてたまらなくなり、レトルトの野菜カレーも買って帰った。

 

38.何か書かなければ、 2001年6月16日

 

 HPを見てみると、ちょうど去年の今頃、正確には6月19日の文章掲載を最後に事実上、更新を取りやめている。ちょうで、仕事も「煮詰まる」頃なので、時間的制約もさることながら、休日でも、文章を書くというか、ちょうどネタ切れする頃に、ネタを仕入れるために、落ち着いて読書する心の余裕がなくなってしまうのだが、今年はきっちり更新を続けていきたいと思う。とりあえず明日は久しぶりに「雑記帳」に一文を追加し、中国旅行の写真も一枚追加しようと思う。

 「雑考」の方には、「黄河文明と長江文明」という題で書こうと思うのだが、これはやはりもっと勉強が必要である。「日本文化と中国文化の関係について」の方が、「お留守」になっているが、明日はせめて文章を各方向性だけでも見出せたらと思っている。取りあえず、最初に書こうとしたことを思い出す必要がある。

 アクセスカウンターを見ていると、HPをのぞいてくれる人も増えているので、頑張って更新を続けようと思う。

 

37.ダイエット近況 2001年6月14日

 

 5月24日の日記に、体重が87.5キロになったと書いたが、その後、一時的には87キロジャストまで下がったものの、何かあると88キロを超えたりして、結局、87.2キロから88.5キロの間を、体重はこの間、前後している。実際、夕食を多めに食べたり、休みの日のように、ビール酵母ヨーグルトを食べずに、普通に食事をすると、じき88キロを超えている。これから夏場を迎えて、水分をとる量も増えがちなので、ダイエットにも本腰を入れないと、体重も減少せず、今の状態で停滞してしまうだろう。案外、水分の取りすぎによる体重増加が多いような気もするので、この点を考えるべきだろう。

 

36.本日の台湾問題関連ニュース 2001年6月13日

 

 今日は学校の「創立記念日」で一日休みだったが、それなりの雑用もあり、また余った時間はパソコンのHDDの交換と再インストールに費やして、HPの更新にはほとんど時間を使わなかった。

 なお、本日午前11時過ぎぐらいに、ヤフージャパンの台湾関連トピックに載っていたニュースを、上から5件そのまま紹介しておく。

 1.<マケドニア政府>中国との国交を復活 台湾との国交を断絶し(毎日新聞) (13736)

 2.マケドニアが中国との国交を復活、台湾と断交へ=政府(ロイター) (13736) 

 3.【中国】台湾人は大陸目指す、64%が就職希望 NNA (1310)

 4.アメリカ:台湾へのM1型戦車の売却を合意? - 中国情報局 (122034)

 5.台湾:5月輸出入高、過去最高の減少 - 中国情報局 (122034)

 

35.ハンドルネームの再改名について 2001年6月9日

 

Sumikomamaから日本大熊猫に変えて、まだ1ヶ月も立っていないのだが、ハンドルネームを再び「子欲居」と改めることにした。ちなみに、最初、「管理人紹介」の頁で、「しよくきょ」と読みを付けたのだが、やはり日本語の音読みでは「しよっきょ」と読むべきだろう。例えば、「欲求」(よっきゅう)、「学級」(がっきゅう)、「特許」(とっきょ)と読んでも、「よくきゅう」、「がくきゅう」、「とくきょ」と読まないのと同じである。国語の教師としては、この辺を最初からきっちりしなければならないのだが、実際、日本語の漢字音は難しい。これは確かに日本語の短所の一つであろう。

それにしても、漢字の面白いところで、前のハンドルネーム「日本大熊猫」は、自分では「にほんおおくまねこ」のつもりだったのだが、「ニッポンオオクマネコ」とも読めるし、中国の方なら「リーベンダーションマオ」と読むかなと思ったが、実際に反応を聞いてみると、「にほんだいパンダ」とか、「Japan big panda」とか、各種各様で、これこそ漢字の威力であると実感した次第である。

なお、「管理人紹介」はこれからも、改訂を続け、「子欲居」の内容を充実させていきたい。

 

34.今後の文章の掲載について 2001年6月3日

 

 公約通り、本日何とか『各地からの様々な影響について』の改訂版を出すことが出来たが、正直書きにくかった。しかし、きんたろうさんや劉公嗣さんのお陰で、先週、主に劉公嗣さんの掲示板で書き込ませていただいたようなことは、それをまとめるだけで書けるので、明日から二三日に渡って掲載しようと思う。まず、「凡アジア太平洋時代と長江文化」、そして「日本のいわゆる『南方』『北方』」、そして「長江文明と黄河文明」である。正直言うと、最初に意図した「日本文化と中国文化」というテーマからすると脱線であり、最初の意図の方向では、既に文章が書きにくくなっているのは困ったものであるが、物事というものは、こちらの予定通り進まないものだと勝手に納得している。

 それにしても、この頃つくづく思うが、持つべきものは「学友」である。自分一人で考えていても進まないが、他人と意見交換すると、文章はけっこう進む。残念ながら、劉公嗣さんがかなりお忙しいようだが、正直言うと、私も今週はともかく、来週以降、けっこう忙しくなる。今週中にまとめるものはまとめておいて、来週からは掲載は控え目にし、劉公嗣さんの復帰を待とうと思う。

 

33.『山の郵便配達』 2001年6月3日

 

 昨日、何年かぶりに中国映画を見に行った。今話題の『山の郵便配達』で、勝手に劇場公開はされていないのだろうと思いこんでいたのだが、新聞で梅田OS劇場C.A.P.で上映されていると知り、昨日、家内と一緒に見てきたのである。

 大体、外に映画を見に行くこと自体まれななのだが、この映画はなかなか良かったと思う。中国でもさることながら、案外、日本とか「西側」で受ける映画かもしれない。足を悪くして郵便配達を退職する父親と、その跡を継ぐ息子、そして彼らを助ける「次男坊」という名の大型犬。二人と一匹は、三日かけて120キロの山道を踏破し、途中の村々に郵便物を届けて回る。重い郵便袋を担いで歩く息子、父は来る日も来る日も、同じ荷を担いで歩いたのだ。最後、父を背負って川を渡る息子が「郵便袋」より軽いとつぶやくのが印象的であった。そして最後の夜のシーンでは、息子に替わって家にいることになる父に息子が色々と村のこと、母のこと等、注意する。配達の途中では、息子に指導する立場であった父がここでは、息子から注意を受ける。

 こんな父と息子、そして郵便配達と彼の到来を待ち望む少数民族を含む途中の村々の人々との人間的交流を描いた映画であるが、原題は「那山、那人、那狗」とあるように、「狗」(犬)君の活躍も素晴らしい。息子が過って風に飛ばされた封書を追って、足の悪い父親ととともにダッシュで追いかけ、最後の一通をジャンプして口にくわえる。

 ちなみに「那」は、中国語で「あの」とか「その」とかいう意味だが、原題を「あの山、あの人、あの犬」と訳す方がいいか、「その山、その人、その犬」と訳す方がいいかは、私には整理がついていない。「あの」の方がいいような気もする。

 ちなみに、舞台は80年代初頭の湖南省の山村。まあ、日本など西側先進国でも、かつては存在したような(山村の)人間の交情が描かれているといった点が受けたのだろうが、一種淡々とした中に、本当に絵はきれいだった。山村の青々とした田園風景、自然の山々、木々の模様、真っ青な空や川、とにかく見事な映像美を見せてくれていた。これが北方の華北などでは、自然や村はまた違った表情を見せるのだろうが、華南の風景は、水田も、棚田も緑が青々とし、山の緑、川の水も、本当に日本そっくりの風景であった。

 

 

2001年5月分の日記