日   記

2001年5月分

 

32.今日で5月も終わり 2001年5月31日

 

 大体、夜は12時に寝て、朝は6時に起きる生活で、まあ睡眠時間を6時間は確保していたのだが、このところ日の出が早くなってので、外が明るいせいか、午前5時とか4時半ぐらいに目を覚ましてしまう。一つは高血圧のせいもあるのかもしれないが、どっちにしろ睡眠不足気味だ。6時までゆっくり寝ていられないのなら、寝る時間を早くすることで、睡眠時間を確保せねばなるまい。これからは、12時過ぎまでパソコンに向かったりせず、遅くとも11時には寝て、むしろ朝5時から6時までの1時間をネットに使うようにした方がいいだろう。

 

31.『各地』からの様々な影響 2001年5月28日

 

 この土日に渡って掲載した一文「いわゆる『各地』からの様々な影響について」は、やはり次の土日にでも改訂して、掲載し直そうと思う。劉公嗣氏やきんたろう氏が指摘されたように、確かにここまで広げすぎると、真意が伝わらないし、逆に大事なことを書ききれてないと思う。紀元前1万2千年には稲作が始まったという長江文明は確かに面白い問題なのだが、まだまだ不明の点も多い。これは、「思いつき」程度にしておいて、本題の「日本文化と中国文化の関係」の問題をきっちり書こうと思う。

 

30.国語ネタがない 2001年5月24日

 

 今朝起きて、体重計に乗ると、なんと87.5キロと初めて88キロを切っていた。これ位になると、外から見ても分かるようで、家内も「腹が引っ込んでいる」という。これから夏になるので、肥満原因の汗かきを少しでも解消するためにも、ますますダイエットに励んでいきたい。夏の注意点は、水分の取りすぎ、特にビールであろう。

 昨日は、劉公嗣氏のホームページに日本古代の国家形成問題といったことについて、思いついたことを忘れない内にと、かなりの量を書き込ませていただいた。歴史は好きであるが、やはり自分は国語の教師である。自分のホームページに載せる文章も、近頃、歴史ネタばかりで、国語ネタや雑学ネタが少ない。それで、取りあえず、今日は家内が作っている「おからのお菓子」を紹介することにする。

 「東アジア文化圏」のことにしても、歴史論もさることながら、実際、我々の周りでどんなものが中国に起源しているのかと言うことを具体的に紹介していった方が効果があるだろう。実は端午関連で、それをやろうと思ったのだが、機を逸してしまった。また、こういうネタは歴史問題も含むが、国語ネタや雑学ネタに多いので、やはり出来るだけ多くしていきたいと思う。

 それにしても、「独学固陋」という言葉があるらしいが、自分で本を読んでいるだけでは、なかなか学問は進まない。私も、ネット上で劉公嗣氏などから色々意見を聞かせていただいたり、教えていただいたり、また自分の意見を表明させていただいたりするなかで、認識が変化し深まっていっている。氏の掲示板に投稿させていただいたことは、まあ歴史ネタなのだが、こっちの方も機を見て、文章化していこうと思う。

 

29.再び今後の方向 2001年5月22日

 

 劉公嗣氏が、そのホームページで提示された古代日本国家形成過程の問題というのは、確かに面白い問題であるが、私は脇道にそれず、昨日も述べたように、卒論を書くつもりで、「日中文化論」に取り組もうと思う。ただ、古代日本国家形成過程については、私も思いついたりするところがあるので、折を見て触れたいと思う。また、過去のヤフー掲示板で提示したような問題についても、その内、文章化してみたい。

それと長文の書き方も、学習しなければならないが、基本は問題の追求力だと思う。あっち行き、こっちをつまみではなく、一つのテーマを決め、それに向けて文章を構想していこうと思う。

 

28.今後の方向 2001年5月21日

 

 今日になって、やっと文章らしい文章を掲載することが出来たと思ったのだが、「日本文化と中国文化の関係について(1)は、文章があまりにひどすぎる。出来るだけ早急に、もっとまとめた改訂版を出したい。ただ、今後の文章の方向は見えてきたような気がするので、「卒業論文」級の文章(原稿用紙30〜50枚)を書くつもりで、この夏にかけて取り組みたいと思う。やはり、文章を書く前に、まず「論文」の構想を練って、それを発表すべきだろう。

 それにしても、劉公嗣氏の紹介してくれた『「邪馬台国」と日本人』という本は、色々参考になる本であった。実は今日やっと読了出来たのだが、色々刺激を与えてくれた。ただ、著者の立場性というものが、自分はどういう歴史観でやるのだという点が、もひとつ感じられないのだが。皇国史観についてや皇国史観を払拭できない戦後歴史学の問題については、大いに参考になったのだが、著者自身はどういう歴史観をお持ちなのだろうか。

 

27.再び言い訳 2001年5月20日

 

 この間、忙しかったこともあるが、文章の更新のようなものは全然出来ていない。一週間前に購入した劉公嗣氏お勧めの『「邪馬台国」と日本人』も、まだ読み切れていない。何か疲れていて「知的」な作業をする気になれず、この二三日、は逃避行動的にインターネットでデジタルカメラを色々調べていた。

 まあ、今日になって『中国旅行写真帳』ということで、表紙の写真を更新すると共に、前のものも含め、取りあえず二枚掲載したのだが、文章が嫌になっているときは、やはり写真がいいようだ。

 なお、デジタルカメラは結局、マクセルのVS30スリムを購入した。最初、画素数の高いものも考えたのだが、なんと行っても値が張るし、筆者の場合、そんなに日常に写真を撮ったりはしない。旅行に行った時に、まとめて撮るのだが、その場合、デジタルカメラだと、その後の処理が大変である。しかし、これが普通の銀塩写真なら、少々値が張っても、写真屋に現像してもらえばしまいだ。そういうことを考えて35万画素で比較的安価な同機を1万3千円ほどで購入したのである。旅行先で、ちょっとしたものを撮るのにはこれがよかろう。何せ、胸ポケットに入るようなサイズの小ささがよい。

 

26.ダイエット開始70日で4キロ減 2001年5月16日

 

 日記自体久しぶりであるが、まあ日記は3日に一回も書けばいいかと思っている。さっき、風呂上がりの状態で体重計に乗ると、なんと88キログラム、開始以来の最低記録、3月7日にダイエットを開始して以来、約70日で4キロの減だ。正直言うと、連休中の食っちゃ寝の生活で、少し体重の方はぶり返していたのだが、この所の風邪の後遺症のための酒抜きが功を奏したようだ。まあ、1ヶ月に1キロか1キロ半の割で向こう1年間やせていきたい。

 

25.明日からまた忙しい 2001年5月13日

 

 どうも、連休中にひいた風邪の後遺症か、朝食を食べると、午前中は寝てしまった。用事で京都の実家に帰ったのだが、その際、劉公嗣氏が紹介してくれた『「邪馬台国」と日本人』(平凡社新書)を買い求め、行きの電車の中で興味深く読んだ。近頃、一冊の本をここまで興味深く読んだのは久しぶりである。

 HPの文章は、少し行き詰まっている。思うに、「日本とは何か!」は削除した方がいいかもしれない。これを削除して、前に書いた「東アジア世界」を改訂すべきだろう。

 やはり、文章は無理に毎日書かない方がいい。内容が薄まるし、そのうち、挫折してしまう。こちらも、去年の挫折を反省し、今年は気長に続けるつもりである。来週は忙しくなりそうなので、そんなに更新は出来ない過去しれないが、少し角度を変えて、「私的アジア文明論」に挑戦してみたい。去年、「歴史随筆」で書ききれなかったことを書いてみようと思う。

 

24.ハンドルネームの変更とページの題名変更 2001年5月12日

 

 懸案のハンドルネームの民族化(漢字化)であったが、Sumikomama改め日本大熊猫」とすることにした。当面、ヤフー掲示板などでは、Sumikomamaを使うつもりであるが、もう余りヤフーの方に投稿することもほとんどないと思う。それにしても、前のSumikomamaに続き、軽薄なノリであるが、それもいいのではないかと思う。

 また、ページの題名も、取りあえず「私的アジア世界」とした。しばらく、このスタンツで行くつもりである。

 

23.久しぶりの日記 2001年5月9日

 

 連休中は、よく日記を書いたが、さすがに仕事が始まると、そうも行かない。代わりに、「私的アジア文明論」ということで、三日続けて、文章をアップしているが、この私論という奴は、ドツボにはまると収拾がつかなくなる。何というか、自分でもだんだん分からなくなってくるのだ。だが、いっぺん、この問題はまとめてみたい。

 風邪は治りきらない。連休中の夜更かし深酒の報いか。通気の悪い部屋の空気を換気し、せいぜいうがいに励もう。ちなみに、これで二日、酒を断っている。昨日は、ビールは飲んだが、今日はビールもやめた。

 今日、気になったニュース。

 京都・嵐山にクマ出現。射殺される

 竹林から顔をのぞかせた、クマ君の写真も載せたかったが、著作権の問題もあろうと自粛した。嵐山には何度も行ったが、あそこにもクマが出るとは。ちなみに、問題の竹林から歩いて10分ほどの所には、例の北野武のカレー店「北野インド会社」を始め有名タレントの店が並ぶ中心街があり、休みの日など繁華街と同じくらいの人混みである。その結果、人に危害を加える恐れあり、ということで射殺されたわけだが、クマ君の冥福を心より祈るものである。

 それにしても、端午の話題は完全に飛んでしまっている。これこそ本当の「六日の菖蒲」、もうこの話題は来年にでも回そうか。

 

22.言い訳 2001年5月6日

 

 今日は色々用事があったこともあるが、「公約」であった端午関連の文章は、まだ何一つかけていない。ちまき、鯉のぼり、しょうぶ、鍾馗、屈原と色々ネタはあるのだが、全然だ。

 しばらく、豆知識的な雑記帳で行こうと思ったが、一定まとまった論考などは、やはり文章にせねばならず、今日、掲示板の方で劉公嗣氏の投稿「日本という枠組み」にレスしようとして、飛んでしまったので、今日中にレスをきっちり書こうと思うが、この問題はそろそろ文章化の必要があると思うので、次の土日までにはまとめてみたい。

 今日は、まだ4時間ほどあるが、この時間で書こうと思ったら、端午関連の文章も一本書けないこともないが、少し自信はない。

追記:端午も書いていこうと思うのだが、どうも気になると脱線してしまうたちなので、劉公嗣氏へのレスとして、まず「手始め」に「中国4000年」をアップした。

 

21.連休も明日で終わり 2001年5月5日

 

 今日は、日中は近所の和菓子屋で和風のチマキを買い、夕方は出かけて551の豚まんとチマキを買ってきて、家族で食べた。いわば、日中のチマキを比較したわけであり、食べる前にデジカメで写真を撮ったので、またホームページに載せようと思う。ただ、端午関連の文章は、今日は色々、ホームページの模様替えに時間をとられて出来なかった。明日は、チマキの文章に挑戦してみようと思う。

 なお、本日目に付いたニュース三点。

1.      国連人権委員会の改選で、アメリカが創設以来初めて落選し、同委員会のメンバー国でなくなったこと。

2.      李登輝氏の訪米が再度延期されたこと。理由は明らかでないという。

3.      台湾の元行政院長(首相クラス?)、現国民党副主席蕭万長氏の大陸訪問を台湾当局が認可したこと。氏は江沢民国家主席などとも会談するかもしれないと言う。(どうでもいいことだが、今、「江沢民」が一発変換で出た。)

 

全く、それにしても、確かに551の豚まんはうまい。南京町など中華街の老舗の豚まんは別として、確かに、551を食べたら、他の店の豚まんなど食べられない。本日、4つ目の豚まんを食して。

 

20.今日は端午の節句 2001年5月5日

 

 今日は、言わずとしれた端午の節句である。しばらく、これにちなんだネタを『雑記帳』の方に掲載していこうと思う。だが、正直言うと、ある掲示板では、「日中文化交流のホームページ」などと大見得を切ったのだから、こんな端午の節句ぐらいのことは、すらすら文章が出てこないと行けないのだが、それがそうは知らないので、今、参考書を引っ張り出しているところなのである。

 まあ、私が端午の節句に改めて注目しだしたのは、実を言うと、勤めて大阪に来た年であり、今から16年前のことである。他地域の人には馴染みがないかもしれないが、大阪では各所で「551の蓬莱」という「豚まん」屋が店を出しており、ちなみに関西では、「肉まん」のことを「豚まん」という(もっと言うと、子供の頃、グリコの「あんまん」「肉まん」というものが売り出された時、その「肉まん」という名称に違和感を持ったのであるが)。それまで京都に住んでいた筆者は、「豚まん」というと文字通り「蓬莱」であり、父が商売の都合で大阪に行った時に買ってきてくれる、いわば大阪を象徴する食べ物であったのであるが、そんな筆者が大人になって、大阪に住むようになり、日常的に「551の蓬莱」の店先をのぞくようになったのである。

 そんなある日、私は蓬莱の店先で思わぬ発見をした。そこに、あるものが売っていたのである。「中華ちまき」と名付けられていたが、そこに本場のちまきが売っていたのだ。その時、筆者は子供の時、端午の節句に食べた柏餅や和風のちまきを思い出すとともに、その思い出深いちまきが実は中国から伝わったものであることを知ったのである。

 筆者は、この発見を吹聴して回った。ちまきに限らず、これこそ「日本古来のもの」と一般に思われている多くの文物が、実は中国に起源していること、そして日本だけでなく、朝鮮やベトナムなどにも伝わり、東アジア共通の文化となっていること、このことを筆者は改めて確認したのである。

 蓬莱で買って帰ったちまきは、和風のちまきとはほど遠いものであった。しょうゆ味?で色も茶色く、餅米のおにぎりといった感じで、中には椎茸や豚肉、なんかの木の実などが入った「あぶらっこい」ものであった。しかし、これは日本のちまきの原型ではないにしても、違った場所で別々に発達した親戚なのであり、竹の皮と餅米という「基本」に関しては、どちらも同じなのだ。

 5月5日と言っても、まだ朝ある。いきおいで書いてしまったが、まあ昼になったら、551に中華ちまきを買いに行き、それで端午の節句を祝おうと思う。

 

19.どうかしてるよ 2001年5月4日

 

 どうも、日本の為政者というのは、既に統治能力を失いつつあるのではないだろうか?

 報道によると、政府は北朝鮮の最高指導者、金正日氏の長男と「おぼしき」人物を、未確認のまま、国外退去処分にしたという。日朝国交正常化交渉に「悪影響」を及ぼさないための処置だというが、「悪影響」というなら、このような報道が行われた時点で、「悪影響」は既に出ている。当然の事ながら、北朝鮮は今回の事件を、日本政府・マスコミによるデマ、挑発と批判してくるだろう。現在、北朝鮮が沈黙しているのは、向こうのマスコミが遅いだけである。

 それに対して、政府は「未確認」=証拠不十分という負い目を背負ったまま、対応しなければならないのであり、それぐらいなら、当該人物をきっちり調べ上げて、向こうがグーの音も出ないような証拠を突きつけ、厳重抗議した方が、よっぽど「悪影響」がないだろう。

 ただ、忘れてはならないのは、調査の結果、当該人物が金正日氏の長男でないことがはっきりしてしまう場合もあり得るということだが、その場合は、「御免なさい」と素直に謝るほかないだろう。

 それにしても、こんな中途半端な措置をするぐらいなら、政府は一体なぜこんな情報を流したのだろう。そもそも、未確認の状態で、このような報道がなされること自体が全く異常なのであるが、今回の政府の措置は、ちょっと考えられない。

 日本では、この報道の影に「隠されて」しまったが、ここ一連の西欧諸国と北朝鮮との国交樹立の総仕上げとして、EU代表団が北朝鮮を訪問し、その足で韓国も訪問している。欧米首脳の北朝鮮訪問は今回が初めてと言い、少なくとも小泉氏は、この一連の南北朝鮮含んだ動きに、日本政府として、どのように考え、どう対処していくか所信表明する必要があるのではないか。まあ、「幸い」なことに、今回、この事件のお陰で、小泉氏はこの「宿題」から免れたわけだが、「宿題」自体がなくなったわけではない。

 それとも、こういう難しいことは、全部、真紀ちゃんに押しつけるつもりなのだろうか。

 

 

18.案ずるより、生むが安し 2001年5月4日

 

 非常に面倒に思っていた『侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館・講解詞』のネット版作成であったが、なんと本日の間に完成してしまった。ただ、文字化けしている箇所があるかもしれず、そういうところを、しばらく時間をかけてきっちり直していこうと思う。後、何枚か自分が撮ってきた写真を追加しようとも思う。

 

17.連休後半初日 2001年5月3日

 

 今日は憲法記念日である。昨日、首相公選制を話題にしたら、今日は夜になって古い知り合いが、首相公選制と選挙権を18歳以上の者に与えるという政策についてのアンケートを取りに来た。別段、どちらも特に賛成でも反対でもないのだが、両者とも実現となったら、憲法改正を伴うのではないだろうか?

 その点を知人に聞くと、「そんなことはない」と言うので、憲法を調べてみると、確かに選挙権に関する年齢の規定はなかったが、首相の方は、「国会で指名する」とあるから、憲法の改正が必要なのではないか?

 小泉氏のことも話題になったが、確かに85%という支持率は「大した」ものだが、私は全然期待していないし、あの程度の人にでも、期待せざるを得ない現下の日本の状況は本当にもの悲しいものがある。まあ、前の森さんが悪すぎたのもあるが。

 まあ、今日も結局、ぼんやり過ごしたに近かった。外出と言えば、ちょっと大きめの書店に行って、大林太良の『東アジア民族の興亡』(日本経済新聞社)を買ったぐらいである。まだ序文しか読んでいないし、近日中に読むとも思えないが、前から注目していた本なので、忘れない内に買っておくことにした。

 連休後半こそは無駄に過ごさないよう、去年の中国土産である『南京大虐殺遇難同胞記念館・講解詞』の翻訳をホームページの載せようと思う。これは、中国・南京市にある同記念館のパンフレットであり、館長・朱成山氏が、見学者に解説するという形で、同館の建物の紹介と展示内容の紹介を行ったものである。去年、これを同館で購入、帰国後翻訳し、ホームページの更新も放棄して、写真入りのものを簡易印刷機で作成、同行の人々や知り合いなどに配布したもののネット版である。もちろん、テキストはワープロのものをHTML文書に変換するだけなのだが、現在、写真の処理に時間がかかっている。

 

16.「西日本」独立す!(冗談) 2001年5月2日

 

 201x年、日本最初の公選総理大臣にかの石原慎太郎が当選した。当選した石原は次々と排外主義的政策を取り、日本は孤立の極に至り、不況は深刻さを増し、街に失業者とホームレスがあふれた。石原の政策に危機感を抱いた西日本諸府県は、ここに「西日本」同盟(仮称)の独立を宣言、親王秋篠宮殿下を迎え、これを「東日本」国の東天皇に対する西天皇として擁立、ここに南北朝以来、例を見ない天皇の東西両統並立という事態を迎えた。石原の派遣した東軍を関ヶ原で撃退した西軍は進んで、箱根の関で東軍と対峙、折しも排外的日本への批判が高まる中、国際社会も「西日本」同盟を承認、国際連合にも加盟し、「東日本」を制して国連の非常任理事国にも選ばれた。

※なまじ、天皇制の廃止を主張するより、こっちの方が天皇制には打撃だろう。まあ、東西両統ともに、まずその血統が維持できるかという大問題があるが。

 

以下は、「西日本」同盟の政策である。

1.    在日韓国・朝鮮人、中国人をも取り込み、多民族国家宣言を行う。(東日本からは、石原の迫害を逃れて、続々と在日外国人が亡命)

2.    「日の丸」「君が代」に替わる新国旗新国歌の制定。

3.    米軍の撤退。(これに賛同した沖縄県も「西日本」同盟に加盟)。必要最小限の国軍の維持。「東日本」石原一派の浸透・破壊工作に対しては、他民族の自警団を組織。

4.    過去の侵略戦争の反省の上に立った中国、韓国、北朝鮮などとの善隣友好関係の樹立。台湾との民間関係の維持。

5.    アメリカ、ロシアとも善隣友好関係を樹立。

6.    大アジア経済圏の樹立。各国との経済協力。

7.    歴史教育:過去の侵略への反省とアジアとの融和を主軸とし、また徳川家康をののしり、太閤豊臣秀吉を宣揚。

8.    少子化に対して、外国人を優遇。大阪などの大都市では他民族化が進み、小学校ではイスラム教徒の子女のため、豚肉を廃した特別給食を提供。また、希望するイスラム教徒女生徒にはチャドル着用も認めた。

9.    関西弁をベースに、西日本の公用語を制定したが、基本的に沖縄含む日本の全方言(東日本も含む)は公用語とされ、また紙幣等には、韓国・朝鮮語、中国語、英語の併記も義務づけられた。

 

15.アジアの中の関西 2001年5月1日

 

 今日、職場で話題になったのだが、この前、中国に行った時の、特に上海の交通マナーは本当にひどかった。20年前にそう感じなかったのは、まだ車が少なかったからだろう。ちなみに、これは別に中国だけの現象でなく、ソウルやバンコクなどでも同じだという。それを言うと、ある人が「大阪の運転マナーの悪さ」を指摘し、そのことから「大阪はアジアの一部」だと言う人がいることを紹介されたが、なんのなんの上海に比べたら、大阪の運転マナーなど本当に大したものである。もっとも、私は東京とかの事情を知らないので、大阪の日本の中での状況が分からないと言う面もある。しかし、「アジアの一部」と言われてみると、前々から不思議に思っていたのだが、江戸時代、東日本で金を使っていたのに、西日本は中国などアジア諸国と同じく、銀を貨幣として使用していたのである。

 実際、「アジアの一部」ということは何ら恥ずべき事ではない。「脱亜入欧」などと言いながら、アメリカにペコペコして、アジアを軽侮するよりも、大阪、しいては関西は自らが「アジアの一部」であることを誇るのである。例の「三国人」発言知事などの存在が許されないようなものが、確かに大阪にはあると思う。

 掲示板で紹介した邱永漢氏は、自らのアイデンティティーを「台湾生まれのアジア人」とされたていたが、それなら私は自らのアイデンティティーを「関西生まれのアジア人」においてみようと思う。もちろん、自らが日本人であることを否定するつもりはないが、歴史などを考える際、狭い「国史」のワクを取り去り、この「関西生まれのアジア人」というスタンツで見るとき、また別の歴史が見えてくると思う。

 もちろん、本当のことを言うと、関西であれ、関東であれ、日本は結局、アジアの一部でしかないのだが。たかだか、運転マナーのことぐらいで、自己をアジアと区別するような姿勢が問題なのである。

 

 

2001年4月分の日記